68.良い話・悪い話
「魔素にしろ魔力にしろ、それらに干渉しようとすれば精神力がすり減る。特に魔力は循環させるだけでも意識や感覚ごと引っ張られて中てられてしまうね。そうなるとあたかも三半規管が狂って平衡感覚を失うように、魔力酩酊を起こした者はその操作が覚束なくなるし、なんなら立っていることすらままならなくなる。これは魔法を扱う際の最重要部位である脳が酷使されると同時に魔力自体の影響を受けるからでもある。防ぐ手立ては……今のところない。残念なことにこれは歩けば足が疲れるのと同じくらいに生理的な作用だ」
「ええ、それも魔法学校で教えられた通りですが……」
ならば何故あなたは魔力酩酊に悩まされている様子がないのか。そう言いたげな目を向けてくる三人に、俺はその答えを見せる。
「よっと」
「!」
指先一本分。魔力を纏わせて、こめかみから脳内へ突っ込んだ。ぐりゅり、と額の内側が指の動きに連動して混ざる。痛いしちょっと気持ち悪い。が、こうするのが一番手っ取り早いしわかりやすい。百聞は一見にしかずだものな。
「…………、」
「ふー」
絶句している三人の前で指を引き抜き、血と脳漿のこびりかすを見せつける。いや、グロテスクな画像で精神的なブラクラを狙うような意地の悪い真似がしたかったわけではない。本当に見てほしいのはこの先だ。
指から血や脳の跡が消え、こめかみの傷もなくなって。そこで三人は初めて俺が持つ再生力について知った。その顔にはやはり驚愕があったが、生憎とここで肝心なのは再生そのものではなく。
「見ての通り俺の肉体は傷付いても元に戻る。たとえ普通の人間なら致命傷でもな。これは人体が持つ治癒能力ではなく言わば修復機能だ。俺は俺として固定化されていて、そしてそれは身体機能もまた然り。脳の働きについても『完全に固定』されている」
そこまで言えば生徒たちの表情にも理解の色が浮かんだ。そう、これが魔力酩酊を抑える俺だけの手法である。厳密に言えば他にもこれと同じことができる者はいるのだが、どのみちセリアたちには関係のない話なのでここで言及する必要もないだろう。
俺が治る──否、『直る』のは傷だけにあらず。例えば身体上はただの少女でしかないこの身だが、もし昼夜ぶっ通しで歩き続けたとしても疲れたりしない。なんの目的もなくただ歩くだけであれば精神的な疲労は避けられないだろうが、少なくとも足が棒になって立てもしない、なんて事態は起こり得ないのである。歩くのではなく全力で走ろうが、それを何日何十日と続けようと変わらない。俺の肉体に走れる速度の上限はあっても、距離の限界はないのだ。
機能の固定化。これは身体能力だけに留まらず脳機能にも同じことが言える。疲れ知らずの限界知らず。魔力酩酊に悩まされないのもこれが理由だ──個人の容量を示す線引きがそもそも存在しない。いくらでも走り続けられるのと同様、いくらでも魔力を操れる。とはいえ一度に操れる量の上限はあるので、それこそ竜魔大戦時やエイドス在留時代において俺の脳は極度の魔力操作によって幾度となく焼き切れていたのかもしれないが、まあ。それも直るし。実害がないのであればなんということもない。
そして言わずもがな。俺の上限はここにいる三人が全力で練った魔力を総合してもなお指先すら届かない位置にある。なんとも自信過剰な物言いに聞こえるかもしれないが、これは単なる事実として彼女たちにもしっかり知っておいてほしいことだ。
「結局のところ、魔力酩酊が起きないのは魔力酩酊が起きないからだ……なんていう馬鹿げた言い方しかできそうになくてね。高次魔力の大量使用に耐えられる理由はまた別にもあるんだが……」
「そ、それはどういったものですか!?」
食い気味で訊ねてくるフラン君を思わず見つめたら、彼はすぐに頬を赤く染めて所在なさげにし、乗り出した身を引っ込めた。
「すみません……また自分、出過ぎたことを」
「何も出過ぎたことじゃあないと言ったろうフラン君。俺はただ感心しただけだよ」
「か、感心ですか?」
「ああ。だってそんなことを訊くからには……君も習得したいんだろう? エイドス魔法」
一応。前回の時点でここにいる三人がエイドス魔法を使用するのは難しいと伝えてはいるのだが。そしてそのことにセリアやミザリィはさほど落胆していなかったのだが、フラン君だけは二人と反応が違った。
セリアは俺がステイラ兵を消し去った場面を間近で目撃したこともあって、あんな魔法を自分が使えるはずもないと諦めている……というかまず習得したいとすら思っていない様子であるし、その話を彼女から聞いたミザリィもまた──無名呪文しか覚えがないという独自の事情もあるのだろうが──それと似たような態度でいる。
しかしフラン君に関しては、肩を落として重く息を吐いて。それはもう露骨なまでに落ち込んでいた。イデア様と同じ魔法が使いたかった、と口にまで出していたくらいだ。そして今回もいの一番に質問してはアドバイスだけでなく俺の情報をも得ようと必死になっている。この貪欲さ、まったくもって見上げた向上心だと言う他ない。
俺の問いに、恥ずかしそうに俯きながらも「……はい」と小さな声で答えたフラン君。そのいじらしい様に俺はとあることを決めた。
「聞いてくれるか、フラン君」
「は、はい」
「エイドス魔法の習得が難しいと言ったのは、高次魔力を引き出すための術を身に着けたとしても、それを扱う際に生じる負荷に君の心と体がまず耐えられないからだ。魔力を取り込む器足り得ずに壊れてしまうのでは、いくらエイドスと繋がったところで意味なんてない。俺は君に死んでほしくはないからね」
「で、でも……イデア様のお弟子様たちや、それにモロウさんも。エイドス魔法が使えているんですよね? 彼らはどうやって高次魔力の負荷に耐えているんですか?」
「それは彼らの幼少期に、俺が耐えられるように調整したからだね。第一次成長期までならそれが叶うんだ。魔力を扱う才能や容量はそれまでに大方枠が定まるから、そこをぐっと強引に伸ばす。言うほど簡単なものじゃないが、けれどまず失敗することもないかな」
人間で初めてこれを試した例がアーデラなわけだが、結果は知っての通り、今や彼女も立派なエイドス魔法の使い手だ。ノヴァや姉弟子もね。モロウに関しては、これまた知っての通り死にかけの赤ん坊だった彼を救うために直接高次魔力をぶち込んだ副産物。意図して伸ばしたのではなく偶々エイドスと繋がり、その力を引き出す器(スモールサイズ)になったということだね。
「誰でも伸ばすことはできるが、三弟子もモロウもそれぞれ特色がある。魔法使いとしての完成度もまちまちだ。つまり本人が持つ素質もまた重要なファクターになる……そういう意味ではフラン君、君は間違いなく最高の素材だろう。磨けば磨いた以上にぴかぴか光る究極の原石だ──赤ん坊の頃に出会えていれば、間違いなくそうだった」
最高の素材、のところでは目を輝かせて。しかしそれは赤ん坊の頃の話であると知ったフラン君はしゅんと暗くなった。
「もう手遅れだということですか……? イデア様の弟子になるには、自分は歳を取り過ぎてしまっているんですね……」
俺なら誰でもエイドス魔法の使い手にできる。が、それは裏を返せば俺が手を出さない限りエイドス魔法の使い手はそうそう生まれないということだ。そして手を出せる時期を過ぎている以上、三弟子のようにフラン君が使い手となれる未来は永遠に訪れない──なんてことはなく。
本音を言えばもう少し経過を見たくもあったのだが、ここまで熱心に教えを請おうとしてくるのであれば。もはや頃合いを見計らう必要もないだろう。
「良い話があるんだフラン君。だけどこれは同時に悪い話になる可能性も孕んでいるから、よくよく考えながら聞いてくれ。……実は今からでも君を高次魔力の器にする方法がないわけじゃないんだ。それは第二次性徴期を過ぎてもなお魔力の容量を日に日に伸ばしている、破格に過ぎる才能を持つ君だからこそ採用できる特殊な方法。即ち『後天拡張』だ」
「後天、拡張……」
「そう、無理矢理エイドスに繋げてそれを先天的なものと肉体に植え付けるのが三弟子に取った手法。対して君の場合はそれよりもなお厳密かつ慎重に、そして大胆にその作業を行う必要がある。なんとなくわかるかもしれないが、これにはリスクもある。何せ成長開始時点でなく成長途中のものに手を加えるわけだからね。形が定まってきているところに俺の調整が入る……君の肉体や精神がその負荷に耐えられなければ、最悪の場合。今持っている才能すらも失いかねない。つまりは二度と魔法が使えなくなるかもしれない」
二度と、と口内だけで繰り返したフラン君はごくりと唾を飲んだ。俺が決して無為な脅しをかけているわけじゃないと彼もわかってくれているようだ。
「成功すれば君も俺たちの一員になれる。だが、失敗すれば君は魔法使いですらなくなる、かもしれない。身の上話は聞いた、君にとって君の才能がどれだけの宝物であるかは俺も理解しているつもりだ。だから、俺のほうから無理に誘うことはしないよ。方法があると打ち明けたのもフラン君が並ならぬ熱意持つ好ましい魔法使いだからだ。そして打ち明けるだけに留めておくのもまた、フラン君のことが好ましいからだ。やれともやめておけとも俺は言わない。全て君自身の選択に委ねるよ」
フラン君が踏み出すのであれば、俺は喜んでその手を取って引いてあげよう。フラン君が踏み出さないのであれば、俺は惜しみながらも別の道。一般的な魔法使いとして一流になるためのルートを進ませよう。彼が追いかけたがっている俺の背中はその先にはないけれど、しかしそれでもフラン君なら間違いなく大成することだろう。
「それから、この方法は三弟子ともモロウとも異なる俺にとって初めての試みだ。だから上手くいく保証なんてどこにもないことも事前に教えておこう。……今すぐに決めなくていい、じっくりと検討してから改めて答えを聞かせてくれたら──」
「やります。やらせてください、イデア様!」
「──ほう?」
あまりに早い決断。そして無垢な決意を感じさせる碧い瞳が真っ直ぐに見つめ返してくる。……これはまた、本当に素晴らしい向上心だな。実に思い通りの展開で俺はとても嬉しいよ、フラン君。




