52.殺してしまうから
「次はフラン君ね」
「は、はい」
ちゃちゃっとミザリィの雇用を決めて本命である少年へと目を向ければ、彼もまたガチガチに固くなっているではないか。二人ともちょっと緊張しすぎじゃない? とは思ったけれど、そりゃ王の御前だものな。バイトの面接を受けるのとはわけが違うよねぇ。ミザリィと違って怯えている気配はないのでまだしもやりやすいが、ここは軽く雑談からでも入ってフラン君が素の自分を出せるようにしてあげたほうがいいのかな……?
「えーっと。その節は怖い目にあって大変だったみたいだね。元気そうに見えるけど、どう? それから調子のほうは」
「あ、は、はい。大変だったみたいです。でもあの、調子はぜんぜん悪くない、です」
優しい表情と口調を意識したのだが、俺が笑いかけるとフラン君のただでさえ赤かった頬がさらに赤味を増した。ノヴァみたいだなー、この白すぎて透き通るような肌の感じ。しかし顔の中心から染まるノヴァとは違って彼はほっぺが熱を持ちやすいらしい。こういう部分にも差異が出るのか、人体。少し面白い。
ともあれ、赤面症よりも気になるのがフラン君の返答である。『大変だったみたい』? なんだろう、この他人事な感想は。思わず首を傾げた俺に、フラン君は胸の前で両手の指同士を突かせながらたどたどしく話し始めた。
「あの、お、覚えてないんです。闇組織に連れ去られそうになっていたところを、セリアさんとマニさんが助けてくれたんですよね? でも、その。自分、戦闘を見て気を失ってしまったみたいで……ショックであの日何があったか忘れちゃったんです。お客さんが来たっていうのは覚えているんですけど、その後からの記憶が曖昧で……え、えへへ。臆病でごめんなさい……」
「謝ることはないけどさ」
しかしそうか、記憶喪失とはね。ちらりとセリアを見たが、彼女はしかつめらしく頷くだけ。どうやらフラン君は本当にあの日に何を目撃したか頭からすっぽりと消去してしまっているようだ。ショッキングな光景を目の当たりにしたとは知っていたけれど──だからこそ気遣いから入ったのだが──まさか彼の中でそれが「なかったこと」になっているとは驚いた。
自己防衛反応の顕著な例ではあるが、なるほど。仮にも魔法学校で戦闘訓練を受けていた身でありながら、多少グロテスクとはいえ人の死を目にした程度でこんなにもわかりやすく心因性の症状が出るとは、セリアの言っていた『極端に戦闘を好まない』という評価も納得である。確かにこれでは戦うどころの話ではなさそうだ。
助けてもらったことを覚えていないというのはやはりバツが悪いのか、俯きがちになったフラン君の指遊びは止まらない。なんだか見ているこちらが居たたまれないな……。まあ、危ういところを救ったというのは明確な恩に当たるものであるからして、それを実感してくれていないというのは俺としてもセリアとマニの頑張りがいくらか無駄になっているようで思う部分がないでもないが。
しかしそのことに対してフラン君本人も申し訳なさを感じているというのなら、ここで殊更に助けたことを強調したり、あるいは記憶に魔法でメスを入れたりといった行為の必要性は薄いだろう。それをすると廃人にしてしまう可能性も大いにあることだしね。
「忘れる必要があったというより、覚えておく必要がなかったのだと考えようか。ただし一応の確認はさせてもらいたい」
「は、はい」
「どうして君は戦おうとしなかったんだろう?」
「え……、」
「セリアから聞いているよ。フラン君は学校長から生徒の誰よりも目をかけられていて、賢者にも紹介されるほどで、その待遇に違わず成績も優秀だったと。そして君はセリアのように戦闘に不向きな性質を持っているわけでもない。……それだけ評価の高い魔法使いであれば仮に助けが来なかったとしてもやりようはあったんじゃないか? だけどマニの言では、君はまるで荷物のように男に抱えられたままろくに抵抗もしていなかったらしい。そこが俺にはどうしても気になってね。──ミザリィ」
「! はい!」
まさか自分に振られるとは思っていなかったのか、さっきまでの強張りもどこへやらゆったりと静観モードに入っていたミザリィ。完全に気を抜いていたようだが名を呼ばれたことで彼女はすぐにびしっと背筋を伸ばした。いや、何もそんな軍人みたいな気を付けの姿勢を取らなくてもいいんだけどさ。
「室内でのフラン君がどんな様子だったか確認したい。彼はそこでもされるがままだったのか?」
「それは……ええ、そうですね。戦うことを避けるというよりも、そもそも戦闘が視野に入っていないようでした、陛下」
「イデアでいい。つまりフラン君は、言われるがままにブローカーへ加入するところだったわけか」
「ではイデア様と。そしてその問いには否と答えさせていただきましょう、イデア様。フランフランフィーは脅されながらもなかなか首を縦に動かそうとはしませんでした。マニさんのノックがあった時点では陥落寸前でしたけれど……しかし五対一、見張りも含めれば八対一の状況でそれだけ粘れたのですから、その点は私にとって驚きでしたね。きっと彼はすぐにも泣き出し、こちらの言うことになんでも従うだろうと考えていましたので」
もちろんそれはそうするように自分とロウネスが仕向けたからだとミザリィは言った。万が一にもフラン君が暴れ出すことのないよう強くリーダーへ提言し、フルメンバーで勧誘(という名の誘拐)に臨ませたのだという。目の前に武闘派三人、背後に魔法使い二人という位置取りも予め決めていたもので、それだけブローカーは──というより元学友として彼をよく知っているミザリィとロウネスが──フラン君の爆発を警戒し、その可能性をなくすことに躍起になっていたということでもある。
想定以上の心の強さはあれど、危惧していた爆発もなく結局は自宅から運び出されることとなったフラン君だが、それに関しては周到に用意していたブローカー側が一枚上手だったのだ。として、ミザリィはそれとなく彼を庇っているつもりのようだ。ふむ。その友情は美しいが、やはり気になるな。
「つまりミザリィは、爆発さえ起これば彼がその状況も覆せた可能性があると?」
「──ええ、そうです。フランフランフィーに戦って勝てると思うほど、私もロウネスも自惚れてはいないもので。ですからそもそも戦闘を起こさせないために全力を注いだ訳です」
「ほお……だとすれば一段と妙だな。知っている者からそれだけ危険視される実力があって、一応は脅迫に対抗できるだけの胆力もあって。なのにマニに助けられるまで何もしなかったのはどういうわけだろうな、フラン君。ああ君もそんな顔をしないでくれよ。誤解を招きやすい質なのは自覚しているけど、どうにも人を追い詰めてしまう物言いが直らなくてね……まあそれはいいとして。最初の囲われた場ならともかく、連れ出されている途中なら君にも打つ手はあったはずでは? マニが武闘派のうち一人を引き付けたというし、その時点で君の敵は三人に減り、魔法使いもロウネス一人だけだ。こういう言い方は余計に君を傷付けるかもしれないがあえて言わせてもらう。──もしも君がそこで抗うことを選び、そして勝利できていれば。君の学友であるロウネスは死なずに済んだかもしれないぞ?」
「………………」
フラン君の顔がいくらか暗くなったように見えるのは、俯いていることだけが原因ではないだろう。その現場を忘れているためにこれもまた実感がないだろうが、そうだ。彼は人の死ではなく『知人の死』をその目に映している。何もせずにただそれを見ていたのだ。それが彼なりのどんな判断に基づくものなのか、あるいはなんの判断もできなかった結果なのか。俺はそこを明らかにしたいのである。
やがて、自らの長い沈黙に耐えられなくなったかのように指遊びをやめて両手をぎゅっと握り込んだ彼は、真っ直ぐに俺のことを見つめた。少し濡れているその碧眼にはなんとも言い難い感情が込められているようだった。
「ロウネスさんのことは……とても残念だと、思います。でも……そのときの自分が戦う選択をしなかったのは、間違っていたとは思いません。だって……もしも戦っていたとしても、結果は同じになるはずですから。つまりその、自分が戦えば彼らを、…………」
「彼らを?」
「こ──殺してしまうから……です」
またぞろ頬を赤らめて、口元を握った拳で隠しつつ上目遣いになって。まるで乙女が愛の告白でもしているみたいな表情で彼はそう言った。確かに俺はそう聞いた。
殺してしまうから、か。ほうほう。なるほどなるほど。──面白いじゃないか。
「戦闘になれば確実に死なせてしまう。それが嫌で君は暴れることに踏み切れなかったと、そういうことなのかな」
「そ、そうだと思います……知らない人だけならまだしも、いえ、それでもイヤですけど……でもロウネスさんとミザリィさんがいたからなおさら、そんなことはできなかったんだと思います……覚えていないので、推測でしかないですが……」
「君が君自身の心境を予測しているんだ、外野があれこれ言うよりはよほど信頼が持てるだろう。しかしまあ。いいね、君。まさに俺好みって感じだ」
「えっ……! あ、ありがとうございます」
「興味があるなぁ、その物騒な腕前。人を死なせてしまうのが嫌だというなら、どうかな。絶対に死なない奴を相手にちょっと試してみないか?」
「絶対に死なない……?」
「そ、俺のこと。腕試し……いっちょ戦ろうじゃないか、フラン君」




