43.くそったれ師匠へ
「それで、ステイラ公はなんだって?」
例の相談部屋に呼ばれた俺は、先に席について待っていたジョシュアの対面に座ってすぐそう訊ねた。このホテルとかのサロンっぽい部屋で膝を突き合わせるのがすっかり当たり前になったな……なんなら伝令を寄越さずにジョシュアが直接俺の泊まっている貴賓室を訪れてくれてもいいんだけど。でもそれだと押しかける形になっちゃうから向こうとしては気が引けるか。
恭しく紅茶を置いてくれた使用人の女性にありがとうを言ったところで、眉間に皺の寄ったジョシュアがお付きの男性に目をやった。すると彼はそっと進み出て、俺に一枚の紙を渡してきた。
「こちらになります、イデア様」
「これは……」
受け取りながら目をやれば、そこにはごく短い文章だけが書かれている。その内容を吟味する前にジョシュアがやや性急な調子で言った。
「見ての通りだ、イデア殿。ステイラという国からの新たな声明はあった。だがこれまでとは趣が違う」
「ふむ」
頷きつつ文言を読む。確かに、過激ながらも王から王への手紙という最低限の礼儀は守られていたこれまでの書簡とは異なり、そこに書かれているのは非常にシンプル。かつ、度を越えて物騒なものだった。
──『首を洗って待て』。それだけだ。
ふーん、なるほど……そういうパターンね。納得して手紙を置いた俺に、お付きの彼は少し震えている不安そうな声で質問してきた。
「そこにある文章の意味するところはやはり、イデア様が仰られたように……ステイラ公は陛下の暗殺に乗り出したということなのでしょうか!?」
──これは、なんと言えばわかりやすいかな。ちょっと考えた俺は、彼に答える前にジョシュアのほうへこちらから問い直した。
「どう思う?」
「……わからない。わからないのだ、イデア殿。現ステイラ公は以前にも説明した通り、野心的で手段を選ばない人物だ。しかしそれ故に体面には気を使っている印象があった。土地の占拠を巡る過去の因縁に関しても、何かしらの根拠があってのものだろうと考えたのはそういう一面を知っていたからだ。だが……そこに書かれた恐ろしい文章からはもはや野蛮さしか感じられない」
だから「わからない」か。この手紙を書いたのが本当にステイラ公なのか、是とも非とも決めきれずにただただ困惑していると。
まあ。野心家と言えば聞こえもいいが、躊躇いもなく──むしろ嬉々として──戦争を仕掛けてくるような男だ。振り切れてしまえばこういうことをしそうでもあるが、けれどこの礼儀も儀礼もあったものではない純度百パーセントの脅迫文を送るからには、さすがのステイラ公もその内に秘めたる野蛮性だけでは実行できないことだろう。なのでジョシュアの言は的を射ていると言える。
「俺の意見を言わせてもらうと、これはステイラ公自身の言葉ではないな。もっと言えばステイラ公国の言葉ですらないだろう。そしてそもそも宛先が違う。この王城に届いたものであってもジョシュアに向けられたものじゃあないんだ」
「な、なんと……? 送り主は確かにステイラのはずだが」
「はい、間違いございません。それに、首を洗って待てという文言は陛下に向けられた脅しだとしか思えませんが……」
特大の疑問符を顔に浮かべた王とその従者は、揃って俺を窺うように見てくる。そうだった。セリアには最後まで話したけど、確定しないうちはと思ってジョシュアたちには途中までしか説明していなかったんだった。
「いやほら、国王の暗殺にシフトするにしてもさ。そのための最大の障害は俺だろう? というより、俺があなたの傍に付いていたら絶対成功しない。それはいいか?」
「う、うむ。それはそうだろう。大変心強いことだ」
以前にも聞いたようなジョシュアからの返答に頷き「だったら」と俺は続ける。
「向こうとしてはまず障害を退かすところから始めないとな。幸いステイラ公には、兵力を失ってもまだ懐刀がある。あれだけの魔化を可能としたとびきり優秀な魔法使いがね」
「ではイデア殿は、こう考えているのか──差し向けられる暗殺者はその魔法使いであり、そして標的は私ではなくイデア殿であると」
「その通り」
ううむ、と唸るようにジョシュアは考え込んだ。
彼の中で魔法使いというのは日常のサポーターでしかない、というのはこの王城で過ごしているうちに明らかとなったことだ。まあ荒事に宮廷魔法使いを駆り出すような事態なんてまず起こらないしな。改革をするまでもなくセストバル王国は治安のいい国でもあることだし……新王国と違ってね。
とにかく、ジョシュアにとっては特殊な技能を備えている文官ぐらいの立ち位置である魔法使いが、他国に乗り込んで人の命を狙う図というのがどうしても想像しきれないのだろう。俺だってそれは魔法使いの冴えた使い方ではないと思う。だけども、やろうと思えばそういうこともできてしまうのが魔法使いの良いところだとも思う。
「無根拠で決めつけているわけじゃないよ。昨日までは俺の思う絵空事でしかなかったけれど、今日はもう違う。こいつが送られてきたからにはね」
「その手紙が貴殿の狙われる根拠になると?」
「ああ。おそらく敵方の魔法使いが志願したことでステイラ公も動かされたんだろう、というのが一個。そして何よりも、ここに込められた魔力でのメッセージが一個。間違いなく俺宛てだよ、これは」
「魔力だと──ま、待ってくれイデア殿。この城の魔法使いたちに検分させたところ、そういったものは検知されなかったと私は聞いているが……彼らがそれに気付かなかったというのか?」
「そう、気付かなかったんだ。ステイラの魔法使いはそれができる奴だってことさ」
「…………、」
ついに押し黙ってしまったジョシュアに、俺は不安がらせないように笑いかけた。
「怖がる必要はない。こちらにとっても予定通りなんだ。あなたのことも、そしてこの国も。俺が守ろう。何が来ようとそれは変わらないし、誰にも変えられない。俺がそうすると決めたからにはな」
「し、しかし……ステイラ公の懐刀だという魔法使いは、イデア殿にとっても油断ならない相手なのでは?」
私には魔法使いの戦いなどまるでわからないが、と付け加えるように言った彼に俺は肯定を返す。
「まさに。油断しちゃいけない相手だとこの手紙で確定したよ。だからまあ、戦う場所は考える必要があるかな……王城からは離れるつもりだからそこは安心してくれ。だけど、もしも民間人に被害が出たらごめん」
出さないようにはするけどさ。けれど何度も言うが物事に絶対はないのだ。相手がどう仕掛けてくるかもわからないのに誰一人も死なせないぜ、なんて確約は俺にはできない。場合によっては俺が殺してしまうかもしれないしね。なので先に謝っておく。ジョシュアはそれに難しい顔をしながらも、どうにか頷いた。
「無論だとも。私たちでは対処に困る事態を押し付けるのだからそのやり方にまで指示を付けるつもりはない……だがどうか、あつかましくも頼みたい。被害を防げないにしてもせめて最小限に留めるようにしてはくれまいか」
「努力させてもらうよ」
おそらく、ステイラ軍を消したときのあの光景がジョシュアの脳裏には浮かんでいるのだろう。同じものが市内で撃たれたらどうなるか、なんて考えるだけで良き王たる彼にとっては耐えがたいものなのだ。言うまでもなく俺だって城下街を無人の荒野にしようなどとは思っていない。もしも街中での戦闘を余儀なくされるのなら、使う魔法はかなり選ばないといけないな。
「それにしてもイデア殿。少し聞きたいのだが」
「なんだい、ジョシュア殿」
「魔力を用いたメッセージと言ったが、そこには貴殿に向けてなんと書かれていたのだ?」
「大したことじゃないよ、いや本当に。文章以上にシンプルな悪口だ」
「悪口?」
「ああ。『くそったれ師匠へ』とね」
手紙の裏面に付着し、文字のようになっているその魔力へもう一度目をやりながら、俺は思い出す。そうそう、あいつは口が悪かった。最初はお行儀がよかったのに、ある時期から努めて乱暴な口調を使うようになったのだ。それが俺のせいだというのはわかっているが、しかし可愛い弟子の可愛い反抗期がまだ続いているというのがどうにもおかしくて、つい笑ってしまう。
ふとジョシュアからの反応がないことに気付き顔を上げてみれば。彼とそのお付きは共にぽかんとしていた。
「……どうした?」
「ど、どうしたもこうも。貴殿を『師匠』と称すということは、ステイラに属する魔法使いとはまさか……?」
あ、そこに驚いていたのか。と理解して俺は頷く。
「まず間違いなく俺の弟子だね。三人いる内の一人だ」
「なんと……では貴殿の弟子は、師匠たる者を手にかけんとその手紙を寄越したと?」
「そこは別に不思議じゃないかな。恨まれている自覚はあるし、何がしたかったのかは知らないけれどあいつが手を貸している国の邪魔をしちゃったわけだし。ふふ、だからってくそったれ師匠はなかなかだけどさ」
「……随分と機嫌が良く見えるが。貴殿は己が弟子が敵に回ることをなんとも思わないのだろうか」
「まさか、なんとも思わないはずはない。師匠離れが嬉しい反面、ちょっぴり寂しいってところかな」
「そういうことではなく──いや。いい、忘れてくれ。私はイデア殿を相手にまた馬鹿な質問をしてしまったようだ」
少し疲れたように背もたれに体重を預けた彼に、俺も何も言わずにカップを口へ運んだ。
さてさて、我が弟子はどんな風にアプローチをかけてくれるのかな……?




