13 賭事
「なかなかうまいじゃないか」
「たしなみ程度よ」
ダンスは幼い頃に習ったきりだけど、基本は同じなので見よう見まねで何とかついていける。おまけにジュールがリードしてくれたので、周囲からは賞賛の目が向けられた。
軍人だからと侮っていたけれど、ジュールのダンスは下手ではない。少々無骨だが、それも彼の魅力になっている。
もうすぐ曲が終わる。それが何故か名残惜しく感じる。久々に踊るダンスが楽しかったのだろう。
曲が終わるのを今か今かと待っている男性陣の姿が見える。さすがに何曲も続けてジュールと踊るわけにもいかない。適当に数名と踊るしかないだろう。
すると助け舟なのか何なのか、曲が途中で途切れた。誰か高貴な方が来たらしく、入口がざわつきはじめた。かと思うと、すぐさま水が打ったように静まり返る。
「国王様のおなーりー!」
何と、来賓は国王様その人だった。
国王は白い髪とひげをたくわえた恰幅のいい初老の男性だった。足が悪いのか、豪華な装飾の付いた杖をコツコツとついてる。優し気に見えるが、この男のせいでアミザとディダルーシ王国の戦いが始まったと思えば、油断ならない相手だと知れる。
国王は長いローブを捌きながら最奥に据えられた玉座に座る。いち貴族の開いた会とはいえ、国王が来賓とあってはそうなるのが当然だろう。
ジュールが挨拶をしたい旨を国王の側近に伝えると、しばらくしてお召があった。本当にこの場で社交界デビューを済ませてしまうらしい。
壇上に座す国王の前に進み、腰をかがめて頭を下げる。
「この娘はリゼ・アシュリーヴスと申します。今日は私が付添人を」
ジュールの言葉に、私は肩をピクリとさせた。
リゼ・アシュリーヴス、って? 私の本当の名はリゼ・ヴィルダリード。この国ではただのリゼだ。なぜジュールの家名を付けたの?
「いつのまに婚姻しておったのだ? 東の将軍がこんな美しい奥方を隠していたとはな」
国王が豪快に笑う。婚姻は王の許可が必要なので、冗談のつもりなのだろう。
「いえ、遠縁の者なのです」
「そうかそうか。よっぽど独り身の男たちを牽制したいと見える」
国王は笑みを深めた。細かい出自を尋ねる気はないらしい。
「リゼよ、其の方の社交への参加を許そう。初めての大人の世界を楽しむといい」
「……ありがたき幸せに存じます、国王陛下」
発言を許された私は、更に頭を下げる。
次にお目通りを願う人々がいるので、私たちは早々に国王の元から下がる。
社交界デビューが簡単に済ませられてしまったことは、別にいい。元々できるとは思っていなかったし、結婚するつもりもないので興味もない。だが、名前については別問題だ。
「ちょっと、私がアシュリーヴスってどういうこと?」
「縁もゆかりもない者を自邸で養育するには、それしかないだろう。ふしだらな汚名を被れば婚姻はおろか外出もままならない」
「養育!?」
私はジュールに養育されていたというの? 何で自分の命を狙っていた私を???
酔狂にもほどがある。
「声が大きい」
ジュールに注意され、私は口を押えた。驚きのあまり、今自分がどこにいるかを失念してしまったのだ。
周囲の人たちが何事かとこっちの様子を窺っている。
……詳しいことは、帰ってから尋ねればいい。
私は落ち着きを取り戻すために咳払いをし、周囲をキョロキョロと見回した。
「あれは何?」
奥の方で男性陣がいくつかのテーブルを囲んでいる。
「ちょっとした賭け事をしてるようだ。普通なら別室で男だけ集まってやるもんなんだが、今日の主催者が賭け事狂いだからだろう。興味があるなら、覗いてみるか?」
私たちはダンスを誘ったり誘われたりしたそうな人々から逃れるために奥のテーブルへ向かうことにした。
「参加されていきます?」
進行役の男が声を掛けてくる。穿ちすぎかもしれないが、その目には「女子供が男の世界に入ってくるなよ」という蔑みがあるように感じられた。ケンカを売られたからには、買わなければならないだろう。
見誤ってもらっては困るのだ。
「お前がやりたいならやってみろ。手持ちはある」
そこは腐っても貴族のお遊戯、はした金ではきかないのだろう。だけど。
私は不敵な笑みを浮かべた。
「そのお金、倍にしてあげるわ。手放した家財道具でも買い戻しなさいよ。ご両親の思い出の品もあるでしょう?」
「……それは頼もしい」
ジュールはあまり期待していない様子でそう言った。
最初は三つある伏せたカップの一つに小さな球を入れ、それを進行役が目にも止まらぬ速さで位置を入れ替え、最終的にどこに球が入っているかを当てるものだった。
このくらいなら、宝石の力に頼らなくても大丈夫だ。持ち前の勘の良さを駆使し、進行役の視線や態度に注意を払うだけでいい。もっとも、自分の未来は視えないので、宝石を使っても意味はない。
「どこに賭ける?」
ジュールが尋ねる。その間に、参加している他の男性二人がそれぞれ端のカップの前に金貨を置く。
「真ん中よ」
ジュールは小さく頷き、金貨を置いた。
彼は真ん中が空いているからそこに賭けたと思っているだろう。実際、目視では追いかけることのできないほどの早業だった。
「中央。ジュール・アシュリーヴス様のお連れ様、勝利です」
進行役は全ての金貨を私の前に移動させる。他の貴族は悔しがっている態度を見せたが、本気でないことは明らかだ。はした金、まぐれだとこちらを侮っているのだろう。
だが、余裕の表情も二回、三回と私が一人勝ちするにつれて雲行きが怪しくなってきた。
貴族の男が額に汗を浮かべながら唸る。
「失礼を申し上げるが、何か特別な手を使っておられるのではないでしょうな?」
案にイカサマをやってるんじゃないかと疑って言るのだ。
眉を寄せたジュールが口を開こうとするのを、私は手で制した。
「まさか。やってないことはあなた方も彼も知っているはずよ」
進行役の男が頷く。貴族男たちも分かっているのだろう、しぶしぶ卓上の金貨を動かした。
「強運だな」
「でも、今日は驚くほどツイてるわ。今までで一番かも」
幸運の女神と呼ばれていても、その力が自分に及ぶことはほとんどない。
だからこそ家族も亡くし、すんなり復讐を果たすことも出来なくてこんな不可思議な状況に陥っているのだ。もっとも、生きているだけで強運なのかもしれないけれど、反動でものすごく不幸なことが起きるのではないかと怖くなる。
帰りに馬車が転倒して怪我をするとか、食べ物にあたるとか、……今夜こそジュールに殺される、とか。
怖い想像に鳥肌を立てていると、貴族男が身を乗り出してきた。
「最後にもう一度だけ、お願いできますかな? お互いの、有り金全てを賭けて」
「えっ」
驚いた私は、咄嗟にジュールを見上げた。出資したのは彼だ。
「やってみろ」
「いいの? 次も勝つとは限らないのよ?」
進行役は心の内を見透かされまいと、表情を殺している。次もまた当たる確証はない。
「ああ、構わない」
信頼されているのか、本当にはした金だと思っているのか。お屋敷にお金をかけない分、たんまりと貯め込んでいるのかもしれない。
最後は色を選んで賭ける勝負をすることになった。
進行役の男が二つのカップにそれぞれ赤と黒の玉を入れる。それを早業で位置を入れ替え、最後にカップを一つだけ前に出した。
「こちらに入っている玉の色を当てていただきます。さあ、赤か黒か!」
貴族男はむむむと顎に手をやり、そうすれば透けて見えるとでもいうくらいにカップを凝視している。もちろん、私も何色が入っているのかさっぱり分からない。
「レディ、お好きな方を」
二択というのは迷いが出やすく、決心がつかないものだ。どちらにするか……視線を迷わせた私は、 ジュールの黒い髪を見上げ、すぐに「黒」と告げる。
どちらか分からないなら、深く考えても無駄だ。ジュールのお金なら、ここで全て没収されてもいいだろう。元々はここで私が醜態を晒して彼に恥をかかせようとすら考えていたのだから。
「では、私は赤で」
貴族男が宣言すると、進行役が「それではよろしいですね?」と念を押す。
頷く私たちを見て、進行役がカップを上に上げると……そこに入っていた玉の色は、黒だった。
「きゃーっ!」
私はたまらずジュールに抱きついた。はずれてもいいと思いながらも、自分の勘に期待していたらしい。
「お、おい」
「きゃっ、嫌っ!」
喜びのあまり、長年の仇敵にしがみついてしまった私は、まるで虫でも触ってしまったかのように突き放した。自分からくっついておきながら……と申し訳ない気持ちもあったけれど、相手が相手なので、他に選択肢がなかったのだ。
自分の勘が当たって興奮してしまったけれど、よりによってジュールにしがみついてしまうなんて。
病気かと思うくらい、私の心臓はざわついている。どうしてなの、以前わざと抱きついた時には、こんな気持ちにならなかったのに……。
貴族男は肩を落としてテーブルを離れて行った。たった数十分のうちに大金を失ってしまったのだ、無理もない。
私は目の前に移動してきた金貨の内、数枚を進行役に渡した。それほど彼の腕は見事な腕だった。そして動揺を鎮めた私は、勝ち誇った顔でジュールを見上げる。
「言ったでしょ? 倍にするって。それ以上になったわね」
金貨をジュールの方に押しやると、彼は虚を突かれた顔をする。
「お前が勝ったんだから、お前のものにすればいい」
「お金には興味ないの。そりゃ、あるに越したことはないけど。それに今日私はジュールの“お連れ様”なのよ。栄誉はすべて、ジュール・アシュリーヴス様に」
立ち上がってうやうやしく礼をすると、ジュールは驚いた顔をくしゃりと崩した。
「お前は本当に見た目を裏切る行動をする。見てて飽きないな」
初めて見る、心からの笑顔。天井でキラキラと輝くシャンデリアよりも、眩しく映る。
私は慌てて目を逸らし、俯いた。
自分の中に芽生えた気持ちに気付いてしまったからだ。
もしかして私、ジュールに心惹かれているの?
……そんな訳ない! 相手は両親を殺した敵なのよ!? 私の大切な人たちを奪った男。私の幸せな子供時代を終わらせた男。たとえ復讐が叶わなくても、憎み続けるべき相手だ。
きっと復讐心がこじれて頭がおかしくなってしまったんだわ。そうに決まっている!
「どうした、具合でも悪いのか?」
そんな私の動揺にはちっとも気付いていないジュールは、少し眉を寄せて顔を覗きこむ。
近い、近すぎるわっ! この馬鹿!
私は表情を読まれないように、顔を思いっきり背けた。




