表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
38/277

38.蛍火

 魔法使いが好んでローブを着用するのには理由がある。それは実に単純明快で、汚れることへの対策に他ならない。


 とかく砂や埃を巻き上げて塵風となりがちな魔力風のせいで下手をすれば呪文を唱える度に衣服を駄目にしてしまう。それをどうにかしようと思い、しかし魔力風のほうを抑えることはできないとなれば、では着衣の上から風避けとなる物を羽織ろうと考えるのは当然の帰結であった。なるべく汚れが目立たず──つまりは暗めの色で──全身を覆えるアイテム。そう考えて求めた場合、最適解として『黒いローブ』に行き着くのは自然なことであったろう。こうして魔法使いの共通意識に存在する如何にもな魔法使いの像というアーキタイプは出来上がったのだ。


 とにかく魔法使いにはローブを普段使いする者が多い。しかし、この事実は意外なほど一般人には浸透していなかった。


 その原因は魔法使いの秘密主義にあるだろう。魔法使いはそうでない者に対し自分たちの情報をみだりに明かすことを好まない。魔法という未だ解明されていない未知だらけの分野にどっぷりと浸かっている彼らはそのことに誇りを持っているし、またそれ故に『未知』というものの神秘性──翻って知られていないことの価値、その優位性についても重々に理解が及んでいる。彼らに限らず外様に内部情報を漏らしたがるコミュニティなどまずもって存在しないものだが、魔法使いについては特にその傾向が強いと思えばいいだろう。


 加えて、当たり前のことだが魔法使い以外にもローブを着る人間は決して珍しくないこと。そして魔法使いの中にもローブを利用しないタイプの者がちらほらといること。つまり愛用者かそうでないかだけで魔法使いの正否を判断するのは不可能だというのも一方の原因である。


 ローブに頼らない魔法使いというのは、総じてプライドの高い彼らにしては珍しく身なりをまるで気にしない余程の変わり者かもしくは、魔力風が発生しない呪文しか使わない者かのどちらかであることが大半だ。魔力操作に伴って起こる局所的な空気の流れ。それに悩まされない呪文というものがどういう種類かと言えば、必要魔力量の少ない簡素な呪文類がひとつ。そしてもうひとつが、先にも述べた『無名呪文』の殆どもまたこれに該当している。


 この例に漏れず壁抜けの無名呪文を専門としているミザリィの服装もまた、自信のあるボディラインに張り付くような過度にセクシーな、けれど何よりも動きやすさにこそ重点の置かれていることが傍からもよくわかる出で立ちとなっている。ローブはかさばるしもたつく。運動の観点からはマイナスしかない。それを着込むのが習慣、というよりも慣習になっている王道タイプの魔法使いよりも優れた点がここにもあった──お洒落を楽しめる。もとい、咄嗟に素早く動けるという利点はとても大きなものだ、とミザリィは自分にはない才を持つ者たちへの多少の僻みも織り交ぜつつそう考えていた。


 セリアを一方的に組み敷いている現状こそがその証拠。魔法使いにしては動けるという己の優位を殺してしまわないよう、魔力による身体強化も王道タイプのように軽視せず相応以上に修練を積んできている彼女なので、セリアがどれだけ足掻こうともその喉にかかった腕が外れることはない。第三者が通りがかってこの絵面を見れば、とても魔法使い同士の戦闘場面だとは思わないだろう。が、どのみち魔法の撃ち合いなどやりたくてもできないミザリィにとっては戦闘や戦法のらしさ・・・などどうでもいいことであった。


「いくら魔法使いのしがちな服装が知られていないと言ったってねえ。聡かったり経験が豊富であればローブを着ている人間を見ると警戒するものよ。ちょっと名の通った闇組織ブローカーのメンバーでも──」


 と、再び床で伸びている男を一瞥してミザリィは続けた。


「この程度でしかないのは拍子抜けよね。とてもじゃないけど命を預ける仲間としては不足だわぁ。だから、ねえセリアちゃん。うちにはロウネスもいるし、フランフランフィーも引き込むところよ。ついでに貴女も加わらない? 魔法使いの比率を増やしてブローカーを乗っ取りましょうよ。今すぐにではないわ、新天地で始めるという事業が軌道に乗ってからがいいわね。それをそっくりそのまま私たちで引き継ぐの。本家の彼らはどうするか? それはまあ、潰すか埋めるかじゃないかしらね……うふふ。で、どう? 貴女も一枚噛んでくれる?」


 腕の中のセリアの反応を楽しみながらそう語ったミザリィは、横からじっと彼女の瞳を覗き込んだ。目だけで答えろと言われたことをセリアは思い出す。怯えた目をすれば同意となり、睨み付ければ拒絶となるのだろう。セリアの気持ちとしては勿論、ミザリィの青写真に加わる気など皆無だ。しかしそう素直に答えては途端に首にかかる圧力が強まりかねないこの状況。酸欠の瀬戸際で供給されているごく少量の酸素すらも吸えなくなったとき、セリアは失神し、なんの抵抗もできずに殺されてしまうだろう。


 否など返せるはずもない。ここは嘘でもいいから応と答えておくべきだ。そう決めるまでの彼女の逡巡はほんの一瞬。瞬きで霧消するような小さな迷いでしかなかった──だがしかし。元学友としてセリアのことをよく存じているミザリィに対しその誤魔化しは通用しなかった。


「ぅぐっ……!?」


「ごめんなさいね……わかっていたのよセリアちゃん。馬鹿みたいに正直な貴女がこんな話に乗りたがるはずもないことは。勧誘できれば駒としては優秀だし、ロウネスやフランフランフィーも喜ぶだろうと思ったから一応誘ってはみたけれど。やっぱり貴女は賢くても馬鹿よね。生殺与奪を握られているんだから、もっと心の底から私に媚びた目をしなきゃダメじゃない」


 全身で壁に押し付け、喉の締め付けをキツくしていく。一気に終わらせようとしないのはミザリィの個人的な恨みがあってのものだった。


 なに、多少遊んでも構うまい。死にかけで魔法式を構築できる者などいないのだ。ましてやさっきから酸素不足に陥っているセリアには尚のこと反抗の芽など出ない。魔力の強化幅でも自分には劣っているので、もはやこの体勢から抜け出すのは不可能。であれば、せっかくの機会だ。ここで嗜虐心を満たしておかないと後々悔やむことになってしまう。


「この際だから言うけれど。私、貴女のことが大嫌いだったわ。それだけの才能があって、学校長からも贔屓されて。若くて容姿にまで恵まれていて──なのに、攻撃系統の魔法と相性が悪い。たったそれだけのことで自分には才能がないって顔して落ち込んで。こんなに腹立たしいことがある? 貴女の使える呪文のひとつも私には使えないのに? 無名呪文の使い手がどう思うかなんてまったく考えないのよね。貴女に才能がないなら、貴女に劣る私はなんなの? 魔法使いを名乗るなってことかしら?」


「……ッ、……」


 そんなことは言っていないし思ってもいない、と。そう言葉にできたとしても意味はなかっただろう。当時のセリアの態度からミザリィ自身がそう告げられていると受け取ってしまったからには、もはや後からなんと言おうとその屈辱は変わらない。変えようがない。


 ひとつの呪文しか覚えない者を魔法使いと呼んでいいのか。無名呪文の使い手を愚弄するようなその議題は魔法界隈に昔から蔓延っていたものだ。現代でこそそういった偏見の論を公の場で語る者は少なくなったが、論調自体は未だに根強く残っている。


 無名呪文しか覚えられない魔法使いはいつの時代もマイノリティであり、本人らにも名称呪文の使い手に対する否定できない劣等感がある。そういった環境が余計に口さがない者の後を絶たなくさせていたし、より強い憎しみとなってミザリィの心を焦がしていた。


 彼女にとって募った憎しみを向けるべき象徴が、他ならぬこのセリアだったのだ。


「セリア・バーンドゥ。鼻持ちならないその傲慢さが、貴女自身を殺すのだとよくよく理解して死になさい」


「──ッ、」


 そこで。強く押し付けられて碌に動かせなかった手が、ようやくローブの内に仕舞っているそれに届いた。いよいよ意識が遠のきかけたところ、セリアは一縷の望みに縋って魔力を練り上げる。一瞬の、一動作だ。それさえできれば。そこで僅かにでもミザリィを上回れば、それでいい。


 命を振り絞るつもりで肉体に活力を与える……!


「なっ……?!」


 ともすれば酸素以上に魔素を取り込むことを優先していたセリアの策は一か八かの賭けにも等しかったが、ギリギリのタイミングで彼女はそれに勝った。喉を締めるミザリィの腕の拘束を左手で緩めつつ、壁から離れるように体で押し返す。そうして空いたスペースで、彼女は掴んだそれを素早く取り出して背後へ回す。ぴたりと照準・・が合わさったのはミザリィの右脇腹だった。見えてはいない。だが密着しているために狙いを合わせる必要もない。ただ引き金を引くだけで確実に当たる──。


「あァッ!?」 


 ドンドン! という重く響く二度の破裂音。


 否、それは『発砲音』だった。


 セリアの手にある物がなんなのかもわからぬままに衝撃を食らったミザリィはみっともなく床を転げることになったが、今ばかりは恰好になど気を使う余裕はなかった。身体強化があってもそれはあまりにも激痛に過ぎたからだ。


 実戦形式の講義で受けた【マジックアロー】の衝撃に似ているが、しかし威力はあれ以上。いったい何をされた? 腹の内にまで響く鈍痛に唾を散らしながらも立ち上がろうとした彼女だが、それが叶わない。多少は動けると言っても元々彼女は耐久性に優れたタイプではない。どうしても脚に力が入り切らず、倒れたままで顔だけを上げれば。


「な──なんなのよ、それは」


 解放された喉を片手で押さえながら激しく咳き込むセリアと、その反対の手にしかと握り締められている物体に目がいった。形状は、茶髪が場所を問わずに持ち歩いている小型のクロスボウを思わせる。だがあれよりもコンパクトで、そして矢をつがえるための機構が備わっていないように見えた。だが確かに、そこから何かが飛び出した。自分はそれにやられてこんな無様を晒しているのだ。


「ハァ、ハァ……これは」


 浮かんだ疑問のまま思わず訊ねたものの答えなど期待していなかったミザリィに、されどセリアは呼吸に忙しなくしながらも律義に応じた。


「つい先日に主人より餞別として頂いた、私専用の……銃型杖『蛍火ファイアフライ』です」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ