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11 昇華

「帰るぞ。立てるか?」


 どれくらい経っただろう。ようやく涙が枯れた私に、ジュールが手を差し伸べた。

 何も考えられなくなった私は、目の前にある手に掴まり、のろのろと立ち上がった。


「どこに帰るの?」

「屋敷に決まっている。早く戻って着替えないと風邪をひく」


 私も? 一緒に帰るの? ジュールのお屋敷へ?


「どうして?」

「帰るところはそこしかないだろう? それとも、娼館(ゲーテノーア)に戻るか?」


 その問いに、私は首を振った。もう、帰れない。私の居場所は、あそこではない。

 ついこの間まで暮らしていた場所なのに、今ではもう遠くに感じる。ジュールのお屋敷が自分の居場所かどうかは、分からないけれど。

 ジュールは歩けない私を抱え上げた。私にはもう抵抗する気力がなかった。



「用事は、もういいの?」

「用事なんて元からない」


 用事が、ない? それならなぜ郊外に来たのだろう。わざわざ私なんかを連れて。


「船に乗ったのは、どうして?」

「……お前が喜ぶかと思って」


 ジュールの答えに絶句した。

 私を喜ばせようと思ったのか。もしかして、私を連れ出すのも船に乗せるのが目的で?

 私を喜ばせて何の得が?


「どうして?」


 なおも質問を重ねる私に、ジュールが溜め息をつく。答える気はないようだ。

 馬の元に辿り着くと、ジュールは私を抱えたまま馬に乗った。

 溺れて体力を奪われた私は、激しく揺れる馬上だというのに、段々と眠くなる。


「どうして……か。……俺にも分からん」


 眠りに落ちる時、ジュールの声が聞こえた気がした。




「あなたのことを占ってあげましょうか」


 私がジュールにそう申し出たのは、純粋な気持ちからだった。復讐をするという目的は、いつしか私の重荷となっていたらしい。自分で言うのも変な話だが、憑き物が落ちたように心穏やかな日々を送っていた。それはひとえにジュールのおかげなのだ。彼が私の復讐を終えさせてくれた。私に涙を流させてくれた。

 例え願いが叶わなかったとしても、ちゃんと向き合ってくれたのだ。 


 私の占いが恩返しにでもなれば、と考え、自嘲した。


「どういう風の吹き回しだ?」

「ええ、本当に」


 自分でもビックリする。まさか、ここから追い出されないようにご機嫌でも取ろうとしているのだろうか?

 まさか。ここは私の居場所ではない。私を引き取った理由はおそらく、戦争孤児と察したジュールに魔が差しただけだ。鬼の目にも涙ということだろう。それもきっとすぐに飽きる。その時は颯爽とこのお屋敷を出ていくのだ。今は亡き母国へと戻り、両親の御霊を弔おうと思う。

 それまでは彼の“女神”でいよう。それが私の本気を受け止めてくれた彼へのせめてもの恩返しだ。


 私は肩の傷痕を押えた。


 あの時……ジュールと決闘をしたあの時。

 ジュールの目は、本気だった。本気で私を倒そうとしていた。

 おそらく復讐という目的がなければ、あの視線だけで恐れをなして逃げていただろう。適当にあしらっておくこともできたのに、しなかった。

 止めを刺してくれなかったことは未だに腹立たしいけれど。きっと両親も納得してくれるだろう。

 ありがとう、なんて絶対に言わないけど、感謝はしている。

 ジュールはそのまま椅子にかけている。占いを信じてはいないだろうが、私の好きにさせてはくれるようだ。

 私は胸元から宝石を取り出した。深呼吸をして、精神を統一させる。

 するとぼんやりとした映像がいくつか浮かんだ。


「えーと、シャンデリアみたいなものが見えるわ。あとは着飾ったたくさんの人が……舞踏会か何かかしら」


 私は言いながらどんどん落ち込んできた。舞踏会なんて、貴族であれば日常茶飯事だろう。そんなことでは、私の力を信じてもらえないに決まっている。

 ところが、ジュールは目を大きくして「……驚いた」と言った。


「明日の夜、舞踏会がある。普段は断っているが、今回は参加することになった」

「そうなの。大変ね」


 労いながらも安堵した。自分の占いが当たったからだ。


「でも、安心して。案外楽しい時間が過ごせるみたいよ。どんな内容かまでは分からないけれど」


 イメージは明るく賑やかなものだった。ジュールの顔も晴れやかで、きっと楽しい時間を過ごせるだろう。


「お前も同伴するように」

「えっ? どうして?」

「舞踏会には女性同伴が原則だ」


 いやいや、そんなことは分かっている。私が聞きたかったのは、どうして私を同伴するのか、ということだ。

 女性ならばよりどりみどりのはず。


「お前を連れていく方が面倒なくていい」

「……なるほど」


 彼は彼なりに苦労があるらしい。ハリウスの控えめながらも饒舌なジュール自慢によると、王の信頼も厚いそうなので、積極的なご令嬢も多いのだろう。


「舞踏会はどなたのお屋敷で開かれるの? 招待客はどんな方々なの?」

「ついてくれば分かる」


 詳細を伝えないまま、ジュールは自室へと向かっていった。


「今の聞いた? どんな会かによって準備も変わってくるのに。そもそも、急に言うなんて非常識よ」


 本人には言えず、私はハリウスに愚痴る。


「確かに急ですが、どうしても断わりきれなかったのではないかと……」

「そうでしょうね。まあ、仕方ないわね」


 ハリウスはすぐに納得した私を見て少し目を丸くした。失礼ね、これでも貴族社会に関してはちょっとだけど知識はあるんだから。とは、言えないので黙っておく。


 それにしてもジュールってば、舞踏会の主催者がどんな身分のものか、どのような主題の会なのか、来賓はどんな層なのかでこちらの衣装などが変わってくるのに、「ついてくれば分かる」で済ませるなんて。

 私のせいで自分の評価が下がったらどうするつもりなのだろう。

 ……そうか、評価を下げてやればいいのだ。

 思いっきり派手派手しいいかにも商売女といった恰好で同伴してやれば。いや、衣装はハリウスらが選ぶかもしれないけれど、舞踏会で無作法な真似でもすればジュールの面目は丸潰れ。社会的地位が揺らぐことにも繋がりかねない。貴族社会はそれほど気を遣わなければならない世界なのだ。

 これも一つの復讐の形かもしれない。


 そこまで考えて、私は目を閉じ、頭を左右に振った。

 ……いや、違う。私が欲しかったのはジュールの命だ。代替案として将軍職を奪ってやりたいとは思うけれど、私の失態の責任を負わせるといった姑息な手はやっぱり使いたくない。

 何より、そんなことをしでかす自分が許せない。復讐を心に誓って以来、忘れるように努力していたけれど、元は私も貴族の娘。いらぬ矜持が残っているらしい。

 私はこっそりと自嘲した。


「ドレスは? 用意してあるのかしら?」

「はい。いくつかご用意しているものがあるので、少々手直しすれば……」

「さぞかし煌びやかな衣装なのでしょうね」


 嫌味のつもりだった。何しろジュールの持つ富は私の母国を滅ぼして得たものだからだ。しかし、ハリウスは何か言いたげな様子で口ごもった。


「どうしたの? 何か言いたいことがあるなら聞くわ」


 話を促して、いくらか沈黙が続いた後に、ハリウスが「実は、」とようやく口を開いた。


「ジュール様は、その、あまり多くの財をお持ちではありません」

「えっ?」

 

 一瞬相手の言葉の意味が掴めなかった。輝かしい戦歴を持つジュールはその度に褒美をたんまりもらっているはずだ。おまけに地方に広大な領地をもらっているはずで、そこから得るものも多いだろうに。


「ジュールさまはそのほとんどを敗戦国……とりわけ戦災孤児への寄付に回されております」

「ええっ!? まさか」

「そのまさかです。ジュール様は日々倹約した生活を送っておられます」


 天下の死神が、寄付? 自分でその国を滅ぼしておきながら? 罪滅ぼしのつもりなの?

 私は苛立ちを覚えた。そんなことで、多くの人々を殺めた罪は消えたりしない。両親は二度と戻ってはこない。


「私の身請けの費用は? 大金よ。寄付なんて、どうせ少額なんでしょう?」

「家財道具を処分して賄いました」

「……」


 口を歪めながらの問いをあっさりはじかれ、私は言葉を失った。

 思っていたよりも小さなお屋敷、装飾品や調度品の少ない部屋。初めてこのお屋敷に来た時感じた違和感に符号する。

 ……まさか、私を身請けするために家財道具を売却するとは。ますますジュールの考えていることが分からなくなる。一体何が目的なの? 私をどうするつもりなの? お願いだからこれ以上悩ませないで。


 私にあなたを憎ませていてほしいのに。


 ……え? 憎ませていて、ほしい?


 心の中に浮かんだ感情に、自分で戸惑う。憎ませていてほしいだなんて、まるでもう憎んでないように聞こえるじゃない。そんな、馬鹿な。ジュールは両親を殺した仇であることに変わりはないのに。


 ……何だか、変だ。あの日から。ジュールと二人で湖へ行った時から。

 いや、この屋敷に来てから? ううん、きっと、ジュールに出会った時から私は変になってしまった。憎しみすぎて、頭が麻痺してしまったのか? 復讐が失敗に終わり、燃え尽きてしまったのか?


 ……考えても答えは出ない。

 そして私は思った。「だったら、一度、考えるのをやめてみようか」と。


 思えば私は、いつも何かを考えていた。

 美味しいものを食べても「美味しいと感じてはいけない」、美しいものをみても「美しいと感じてはいけない」と常に自分を押えていた。

 死んでしまったアミザ国の人々や両親や、見殺しにしてしまった人たちのことを思えば、自分だけ喜びや幸せを享受することはできない。


 ジュールはそんな私の鬱々とした世界に風穴を開けたのだ。あの日、あの湖で。


 もう少し、流れに任せてみてもいいかもしれない。

 ジュールが私を手放す、その日まで。


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