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60.水精の国インディエゴ

 よく晴れた空を飛ぶ。石板に示された場所を目指して野を越え山を越え海岸線を越えて、俺は海に出ていた。そのまましばらく海上を進み、緩やかに停止。陸地から数キロ程度と言っていたからそろそろだろう。


 収納空間から石板を取り出して確かめる。……うん、ここにある通りならやはりこの辺りで間違いはなさそうだ。縮尺のせいで該当範囲はかなり広いが、まあ、三十センチ四方の面に掘られた地図+海図だ。これでもわかりやすく描かれているほうだと思う。


 しかし持ちづらいなー、これ。表からも裏からも彫ってあるので仕方ないがプレートというよりキューブに近い形になっているし、あと単純に重い。大まかな場所を確かめるためだけならモロウが当たりをつけた紙の地図でよかったのだけれど、それでも石板を選んだのはこれを持参するようにと念を押されて記されていたからだ。送りつけた物をわざわざ持ってこいと指定するからにはそれなりの意味があるんだろう。俺は石板が手紙だけでなく通行証も兼ねているのではないかと予想しているが、はてさて。そうだとしてもどこで誰にこれを提示すればいいのやらわからんね。


 広がる一面の海は快晴の鏡となって宝石のようにきらきらと眩く輝き、そして俺を途方に暮れさせる。三百六十度視界には海面のみ。あとは俺がやってきた大陸が遠くにあるだけ。さんざんモロウにもダンバスにも言われたように、マジで何もないじゃん……本当にここなんだろうな? と再び板へ目を落とすが新たな発見をするでもなし。あるはずの国がどこにも見当たらないのは……もしかしたら高度の問題かもしれないな。地図上では高さまでは読めないからね。


 遥か上空か、あるいは海上ではなく海中か。冷静に考えてそのどちらかだろう。そして石板の差出人を思えば後者である可能性が高い。ここら一帯を探知して回るか? もしくはどこかに俺の魔力を撃ち込んでみれば向こうから反応してくれるかな。と考えたところで微細な振動に気付く。……手の中で石板が揺れ始めている。なんだなんだと戸惑う内に振動はどんどん大きくなり、やがてあたかもその震えが原因かのように割れて砕け、崩れ去ってしまった。砂に変化した元石板が指の間をさらさらと落ちて海へ還っていく──魔力の胎動。


 砂が落ちた海上の一角にぽっかりと穴が開いたことで、石板が通行証というよりも鍵の役割を担っていたのだと俺は得心した。


 やがて、海面に口を開けた底知れぬほど深い穴の中からひとつの人影が出てきた。ふよふよと重力に逆らって浮かび上がってくるそれは……一言で言えば水だった。水が人型に形を取り、顔には人形のそれに近しい無機質な笑みを貼り付けていて。人らしくも人ではない何か。そんな存在が俺の目の前にまで上がってきたものだから、こちらも笑顔で彼女へと声をかけた。


「やあ、アクアメナティス。久しぶりだな。こんな広い場所を棲み処にしているとは驚いたよ」


「…………」


 こぽり、と。第一声を俺に遮られる形になってしまった水の少女は開きかけた口を一旦閉じてから、しかしまたすぐに開いた。その声はとても涼やかなものだった。


「まずは歓迎と、ご足労頂いたことへの感謝を述べさせてください──ようこそおいでくださいました、始原の魔女様。私は案内役を仰せつかったリドルメナティス。マザーの下へお連れするまでの短い間ではございますが、どうぞよろしくお願いします」


「うん? リドルメナティス……?」


 名を変えたのか。そしてマザーとは誰だ。旧知の人物(?)からの思わぬ言葉に困惑を隠せない俺に、リドルと名乗った少女は笑みを深めた。


「母なる女王、マザーメナティスに間違われるとは光栄なことです。ですが始原の魔女様。私はマザーより生まれし無数の同胞の一体に過ぎません。魔女様がお知りになるマザーとは別個体となります」


「ほお……」


 感じられる魔力といい、雰囲気といい。彼女は俺の知るアクアメナティスそのものだが、人違いであるらしい。しかも口振りからしてこのリドルと生まれを同じにするお仲間がたくさん、この海の下にはいるらしいことが窺える。なるほど、女王ね。石板にあったインディエゴという国名に関しては俺にも覚えがなかったけれど、確かにここには秘められし国があり、そして女王兼母としてアクアメナティスが君臨しているようである。……あのアクアメナティスが? なんだか信じられないな。


「早速ご案内しましょう。私についてきていただけますか」


「いいとも」


 先立つ彼女に続いて穴を下りていく。途中まではなんということもない海のトンネルだったものが、急に景色が一変。そこにあったのは広大な海底空間だった。しげった青々しい水草、苔の生えた巨木。それを軸にいくつも巨大な建物が建っていて、それを繋ぐように水の通路が張り巡らされている。その中をリドルメナティスを大小させたような者たちがあちらこちらへと優雅に泳いでいたり飛んでいたりする様は幻想的と言って差し支えなかった──まるでアクアリウムがそのまま国になったような場所である。


「我らが母なる水精の育みし国『インディエゴ』の眺めをお楽しみください」


 水そのものが光っているのと底までしっかりと届いている太陽光の明るさと相まって、インディエゴはどこを向いても海上の水面にも負けないくらいに輝いており、しかもここにはどういう原理か空気も通っている。彼女たちだけであれば光源も酸素も必要としないだろうに、それが過剰なくらいに用意されていること。そして一目で見る者の心を奪うほどに美しいこの景色が明らかに見栄えを意識して整えられたものであること……これからして、海底国家という訪ねづらい立地にありながらも女王アクアメナティスはここに訪れる者を目にも楽しませようと努力しているのだとよくわかる。


「陸地からそう離れていないっていうのに、随分と深いな」


 白い岩を掘り抜いたものや粘土質の建造物も散見されるが、海樹を柱にそそり立ついくつかの巨大なタワーは水が固定化して作られている。その高さたるやなかなかのもので、この国は海の底の広大な敷地を横にも縦にもこれでもかと有効活用している。その美観と実用性を兼ね備えた造りに感心していると、リドルメナティスは「恐縮です」と嬉しそうにした。


「マザーが見出したこの安住の地を拡張したのはリドルなのです。設計思想を実現させるにはアークの力とミニッツの手を借りましたが、主だって任されたのは私たち。今も少しずつ拡張し続けておりますが一応の完成を見た暁には、マザーからもお褒めの言葉を頂戴いたしました」


「あれ? ひょっとして『リドル』っていうのは個体名じゃなく種族名?」


「称号、あるいは階級と言ったほうが正しいでしょう。マザーメナティスを母とする私たちは生まれこそ同じでも異なる力を持ち、それぞれの役割によって階級が分けられているのです」


 数体しかいないが女王に次ぐ権限と力を持つアークメナティス。主要層として様々な仕事を行うリドルメナティス。数は多いが小柄で単純な作業を黙々とこなすミニッツメナティス。他にもマインやらトゥーツといったアークほどではないが少数しかいない階級もあるようで、一見大きさくらいでしか見分けられないこの国の住民にもけっこうな多様性があるらしいと判明した。


「女王を除けばやっぱりアークが一番上なのかな?」


「いいえ。命令系統の頂点は仰られる通りにアークですが、私たちに上下はありません。どの個体・階級であっても皆等しく『マザーの子』ですから」


「真に特別なのは女王マザーだけ、というわけか」


「その通りです、始原の魔女様」


 トップダウン式なのにどの階級も横並びの扱いとは、変わっているな。人の組織ではまず無理だろう。営利団体は言わずもがな、宗教団体でも難しいぞ。信者に教祖がそう説いていたとしても実際は幹部がいて、厚遇しないことには成り立たないからね。もちろん、それが必要ないくらいに構成員が熱心な狂信者ばかりであればその限りではないが。そして厚遇されない幹部たるアークメナティスを抱えるこの海中コロニーは、まさしく完全平等組織の運営を目指す者が見習うべき理想であると言えるだろう。


「マザーはあちらにおられます」


 リドルが示したのは中心地と思しき場所にある半球状の建物だった。ドームのようなそこはなるほど、飾りや周囲にある水路の置き方が如何にも「高貴な者の居住」であることを読み取らせるものだった。


「さしずめ水の宮殿アクアパレスってところか」


「まさに私たちはそう呼んでおります」


 思わぬ正解を引き当てて、アクアパレスへと向かう。俺だけだったら真っ直ぐ直行していたところだけど、リドルはまず水路に乗ることを示唆した。郷に入っては郷に従えと言うし、せっかくならお国らしさを味わうべきだろうと彼女に倣う。すると俺たちが降り立った水路は途端にトラベレーター……いわゆる動く歩道のように勝手に動き出し、向かいたい先へと運んでくれた。


 メナティスたちはこの中に潜って移動するようだが俺に合わせて上に乗るだけに留めているリドルは、自動移動の最中に見えたものを色々と説明してくれたものの。生憎なことにこの水路、静かながらにけっこう速い。結局あまり聞けないうちに中央にある水の巨大エレベーターに合流し、そのままぐんぐん下がる。そしてあっという間にアクアパレスの内部に辿り着いたところでリドルはお役御免となった。


「この先にある扉前にアークが控えております。その奥で、マザーが魔女様のご到着を待っておいでです」


 ここまでありがとう、と礼を言えばリドルは慎ましく返礼で応えた。彼女に見送られて進んだ通路の先で白一色の巨大な扉と、件のアークであろうリドルより二回りは大きい、しかし人型というには少々不安定な形をしたメナティスが俺を迎えた。


「…………」


 黙したまま恭しく一礼、後にすぐ扉を開いてくれた。そしてそのまま直立不動となる。俺も何も言わず、軽く手だけ上げて入室すれば。


「あぁ──お久しゅうございます、名乗らずの魔女様。世に習いわたくしもあなた様を『始原の魔女』とお呼びしたく思います。それをお許しいただけますか──?」


 リドルよりも大きいアーク、よりも更に数倍は大きいメナティス。マザーメナティスこと懐かしき水の精霊がそこにはいた……見かけはともかく、その中身は今度こそ俺の知る彼女で間違いなさそうである。



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― 新着の感想 ―
[一言] 加盟したい側かつ、国としての交渉事なのにも関わらず自分の国に来て貰っているのを見るに、水から出られないのかな………? イデアと知り合った経緯が気になるねー
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