66.イメージを大切に
両スエゴスヴェリカに向けた対応はモロウとダンバスに投げる。彼らに投げない仕事はないのでまるで俺だけでも片付けられるパターンがあるかのようなこの言い方は欺瞞もいいところだが、そうは言ってもお飾り王にも重要な任務がある。最終的な鶴の一声を下すという、労力の割に替えの利かない大任がね。俺が担当するのはそこだ。実際東南問わず安心感を与えてやるためにも、新王国も含めたスエゴスヴェリカ独自の取り決めが締結される際には、俺が現地に赴いて二人の王と引き合う必要があるっぽい雰囲気なので……何もしないわけではないよ、ということが言いたいのだ。
それを待つ間、決して暇ということはないが──とかく国王は決めなきゃならない何かしらに取り囲まれている──それでも隙間時間をみつけてやっていくべきだろう。セリアたちに約束した、イデア流魔法講座の開催だ。
「えーっと、今回で二回目か。前が濃すぎて初回だったとは思えないくらいだけど、まあ今日もぼちぼちとやっていこう。……前回の終わり、俺は次に何をするって言ったっけ?」
「魔素の吸収についての指導を行うと仰っていました」
ここはイデア城の空き部屋のひとつ。扉側からミザリィ、セリア、フラン君と横並びに座っているその様はまさに授業を受ける学生のそれだった。控えめな挙手と共に俺の怪しい記憶力を補完してくれたセリアなんかは特にそれっぽい。それぞれ年齢が揃っていないので夜間学校とか職業訓練校みたいな様相ではあるが……。
そんなことよりもそうだ、第二回のテーマは魔素にしようと言ったのだっけな。前回は自己紹介も兼ねて俺がどんな魔法を使うか教えつつ、発動させる際のイメージの仕方なんかをアドバイスしていった。それに伴って次は魔法の源たる魔力。更にその源たる魔素に触れていこう、と決めたところでかなりの時間が経過していたためにお開きとなったのだった。
「前のおさらいも兼ねて、ミザリィ。何故魔法使いには想像力、イメージする力が大事だと言われている?」
「それが呪文の完成度に直結するからですね、イデア様。魔法式の構築には基礎理論を理解することが必須ですが、それだけで充分とはならない。高いレベルの呪文を行使したければ高いレベルのイマジネーションが必要となる。その出来次第で、例えば同じ【バインド】でも敵の拘束が強固にも貧弱にもなり得るものですから」
「それは君が得意とする無名呪文でも変わらないな?」
「その通りですわ。私の場合はすり抜けを行う際、壁を通り抜けるというより溶け込むイメージで魔法式を構築しています。些細な差のようですが前者と後者ではやり易さがまるで違ってきます。このイメージを確立してからは壁面だけでなく足場に対しても潜れるようになりましたので、実証においても効果の程は確かであると自負しています」
うむ、完璧な解答だ。彼女は言ってほしいことを全部言ってくれた。
「ミザリィはまさしく好例だな。消費する魔力、魔法式の完成度、そして想像力。呪文の完成度を決定付ける三要素だが、魔力は先天的な要素が大きく、魔法式は地道な勉学に励んで少しずつ伸ばしていく部分だ。それに比べて想像力は画一的な指導法がない代わりに魔力操作ほど才能に縛られもしない、一夜で三流を一流に化けさせることもある重大かつ魅力的なパラメータだ。ここを疎かにはできない。『イメージの確立』。それができているのといないのとでは同じ呪文でも雲泥の差になるのは自明の理……だというのに、君たち一般的な魔法使いはそれほどこの点に拘っていない様子なのはどうしてかな、セリア?」
「はい。それは私も含め大半の魔法使いにとって、魔法式の構築に内包される最低限度のイメージの保持に精一杯だからです。独自のイメージを組み込む余裕がなく、また大抵の場合はそうしたところで元の魔法式の完成度に劣るものが出来上がってしまう、というのがよくある失敗例でもありますので……卒業生でさえもミザリィのように自身の感性のみで呪文の効力を高められた者はいるかどうか。とにかく『イメージの確立』は諸刃の剣。ややもすれば妙な癖が付いてしまいかねず、そのリスクの割には仮に成功したとて劇的な変化が望めることは少ない、迂闊な手出しのできない技術として私たちは認識しています。それがイデア様の目には想像力の軽視と映っているのでしょう」
こちらも完璧だ。セリアらしい若干の自虐も入っていたが俺が求めた解答に間違いはない。とはいえ、ここまでは前の授業でも触れたところ。ここからが今回の主題だ。
「実現できているかどうかはともかく、魔法にはイメージが大事だというのは君たちも知っての通りだ。魔法学校でもそれは習っただろうけど、苦手をスキップできた学校と俺の講義が同じだとは思わないことだ。『魔法使いを名乗れる』以上を目指すのならここは避けて通れないものだと理解しておいてくれ──さて。その関連でもうひとつ教えておきたいことがある。イメージにおいて魔法行使の巧拙を左右する最初の要素とは何か? はい、フラン君。答えてみようか」
「あ、えっと……魔素の吸収、ですか?」
「正解」
慌てていても彼もまた解答は恙ない。まあミザリィ、セリアと来たのだから次は自分が振られることくらい予想できていただろうし、講義のテーマを前もって知らされているのだから答えに詰まることもそりゃあないと言えばないんだけど。
「魔素の吸収においても君たちはイメージを大切にしているはずだ。だけど千差万別な想像ができる呪文のそれとは違って、魔素を体内に取り込む。ただそれだけの行為に対してはイマジネーションの発揮は難しいだろう。実際のところどうかな。君たちはどういう想像で吸収を行っている?」
今度は誰にともなく問いかければ三人は顔を見合わせ、無言のままに代表者を決めたようだった。真ん中に座っているから、ということもないのだろうが口を開いたのはセリアである。
「魔法学校でもその点については同じイメージを私たちに持たせていました──『渇いたスポンジが水を吸うように』、です。万人の想像に容易く、そして効果も確かなものとしてこれは広く魔法界隈に知られている方法だと聞き及んでいますが」
「間違っていない。わかりやすくて初心者向けのものとしてはベストな想像の仕方だと俺も思う。……だけど、それで魔素の吸収をある程度苦手意識なく行えるようになったのなら次の段階に進むべきだろうな」
初心者向け、という部分に内心を騒めかせていることがよくわかる三人の顔付きをじっくりと眺めながら、俺は魔力を物質化させて一杯の茶碗を手に持った。そしてそれがよく見えるように示す。
「で、だ。魔素を取り込むイメージとして俺なりのベストがある。それがこれだ」
そう言えば三人とも食い入るように茶碗を見つめてきたが、すぐにその熱心な視線には戸惑いという影が差し、やがて完全に困惑のそれに取って代わった。その疑問を口にしたのはまたしてもセリアだった。
「申し訳ありませんが、イデア様。どういった意味なのか私にはわかりかねます……その容器が表すものとはいったいなんなのでしょうか」
「息を吸うこと。それは酸素の吸収だな。君たちは深呼吸の如くに魔素を取り込んでいるが、それじゃ遅いし無駄が多い。より良い状態をこいつが示していると思わないか? よく見ろ、取り込むまでもなく器に空気が、即ち酸素が取り込まれている。これこそが魔法使いのあるべき姿だよ」
「そ、それはつまり──」
「ああ。吸収する、というイメージ自体が君たちを苦しめる元になっているんだ。魔素だけならどれだけ扱っても魔力酩酊も遠い。ならせっかくのこと、常に魔素を内包する状態が維持できたなら。それ相応の疲労は伴うだろうが、けれど飛躍的に呪文の完成速度も跳ね上がるよ」
魔素を取り込んでいるままを常態とできるのであれば、魔力への変換もよりスムーズになるし、必要な工程が減るのだから魔法式の構築にももっと余裕が割ける。そして何より、強制的に魔素に体を慣らしていく──というより『均していく』か──ことで魔力操作の量、速度にも改善が見込める利点が偉大だ。少なくとも呪文のイメージのような拙い想像力で悪影響が及ぶという心配はない。リスクなし、やるだけ得なものなのである。
「自らを見立てるべきはスポンジでなく器。そして魔素は水でなく空気として、何を行うでもなく常にこの身に満たされている……というイメージを確立させる。そういうことなのですか?」
「スポンジよりも見立てが難しいだろうし、慣れないうちは疲れが勝って魔力を練るどころじゃないと思う。けれど、そこをクリアしていけば確実にレベルアップできるよ。魔法使いとしてね」
「……!」
セリアの表情が目に見えて変わる。困惑から理解、そして覚悟を感じさせるものに。それはミザリィとフラン君も同様だった。魔法学校で教えられていたような万人に勧められる方法ではないが、まあ。明かしたのはこの三人なら大丈夫だろうと判断してのことだ。
セリアは魔素の吸収・変換に優れていることは黒い森への訪問時で確認済み。ミザリィは扱える魔力量こそ平凡だが確固たるイメージの力を持っている。そしてフラン君は言わずもがな、ちょっと他とは比べられない素晴らしい才能に恵まれている。独学でもいずれ、彼が憧れを持っているらしい賢者にも至れるのではなかろうかと思えるほどだ。なので全員、伸びしろは充分にあると言っていい。
これを物にできたら大きいぞ、と意欲満点な彼女たちに駄目押しの太鼓判をくれたところで。
「あ、あの。イデア様」
「ん? どうしたフラン君」
「僭越ですけど、その……できれば自分たち向けの方法だけじゃなくて……イ、イデア様ご自身がどのようなイメージを持っているのかも教えていただけませんか?」
──ほほう。欲しがるねぇ、フラン君は。




