第34順
両親がこの夜会の間は可能な限り大人しくしていると言っていたのを信じて、私は少しその場を離れます。
途中で、アルコールの入っていない赤ブドウのジュースを頂き、そのままバルコニーへと出ました。
気持ちの良い夜風を浴びながら、一息ついていると、誰かがやってくる気配を感じそちらへと視線を向けます。
「ゲイル様?」
「ルツーラ嬢。あまりお一人にならない方が良いかと思いますよ」
「お気遣いありがとうございます」
わざわざ気に掛けて声を掛けてくださったのでしょう。
「はぁ……ご自身が現在、優良物件として多方から目を向けられてるというご自覚ありますか?」
「私が、ですか?」
「ああ――やっぱり」
呆れたような笑みを浮かべ、ゲイル様は手に持った赤ワインで喉を湿しました。
「ルツーラ嬢は、自己評価が少々低くいようですからね」
「そうですか?」
「そうですよ。現状、家格に問題のない家の子息からは目を付けられてるくらいですよ?」
そう言われてもピンときません。
「それだけ、ご家族や友人を守るのに必死なのでしょうね」
優しげな笑みを浮かべてそう言うと、ゲイル様は私の横へとやってきます。
「……酔った勢いで、少しだけ好き勝手喋っても良いでしょうか?」
バルコニーの手すりに肘をつき、外を眺めたままゲイル様はそう口にしました。
お言葉の通り酔っているのか、その横顔には少しの朱が差しています。
「ええ、構いませんわ」
これが見知らぬ誰かであれば嫌でしたけれど、ゲイル様でしたら問題はありません。
「ありがとうございます。ルツーラ嬢」
私がうなずけば、ゲイル様はいつもよりも少し緩い笑みを浮かべてから、お礼を口にします。
それから、ゆっくりとご本人が言うところの勝手なお喋りが始まりました。
「自分は、あまり人付き合いというのが得意ではないのです」
「そうなのですか?」
「周りからどう見えているのか分かりませんが、どうにも私は人よりも器用なようでして。
何をやっても初回から人並みにできるし、少し練習すれば人よりも少しばかり上手に出来るようになってしまう。
もちろん、本格的にやりこんでいる人たちと比べると格は落ちますけどね」
人によって自慢に聞こえる話です。
けれど、横顔を見るとどうにも自虐している様子が見て取れます。
「けどそれが、子供の頃はよく分かってなかったのですよ。だから、なんでこんな簡単なコトを周囲は出来ないのだろう……と、良く思っていました」
嫌な子ですよねぇ――とゲイルは笑いますが、私は首を横に振ります。
「子供の頃はどうしても、世界が狭いですから。
自分と、家族と、友達と。いえ、友達すら自分の世界の外の存在だったかもしれません」
「そうですね。ふつうの人はそれに気づいた時、色々と反省するのでしょう。それを繰り返しながら外の世界の広さを確かめていく。併せて自分の世界を確かなものにしていく。ルツーラ嬢もそうだったのではありませんか?」
その問いに、曖昧な笑みだけを返します。
少なくとも前の世界においては、私はその世界の外を知らないまま成人会を迎えてしまっていましたからね。
そして、成人会を経ても、前回の私の見る外の世界はそれほど広くはありませんでした。
自分の世界がいかに狭かったのかを自覚したのは幽閉邸に閉じ込められてから。
だからこそ、ゲイル様の問いにはなんと答えてよいやら……。
そんな私の曖昧な笑みをゲイル様がどう捉えたかは分かりません。
けれど、ゲイル様はそれを返答だと思ったのでしょう。話の続きをし始めました。
「でも、私の世界はそうじゃあなかった。
何でもすぐに出来てしまうから、周囲が褒めそやすのです。天才だのなんだのと。
最初はそれが嬉しくて色んなモノに手を出しました。でも次第に、褒められるコトに何も思わなくなってしまいました」
「何も思わなく――ですか?」
「ええ。まぁ何も思わないは言い過ぎかもしれませんが。
ともあれ……自分にとっては、褒められるコトがアタリマエと化してしまったんですよ。
一般的にはすごいコトをした、努力が報われた――そういう経緯を込みで褒められるモノでしょうけれど。世間では褒められる範囲のコトも自分の場合はさしたる努力もなく出来てしまったワケですからね。
褒められるコトに意味を――喜びを見出せなくなっていったんです」
「そこで巨人のように背伸びをしなかったのは、ゲイル様らしいですね」
普通の人であれば、何をしても褒められるなら、自分はすごいのだと思い込み、巨人のように背伸びをし、自分の背の高さを自慢したくなるものです。
「私は、褒められて巨人になりすぎて、痛い目を見るまで少し調子に乗ってしまいましたから」
「うーん、どうなのでしょうね。実際は巨人になっていたのかもしれません。ただ、調子に乗るのではなく、どんどん冷めていってしまったので、そう見えなかっただけ――かもです」
「どちらにしろ、調子に乗って大きな失敗をしなかったのですから、大したモノだと思いますわ」
「ふふ。ルツーラ嬢は褒め上手だ。きっと、貴女のような褒め方をする人に囲まれていたら、調子に乗った巨人になってしまったかもしれませんね」
お酒が入っているからでしょうか。
ゲイル様の表情はいつもより緩く、柔らかで。
その状態で向けられる笑顔に、不思議な胸の高まりを感じてしまいます。
「そんな折り、魔性式の日に見てしまったのですよ。
それこそ巨人のようになってしまっている友人を、大人のように諫める少女に」
「あらまぁ」
それは誰なのでしょう――と、一瞬思いましたが、恐らく私でしょう。
モカ様に手を出そうとしたダーリィを止めているシーンのことだと思います。
「その時に、私の中の何かが刺激されたのを実感しました。
それが何なのかは分かりませんが、自分の言葉では刺激としか表現できない心の動きでした」
……どうやらゲイル様の『刺激』のルーツは私のようです。
これは、どう反応すればよいのでしょうか?
「でも、それ以降はその刺激を追い求めるようになったんです。
加えて、同世代よりも上の世代――大人と話した方が刺激を感じるようになったので、文官棟に入り浸るようになったワケです」
「ゲイル様の言う刺激の正体は、好奇心なのですか?」
「うーん……どうでしょう。半分正解で半分間違い……でしょうか? 自分でもよく分かってはいないのですよ」
ふふふ――と笑って、ワイングラスを傾けます。
「ただ、サイフォン殿下と少しお話した際に、分かったコトはあるのですよ」
「殿下と?」
「ええ。あの方の言う『おもしろいモノが好き』と私の『刺激が欲しい』はきっと根が同じなのだと」
お二人の共通点……文武両道で器用ゆえに何でもこなしてしまえること、でしょうか。
「つまり、お二人にとっての世界は退屈だったというコトですか?」
「半分はそうなのでしょう。だから、好奇心が半分正解なのです」
自嘲というか自虐というか。そんな顔をして、ゲイル様はうなずきます。
「そして殿下は仰っていました。
私と殿下の求めるモノの行く先は違うかもしれない。けれどもその根っこは、自分の感情を動かしてくれるモノを求めている点で同じだ――と」
「感情、ですか」
「はい。その言葉が、何となく腑に落ちたんですよ。
確かに私が刺激を感じた時は、相手に感情を動かされているな――と」
なるほど。
同世代の子供たちからは得られなかったものが、大人たちからは得られたからこその文官棟への出入り――ということなのでしょう。
子供には難しい仕事や、大人同士、あるいは文官ならではの問題に直面したり、それを前提としたやりとり。
自分に分からないことがある。できないことがある。それこそが、ゲイル様の感情を動かし、刺激として変換されていたのかもしれません。
きっと、魔性式で私がダーリィを諫めたシーンに刺激を感じたのも、本来大人がやるようなことを同世代の子供が、同世代の相手に行っている――という状況が、刺激的だったに違いありません。
「とはいえ、馴れてしまったのでしょう。文官棟の仕事にも刺激を感じなくなり始めたのです。
そんな折りに、成人会で再び魔性式で見た光景を目撃しました」
それってようするに魔性式から成長がなかったということですわね!?
なんだか、恥ずかしいような申し訳ないような気分になってしまいます。
「……申し訳ありません」
「え? どうして今謝罪されたんですか?」
「いえ、なんとなく」
お見苦しいものをお見せしました――みたいな気持ちがあります。
「友人を諫める姿。そして別の友人とのやりとり。
その光景は、まさに成人の社交だったんです。
お酒が飲めるようになっただけの、子供の社交の延長ような成人会の会場で、殿下たち以外にしっかりとそういうやりとりができる女性たちがいる。
その光景は間違いなく刺激的でした」
当時の光景を思い出しているのでしょうか。
とても楽しそうに、ニコニコと語られます。
「どうにか素敵な刺激の持ち主にお近づきになりたいと思ったのですが、その時にふと気がついたのです」
「何をですか?」
「私、同世代の人と――特に異性と、お喋りをした経験が乏しすぎて、どう声を掛ければいいのかが全く分からない……と!」
「握りこぶしを作って力説するようなコトではないですわよね?」
「……そんなワケで成人会では事の成り行きをずっと影からこっそり眺めさせて頂きました」
「あれ? もしかして私はストーカー被害にあっておりました?」
「人聞きが悪い! ……と言いたいのですが、冷静になってみるとそうですね」
「そこで認められても反応に困るのですけれど」
お互いにおかしくなって笑い合う。
こんなふとした、ささいな時間というのは楽しいですわね。
「そんなワケでして、あの文官体験会というのは企画を聞いた時は大変面倒くさいと思ったものの、結果としては感謝しております。なにせ、貴女と仲良くなるキッカケとなりましたから」
「そんなに喜ばれるような女ですか、私は」
「こういうのは、貴女自身がどう思っているかではないのですよ。貴女を見た、他人がどう思うかなのです」
そういうものでしょうか?
よく分からず首を傾げていると、ゲイル様は手にしていたワインを一気に呷りました。
まだ半分くらいは残っていたかと思いますが。
「そうして、貴女や貴女の友人たちと過ごすうちに気づいたコトがあるのです」
「気づいたコト、ですか?」
「はい。ルツーラ嬢からのみ感じる刺激があるというコトに、です」
「それはどういう……」
「この刺激をなんと呼べばいいのか、わかりません。
けれど……僕以外がこの刺激を、ルツーラ嬢から感じているのではないかと思うと、どうにも許せないという感情が湧くんです。この刺激は、独り占めしておきたい、と」
「え?」
あの、ゲイル様……それって……。
「だからこそ言わせてください」
ワイングラスをバルコニーの手すりに置き、ゲイル様は私の手を取りました。
お酒か、照れか。
僅かに朱の差した顔と、僅かに潤みのある瞳を、真っ直ぐに私の顔に向けて。
「ルツーラ・キシカ・メンツァール様。
この僕――ゲイル・シャイナ・パシャマールは、貴女の横に並び立つ栄誉を欲しく思います。この僕を、婚約者にして頂けないでしょうか?」
今まで見た中でもっとも真剣で、もっとも素敵なお顔で、ゲイル様は私にそう告げるのでした。




