第37順
本題に入る前に、少し食べておきましょう。
モカ様がそう言うので、私もお言葉に甘えてルビィの実のショートケーキを頂くことにしました。
生クリームは甘すぎず、くどすぎず。
甘酸っぱいルビィの実と合わさって爽やかな甘さとコクを作り出しています。
今まで食べてきたルビィの実のケーキと比べても、最上位に入るくらいに美味しいものです。
「ご満足頂けているようでなによりです」
こちらはまだ何も口にしていないのに、表情を読み取ったのかモカ様はそう言って嬉しそうに笑っています。
そうして雑談混じりにお互いケーキを口にし終えたところで、本題となりました。
「さて――ルツーラ様をわざわざこんなところまでお呼び立てしてするお話は他でもありません。今のルツーラ様の魔法的状況に関する、考察と仮説をさせて頂きたかったからです」
モカ様からの呼び出しからしてそうだと思っていましたが、改めて言われると不安が湧いてきます。
けれども、聞かないワケにはいきません。
私が置かれている状況というものを正しく知らなければ、ここまで積み重ねてきた悲劇の回避がふいになってしまうかもしれないのですから。
私はお茶で口を湿してから、覚悟を決めて先を促しました。
「先に、結論から言わせていただきます」
真剣な顔で、けれどもとても言い辛そうに――モカ様はそう前置きをしてから、意を決すように口にします。
「今、ここで私とお茶をしているルツーラ様は、一周目のルツーラ様でも二周目のルツーラ様でもありません。
言ってしまえば、貴女はその中間に存在する一・五周目のルツーラ様……というべきかもしれませんね。
そして、それは本来は存在しないはずの存在。故に、その存在が許されているのは期間限定となります」
色々と気になる言葉が山盛りではありますが、一つだけ――これは確認しておきましょう。
「その存在が許されている期間の最後は、一周目で時間遡行の魔法を使ったのと同じタイミングまで……ですわね?」
「はい。『順』魔法によって生じた存在である以上、それは避けられません」
辛そうに苦しそうにうなずかないで頂きたいものです。
ああでも――一周目には敵対したモカ様にこのような顔をして貰える関係になっているというのは、なんとも不思議なものですね。
「時間が来たらどうなりますか?」
「……一・五周目のルツーラ様は消滅するコトでしょう。一周目と二周目、そのどちらの世界線からも」
「それは、ルツーラ・キシカ・メンツァールという人間の消滅ですか?」
「いえ。一・五周目の存在である貴女だけです。二週目世界のルツーラ様は消えません」
「それを聞いて安心しました。それであるならば、奮闘した甲斐があったというものです」
これは本当にそう思います。
そもそも、時間遡行したタイミングに二周目の時間が辿り着けば、私という存在に何かが起こることは覚悟していましたからね。
改めて私の身に生じる現実を教えて貰えたのは、むしろありがたいと言えるでしょう。
そして、先日ゲイル様からの婚約の申し出をお断りして正解でした。
同じルツーラでも別の存在になってしまうような人間と婚約など、ゲイル様に申し訳ありませんからね。
「結論は理解しましたわ。ではモカ様、聞かせてください。
私は――一・五周目のルツーラとは、一体どのような存在なのですか?」
問うと、モカ様は大きく深呼吸をしてから私を真っ直ぐに見据えて答えます。
「……貴女は、一周目のルツーラ・キシカ・メンツァールの『順』魔法。それそのものです」
「魔法そのもの?」
「はい。貴女は一周目のルツーラ様本人ではなく、一周目のルツーラ様本人から分離して時間遡行をした『順』魔法そのものなのです」
「…………私が、魔法……魔法、そのもの?」
いまいち実感の湧かない話です。
実感の湧かない話のはずなのに――ああ、なんだかとても、腑に落ちてしまいました。
その現実に拒絶感は一切わかず、自覚してその通りだと受け入れられます。
「以前、魔法の進化の一つ。『羽化』についてお話しましたね」
「ええ」
私がうなずくのを確認してから、モカ様は話を続けます。
「羽化の形の一つに、魔法そのものに人格が宿るというモノがあります。
元々、魔法とは人の心の在りようが属性という形を得て発露したモノというのは、以前にお話したかと思いますが――言ってしまえば、その側面がより強くなった形ですね」
「それってラウロリッティ様の髪色の話をした時に出てきた、概念属性という古い魔法の持つ性質と同じような話ですか?」
確か、すでに使用者は現存していないとされる概念属性。それは、魔法ながら自我を持っており、使い手や環境を自分を使うに相応しい状況へと改変していく性質をもつとかなんとか。
なんとかなく覚えていたその話をすると、モカ様は首肯しました。
「魔法が人格を持つ――という点に関しては同質ですね。
ただ、羽化によって生じた人格は、使い手と魔法が共に成長し、変化してきた結果生じるモノです。その為、大きく人格や環境に影響を与えるコトはありません。
そこは古の概念魔法との違いですね。羽化は、自分の魔法を概念魔法化させていると言っても相違ないですが、後天的に人格が宿ったからこそ制御が容易です」
そう言って、モカ様はカップをソーサーの上からどかしました。
「そして羽化した魔法は……どちらかというと、使い手自身の成長によって強くなりすぎた魔法に対して、己が課した魔法制御の枷。その為に魔法の裡に生じたもう一人の自分――という表現の方が近い存在かもしれませんね」
モカ様はそう言いながら、カップの中のお茶にスプーンを触れ、ソーサーの上に、雫を一つ落とします。
「カップの中のお茶が本人。ソーサーの上の雫が、羽化より生じた人格です。
自分の側面の一つが、魔法を制御する人格を宿しているのです。魔法の使い方次第で独立した作用をするコトはあるかもしれませんが、大本のお茶と雫は同じモノでしょう?」
わかるような、わからないような……。
でも、この説明を聞くと、自分が一・五周目という言い方をされる理由は理解できた気がします。
「私はその雫。本体そのものが時間を遡れずとも、雫だけなら遡れた……というコトでしょうか?」
「そうなりますね。そして、一周目の本体による反省と後悔が強く作用した人格を宿す形で羽化した魔法は時間の順序を入れ替えて、時を遡った」
モカ様は自分のところにあったソーサーを私の方へと少し移動させます。
「だけど、あくまでも魔法。それも炎や氷のようなわかりやすい形を持たない『順』属性です。肉体を持たない故に、時間を遡ったところで何もできない」
そう言われるとそうなんですが……いえ、形はなくとも、最終形は絶対に存在するのが『順』の魔法の在り方。
「――そのはずでした」
何らかの最終形たる順番を入れ替えた。
「そういうコトですか」
私はモカ様が差し出したソーサーを手に、そこに乗っている雫を自分のお茶へと落としました。
「元よりこの雫は、ルツーラ・キシカ・メンツァールから生まれた魔法。
同じルツーラ・キシカ・メンツァールに作用するコトになんら問題はなかった。それこそ概念魔法と同じように、自分が目指すべきモノを造りやすいように、環境の書き換えを行ったワケですわね。
自分の魔法の在り方からズレない形で」
そう、それはつまり――
「多少の時間的ズレは生じましたが、私が目覚めたのが魔性式の日だったのも納得です。
二周目の私が魔法を授かるタイミングを入れ替え、私という雫が、この身に宿った」
「その推測で間違っていないと思います。
そして、六歳の子供の自我よりも、すでに成人している雫の自我の方が強かった。
二つの人格は混ざり合った上で、雫の人格が優位に立ったのが、今のルツーラ様です」
ソーサーから落ち、私のお茶と混ざり合った雫を示しながらモカ様はうなずきました。
「そして、お茶の場合は不可逆――つまりはそこから、今落ちた雫を取り除くのは不可能ですが、貴女という雫は魔法です。不可逆ではない。本来の魔法属性がその身へと戻ってくれば、自然と追い出される存在です」
「それこそが順序の入れ替えが行われた日――というワケですね。その日に、二周目の私本来の魔法が戻ってくる。この身に、私の居場所がなくなる」
「そして……これは、口にするのが大変心苦しいのですけれど……」
どこか泣きそうな様子で、俯き――ややしてからモカ様は顔を上げます。
「今の雫に、時間移動を行う――あるいはそれを引き起こすチカラはありません。
その為、一周目の時間軸にいる本体の元へと還るコトは不可能。追い出されたあと、帰るべき先の無い魔法は、恐らくは大気中の魔力に解けて消えてなくなるコトでしょう」
「それが、二つの時間。どちらからも消滅するという理由ですか」
本当に――今が奇跡のような時間であるというのを再認します。
ですが、そんな感傷よりも、重要な話が色々とあります。
私は自分のお茶を示して、モカ様に訊ねました。
「雫が取り除かれた、『私』はどうなりますか?」
「人格も魔法も二周目のルツーラ様のものに戻るコトでしょう。
ただ混ざり合った状態で長い時間を過ごされているので、記憶や感情などが大きく乖離するようなコトはないかと思いますが……根拠も確証もないので、だいぶ私の願望が混ざっているかもしれません」
「そうですか」
「ルツーラ・キシカ・メンツァールという人間が消えてなくなるコトはありませんが、ただ二周目本来のルツーラ・キシカ・メンツァールの人格や性根が、貴女の望む形を抱いているかどうかは――不明です」
まぁそれはそうでしょう。
魔性式の朝以降、その二周目の私は、雫たる私と混ざり合って、現在進行形で今を生きているのですから。
「でも、きっと大丈夫です」
「ルツーラ様」
不安げな、悲しげなモカ様を勇気づけるように、私は私を示して口にします。
私の中には恐怖も悲嘆もありません。少なくとも両親とダーリィを救えたのです。
その成し遂げたという達成感と誇り高く思う感情は、雫が消えたあともこの身体に残るはず。
残ってくれるのであれば、ルツーラ・キシカ・メンツァールという人間はそれほど悪い方向に転がったりはしないでしょう。
「ずっと混ざり合っていたのですもの。一周目のような愚かしさはきっと持たないルツーラだと思いますわ」
それに何より――
「時が来たらこの身が破滅するかと思っていましたが――破滅するのは、雫たる私だけ。
二周目の私の身は、少なくとも時が来た瞬間に破滅するようなコトがないのであれば、十分です」
今の私はどんな顔をしているのでしょうか。
目の前に座るモカ様の瞳は、気高くも潤んでしまっているように思えます。
「この魔法としての身の始まりも、そして終わりも――私自身はそう悪いモノではないと思っておりますの」
でも、そんなモカ様の潤んだ瞳に映る自分の姿は、とても気高く美しい淑女然としているように見えて――我ながらカッコいいではないかと、どこか呑気にそう感じます。
「だってそうでしょう? 大罪を犯した罪人に与えられた僅かな贖罪の時間。それを十二分に活用し、理想に近い状況を作り出すに至ったのですから」
――だから、こんな私の為に涙を流さないで下さいませ、モカ様。




