86.夜行館
中央圏に位置する国家のひとつメギスティンはかの帝国にも並ぶ知名度と存在感を有する大国である──魔法国家。呼び名が示す通り魔法に関するありとあらゆる謎の解明、神秘の発見、その技術化の試行錯誤に余念のないまさしく研究の徒で構成された国だ。必然他国と比較して魔法・魔力に精通した者は多い。が、『魔法国家』という名称から連想されるほど国民の割合を魔法使いが占めることはない。それを証明するように、そこにいる彼らもまた魔力操作を修めてはいても魔法についてはさっぱりの、所謂『弾かれた者』たちだった。
「もう何度目になるかな、この夜行館の警備任務にあたるのは……いつまで経っても慣れないものだ」
「慣れない?」
広大な屋敷周りに設定されたいつも通りの巡回路を辿っている最中、ふと相方が漏らしたボヤきのような言葉にもう一人が足を止めて首を傾げた。
「いったい何に慣れないって言うんだ? まさか夜勤が辛いだなんて話じゃないだろ?」
「もう若くもないから夜当番は少々こたえるがね。だが俺が言いたいのは……なんと表現すべきかな。この館の雰囲気というか、気配というか。そういったものの話だよ」
ああ、ともう一人は合点がいったのか訳知り顔で頷いた。
「確かにこの館の住人はひどく静かだ。そもそも人数が少ないし、警備だって必要最低限……いつでも静まり返っていて落ち着かない気持ちになるのもわかるよ」
「そう、物音ひとつしないことがどうも。まるで置かれている物や草木の全部から──もっと言うならこの建物自体が息を殺してこちらを観察しているような、そんな妙な気分になってしまう」
「はは、そりゃ気にしすぎだよ、相棒。管理人はいても普段使いのされない建物なんだから夜行館がひっそりしているのは当然だ。それに、いくら半端者でこんな仕事しか任されない俺たちだからって、魔力反応くらいは感じ取れる。そうでなきゃ警備も勤まらないんだからな……ここを見回る間に変なものを見つけたことなんて一度もないだろ?」
「ああ」
「それはつまり、おかしなことは何も起きちゃいないってことさ。任務に精を出すのもいいけどよ、神経を尖らせすぎても上手くはいかないぜ、きっと」
「だな」
「……、」
肯定は返ってきたが、相方は思いの外真剣に──あるいは深刻に、か──話していたようだ。明るく励ましてやったつもりだがあまり気の晴れた様子ではない。それを悟った男は、では話題を変えてしまおうと話の種を思い付いた。
「そうだ相棒、知ってるか? 近々この夜行館の主が戻ってくるらしいって噂」
「なに、もうそんな時期……じゃないよな、新年度を迎えたばかりだ。どうしてまたこんな中途半端なときに?」
期待通りに相方が食い付いたことで男は得意げに、より興味を引くべく努めて重大な真相を語る体で話し始めた。
「それがな、なんでも『魔女会談』絡みのことらしい。クラエル様がお越しになって学院長にそう話しているのをたまたま見かけた職員がいて、そこから生徒にも広まったんだとか。年二回しかお目にかかれない魔女様と今年は触れ合える機会が増えるかもしれないってんで学院は浮足立っている様子だぜ……生徒だけじゃなく、教員のほうもな」
「会談絡みね……なんにせよ出所がハッキリしているなら噂と言っても確かなものかもしれないな。生徒たちが喜ぶのも当然だ」
魔法学術院。そこに通う選ばれし者たちを思い浮かべて、男の口からは自然とため息が零れる。
「あそこの連中にとってはこの上ない朗報に違いないだろうさ。俺たちにとってはただ仕事が嵩むだけだが……ところでお前はどこからこの話を聞きつけたんだ?」
「ほら、今年に甥っ子が入学したって言っただろ? だから時間が合うときには送り迎えをしてやってるんだ。まだこーんなに小さいからな。次学期からは寮入りを検討中だっていうからそうなれば俺もお役御免だが……ま、登下校の最中に色々と話すってわけだ。この噂もそのときに教えてもらった」
「ほー。相変わらずお前の家は仲が良くて何よりだな」
「へっへへ、それほどでもー」
「…………」
両親揃って魔法使いで、子供も学術院に通えるエリート一家。そんな絵に描いたような幸せを掴んでいる弟夫婦に使われる非エリートの兄。その構図に対する皮肉を混ぜたつもりだったのだが、てんで通じていない。──それがこいつのいいところなんだが、と彼は小さく笑った。
この性分だ、きっと弟家族ともなんら確執などなく本当に仲良くやれているのだろう。自分では考えられないことだと十年単位で顔を合わせていない父を思い出す。せめて同期にこいつがいてくれたのは幸運だな……そんな風に考えた彼は内心だけでその照れ臭さに蓋をし、気を取り直すように言った。
「引き止めてなんだが、ぼちぼち気を引きしめてかかるとしよう。例の魔女様が戻ってくるのなら夜行館に何かあると大変だ、最悪部長共々俺たちの首が飛びかねん。物理的にな」
「言えてるな、魔女様はかなり厳しいって話も耳にすることだし。しばらくはいつも以上に真面目くさって見回るとするか……それに、俺らがミスをしたとなっちゃ弾かれ者にも仕事を与えてくださってるクラエル様に申し訳が立たないしな」
頷き合った男たちは、何事も起こらない、起こった試しのない巡回の仕事へと意識を戻して歩みを再開させる。結局彼らは最後まで、この場にいるもう一人。自分たちの会話を盗み聞くその存在に気付くことはなかった。
◇◇◇
「……行ったか」
息を潜めて──それだけでなく魔力や生体の反応も限りなくゼロとして。最大限実行し得る隠密性で姿消しの魔法を使用しているところだが、それでも目の前で男たちが立ち止まったときにはびくっとしたね。しかも何かに見られている気がするとかなんとか意味深なことを言い出すものだから、本気でバレているんじゃないかと冷や汗までかきっぱなしだった……だがそれも単なる杞憂だったようで。まったく、なんて心臓に悪いことをしてくれる警備員だろうか。まったくまったく。
に、しても。あの男もあながち神経過敏ってわけでもなさそうだ……と、この館にもまた隠密性の高い防衛機構が施されているのを改めて確認しながら俺はそう思った。無論、この守備は魔法によって構築されたものだ。魔力が秘匿されていながら二重にも三重にも結界に近いガチガチの守りが敷かれているので、敏感な者ならなんとなくこの場を気持ち悪いと感じるかもしれない。魔力への鋭敏さとそういう「なんとなく」を掴める第六感はまた別のものだからね。
とまれ、流石にここから先。つまりは館の内部にまでひっそりと潜り込むのは無理そうかな。建物そのものが探知網と化しているならいくら姿や魔力を隠していても意味がない。コソコソするのは決して苦手ではないが、こればかりはそれに特化している魔法使いであるところのミザリィにだって攻略は不可能だろう。なのでここで進むかどうかは俺としてもちょっと悩ましい。
……そう言えばあの警備員、興味深いことを言っていたな。俺が魔力に釣られてやってきたこの屋敷のことを『夜行館』と称していた。や、名前自体はどうでもいいのだが。問題は夜行館の主が魔女だということ……確かに、ここまでの魔法的堅牢さ。この館が魔女の居住のひとつであるのならそれにも納得がいくというものだが、気になるのは主人とはどうも『クラエルではない』らしいという点にある。
ここ中央を支配するのは晴嵐の魔女クラエルであったはず。だが男たちの口振りでは、館の主であり学術院とやらのスターでもある件の魔女とは明らかにクラエルを指しておらず、まったくの別人のようである。はて、これはどういうことだろう? 地方によっては一箇所に二人の魔女が座していることもあると聞いたけれど、中央についてはそうではなかったと記憶しているのだが。いったい何者なのだ、この大きな屋敷を住まいとしている魔女とは──。
「うーむ」
それを知るためにも建物内に強行してみるのも手段ではある。上手くいけばバレずに色々と探れるかもしれない。けれど博打であることは否めないし、何も今すぐに。せっかく不法入国を知られていないこの段階で犯すべきリスクではないだろう。それよりも、だ。
学術院。おそらくは教員も生徒も魔法使いのみで構成されているであろうそこが案外と狙い目なのではなかろうか?
そろそろ夜明けも近い。登校時間まで待てば、姿消しをせずとも生徒に紛れて正々と正面から入り、堂々と校内の探索もできそうじゃないか……うん、俺の身なりなら全然いけそうだ。メイビー。まあ、それが難しそうならまたコソコソを再開すればいいだけだ。魔法の学校と言えどさすがに夜行館ほど凝ったセキュリティはないだろうから、教員の目という人的な壁にさえ気を付けていればどうとでもなりそうである。少なくとも潜入場所としての難度で言えばここより格段に下がることは間違いない、と思うので。
「ほいっと」
そうと決まれば長居する意味もない。高い塀を跳び越えて通りへと出て、さっさと怪しい館を後にする。それから手頃な背の高い建物を見つけた俺はそこに足をつけて、壁を垂直に歩いて頂上を目指した。さっきもこうやってこのやけに入り組んだ都市を眺めたものだが、真っ先に目に入った夜行館に何も考えずに直行してしまったものだから他には何も見ていないのだ。そのおかげで面白い話を聞けたので収穫はあったと言えるが、次はもう少しこの国の芯に迫れるような発見をしたいところだ──お。
「あれかな……?」
市内ながらに離島の如く切り離されている地。大きな橋ふたつのみで辛うじて地続きとなっている、街中の景色から少しばかり隔絶した雰囲気の場所を見つけた。そしてそこには何かしらの施設であろう巨大な建築物もデンと据えられている……ふむ、夜行館の付近ではあそこぐらいしかそれらしいものもない。とくればそうと見ていいだろう。
確信を持った俺は空の端が白みだしているのを横目に、去り行く夜の闇に身を躍らせた。




