99.出来の悪い弟子
ミルコット。俺にとって二番目の、そして最も出来の悪い弟子。それが彼女という人間を表す全てだ。
無論、この短い紹介文だけでは彼女の人となりだとか美点と呼べる部分を説明しきれるものでないことを前提とした上で、しかし『弟子』としてのミルコットを端的に評すならこれ以外にないだろう。つまり態度以外の何もかもが極端に優秀だった初弟子アーデラとは正反対の、何もかも覚えが悪く実に手の焼ける弟子が彼女であった、と。
だがこのことは必ずしもミルコットの価値を下げるものではないとどうか理解されたし──俺が弟子に施す育成というのは親が子を育てたりだとか教師が生徒に教えたりだとか、そういう一般的な例に見られるような手法とは一線を画すことは改めて強調するまでもない。赤ん坊の頃から文字通りに手が加えられているのが俺の弟子たちであり、その点はミルコットもまた例外ではない。
故に彼女も理想領域との繋がりを持っているし、そこから多量の──ここで言う魔力の多寡は俺ではなくモロウが操るそれを比較対象にしてのものだ──高次魔力を引っ張り出すこともできる。その時点でもうその他大勢の魔法使いでは相手にならない。然もありなん、クアラルブルが彼女との戦闘を想定して自身の勝ち目をきっぱり否定したのは実に慧眼だったと言えるだろう。如何にクアラルブルが魔法使いの平均から抜き出た実力を有しているとしても、少々気の毒だが俺の弟子にはその程度では絶対に敵わない。絶対にだ。
意欲はあっても才能の程はそこそこ、といったところの末弟ノヴァにすらもあっという間に技量で追いつかれてしまったミルコットだが、しかしそれでも。彼女がメンタル面において多少の不安を抱えていることもあってより重点的に実戦を想定した鍛え方をしたので、こと戦闘においてはノヴァよりも上回るだろう……三十年前の当時から俺はそう思っていたし、今でもその感想は変わっていない。
先ほどの動きを見ただけでもそれの充分な裏付けとなった。ミルコットは引き出した魔力を呆れるほどの密度で体内に充填することで、俺の注入した魔力が重石となるよりも早く力任せに振り解いた。それは洗い出しを行ったディータほど冴えた対処の仕方ではなかったものの、けれどノヴァにはまだできない人体魔化からの脱出をミルコットが可能としていることは素直に称賛に値する……何せ俺の知る彼女ではこんな真似は不可能だった。これだけでもあの日、心を鬼にして彼女を我が家から追い出した甲斐もあったというものだ。
「増殖の速度も上がっていたね。俺を見つけた勘の良さも、見つけてからの速攻も良かった。ちょっと会わない内にしっかりするようになったなミルコット」
「えへへへへ~」
正座している彼女の頭を撫でてやれば、こうされるのが好きなのは変わっていないようでミルコットはだらしなく破顔した。うーむ、笑う口元に締まりがないのも二十年前と変わらずか。容赦のない襲い方には彼女の成長を見たのだが、普段の態度にさしたる変化はなしと。
ふかふかの髪質を一通り楽しんだ後、俺は彼女に訊ねる。
「けれどミルコット。今もまだ増殖魔法しか使えないのか?」
「あぅ……は、はい。どうしても系統魔法? っていうのの名称呪文? っていうのが覚えられなくて……魔法の発展でとっても有名だっていうメギスティンで色々とおべんきょーしたんですけど、私、前と何も変わってないです……ごめんなさい」
とろとろだった笑顔から一転、気持ちだけで地面に埋まるんじゃないかというほどに落ち込むミルコット。この浮き沈みの激しさよ。良くも悪くも俺からの評価が絶対、という価値観もまたアップデートできていないらしいな……まあそこに関しては俺からすると特別変わってくれなくても構わないのだが。
「責めているわけじゃあないから安心しろ。俺も最近は色々と知識を仕入れているところだ。ミルコット、お前のようなタイプのことを世間は無名呪文の使い手と呼ぶらしいぞ。そしてそう珍しいものでもないんだとか? だからそう落ち込むこともない」
「そうみたいですけど……でもお師匠様は、ノヴァみたいに色んな魔法が使える子のほうがいいんでしょ?」
「どうだろう。そのほうが魔法使いらしいかな、とは思うけれど。でも人にはタイプがあるからね……不向きなことをやらせたって大成するはずもないし、できないならできないでできることをとことん突き詰めればいい。それだけのことじゃないか?」
実際、ミルコットにできる範囲でなるべく強くしてやろうと試行錯誤した結果が今の彼女の戦闘スタイルだ。とはいえ何か特殊なことをさせているわけではなく、単純に魔力での身体強化と増殖魔法を組み合わせて『とにかく力いっぱいに暴れる』。ただそれだけの至極あっさりとした戦い方ではあるのだけどね。
増殖魔法とは何か、というと。字面の通り何かを増やす魔法だ。例として俺なら、道に落ちている石ころ程度であれば際限なく幾つにも増やしたりできる。が、ミルコットの場合は増やす対象が『自分のみ』に限定されている。しかしその代わり、発動までの速度や消費魔力の少なさが際立っている。これもまたミザリィから聞いた無名呪文の特徴そのままである。なんと言っても増殖で自分自身を増やす、というのは石ころを増やすよりも余程に難度の高いことであるので……まあ言うまでもなく他者(生物)を増やすほうが更に難しくはあるけれど、ひどく限定的とはいえ特に制約らしい制約もなく好き放題に自己増殖が可能なミルコットはやはり特化型。アーデラやノヴァのように満遍なくスキルツリーを伸ばすのではなく一芸を極めるのに向いている魔法使いであるのだろう。
具体的に彼女に何ができるかを説明するなら……そこは概ね先の戦闘で見せた通りかな。腕を伸ばしたり、大きくさせたり。体積を自在に増やせて、逆に元の肉体より減らすことはできない。あくまでも増やすだけ。だが魔力で強化された肉体が急激に広がりながら超速度で迫ってくるとなると敵対者も対応に困る。そうやって力押しで敵を圧殺しろ、というのが身に迫る危険に対しなすべきこととして俺が念入りに仕込んだ教えだ。
ああそうそう。忘れてはならないのが、ミルコットは自身の増え方に関してもある程度操れるという点だろう。部位や身体の形そのままに大きくなるのみではなく、腕の本数を増やしたり、翼を生やしてみたりと素の肉体とは乖離した状態に持って行くことも可能なのだ。この例は以前の彼女でも実現できていたものなので、今であればもっと変わった増殖の仕方も編み出しているかもしれない。あとでそこら辺も聞いておこうかな。
だが、真っ先に確認すべきなのは魔法的技量の成熟具合ではなくどうしてこんなところに──もっと言えばどうして魔法国家メギスティン首都オラールの警備会社『ガーディアンズ』にてミルコットが従事しているのか、であろう。
「だってお金を稼がないとごはんが食べられないし……でもこの国だと私みたいにあんまり魔法が使えない人はこういう仕事にしかつけないし……本当は警備員なんて怖くてやりたくないけど、頑張って働いてるんです。お師匠様、私頑張っているんです!」
「あーよしよし。偉い偉い」
露骨に褒めろと言われている気がした。泣き虫なのにこういうところは変に厚かましい……とまれ事情は大方見えたか。クアラルブルから聞いた通り、王道的な魔法使い。名称呪文を使いこなせる者以外が魔法国家で生きていこうと思うと──特にここオラールを従事場とするならなおのこと──働くに所謂ブルーワーカー的な職業しか選択に上がらず、やることが肉体労働に偏りがちであるというのは本当の話らしい。
本人は怖くて嫌だと言うが、俺からするとミルコットに最も向いている職に就けていると思うけどね。警備員。怖がっていようがなんだろうがいざとなれば体が動き、また微塵も容赦をしない彼女に適任なのはやはり戦闘職だろう……裏返して言うのなら事務職でもなんでも、とにかく戦わない職種が彼女には合っていないというか、おそらく務まらないだろうなとも思うので。なんにせよ一応、ミルコットもミルコットなりにやれることを精一杯にやっているということだな。
「メギスティンでなら学べることもあるかと思ってやってきたはいいが、結局他の魔法を習得することはできず。路銀も尽きたので今は資金集めに掛かり切りになっているってわけか。聞けばもう数年はこの仕事をしているそうだけど、やり甲斐はあまり感じていないみたいだな」
「そうなんです、人一倍働いてるつもりなのに、あんまりお給料が高くなくて。私って人より少しだけたくさん食べるじゃないですか。食費だけで貰ったお金のほとんどがなくなっちゃって貯金が全然できないんです……」
「人より少しだけ……?」
「す、少しだけです!」
他の弟子と同じく身体機能が常人とはかなり違っている彼女なので、俺のように飲食不要とはいかずともそれなりに低燃費な肉体にはなっているはずなのだが。不思議とミルコットは昔からよく食べるのだよな。どう見ても常人以上の食欲がある。幸いにも好き嫌いなくなんでも食べてくれるので、同居時代は黒葉みたいな俺の魔力から作られた物質を片っ端から食事として出していたのだが、人里のまともな食文化にも触れるようになった今からするとちょっと酷いことをしていたかなぁと思わなくもない。
いや、そうは言ってもあの食生活あっての現在のミルコットなので、一概にそれが悪かったとは言えないけれども。
「あれ……? お師匠様は私がここにいると知ってて来たんじゃないんですか?」
「うん、ちっとも知らなかったよ。だから不意にお前の顔を見て驚いたんだ」
「じゃ、じゃあ……お師匠様は私を迎えに来てくれわけじゃないってこと……?」
「そうだな。そのつもりで会いに来たんじゃないからね」
「う、うぅ……ひっぐ」
「ミルコット?」
「うわぁーん!!」
「あらら……」
何故そうも泣くのだ可愛い弟子よ──なんて、理由を聞かずともその心情については大体わかっているつもりである。しかしまあ面倒な子だな、本当に……だからこそ可愛いくもあるんだがね。




