235.魔神
「ぐっ……!」
先に動き、引き離しても。あっという間に追いつかれてしまう。理想領域内を天使以上に自由自在に行き来できるようになっている自分を単純な速度だけで追い越していくのだから堪らない。魔力防御の上から浴びた拳に脊髄をへし折られ、危うく墜落しかけたとこを再生能力を最大まで高めることで意識と高度を維持。落ちることを予測して放たれたであろう蹴撃をむしろ上昇することで躱し、そして反転。
「行け、我が神力の魔力よ!」
周囲を構成する高次魔力を従え、引き寄せ、共に攻勢に出る。先行させた第一陣が予想通り軽い殴打の一発で霧散したところへ第二陣と同時に自分も飛び込む。拳に最大威力の大因業、『神業』を乗せてぶつけた──が、少女は魔力も大因業も楽々と受け止めてしまった。それに動揺する暇もなくその身体から噴き上がる力の脈動。常に彼女から巻き起こっている魔力風がいきなりその勢いを増し、高次魔力もオレクテムも大きく弾き飛ばされた。
「なんっ、という……!」
魔力風という自然現象だけで今の自分を弄ぶとは。ここまでくれば悔しさなど湧かず、ひたすらに感心するのみだった。あまりに強すぎる。何かしらの不具合を疑わずにはいられないほど成長したイデアは異次元の強さにある。その証拠となるのが。
「………」
無造作に横へ向けられた腕。成長に合わせてこちらも大きくなった黒いボイラースーツの袖に包まれたしなやかなイデアの右腕が、これまた無造作に振るわれた。発生する魔力の空帯。魔法式を介するでもなくただ雑然と動かされただけの魔力の塊──攻撃とも呼べないようなそれが、しかしオレクテムにとっては脅威そのものとなり。
「っちぃ──がはッ?!」
自前の魔力防御。のみならず高次魔力をかき集めて目の前に壁を作った、その瞬間に壁は打ち砕かれて魔力帯がオレクテムに激突。フルスイングのバットに打たれたボールのように彼は高く宙を舞った。
(なんという──なんという力かっ、イデア! 策を、他の命を、大いなる使命感を! 注ぎくべて費やし手に入れたこの神となるべき私を、君はただ一人で軽々と上回っていくのだな……!)
戦闘開始の当初とは異なり、今の彼は常時魔力防御を全開とし。その上でエイドスへの干渉権を活かした高次魔力の盾も活用しているところだ。手酷いダメージを負った二十四重の呪式魔化にも世界そのものを落としてくる魔力輪にも。今ならば無傷で対処できると、そう言い切ってしまえるだけの防御力がある──はずなのに、それらと比しても。先ほどまでのイデアの奥義とも呼べるそれらの攻撃よりも、現在のイデアの一挙手一投足が……ただの一打や挙動で起こす魔力の流れのほうが遥かに強力。
それだけ革新的な、飛躍的に過ぎるパワーアップをイデアは果たしたということだ。
自らの血に染まる真っ赤な視野にエイドスの空を映しながらオレクテムは痛みを、イデアの力によって刻まれたあらゆるものを噛み締めて味わいながら考える。
(私にもできないか……?)
疑似的な高次魔力の出力。記録活動に役立てるよう魔法を扱うためにオルトーより与えられた機能は画期的ながらに個性というものがなく、故にオレクテムは魔力特性というものを持たない。なんの味付けも不純物もない真水のようなもので、それをどれだけ煮詰めようともそもそも濃度がゼロではどうしようもない──つまり彼は魔力領域の会得が不可能。イデアのように、単に魔力体へ変身するだけでなく領域と一体となることで異常な出力を常態化させるような真似はできない。
しかしそもそもの話。二重領域からの融合領域、そして魔力化からの領域化。なんということもなくイデアが行っている技術の全てが魔法の極致の更に奥にあるまさに神業。神成を志す身なれどそんなものを気軽に真似られるわけがない……仮に魔力特性を持ち合わせていたとてそっくりそのままを写し取ることなどできなかったろう。
天賦の才と狂気。それらを併せ持った異常者が日夜魔法のことばかりを考えて考えて考え尽くして、調べて調べて調べ尽くして、その果てに得られた技量で成り立つ奇跡の軌跡が今のイデア。そんな彼女へ深く敬意を払うからこそオレクテムは容易にその技量を模倣しようとは、したいとも思わなかった。だが。
そんなイデアですらも「一人ではない」と認めたのだ。孤独に身を置くことをなんとも思わずとも、それでも他者との繋がりに価値を見出しているらしい彼女のその姿勢は、翻って自分にも当て嵌められるものではなかろうか?
(彼女は言った。私からも成長のための起因を得たと、確かにそう言ったのだ。ならば──私もまた、君からそれを得られるのが道理なのではないか?)
まるで矛盾のようだが、不変に至るためには変化が必要となる。それも何度となく劇的で、後戻りのできないような多大にして偉大なる変化が。多くのものをその糧としてきたがこれ以上のものはないように思える。天使を取り込んだ今だから、イデアが頂きに達したこの瞬間だから。自分にも彼女から得られるものが必ずあるはずであり──。
「イデアぁ!」
「!」
再生。流れ出ていた血も止まり、ぐしゃぐしゃになっていた全身も元通りとし、オレクテムは五体投地の如く空の只中にて両手足を大きく広げた。そのあまりの無防備に追撃のため追いかけてきていたイデアも思わず足と拳を止めたが、オレクテムはたとえそのまま殴られていようと何も気にせずにこうして言葉を続けていただろう。
「私に領域は作れない──だがしかし! 自ら望めずとも私には理想領域がある! 父が遺してくれた最後の遺産たる、この天上の領域が! そして三天使を取り込んだ我が身体は、君よりも余程に神の地へ馴染み、意のままとできるだろう!」
「……、」
「お察しの通りだとも、やり方は君が見せてくれた。じっくりと、たっぷりと私の目の前で丁寧に教えてくれたのだ──やってみせようじゃないか。領域との一体化を、私もまた!」
異変が始まる……否、もう始まっている。陽が落ちて空陰り、星の巡りに風が行き惑う。引き寄せられていく。エイドスの全てがオレクテムを中心に、そこに強大な引力に似た何かが生まれて壊れてまた生まれて──ボンッと急に彼の腕が破裂寸前の風船のように膨れ上がった。続いて胴も、反対の腕も、両脚も頭も。余すところなく肥大し、また肥大し、更に肥大し。あっという間にオレクテムは元の背丈とは比べ物にならない巨人と化した。
「おぉ……っ、んぐ……ああぁッはぁああああぁ……」
巨大な怪物が呻き蠢き息を吐く。天に向けて上ったその息は雨雲となり、何度目かの日の出に輝く空を見渡す限りに埋め尽くした。──オレクテムは見る影もない。全身を黒々と染め上げ、まるで彼自身が雨雲で出来た幻影のように。人でもなければ神でもないその出で立ちで、しかしイデアを見下ろす彼はそれに満足しているようであった。
「その姿は……」
「──魔神だ」
「なんだって?」
「今だけは神ではなく魔神を名乗ろう。これぞ私が見るべき景色。素晴らしい全能感だよイデア……『エイドスと一体となった』。これでもう、君の望みは何があろうとも叶わないわけだ」
くつくつと。巨大な喉で、しわがれた低い音を出すオレクテムにイデアは無言で眉をひそめた。その様にますますオレクテムは愉快そうにする。
「感じるだろう? 自分が真に異物となった感覚。流石に父の器なりし領域、まだ完全に掌握こそしきれていないが、それも時間の問題だ。三天使を支配下としたようにやがてエイドスも私のためだけのものになる。とまれ……それを待たずとももはや私の勝利は揺るがないがね」
「ふうん。そう思うのか」
「信じられないか? 信じたくない、が正しいか。ならば君の得意な実証といこうじゃないか──そら、力比べをしてみよう」
一瞬で。イデアの意識の隙間を読み取り、そこに巨腕のはたき落としを差し込んだオレクテム。それをイデアは無意識化の認識で読み取り防御を間に合わせた。『神孔体』となっている彼女に隙間と言えるだけの思考の切り替わり時間は生じないようだとオレクテムは気付きを得て──それがどうした、と構わず最後まで腕を振り抜いた。上から下への単なる張り手。なんの工夫もないそれを止め切れずに押しやられて地上付近でようやく止まったイデアに、遥か上空から夕立のように笑い声が振り落ちてくる。
「は、は、は。まるで立場が逆転してしまったねイデア。防御を成立させるだけ見事だが、これで証明されたろう? 魔神となった私に、エイドスそのものを取り込んだ私に、その身ひとつの君が敵うことなどあり得ないのだ」
「ふーむ。確かにパワーじゃ敵いそうにない。神孔体よりもエイドスの後押しのほうが標準は上か……ちょっとショック。と共に、嬉しくもあるね。もうすぐかと思うと年甲斐もなくワクワクしてきたよ」
「──?」
「ああ、こっちの話だから気にしなくていい。そうだね、ひとまずは。実証をもっと突き詰めていこうじゃないか──標準値としての力はそちらの勝ちでいいが、では最高出力ならどうかな?」
「諦めの悪いことだ。いいとも、君が何もかもにおいて敗北を認めるまで。私の手で徹底的に痛めつけてやろう──」
飛び上がったイデアに、オレクテムは再び巨大な掌を打ち付けた。




