12 夜会
翌日は朝から大騒ぎだった。
ジュールの突然の夜会参加発言に、私だけじゃなく、屋敷中が大わらわだったのだ。
昨夜から夜会用のドレスの試着、侍女クレアによるサイズのお直し、装飾品選び、お肌のお手入れ……。今朝も休む間もなく準備が進められ、ようやく解放された時には出発の時刻が迫っていた。
深い青のドレスは自分が見ても金髪と白い肌に映えていた。使用人たちは口々に私を褒め称えたが、階段を下りて行き姿を見せても、ジュールからは特に言葉はなかった。
ジュールはいつもの軍服やラフな白シャツ姿とは打って変わって貴族服を身に付けていた。色は軍服と同じく真っ黒だったが、首元に白いクラバットをしめ、ひどく窮屈そうにしている。
「準備できたようだな。じゃあ、行くか」
待ちかねたようにジュールは先に馬車に乗りこんでしまった。
元より期待なんてしていないので、こちらも何とも思わない。
一応手は差し出されたが、私はそれを無視して自分で馬車に乗りこんだ。ジュールも特に何も言わずに手を引っ込める。
ジュールの向かいに腰を下ろしたところで、ゆるゆると馬車が動き始めた。
「そういえば、社交界デビューもしてない私が行っても大丈夫なの?」
「ごく内輪の会だから大丈夫だ。気にするな」
えええええ! 適当過ぎる! そんなんでいいの、この国は!?
いやいや、普通ならそんなことが許されるはずはない。それが通るほどジュールは好待遇なの?
困惑する私を乗せた馬車は日が暮れ始めた街を走り、大きな屋敷の前に到着した。
本来の貴族の屋敷とはこういったものだろう。
「ジュール・アシュリーヴス様!」
大広間に入る時に、声高々と名前を呼ばれ、大広間中の視線が私たちに集まる。
ジュールに対する視線は、嫉妬と羨望が入り混じっていた。それは主に若い男たちから注がれている。元は男爵位だったジュールが、戦果を上げる度にその位を上げていくのが気に入らないのだろう。加えてジュールは容姿もいい。万人受けするわけではないが、一部の女性にはたまらく魅力的なようで、その熱い視線も一人占めしていた。
……私にとってはジュールの容姿など、どうでもいいけれど。
ジュールに向かっていた視線が、隣の私にも注がれている。どういう出自の者なのか、ジュールとの関係は何なのか、会場中の男女の困惑が手に取るように分かる。
……ちょっと、ちっとも内輪の会じゃないじゃない。なによ、この人の多さは。
だけどそんなことは顔には出さない。腐っても鯛。私は優雅に微笑み、美しい所作でジュールに付き添う。幾人かの男性が近付いてきそうになったが、それをジュールが目線だけで止める。
一応、礼は言っておくか。
「ありがとう」
「ああ」
ジュールは私のお礼の意味を正確に受け取った。色恋沙汰に関して、鈍い訳ではないようだ。
夜会は舞踏会がメインなようで、大広間はダンスフロアと化していた。
ご令嬢方は他の男性とダンスしながらもチラチラとジュールを見ている。一緒に踊りたいのだろう。
「私たちもダンスする?」
「いや。一度踊れば、後が断れなくなる」
夜会に来たのに、踊らないなんて、一体何をしにここに来たのだろう。
怪訝に思っていると、ジュールが言葉を重ねた。
「どうもこういう場は苦手だ」
ジュールは眉をぎゅっと寄せた。まるで、虫の大群を見つけてしまったくらいの嫌がりようだ。
「そんなに苦手なの?」
くすっ。
えっ? 今笑ったの、私?
自分から出た笑い声に、自分が一番びっくりする。ジュールの思いがけなく情けない姿を見ていたら、自然と笑みがこぼれてしまっていたのだ。
するとジュールは不思議そうな顔をした。
「そんな表情もするのか」
「それはこっちのセリフよ。それに、私が笑ったことなら何度もあるじゃない」
出会ってからこっち、私はずっとジュールに笑いかけているはずだ。魅惑的な、極上の笑みを。
「顔に張り付けたような笑みしか見ていない」
――そうか。油断させようと思ってニコニコとしていたけれど、見破られていたのか。
国を離れて以来、すっかり笑顔が板についたと思っていたけれど。それにしても、どうして私は笑ってしまったのだろう。相手は他ならぬジュールだというのに……。
動揺していると、会場に着いたばかりの若い男性がジュールに話し掛けてきた。
彼が来た途端に、ジュールに集まっていた視線が二分される。
「おい、ジュール。どうしたんだ、お前。すんごい美人を連れてるじゃないか」
「来ていたのか」
「ああ、さすがに王命だからな。本当は下町の酒屋にでも顔を出したかったんだけど」
「王命があって良かったな。酒屋の女たちが被害にあわなくて済んだ」
「誤解を生む発言はよせよ。俺はいつも合意の上だぜ?」
ジュールと軽口をきいているところを見ると、仲が良いらしい。
軽く見せてはいるけれど、出自は良いらしく、動きが優美だ。
「挨拶が遅れてごめん。俺はゼフィード。ゼフィード・ランスゲージだ。以後お見知りおきを!」
私は目を見開いた。ゼフィード・ランスゲージという名前に聞き覚えがあったからだ。それは西軍の将軍だった。東軍の将軍であるジュールとこのディダルーシ王国における双頭の守護神と呼ばれる存在。
私は挨拶を返しながら、こんなに若い人だったのかと驚いた。ジュールよりずっと年下に見える。茶色の髪に水色の瞳、背は高いがジュールと違って細身だ。
東軍の将軍であるジュールと対をなす猛者だと思っていたので、完全に予想を裏切られた。
「こんな優男で驚いた? 大丈夫、俺もそう思うから」
ゼフィードはにっこりと笑う。
「ジュールが頑張ってくれてるから、俺はお飾りの将軍でいられるんだよな。本当に、助かってるよ」
「馬鹿言うな。お飾りの将軍があんな手を思いつくか」
「失礼な、誰が腹黒いって?」
「お前だよ、お前」
どうやらゼフィードは朗らかに見えても知略に長けた油断ならない人物のようだ。
私の存在を忘れたように会話を続ける二人を、興味深くながめる。
“あんな手”というのが自国を滅ぼした手段かもしれないと思い至ったものの、不思議と当初ほどの恨みは湧いてこない。
どうしてだろう。手を伸ばせば、彼らの持つ祭典用の装飾が施された剣に手が届くというのに。
戦争なんだから、殺し合いなんだから、どんな手を使っても仕方ない。そんな風には到底考えられないけれど、どこかで諦めに近い感情も生まれていた。自国を滅ぼしたこの国の奴らが憎い。両親を殺したジュールが憎い。だが、復讐に失敗今は誰に、または何にこの憎しみをぶつければいいのか分からない。
全ては終わったことなのだと許せるほど、幸せな人生は送ってこなかったけど。
私は何のために生きてきたのだろう。そしてこれからどう生きていけばいいのだろう……。
「どうかしたのか?」
「気分でも悪い?」
黙りこくった私に、二人がようやく気付く。私は「いいえ、何でも」と微笑み答える。
「良かった。じゃあ、俺はこれから令嬢全員に挨拶しないといけないから」
「これ以上被害者を増やすな」
「リゼちゃんを俺にくれるっていうなら考えるかな」
「お断りだ」
「冗談だよ。今まで女っ毛がなかったお前が選んだ子なんだから。よっぽど大事にしてるんだろ」
「そんなんじゃない」
「またそんなこと言って。じゃあな」
「おい、待て」
ジュールの制止の声も聞かずにゼフィードは風のように去っていった。しばらく見ていると、さっそく初心そうな貴族令嬢の手を握り、顔を赤くさせている。被害はどんどん拡散していきそうだ。
「……女っ毛、なかったの?」
「うるさい。ないことは……なくもない」
ジュールの語尾が小さくなっていく。
あ、こりゃ、本気で女っ毛なかったんだわ。そう思えるほどに。
女なんてよりどりみどりだろうに、どうしてだろう。女性相手じゃだめとか? 何か変な趣味でもあるとか? 戦争中は敵国の女を凌辱したり商売女を買ったりしていたのでは?
そこで私ははっとした。遠征中は連れて行きでもしない限り、女のいない期間が長くなることもある。その場合は男の部下などで間に合わせると聞いたことがある。
私は娼館育ちならではの方向に想像が膨らみそうになり、慌てて止める。
女っ毛が無いことが男色家であるという証明にはならない。ただたんに、良家のご令嬢との良いご縁が無かったのだろう。だから、私のことを恋人だと勘違いされてしまったのだ。そんなんじゃないのに。二人の間にあったのは、殺し合いのみ。甘酸っぱい雰囲気は皆無だ。
お互い気まずい雰囲気になってしまい、どうしたものかと思案していると、一人の若い男性が私にダンスを申し込んできた。勇気をふりしぼって、といった雰囲気で、顔が真っ赤だ。
「どうか、私と一曲!」
ジュールの眼光をかいくぐってくるとは、勇者に違いない。
「いえいえ、ぜひともこの僕と!」
すると他の男性も我先にと押しかけてきた。
「ええと……」
何と言って断れば正解なのだろう。
その時、ぐいっと手を掴まれた。ジュールだ。
ジュールは私の手を引き、ダンスフロアへと向かう。
「……踊らないんじゃなかったの?」
「考えが変わった。誘いを断るには、踊り続けるのが一番だ」
「確かに、そうね」
私はジュールの手を握り直した。日々鍛錬を重ねている手だ。こんな手には小細工など通用しないと、私は改めて落胆した。
……そんなこと、最初から分かっていたけど。




