93.波長・同調
イーディス・ジェンド。彼女が協力者となってくれたきっかけは何かというと、まあ、言ってしまえば偶々だ。手頃な人物はいないかと探していたときに偶然通りかかった彼女をなんとはなしに選んだだけ……いや、これは順序が逆なのか。どういった具合にすれば不法入国者の俺が魔法学校を魔法学校のままに見学できるかと悩んでいたところ、閃きを与えてくれたのが色味は少しばかり違うものの俺の風体によく似通った、こちらの世界では珍しい黒髪黒目の容姿を持ったイーディスであった。
彼女を見かけたことではたと思い付いたのだ──この子を『俺』にしようと。
つまりここ一月ばかし、俺はイーディスの体を借りてまるでVRゲームの如くにこの部屋から動かずして学生生活を味わっていたのである。意識・感覚が完全に同調し、俺の誘導のままに彼女は行動していた……自我を奪っているわけではないので頭の中にもう一人いるという一心同体の状態にはイーディスも初め小さくない戸惑いがあったようだが、数日と経たずして慣れてくれた。その順応性の高さは良い意味での誤算だったかな。けれどまったく予想できていなかった、というほどでもない。
こういった特殊な繋がり方をするとなれば俺と彼女との相性も大事になってくる。無理矢理に乗っ取るとなれば──そんな真似をしたことがないのでなんとも言えないけれど──話も変わってくるのだろうが、ごく自然に。あくまで自然体を維持したままイーディスがイーディスとしても活動できるように同調の加減を働かせるとなれば、その調節は当然、至極繊細なものとなる。そこに失敗の生じる余地がどれだけ生じるかという部分で彼我の相性が重要になるわけだ。
それには体質等といった部分での素養も含まれるが、やっぱり一番は魔力だ。何を隠そう魔力には波長のようなものがあって、それが指紋や声紋の如く人によって異なるのである。俺はこれで大方の人物を区別することができる。以前、セストバルの王城で感じ取った魔力によってその持ち主がノヴァであると断定できたのも(あれは先んじて送られてきていた手紙でほぼ確定していたとはいえ)魔力波長を読み取ったからこそである。
俺はできる、と言ったのは。以前イデア城での講義においてちらりとこの話をしたところ、セリアやミザリィ、そして俊英フラン君でさえも魔力波長などという単語は初耳であり、当然これまでに感じたこともなければそれで人を見分けたこともないと返ってきたからだ。これにはちょっと驚いたよね。
しかし魔力の扱いについては一家言あるつもりで、そんな俺でも波長を探るのにはいくらか集中を要する……のでまあ、一般的な魔法使いが使いこなすにはちょいとヘビーなのかもしれないな。使いこなせたところで便利は便利だがただの小技だし。どうしても習得必須の技術でもない。
話を戻そう。
波長、という表現がどれだけ正確なのかは俺自身少々曖昧なところはあるけれど、とにかく受信した際にその差は如実に表れる。なので閃きのままに動いた俺は、とりあえずイーディスにバレないようこっそりと近づいて捕らえた。そうして意識を狭めつつ後頭部から魔力の根を差し込んだのは、俺と彼女それぞれの波長を重ねられるか。つまりは互いの魔力の相性、その良し悪しを判断するためだった。
よほど壊滅的とかでもなければ俺のほうから合わせにいくこともできなくはないが、それだとただでさえ繊細な作業の難度が余計高まる。なるべくなら好相性がいいと望むのは当たり前で、故にこの要件にイーディスがピタリと当て嵌まったこと。嬉しい誤算と真に称すべきとすればこちらだろう──見た目が似ているからなのかどうか彼女はするりと、特に抵抗らしい抵抗もなく俺の魔力を嚥下してくれたのだ。
だが同調を済ませても、そして事後承諾の形でイーディス本人からの了承が得られても、魔法学校の生徒を体験するためにクリアすべきハードルはそれだけに留まらないことは言うまでもない。俺と同調して通う間、イーディスはイーディスであるが俺でもある。どちらの意識も有しているのだ。そうなると時と場合によって言動にブレが出てしまい、周囲から怪しまれることは必至。それを防ぐために軽めの洗脳魔法を一部生徒や教師たちに施して集団催眠のような状態に持っていった。
ショー、メルのコンビを友人役に選んだのはどちらもイーディスと同クラスでありしかも顔が広いため、隠れ蓑としても情報の入手源としても重宝すると判断したからなのだが……いやぁ、彼らが思いのほか青々しい青春をしていて、そこにイーディスという新たな女子まで加わったことで想定以上に周りの目を集めてしまったのには参った参った。これははっきり誤りだったと言える。
ミスを悟ったものの今更手を引いて別の手段を講じるのでは却って手間だ。そう思って必要に迫られる度に催眠をかける対象を増やしたり、より強力にかけ直したりとせせこましく手を打ってきたが、とうとう三学年全体にまでそれが及んでしまったことを思うとあそこで諦めていたほうが賢明だったかもしれない。
ショーが二人の女子を侍らせているという事実が周知のものとなったせいで今や学年を越えて語り草のトリオにまでなっているし……連続で選択を誤った感が否めない。それを言うなら、どうせ学校を探るのならそのついでに学生気分を味わってみたいなどと思いついて、あげくそれを実行している時点でミステイク甚だしいことではあるのだけど。でもやってみたかったんだもん。
超々久々に味わう学生の立場はどうかと言うと、うん。けっこう楽しいです。
「──二人はこれでいいとして。君もメンテナンスしておこうか、イーディス」
床に伸びたままにしておくのも忍びないので協力して幼馴染コンビをベッドの上に移してから、改めてそう提案するとイーディスはわかりやすく瞳を輝かせた。俺とまだ一緒にいられることが嬉しいみたいだ。
この部屋、つまりはイーディスの寮室を拠点にさせてもらってはいるものの、陽が落ちてからの時間は校内の人気が少なくなって出歩くチャンスであるからして、夜間はなるべく外に出てイーディスでは出歩けないところをぶらぶらと巡っている。それでも夜勤の教師や巡回している警備員みたいなのもあちこちにいるので慎重にならなきゃいけないし、まずそもそも学校が広すぎるし、夜行館みたいに侵入を断念せざるを得ないエリアもあったりしてまだまだ見回り切れていないのだが……何はともあれ実のところ、俺とイーディスが実際に顔を合わせる時間は意外と少ないということだ。
で、つい最近知り合ったばかりであるはずの彼女はどうしてか俺にえらく懐いており、部屋を出ていく際には毎度のように悲しそうな顔を見せてくるのだ。今もそんな感じだったのがメンテナンスの一言でぱあっとそれはもう明るくなったので、まあそういうことなのだろう。
「おいで」
「はい……」
薄く頬を赤らめてイーディスが寄り添ってくる。彼女のほうが背が高いのでひとまずベッドの端に座らせて、くいと顎を上げてやるとますますその顔が赤くなった……なんか妙な雰囲気だな。イーディスの表情はとても十二歳がしていいものじゃない気がする。淫靡な気配を努めて無視し、口を開けるように伝えると、彼女は言われるがままその通りにしてくれる。
「もっと大きく。うん、そのまま動くなよ──」
もぞり、と。イーディスの喉の奥に蠢く物が見えてきた。俺の操作にイーディス以上の従順さで体内から這い出てきたそれの正体は──同調のために彼女の体内へと仕込んだ『黒樹』である。
「う、えぇ……っ、」
嗚咽と共に吐き出された黒樹を掴む。身体の内にあった割には体液もかかっておらずピカピカなのは、それも全て栄養として吸収しているからだ。黒樹にはそういう逞しさがある。そして魔力の送受信の媒体としてこれ以上に適役な物質も他にないので、故にこうしてアンテナ代わりにイーディスの腹の裡へとお邪魔させてもらっているのだ。これがなければ日がな一日中の同調などさすがに無茶というか、不可能だからね。
「傷付いては……いないか。でも苦しかったろう。ごめんね、いつも苦労をさせてしまって」
もう一度喉を奥まで覗き込んで体内の無事を確かめつつ謝罪の言葉を口にすれば。しかしイーディスはやけに恍惚とした表情で口の端の涎を拭いつつ、きっぱりとした口調で「いいえ」と言った。
「イデア様のお役に立てることであれば苦労などとは思いません。傷を傷だとも思いません。どうかお好きに、如何様にもこのイーディスをお役立てください」
「そ、そう。ありがたいことだけど、酷い目に遭わせるつもりはないからね? や、ホントに。そんな『またまた』みたいな顔しないでよ」
操り人形にしているも同然なので、行く行くはもっと取り返しつのつかないことをされるんじゃないかというイーディスの危惧はとりわけの被害妄想とも言えないだろうが、そう思うのならなんで俺に協力してくれているのかという話になる。
言っておくが脅して従えたりはしていないぞ? あの日いきなり眠らされた彼女からすればタチの悪い通り魔に襲われたような気分だっただろうが、ちゃんと彼女が目覚めるのを待ってから懇切丁寧に説明して許可を得た。その時点で何故だかイーディスはえらく素直で聞き分けがよく、怖がられるかなーと思いながら取り出した黒樹も躊躇なく飲み込んでくれたくらいだ。やらせておいてなんだが、その勢いと迷いのなさには俺のほうがちょっと引いてしまった。
「さて、波長合わせをしておこう。黒樹もだいぶ君と俺を結ぶに相応しい代物に仕上がってきているし、今回の直しでもう少しだけ負担も減らせそうだ」
「そうなんですね……」
「だからなんで残念そうにする?」
「イデア様を強く感じたいのです。黒樹が体内に居座っている感覚が減ってしまうのは私にとって惜しいことなので、強いて直してくださらなくとも構いませんよ?」
「同調が強まればもっと俺と一体になれるよ」
「是非とも早急に改善の程をよろしくお願いします」
うーん、この子は。薄々思っていたのだがやはり、俺はこの地でかなり得難い拾い物をしてしまったのかもしれないな。




