233.育った俺はお嫌いか?
魔力大因業を握り潰し。同時に融合領域との融合を完了させたイデアの姿を一目見て、オレクテムはそれが勘違いでなかったことを知った──確実に大きくなっている。いや、というよりも。『育っている』。その言い方が正しかろう。
増した身長。すらりと伸びた手足。肩口にも届かなかったショートヘア―は腰まで到達し、美しい黒を靡かせている。あどけなさばかりが目立っていた顔立ちにも変化があり、今や少女は今までの少女でなく。少女が一人の立派な女性にならんとする直前の、ごく短い一瞬。その時間を切り取ったような出で立ちとなっていた。
見知らぬ容姿へ変貌したイデアを上から下までオレクテムはつぶさに、じっくりと観察する。だがその些か不躾な視線も気にならないほど、イデアもまた自分自身を驚いたように見ていた。
「この体付き。年齢的にはレイトティーンってところか……? これは、自分でも意外なことだが。だけど部分的には納得できもする──」
理論は完成していたし、工程の触りだけは実践済みで、成功を確信してはいたが。しかし成功の形がこれだとは思いもよらなかった。単体ではほぼ使い物にならない『虚孔』は勿論、『完孔』もそれを開いたからといってオレクテムを相手にはなんの優位ともならない。ここにきて自身が編み出した領域という技術がまったくの力不足に陥っていることに気付いたイデアが、故に試作したのが二重領域。その先の融合領域、並びにそれと自身との一体化も、全てがオレクテムに対抗するための秘策として用意されたものだ。
「お前に勝つために。俺は俺という存在の枷を壊す必要があった。キーワードは『成長』だな……オルトーに造られ、与えられた性能限界。それを打ち破るための手段なんだからこうなるのは当然とも言える。あいつが欲しがった永遠の少女性。不変の象徴として生み出された天使がそこから抜け出すのであれば少女性の喪失──即ち肉体の物理的成長。それが促進されるのも頷ける話だ」
「自らの手で神の施したプログラムを書き換えたということか。そんなことが……」
神に近しい自分であればともかく。天使当人にそんな真似ができるものなのか──こればかりは彼女に魔法的技量がいくらあろうといまいち腑に落ちない事象だった。どんなに技術を磨いても変化には程遠く、そしてイデアは一人だ。神成のために欲した人材を全て吸収し終えてまさしく劇的な変化を遂げた己とは違い、彼女にはそこに至れるだけの起因すらもないはずなのに……。
ふ、とイデアは微笑む。あどけなさよりも艶やかさが、可愛さよりも美しさが勝るようになった笑みを向けて、オレクテムの疑問に答える。
「アビスのおかげだな。殆ど使えなかった変身系の魔法、その苦手意識を取っ払てくれた。あいつが高次魔力に化けたのを見て思い付いたのがこれだ。そしてそれだけじゃない──魔女の皆が提示してくれた、俺では見つけられなかった領域という技術の様々な可能性。その刺激と模倣があったからこそ融合領域というものを実現できた。わかるか、オレクテム。俺は一人じゃない。お前のように即物的もなければ俗物的でもないが、確かに他の誰かから力を貰っている。成長の起因を得ているんだよ」
アビスや魔女のように直接的な影響を与えた者たちだけではない。五百年以上も黒い森に引きこもり、人との接触を必要最小限に留めていた彼女にとって、久方ぶりの出会いの連続はとても新鮮で貴重に思えるものだった。自分を人情的などとは間違っても称せないイデアだが、しかし目的と暇潰しのためだけに生きてきた長い時間は彼女の心に確かな飢えをもたらした。満たされなさがあったからこそ。一人でいつまでも生きていられる完結した彼女だからこそ──人との触れ合いが、頼られることが、何かを救い、何かを見捨てることさえも。
殊更に楽しいと思えるようになっていた。
「吸収ならしているさ。欲しい人材から、なんてちっぽけな範囲じゃない。関わった者たち全てから俺は何かしらを得ている。お前だって例外じゃないよオレクテム。今この瞬間の俺を構成する要素には、確かにお前がくれたものも含まれているんだ。成長っていうのはそういうものだろ?」
「聞きたくなかったな……よりにもよって君の口からそんな綺麗事は」
「おや。熱烈なラブコールをくれた割にはつれないね。育った俺はお嫌いかな?」
「嫌いではないさ。どんな君でもね」
ただし見損なったし、見直しもした。旧態の神の使い。天使としての彼女を欲した身ではあるが、けれど天使という枠組みに甘んじない彼女だからこそ欲しいとも思ったのだ。根幹たる不変すらも捨ててこそのイデア。自分を目覚めさせた特別な個。
「オーゼムの気持ちが今ならわかる気がするな。なるほど、寂しいね。愛した存在があっさりと自己定義を捨て去ってしまうことは。まるで自分まで否定されたような思いがする……だがそれも受け入れよう。神は厳格ながらも懐深くあらねばならない。無為に命を生み、慈しみ、我が身を滅ぼす殺意にすら愛を向けたオルトーのように。私もかくあるべきだろう。考えてみれば神殺しとなったその時既に、君は天使ではなくなったとも言えるのだから──イデア。変わり続ける君を不変となった私が愛そうではないか」
「『天使ではなくなった』。そうか、つまり俺は。まだオルトーに縛られているつもりだったのか。はは、生みの親は偉大だな。とうに手にかけておきながら。異物と自覚していながらこの身体の所有権があいつにあると頭のどこかで思っていたんだな。俺の持ち主は俺だけだと何度も自分に言い聞かせて……だけどようやく。枷も鎖も重石もなくなった。今一度名乗らせてもらおうか」
「名乗る?」
「──天使ならぬ身となった俺こそが『始原の魔女』。世に言う伝説の魔女の一人であるとね」
「ふ……いいだろう、魔女イデア。神の後継オレクテムが君を誅し、そして赦しを与えん」
「できるものならご自由に」
静かに一歩を踏み出したイデアに対してオレクテムは魔力を練った。通常の魔法使いのそれとは練度も規模も違うその行為は、ただそれだけで魔力風による破壊を周囲の大地へと刻み付ける。しかしてここで起こる風もそれに削られる地表も全ては高次魔力で形成された実体にしてまやかし。突風も瞬間にそよぎ、傷跡もなだらかに。理想領域には終わりがない──この地に終焉があるのはイデアとオレクテム、ただ二人のみ。
「融合領域を取り込み手足を伸ばしても。君の特性が変わったわけではあるまい──依然として再生阻止が致命であり、また君の姉妹を余さず取り込んだ私のほうが! この神の地への干渉権は上だ……!」
「ぬ、ぐ……、」
再び大地を、加えて大気も操りイデアを上下から挟み込む。かかる圧力の凄まじさは言うに及ばず、それに耐えられるだけ大したものだが、勿論オレクテムの本命はここからだ。
放つは魔力大因業。種別は天至。発生点は肉体内部に置く。即座に起動。再生阻止が盛り込まれたその回避不能の破壊を──イデアはなんということもなく避けた。天地からの圧などないもののように、発生点など置き去れて当たり前だというように。
「なっ……んだと」
「干渉が早く、広い。確かに恐ろしい操作規模だね。天使三体分の優越は伊達ではない……ふむ。あまり好きじゃあないが、今回ばかりは仕方ないか。撃ち合いよりも殴り合いのほうが遥かにスムーズに事が運びそうだものな」
「事を、運ぶ……? いったい何を言っている?」
「何って、そんなの決まりきっているじゃないか。魔法使い同士の戦いなんてどこまでいっても──やることは『リソースの削り合い』だろ?」
飛び込んでくるイデアを、オレクテムは目視できなかった。辛うじて魔力の動きを把握し防御態勢を取ったものの。振るわれた拳は止まることなく彼を打ち抜き、吹き飛ばした。
「ガッ……?!」
なんという力か。魔力による身体強化、などという魔法使いでなくともやっているようなそれとはまるでレベルが違う。停止しようと試みてもなお、山岳を貫いてなお止まらない自身の体に殴られた以上の衝撃を感じながらオレクテムは視線を動かす。イデアが追ってきている。追撃を行うつもりなのだろう。なんとも容赦のないことだが、けれど今こそが好機。真っ直ぐにこちらへ向かってきている彼女になら反撃も容易い──。
「魔力大因業・郡田」
多数広範囲に魔力反発を撒く技。それの発生点をある程度密集させてイデアと、彼女の進路上に重ねる。郡田は数を優先する都合上神業はもちろん天至にも劣る威力しか持たないが、それでも足を止めさせるには充分過ぎるものがある。たった一発でも魔女はおろか天使だって殺せる。それを無数に浴びれば魔力体となったイデアであっても耐えられるはずがない。
動きを鈍らせた後に神業と天至を連続で撃ち込む、というオレクテムのセットアップは。
「馬鹿な──、」
脆くも初手から瓦解する。郡田を余すことなく受けながら、それでも構わず。肉体のどこも壊されずに突き進んでくるイデアに驚き、目を見張り。直後に腹へ蹴りを叩き込まれたことで神の目がもっと大きく見開かれ──そして激しく墜落。魔力の荒野へと突っ込み巨大なクレーターを設けた。
「か、ッは……!」
揺れる視界と思考は果たして痛みによるものか、それとも。




