95.密会
あの後。同調した状態でショーとメルを目覚めさせた俺は、再提出となったショーの課題と今日新たに出された課題を三人で協力してちゃちゃっと片付け、場をお開きとさせた。
ちゃちゃっと、とは言ってもリンドールとの対戦、それから調整の時間を挟んでのことだったので解散は夕暮れ時と思いのほか遅くなってしまったのだが。なので二人にはくれぐれも真っ直ぐ帰るようにとよくよく言い含めておいた。そうでもしないとショーはこんな時間からでも平気で寄り道をする子だ。ついでにメルもストッパーになるときとならないときがあるから、あのコンビはいまいち信用がならない……ただしそれをそのまま伝えるとたぶんどちらもショックを受けるだろうから、注意を促すにしてもなるべくマイルドに加減する必要があってなかなかに気を遣わされる。やれやれ、誰なんだあの子らを隠れ蓑にしようなんて頓狂なことを思い付いたのは──うん、俺だね。許すまじ過去の俺。
ともあれそんなこんなでイーディスの就寝時間まで待って、今は生徒の出歩かない真夜中。同調を解いた彼女が床に就き、眠れるまで見守ったのちに──今日からはイーディスの睡眠導入に魔法を使うことにしたので一瞬だったが──俺は日課へと出発。即ち、こうして人気のない学術院の敷地内を気ままに散策しているところなのである。
夜間の見回りはそう数もいないので躱すことは容易いのだが、早朝四時ごろから建物の内外問わず行き交う用務員がぐっと増え出す。なので俺がこの足で見て回れる時間は正味日に四時間もないことになる。これはぶっちゃけ短い。短すぎる。
なんと言っても学術院があるこの島だけで一個の街も同然の広さがあり、また建造物のひとつひとつの背が高く、その内部構造も立地も入り組んでいるために全てを見て回ろうとするとなんの冗談でもなく年単位での探索が必須となる。それも案内人を用意した上で相当に計画を練った場合の話で、そうでなければ数年かけても全容の把握など到底できやしないだろう。現在進行形であちこち改築されているし、研究室がある職員棟などはなんの嫌がらせか毎日のように部屋の配置がシャッフルされたりと、昨日と今日で同じ場所でもまったく違う景色が広がっていることがこの学院では珍しくない。まったくもって潜入するに骨の折れる施設である。
だからこそ面白いのだけどね。一月以上経っても飽きが来ない。他人の体を借りてではあるが体験入学も結構楽しい。このわくわく感が本来の目的達成へのちょっとした障害になってしまっていることは否めないけれど、これは致し方ないことだ。興味を持ってしまったからにはどうしようもない。魔女会談までは(クラエルの告げた予定通りであれば)まだ二ヵ月以上あることだし──たった二ヵ月しかないと言うべきところかもしれないが──できればもうしばらく延長でこの生活を続けられないかなー、と思っている。のだけれど。
そうなるといよいよイーディスは後に引けないところまで行ってしまうだろうなぁ。毎日の同調によって今の時点でもかなり俺に寄ってしまっているのだから、それはもう確定的だ。いやまあ、どんなにどっぷりになって予後不良があってもそれを取り除く手段だってあるにはあるのだが。要は彼女の心身を総浚いしながら矯正すればいいわけだからね。
元から治療は得意なほうだし、最近はマニのおかげでこういう調整が慣れっこにもなっている。実行は充分に可能だろう──ただし荒療治であることには違いないのでこちらはこちらでなんらかの後遺症が残る可能性も高く、予断を許すものではないが。しかし同調の副作用が色濃く残るのと比べればその代償はごく軽い。あくまで相対的な話なのでイーディス本人がどう思うかについて断定できはしないけれど……ああいや、彼女の希望ならわかりきっているのだったな。
荒療治などイーディスは望むまい。失敗や後遺症を恐れるのとはまったく別の理由で、つまり同調の副作用を治してもらいたいなどとは露ほども思わないだろう、という意味で。きっと俺が潜入期間を伸ばしたいと言えば諸手を上げて賛同してくれるに違いない。そのことに満足していいものかどうか少しばかり微妙である。こんなことになるとは思ってもみなかった、が。巻き込んでしまったからには責任を取らねばとは考えてはいる。しかしその取り方が色々と悩ましい──お。
職員棟と倶楽部棟を繋ぐ渡り廊下。そこで前方に見えた影が何者かを確かめて、俺は微笑む。深夜二時の所謂丑三つ時。指定時間に指定場所できっちりと待っていてくれるのは好感が持てる。
「こんばんは。クアラルブル先生」
「──もう、嫌ですよイデア様。魔女のお一人から『先生』だなんて呼ばれたらこそばゆくって敵いませんー」
「昼はいつもそう呼んでいるじゃないか」
「お昼に会うときはイーディスさんとして扱っているんですから当然です!」
魔法学術院の教員クアラルブル。彼女にはトーテムを持たせてある。俺が常に行なっている認識阻害を効きづらくするためのもので、他者の手に渡ればちょいと面倒なことになりはするが……この人に限ってその心配もないだろうと思っている。何せ魔法使いとしての年季が生徒はもちろん他の教師とも断然に違うのだから──二十歳そこそこといった見た目ながら実は御年五十歳。驚異のいそじである。とてもそうとは思えないけどね、色々な意味で。
メギスティンの出身でもないのに初めて呪文を唱えたのが僅か五つのときで、それ以来半世紀近く研鑽の日々を送っている根っからの求道者。他国からやってきた余所者ながらステイラバートの教師職に就いているというだけでもその優秀さは窺い知れるというものだろう。
そんな彼女をイーディスに次いで協力者とできたことは取りも直さず僥倖であった──イーディスと同じくらい、あるいはそれ以上に得難い拾い物がこのクアラルブルだ。
学術院院長、副院長の次点の権威者でもある彼女は間違いなく一般職教員としては最上の人物に数えられる。クアラルブルのフォローなくしては学年全体に洗脳魔法を行き届かせるのにも更なる苦労を強いられていたであろうことを思えば、お世辞にも効率がいいとは言えない体験入学を潜入の本案に決定付けさせた戦犯が彼女だと称すこともできる……って、人のせいにするのはよくないな。無駄の強要ほどではないが、それもまた俺の嫌う行為のひとつなものだから。何はともあれ、本人の意思で従ってくれているイーディスとクアラルブル。この生徒と教師という双面での補助が俺の行き足を快調なものとさせてくれているのは確かなとこで。
決闘の立ち合いを買って出てくれてありがとう、と放課後の一幕の件で礼を伝えた俺に「いえいえー」と朗らかに返したクアラルブルは、その直後に不思議そうな顔を見せた。
「でもどうしたんですかー? 急に落ち合う場所を変えたいだなんて。この通路がこっそりと会うのに適したスポットだと教えたのは私ですけどー、それだけならいつも通りに女子寮の屋上でも良かったのではー?」
「君に聞きたいことがいくつかあってね。夜明け前にちょろっと会うだけじゃあ時間が足りないと思ってさ」
だからと言ってここにそう長居するつもりもないので、一応は人の接近に気を配りながらもさっさと質問をしてしまう。
「近々ここを訪れると噂で持ち切りだった魔女──そう、『月光』のことだ。月光の魔女ルナリス。彼女はいったいいつになったら姿を見せるんだ?」
「ああ、そのことですかー……」
うーん、とクアラルブルは困ったように眉根を寄せた。しかし彼女以上に困っているのは俺のほうだ。オラールへの潜入初日、夜行館なる場所にて耳にした魔女来訪の噂。ステイラバートでも実際にその話が出回っていることを確かめた俺は、それならばとここに根を張りながらそのときを待つことにしたのだ──が、待てど暮らせど一向に件の彼女がやってくる気配を見せないせいでいい加減に参ってしまっているところだ。
中央の支配者であるクラエルとは別に、国一番の魔法学校であるこのステイラバートの設立・躍進に関わった終身名誉理事長。それがルナリスという魔女であり、そんな彼女は年二回。年度の始めとその中間に顔を出しては気紛れに選抜授業を行うのだという。
これが確かな情報であることはクアラルブルから確認済みだし、また今年に限っては年に二度の原則が破られて中途半端な時期に月光の魔女がここを訪れることの裏も取れている。まさしく噂の出処だという院長自身からそう告げられたというからにはそこに誤解が生じる余地もないだろう……となれば、ではどうして夜行館の盗み聞きから二月ほどが経過しても未だにそのエックスデーが来ないのか? 俺が投げかけているのはそういう問いだ。
思い悩む様子の彼女に、こちらも不思議になって首を傾げる。
「どうしたクアラルブル。この件に関して俺の知らないうちに何かあったのか?」
「それがですねー。具体的な日付を教えてもらえずにいるのを私も前々から疑問に感じていたんですけど。改めて確認しようとしても院長、のらりくらりと明言を避けるんですよねー。先日ちょっとだけ真剣にお話ししてみたところそれでも聞き出せず終いでー……普通じゃあないですよね? だからこう思ったわけですよ。実はルナリス様は、既にこの学術院のどこかにいらっしゃるのではないかなー、と」
「……ほう」
既に、いる。ステイラバートのどこかに、俺に気付かれず? ……そうだとするとひとつの島に二人の魔女が互いを知らず潜伏している異常事態となるわけだが、はてさて。もしもそれが正しいのなら、俺はどうするべきなのかな……?




