53.フランフランフィー・エーテル
どうしてこうなったのだろう? フランは頭を悩ませる。自分は何か悪いことでもしてしまったのだろうか、と何故だか強い既視感を覚える自戒をしたところで、正面を見る。無駄に広いと国民からも現持ち主からも評判(?)である旧リルデン城。その敷地を広大にさせている庭園外れの空いたスペースにて彼は、自身にとって憧れの人物と向かい合っていた。
イデア新王。その本来の肩書きは『始原の魔女』。早くに亡くした両親が揃って魔女を固く信じており、躾けに寝物語にと熱心にその存在を説いていたことから、始原の魔女の名はフランにとっていたく特別なものであった。それは父と母との大切な思い出でもあるし、自身に魔法を扱う才があると気付いてからはより強い憧憬とも結び付いたが故の、純なる信仰心。魔法の始祖とも言われ、他の伝説と呼ばれる存在を含めてもなお彼女こそが頂点であるとまことしやかに謳われる『始原の魔女』に対して──特にその伝承が根強いここ東方においては──憧れを抱かない魔法使いなど誰一人とているはずがない。と、フランはそう確信している。
フランフランフィー・エーテルはまだ十六歳ながらに優れた魔法使いである。才媛と名高かったセリアよりも、貴重な卒業生たるロウネスよりも、ひょっとすれば彼の才能を見出した学校長よりも。当時若干十歳であった彼のほうが才能でもその時点での実力でも上回っていたかもしれない。けれど幸いなのかどうか、周囲との比較によって己の才者としての度合いに気付き、それを自然と受け入れることはしたものの、彼に自覚直ちに傲慢になれるほどの図太さはなかったようだ。フランは学友たちのことも学校長のことも含意なく尊敬していた。
入学後しばらく、学校長から賢者アーデラへ紹介がされた際は天にも昇る思いだった。何せアーデラは『始原の魔女』の賢者である。魔女に次いで憧れの対象である彼女と直接(と言っても専用ラインの通話機越しにだが)話ができるなど当時の彼にはまさに夢のようなひと時だったと言えよう。ひょっとすれば魔女と取り次いでもらえるかも、という欲張りな期待がまったくなかったとは言えないが、しかしそれが叶わずともアーデラの口から魔女の話が聞けるだけで充分以上であった。
曰く『最低最悪な魔女』。『人の気持ちを解さない怪物』。『この世で唯一自分の思い通りにならない存在』……エトセトラ。アーデラはフランが戸惑うほどに師匠であるはずの魔女に対してのみ異様に口が悪く、その言葉に込められた感情は紛れもなく本心なのだろうと通話機を介していても悟れるほどであったが、しかし不思議と彼の耳にはその罵詈雑言が自慢話のようにも聞こえたのだった。
それ以来、学校長から通話機を譲られたフランは誰にも内容を語らないことを条件に度々アーデラと連絡を取り合っていた。と言ってもこちらからかけたのは学校長の訃報を伝えたのと、訪ねてきたセリアに頼まれてアーデラへ繋げた二回きり。それ以外は全て向こうからかかってくるのを待つばかりな上、話題も大半が『始原の魔女』のことに終始していた。だが通話の終わり際、彼女は決まってこう言うのだ──『学校長から聞いた話がまことであれば、エーテル君はいつか必ず魔女の目に留まるだろう』と。
それは本当だった、とフランは感動にも似たものを胸に覚えている。少ない荷物をまとめてアパートを引き払い、現在は王城に宿泊している彼は──まだ正式に雇用されていないので住み込みの扱いではない──引っ越しが済んだ時点でこのことを報告しようとしたのだが、生憎とアーデラには繋がらず。それから一度もかけ直されていないまま今に至る。忙しいのだろうかとうんともすんとも言わない通話機が気になりはする……しかし、それよりも自分のことだ。関わることはできても実際に目に留まるかどうかはこれから次第。
彼にしては強い意気込みを持って臨んだ面接の日。
それがまさか、こんなことになるとは夢にも思わなかった。
「準備はいいかー?」
三十メートル。ざっと測られたその距離を保って『始原の魔女』──憧れのイデアはそう問いかけてくる。それに思考を挟む余地もなく反射的に「は、はい!」と返しながらフランは再度自問する。何故こんな、憧れの人と戦う羽目になってしまったのか。
敵うなどとは露ほども思っていないし、そもそもイデアを攻撃するなんて考えられないことだ。無法者に対してもそれを躊躇う彼がどうして崇拝の対象へ矛を向けられようか。しかし、その蛮行を魔女当人が望むのであれば。攻撃を行えと断じて命じてくるのであればフランに否やはなかった。
やるしかないのだ。学校長とは何度となく実戦形式で訓練もした。それを行ったのは強くなるためというよりも力の扱いに慣れるためという意味合いが殆どを占めていたが、なんにせよ。他の魔法使いよりも律して制御が必要となる己の力を魔女は見たがっているのだ──ならば。
「や、やります!」
イデアがひらりと片手を上げたのを合図と見て、魔素を吸い、魔力を練る。魔力の内包量、出力量ともに優れていると誰からも認められていたロウネスの十倍近くを誇るそれを用いて、彼は攻めの一手目に無難な呪文を選択した。
「【マジックアロー】!」
三十の魔力矢が少年の周囲に形成、即座に発射される。その数も弾速も魔法使いの常識から大きく外れていることは語るに及ばず。見学人として勝負を見守るセリアとミザリィはこのとき既に深々と感嘆の息を漏らしていたが、どこを見ているか定かではないマニと、そして魔力矢の脅威に晒されている当のイデアに関して言えば、それを目にしてもまったく表情を変えていなかった。
「え……!?」
先行して到達した一射目の矢を、魔女がその手で無造作に掴んだ。そう見えたことにフランはまさかと我が目を疑ったが、残念なことにそれは決して見間違いなどではなかった。ぐるり、とイデアの嫋やかな指に包まれた魔力が渦巻くように瞬時に黒く染まり、爆ぜた。合計二十九の破片となって飛び散ったそれは飛来する残りの魔力矢へと正確に直撃し、相殺する。結果的にフランが放った規格外の【マジックアロー】は一発たりとも目標に命中することなくその役目を終えた。
「どんどん来ていいぞー」
「…………!」
思わず呆けていたフランは魔女からの催促で我に返った。そして──ゾクゾクとした悦びがその背筋を伝う。
なんという防ぎ方。座学の魔法理論でもセリアに劣らずの好成績を修めていた彼でもまったく理解のできない方法であるそれは、まさしく魔法使いとしての格の違いを思い知らされるに不足のないものであった。周りから規格外だと少なくない嫉妬混じりに称えられた自分。それがなんということもなくちっぽけなものに思える真の規格外がここに、目の前に立っている──しかしこの程度は『始原の魔女』が持つ実力のほんの一端、ですらないと。
彼女の静かで暗い夜を思わせる眼差しが告げている。
全力で魔法をぶつけても壊れない相手がいる。それがこんなにも嬉しいことだと、フランはこのとき初めて知った。
「【マジックキャノン】……!」
無難な一手などでは話にもならない。それでは魔女を満足させられない──そう理解した彼は魔力砲と称される中級呪文を次なる一手に選択。それは弾数と誘導性に優れる魔力矢をひとまとめにすることでその特性を捨て去り、爆発的な勢いで発射するようなもの。得られる利点は言わずもがな、無数の矢では実現の難しい重火力を求められることにある。
ドン!! と通常の魔力砲よりも遥かにけたたましい激音を立て、また発射までも恐ろしく短くその砲弾は撃ち出された。魔法式の形成速度においてもフランは一角以上である。ふんだんに魔力を注ぎ込みながらも完成にかかる時間までがこんなにも短い……これで威力増を優先するためにまだしも遅くなったほうだと知ればセリアは再び嘆息し、ミザリィは爪を噛むだろう。
これならどうかと攻撃の成果を確かめるフランの視線の先で、さしもの魔女も今度は魔力を掌で受け止めようとはせず、前腕で防御を図った。着弾と同時にその小さな体が押され──はしたがぐっと押しとどまり、腕が払われた。すると堅牢な城壁すら抜けるほど高威力の砲弾は簡単に弾かれ、セリアたちが控えているのとは反対側の地面へ激突。土埃が巻き上がる。しかし被害はそこだけでイデアの身は無傷。
「っ……、」
魔力による身体強化も行っていないようなのにどうやって、という疑問はあるがそこに必要以上に意識を割いたりはしない。自分はとにかく攻めるのみ。それしかない、と意思を断固なものとしているフランは既に追撃の用意を終えていた。
実際にはひしゃげた腕を瞬時に修復しているだけでしっかりと傷を負ってはいたイデアが、再び発射された魔力矢を見て片眉を上げた。魔力砲が単体では通用しないことを見越しての二連撃はいい。が、どうしてそれに今し方無力化されたばかりの呪文を選んでしまったのか?
とりあえず、先と同じ防ぎ方をしても芸がないので彼女は魔力を展開。そこに侵入したフランの魔力を片っ端から霧散させたところで、弾数が先ほどよりも少ないことに気が付く。さっき見せた三十発はフランの【マジックアロー】の最大火力かそれに準じたものではあるはず。なのにその半数以下で放たれたこれはおそらく──フランにとっての最低火力。つまりは最速で出せる単なる目晦ましである可能性が高い。
「おっと」
そう悟った瞬間、目前に迫る炎の渦。突き出されたフランの手から直線状に伸びたその暴威は、矢へ干渉するために広げた魔力を消し去りイデアへと直撃。その全身を飲み込んで猛火が荒れ狂った。
「【ファイアーストーム】……」
火属性の上級攻撃呪文。使える者がごく限られるこの呪文を十全以上の完成度で放てる十六歳は、世界広しと言えどそうは見つからないだろう。防御目的ではないとはいえ魔女の魔力を突破してみせたのがその何よりの証拠。当たった。撃った本人の手応え通り、激しく燃え盛る炎の中からそれを認める声がした。
「これは有効打でいいだろう。まずは『ひとつ目』だ」
ゴウッ、と風に散る火渦。フランは目を細めた──思った通り、命中したというのに火傷の痕どころか服すら焦げていないイデアの姿を見ながら、あと『ふたつ』。魔女から有効打を取らなければ彼女の臣下に認められないことを改めて思い出す。
そして彼はより多くの魔力を練り上げた。




