98.呼び出し
俺が目下の目的地としているのはこの島の中心にある管理塔……という名称の建物。立地とは反対に密やかな装飾が施されたその建築物は、学術院のあらゆる施設に敷かれた魔法的防御のあれやこれや、それら全ての維持と調節に役立っている防衛の要たる塔である。
学院島は上から見れば割と綺麗な円形をしており、それでいて建物の配置や通路の動線は複雑な造りとなっている。明らかに意図的なこの配置にもしやとは思っていたのだが、手前での探知とクアラルブルの説明によって疑惑は確信に変わった。これは魔法陣だ。広大な島を一個丸々用いての特殊な魔法陣が描かれている──つまり島中で消費されている魔力を島そのものが賄っている、ということだ。取りも直さずそれは単に魔力を生み出すだけでなく、魔法の効力を高める類いのものでもある……素晴らしい効率だ。大掛かり過ぎて呆れる思いもあるが、だからと言って大味な代物ではない。というか手元に描くような魔法陣と比べても相当に成立難度が高いだろう。
竜の中でも一際強大な個体が棲む土地にはこれに近いものが自然現象によって作られていたが、人が同じことを技術で行っていると思うと感銘を受ける。しかも何が凄いって、これ、現在進行形で改良中だということだ。建物の増設や改築に合わせて魔法陣もその都度変異していく。そこで決定的な破綻や、そうでなくとも一時的な機能の喪失が起こらないというのがどれほど卓越したことか。重ねて言うが素晴らしい、本当に素晴らしい完成度だ。ステイラバート魔法学術院はまことに美しい場所である。
そんな美しい場所に災難を招こうとしているのが俺なのだけど、そこはともかく。とにかくクアラルブルもあまり出入りしないという管理塔を目指そうというのなら──そしてそこにこそ不明の地下への入口があると思うのなら、突入に合わせて島のあちこちで同時多発的にトラブルを起こしたい。俺に向けられる防衛機構のリソースを削る。そうやって対処の手を遅らせたり減らしたりする意義は大きいだろう、がしかし。
クアラルブルは陽動を担うと約束してくれたが、その役目を全うするためにはひとつ目に見えた障害があり、それを取り除かないことには決行当日において役に立つことは難しいと言った。
その障害とは勤続数年目の新人警備員。オラールの主要警護を晴嵐の魔女クラエルから任されている警備会社『ガーディアンズ』の一員であり、シフトによってステイラバート内を担当することもある……けれどそちらについては本当に稀なことらしいので、決行の日にその警備員が島内に居合わせる確率というのはそう高くない。だが、問題なのはそいつがオラールのどこにいようともステイラバートで大きな騒ぎがあれば一瞬で駆けつけてくるであろうという点だ。クアラルブル曰くになんの算段も立てずに当日を迎えては確実にそうなるだろう、とのことなので……だったらその前になんとかするしかないわけだ。
事前の排除ないしは無力化。先んじてクアラルブルにも唯一対処が難しいというその警備員さえ封じておけば不安要素はなくなる。まあ、新鋭が行方不明となってガーディアンズには多少の混乱も生じるだろうが、それがステイラバートに何かしら影響を及ぼすとは考えにくい。なのでやっちゃってもいいだろう。
と、いうことでクアラルブルに頼んで警備会社のシフトを調べてもらい、その新人君が島内の警護に務める日。これまたクアラルブルの名前を使って第二グラウンドの片隅という目立たない、そして他の巡回員も最低三十分は通らない──要するに誰からも目撃されない場所と時間に呼び出した。で、まさにこうして待ち構えているところなのである。
「え……?」
早めに物陰に潜み、念のために姿と気配を消しつつ待機すること僅か数分。指定時刻を違えず現れた人影をよくよく確かめた俺は、あまりの想定外に心底から戸惑った。それがよくなかったのだろう。身を乗り出したことでの物音、あるいは動揺による気配消しの揺らぎに気付いたか、そいつは勢いよく振り返りながらその場で腕を振り抜いた。
距離はある。だがそいつの腕は今まで俺が隠れていた茂みを横薙ぎに斬り裂いた──跳躍して攻撃から逃れたのはいいが、あまり激しい音を立ててもらっては困る。咄嗟に音消しの魔法を使って草木の破砕音が響くのを防いだ。けれど、そんなことへ気を回している間に奴さんは拳を振りかぶりながら俺のほうへ飛びかかってきていた。
見えているのか? 姿消しはまだ実行中なのだが……いや違う、と微妙に噛み合わない視線で気付く。見えてはいない、しかし感じている。野生の獣の如き鋭い感覚器官の総動員によって、目視できない敵の位置を大まかにだが確かに看破しているのだ。
「チッ」
気は進まないが仕方ない。ここで好きに暴れてもらうわけにもいかないので、まずは殴打を受け入れる。威力はまあ、わかっちゃいたがかなりのものだった。胴体に命中したその拳は皮膚も臓腑も突き破ってあっさりと反対側へ到達。打撃というよりも刺突の有り様で肉体を派手に破壊してくれた。深々と突き刺さる腕──それはこちらが相手を捕まえているのと同義。ノヴァのときと同じ、つまり俺がこれからすることもあのときと同じだ。
「うっ……?!」
人体魔化。高次魔力を直接、強引に注ぎ込む。既に刺さった腕と体内の癒着も行っているのでいくら腕を振り回そうとそう易々とは剥がれやしない。このまま一旦意識を奪ってしまおう、としたところで。
「がフっ……、」
バヂン、と。俺の上半身と下半身が泣き別れた。奴の腕が巨大化したことで腹の内に収まり切らず、胴体が千切れてしまったのだ。おいおい、魔化の最中にも構わず魔法を使ってくるとは。俺は当然それができないようにかき乱しながら魔力を注いでいたというのに──良いことだ。成長が感じられて嬉しくなるな。
主要器官がどこにあるのかも本能めいた感覚で読み取っているのか、それともそこはただの偶然か。もう一方も巨大化させた腕と腕の掌で、上半分だけになった俺は頭部を中心に強烈なサンドイッチをお見舞いされた。
肉が潰れ切る、その前に。魔力触腕を形成。そして実行。触腕でそいつの首根っこを掴み、そのまま地面に叩きつけた。それから下半身を生やし、着地して、歩み寄るまでそいつはどうにか腕の拘束を外そうとしていたけれど……無駄だ無駄。触腕の怪力ぶりは本物である。あれだけパワフルな戦いを見せたディータだって一度これに捕まってからは結局振り解くことができなかったくらいなのだから、こうも抑えつけられては逃れることなどできやしない。少なくとも、単純な力だけでは絶対に無理だ。何せそれをさせないためにかつて生み出したのがこの魔力触腕なのだから。
「落ち着けミルコット。俺だ」
「え……?」
声をかければぴたりとそいつの動きが止まる。姿消しを解いて顔を見せてやると、その元から大きな目が更に大きく、皿のように見開かれた。そしてそこにじわりと涙が浮かぶ。
「お、お師匠様……?」
「ああ。大体二十年ぶりか? 久しぶりだな、我が弟子の一人よ──わぷ」
「お師匠様ぁー!!」
再会を彩るつもりで少々格好つけながら触腕を解除したのだが、その途端に跳ね起きたミルコットに抱き付かれて何も言えなくなった。む、胸が。ふっかふかの双丘が俺の顔を覆い尽くしている……! 相変わらず身長はそう高くないのに暴力的な発育だ。以前よりそこも成長しているようで、いよいよとんでもないスタイルになっているな……こういうのをトランジスタグラマーと言うのか?
「むー、むー」
「お師匠様お師匠様お師匠様! 会いたかったですお師匠様! でもずっと我慢してました──だからミルコットは嬉しいですお師匠様! お師匠様のほうから会いに来てくださるなんて夢にも思ってませんでした!」
「むー……」
ヤバいな。ミルコットのやつ明らかにスイッチが入ってしまっている。なんのスイッチって、甘えん坊のスイッチだ。
三弟子の中でも間違いなく一番の甘えたがりである彼女は、同じく子供の頃はよく俺に引っ付いてきていたノヴァが育つにつれそれを恥ずかしがって控えるようになったのとは逆に、大きくなってもますます俺にべたべたしてくるようになった生粋の甘え上手である。
ミルコットがこうなってしまったのは、なんというか。アーデラという万年反抗期の後に取った弟子ということもあってついつい甘やかしてしまったせいでもあるのだろう。そう思ったからこそ末弟であるノヴァが独り立ちしたのを契機にそれとなく彼女にもそうするよう促し、しかしオブラートに包んではまったく通じてくれなかったので最終的に尻を叩くことで黒い森から追い立てることとなったのだ。
それから早二十年ちょっと。自分の力だけで生きていくようになってミルコットも俺の知る彼女ではなくなっているのではないか──などと考えて少し寂しくなっていたのが馬鹿らしいほどに、これは俺が知っているままのミルコットだ。絞め殺さんばかりに熱烈過ぎる抱擁からまったく解放してくれそうにないぞ。実際、俺でなければ酸欠でとっくに死んでいるところだ。
「むん」
「きゃっ!?」
いい加減にしろ、という思いを込めて顔を挟み込むふたつの柔らかな塊を思い切り握り締めてやった。──うわぁ、指がどこまでも沈み込む。なんだこれ、魔法で作り出した未知の物体か? とても俺の胸にあるものと同じだとは思えないなちくしょう。いや誓って言うが僻みとかじゃなく、純粋にそう感じただけの話なんだけど。
「お、お師匠様っ」
何はともあれ思惑通りにミルコットは離れてくれたのだが、胸を隠すようにして自分を抱きしめている彼女の顔は夜でもよくわかるくらい真っ赤になっていた。
「ままま、待ってお師匠様……外でこんな、いきなりなんて。嬉しいですけどヤです、恥ずかしいです。できれば初めてはもっとちゃんとした雰囲気でお願いします……で、でも。お師匠様がどうしてもって言うのならお外でも私……」
「いや言ってないよ何も。というか何も言えなかったよ」
何を一人で大盛り上がりしているんだ……まあ、これも昔の通りだな。思い込みの激しい子なのだミルコットは。それはもう病的なくらいにね。




