54.見えない
基礎的な攻撃用呪文である【マジックアロー】は属性で言えば無属性。無の属性という表現はおかしいが【フロスト】であれば氷、【ファイアーストーム】であれば火と、属性を持つ名称呪文と相対する便宜上のものとしてそう分類されている。そしてそのように区分するだけあって、無属性と有属性には大きく異なる点があった。
それが物理と非物理の差。得てして魔力そのものを現出・固定化し攻撃の手段として用いる無属性呪文で引き起こされるのは単純な物理的破壊に留まる。対して属性を持つ呪文は発動によって魔力が火や氷へと変換され、種類によってはそこに特殊な効果が付随するものも少なくない。この違いを最もわかりやすく示す一例の題として挙げられるのが、【プロテクション】であった。
初級の防御用呪文【プロテクション】は物理的な力のみをシャットアウトする。つまり【マジックアロー】を防ぐことはできても【フロスト】や【ファイアーストーム】に対してはなんら無力であり、そちらから身を守りたければ術者は【プロテクション・マジック】という魔法的攻撃を防ぐための類似呪文を頼らなければならない。
敵も魔法使いであった場合この使い分けを誤っては致命的だ。幸いなことに双子と言っていいほどふたつの呪文の魔法式は似通っており──同系かつ位置づけも横並びなのだから当然だが──構築においては然程難儀しないものの、けれど物理にも魔法にも障壁効果を発揮する【シールド】を習得できていない魔法使いの多くが、同類以外の敵も広く見ることのできる対物理ばかりを重用しているのが実情であった。
故に属性を持つ魔法類は敵の隙を突くのに適している。いくら魔法式が酷似していると言っても即座の書き換えは高等技術だ。たったひとつの線を書き足すかどうか。作業量で言えばその程度のものだが、咄嗟にそれができるのは優者の証である。多くの者が対物理に重きを置く現状、それを無力化できるからには、無属性より手間が多く精神力の消耗も多い属性攻撃呪文には魔法使い同士の戦闘においてその欠点に見合った利点が存在していると言えるだろう。
逆に言えば【プロテクション・マジック】を偏重する相手には【マジックアロー】がよく刺さるということでもあるが、しかしこういった事例よりも【プロテクション】を属性魔法がすり抜ける場面こそがより多く目撃されることに間違いはなく。故にフランは決め手として物理魔法ではなく【ファイアーストーム】を選んだし、続く攻撃にもまた火属性魔法を用いるつもりでいた。
物理と属性の相関と対処の手間。それは『始原の魔女』であっても例外ではないのかもしれない──その考えが正しかったかどうかはいまいちよくわからなかったけれど、一応は魔女から有効打を取れた。なので自分の判断は正しいのだろうとフランは考えた。
より高度な攻めの技術として【マジックアロー】を属性攻撃に変換するものもあるが、しかし火属性との親和性が高いとは言えないフランにそれは難しかった。彼が得意とする属性は別にあり、火属性はそのおまけでいくつか呪文を扱える程度。それがそこらの火魔法を専門とする魔法使いにも勝る威力になっている時点で彼のおかしさは浮き彫りとなっているが、彼本人も、そして攻撃が直撃しておきながら平気の平左であるイデアも、その点についてはとんと無頓着であった。
とにかくフランは練った魔力で再び属性魔法を使おうとして──。
「少しは……俺からも動こうか」
「!」
ぎくりと動きを止める。
「よく見ておけよ」
その言葉に、フランの意識が攻めから守りに切り替わったのは自然な反応だった。魔女の攻撃。それが行なわれるというのだからまずは自衛を、と受けの姿勢に回ろうとするのは悪手とまでは言えない選択であり、また、意味深に自身へと向けられた魔女の人差し指を言われるがまま注視してしまったのも脅威から身を守らんとする上では必定の行為であった。
なんの疑いもなく、誘った通りに行動する彼にイデアは苦笑する。
「素直なんだな?」
「あっ──」
光。どんな魔法が飛び出してくるかと警戒したフランの視界を埋め尽くしたのは閃光だった。ステイラの兵団に見舞わせた破壊力を伴った光の奔流とは異なる、ただ『光った』という結果しか残らない小さな魔法。しかしイデアの魔力で行われたそれの眩さは尋常ではなく、たった一瞬とはいえ太陽光を塗り潰して王城庭園全体に白い闇を齎した。見学人三者は当然、光源となった指先で顔面を指されていたフランはなおのことその強烈な光に目が眩んで何も見えなくなる。
(み、見えない……自分の手も、イデア様のことも!)
戦闘中に視力を失う。その恐怖は味わった者にしかわからないだろう。フランにとってもこのような事態は初めてであったし、そもそも実戦経験に乏しい……というよりはっきり言って皆無である彼のこと、視界だけでなく頭まで真っ白になってしまうのは無理からぬこと。しかし、そうしてパニックになりかけた思考を引き戻す声が聞こえた。
「ほらどうした、目が使えないなら魔力を探れ。それができるのも魔法使いの強味だぞ」
「……!」
見えないというのは恐ろしいものでそれがどこから聞こえてきた声なのか、正面か背後かすらもフランには把握することができなかったが、声量からして視界が潰れる前の立ち位置よりも近いことだけは確実だった。接近されている。その視界が利かないのとはまた別種の身に迫る恐怖と、助言のような魔女の言葉がフランに冷静さを取り戻させた。
慌てることを取りやめ、魔力探知に集中する。確かにこれなら見えていようといなかろうと大して関係はない。またぞろイデアの誘導に引っ掛かっているのではないかという懸念もありはしたが、けれど見えない以上はどのみちこうする他彼女に対抗する術は残されていないのだから、そこは考えるだけ無駄だろう。そう割り切って周囲を探った彼の真っ黒な視野にぼうっと浮かび上がるものがあった。
間違いない、魔女だ。魔力を隠すこともなくこれ見よがしに正面から歩いてきている。どれだけ慌てていても流石にこれを見逃すことはない。先の半分、つまりは十五メートル程度まで彼我の距離を詰めてきている彼女にフランは迷わず先制を仕掛けることにした。
その脳内で恐るべき速度で魔法式が組み上がり──。
「【バインド】!」
一定の距離の相手にしかかけられないその拘束呪文は、イメージとしては地面から生えた見えない鎖で対象を縛り付けて動けなくさせるものだ。魔力反応が確かに鎖で縫い留められたのを確認したフランは並行構築させた呪文を続けて唱えた。
「【ファイアーボール】!」
使われたのは火属性の初級呪文。【ファイアーストーム】よりも規模を下げたのはかの呪文であっても魔女が無傷であったこと、されど当たりさえすれば有効打として認められることが判明したからだ。魔法式完成の早さ、つまりは速攻を優先して放ったのはイデアであれば【バインド】の拘束も一瞬以上は持ってくれないだろうとシビアに見越してのことでもあった。その決断が功を奏し、火球は見事に命中して──。
はらり、とまるで花弁が舞うように魔女の形が崩れたことにフランが驚愕した、その瞬間。
「こっちだよ」
「!?」
自身のすぐ横。耳に息を吹きかけるような囁き声によって、今度こそフランの思考は止まる。
「君が攻撃したのは俺の形をした魔力だ。見えてさえいれば騙されない程度の人形だが……よくないぞフラン君。探知できたものに飛びついて他を疎かにするのは、どうぞ殺してくれと言っているようなものだろう」
肩に魔女の手が添えられる。一時期からまるで背が伸びなくなったフランと永遠に少女のままであるイデアの身長はほぼ同じだった。折り重なるように身を寄せられていることを思い、魔法戦における駆け引きの拙さを露呈させたことと相まってフランの頬は真っ赤になったが、しかし彼がここで真に危惧すべきは──イデアに『触れられている』というその点こそを何よりも恐れ、とにかく行動に移るべきであった。
「づッ……?!」
何かが入ってくる。人体魔化という慮外の領域の技術にはさしもの魔法学校の最優秀生も何がなんだかわからなかった。ただし、このままこれに抗えなければ自分がどうなるか。他一切はともかくとしておそらく敗北することは必至だろうと、理解不能な現象ながらにそれだけは予想できた。
「ノヴァにやったようにひと息には終わらせない。猶予をあげるからどうにかしてみせてくれ、フラン君」
「う──ッく、」
掻き乱される。思考も魔力も、魔女の掌の上の如くに翻弄される。とてもじゃないが魔法を使うどころではなく、また肩に置かれた手を振り払うこともできそうになかった。体内を無遠慮に駆けずり回るイデアの魔力はこれでも相当に加減がなされたもの。そのことはフランにもなんとなくわかったが、如何に魔女からすれば配慮したものであろうと、こうも集中力を散らされていてはいつも通りに魔力を運用することなど到底不可能──なので彼は。
いつも通りの運用など目指さないことにした。
「ぅ……っ、ぁあああああああっ!!」
「!」
上手く扱おうとしても失敗するのであればいっそのこと、もっと盛大に失敗してやればいい。それ以外にやれることも思いつかず縋るように実行された魔力暴発は、まるでフラン自身が火薬樽と化したような勢いで爆発を起こし。
少なくない自傷のダメージを彼の肉体に与えながらも、どうにか魔女の魔の手から逃れるという最低限の目的は果たされた──。




