232.神孔
それにオレクテムは深く眉根へ皺を刻んだ。
「理想領域内に『完孔』を……? そんなことをしてなんの意味が」
完孔とはエイドスから高次魔力を引き出すための『完全なる穴』を指して名付けられたイデアの魔力領域。しかしてそんなものが必要なのは、イデアの活動場所が実存世界であるからだ。エイドスを戦いの舞台としている今、彼女は好きなだけこの世界を形作っている魔力を操れる──穴などいらない。というよりも、そもそもその穴が『どこ』へ通じているのかオレクテムにはわからなかった。
「『虚孔』まで用いるか。……ますます訳がわからないな」
完孔を圧縮し、ぎゅっと小さく纏めあげたものが虚孔……のはず。それは魔力を引き出す機能こそ失ったが吸い上げる機能が強化され、その過程でどんな物体もバラバラに分解する凶悪無比の攻撃魔法だ。造りを同じくしながらも完孔とは用途がまったく違う。だがそれもエイドス内ではどこからどこへ吸い上げるのかまったく理解不能の代物だと言っていい。
どうやって、なんのために。二重の魔力領域という技術それ自体よりも、ここでそれらを発動させる意味がまるで読み取れない──少女の足掻きを見届けるつもりでいた彼は今日初めて心からの戸惑いを覚えた。それを受けて、少女のほうは。
「矛盾している、と思うだろう? だが矛盾を成り立たせるのが魔法だ」
「……、」
「エイドスに穴を空け、穴の先もまたエイドス。ああ、あり得ないことだよ。そのあり得ないことを実現させるために新たな可能性が生まれる。お前が理想領域を戦場に選んでくれたのは僥倖だったな。初めはちょいと不安でもあったが、だけどやはり生まれ故郷ゆえにか。この地の空気は俺によく馴染んでくれる……受け入れてくれる。だからこうすることもできる」
イデアの伸ばされた左腕が上に向けられる。するとそれに追従するように腕の先にあった真っ黒な球体。虚孔が彼女の頭上へと移動し、震え出す。
「見えるか? まるでメビウスの輪のように俺の手の中で延々と循環するエイドス。ここからが初披露の技術だ。即ち──『完孔』と『虚孔』の合体」
オレクテムの目は確かにそれを捉えた。イデアの制圧空間とも呼べる大きな穴、完孔。その輪郭もまたやにわに震え出し、あたかも虚孔と溶けあうように。互いにその境界を曖昧にしていく様を。
「二重領域、ではなく。融合領域だと……!?」
元の領域と、領域を生まれ変わらせて別の性質を持たせた亜領域を融合させる──そんなことが可能なのか。いや、考えるまでもないことだ。既存の魔法理論からどれだけ外れたものでもイデアなら。『始原の魔女』にならなんだってできてしまうだろう。彼女には神のよりましたる自分にも引けを取らない技量と、それを遺憾なく発揮させるだけの発想力と探求心がある。
無垢なるまでの興味への傾倒。常識では考えられない二十四重の呪式魔化然り、他者の技術も貪欲に吸収するその姿勢然り。オレクテムは世の異端であり異物であり異分子である彼女生来の特異性以上に、その飽くなさこそが最大の異常であると。父から引き継いだ記憶と合わさって誰よりも、魔女たちよりも弟子たちよりも理解しているつもりでいたが。
だとしてもなおこれは──あまりにも。
「『神孔』。お前を倒すために編み出したものだからな……少々大袈裟にそう名付けさせてもらおうか」
もはや出来上がったその物体がなんなのか、どういった働きをするのかは特殊な視界を持つオレクテムにもさっぱり見通せなかった。判明しているのはただひとつ、イデアの頭上にあるどす黒い真球がもはや完孔とも虚孔とも掠りもしない、まったく新たな役割を持った『兵器』であるということだけである。
「エイドスという果てのない魔力。それを完孔の無限循環の輪の中に閉じ込め、虚孔で蓋をした。矛盾を乗り越えた先にある掛け合わさったメビウスを魔法式で現実に持ってきた──そうして生まれた神孔は無限を形にしたようなものだ。一個に完成している以上は真の無限じゃあないが、少なくともそれに限りなく近い。数え切れないだけの数字ならどっちみち同じようなものだしな。無量大数だろうと不可説不可説転だろうと……いやまあ、言葉遊びの域であっても『それ』が欲しいなら妥協すべきじゃないとは思うけれど、とにかくここが一旦の区切りだ」
聞かせるつもりがあるのかないのか。オレクテムのリアクションを窺うこともなく独り言のように呟くイデア。しかし、無限の概念。そのワードによって少女の求めるものがなんなのか。辿り着きたい場所がどこなのか、オレクテムにもなんとなく掴めてきた。
「無限にして全ての魔力、魔法の源。この広大なりしエイドスを丸ごと自分の物にしようと。己だけが使うに許される物としてしまおうと、君は企んでいるわけだね。ひょっとしてそれなのか? かつて君が神殺しを成したその理由とは──まさしく簒奪。神の片割れと言ってもいい天上の世界を、神の所有物でなくさせるための手段でしかなかったのか」
「ああ……そうか、そうだね。それもまた理由のひとつだ。どちらかと言えばそちらは後からついてきた理由だけど、確かにその頃から俺はエイドスを欲していた。だから間違いじゃあない。──だけど意外だな、まだ神殺し云々に疑問点があるのか。オルトーの記憶を辿れば大方なんだって知れそうなものなのに」
「そうでもないさ。私だって何もかもを読めるわけじゃあないんだ。当時に何があったか、オルトーの認識として実感することはできても彼がそのときどう思ったか、彼の記憶の中の君が何を考えているか。そこまでは受け継がれていないのでね。故に推測しか立てられず、思い至るにも時間がかかってしまったよ。素材を欲したのも、弟子を育てたのも、今なお技術を求め続けることも。全ては理想領域を我が物とするための行為だったのだな」
謝る必要がある、と彼は至極残念そうに言った。反対にイデアはからからと笑い、どうしてまたと軽い調子で訊ねた。
「その夢を叶えてやれないからだ。私の君臨はイグジスでこそ行われるが、だからとてエイドスを君にくれてやることはできない──本当は配下の希望ひとつくらい訳もなく聞いてやりたいところなのだが、流石に。イグジスに降り注ぐ魔素の源にして高次魔力の出力源たるこの世界を君だけの物とするには無理がある」
今や自身で生み出す疑似的な高次魔力に頼るだけでなく、エイドスとの繋がりを持つこともできているオレクテムだ。彼にとってもイグジスを包み込むこの世界は『神力』の維持に重要かつ不可欠なものとなっている。いかに愛しきイデアの望みであってもこればかりは認めてやるわけにはいかない。なんとも可哀想なことではあるが──。
「私の悲願の達成により、君の悲願は破れることになる。元より君の意思を曲げるつもりでいたのだから今更そこを悔やみはしないが……だが、謝罪はしておこう。これより永劫に仕えさせる主人としての誠意だと思ってほしい。創造主を下してまで成し遂げたかったその夢の代わりとなるだけの幸福を、イデア。私が君へ贈ることを約束する」
「代わりになるだけの幸福ね……そんなもの想像もつかないな」
「今はそうだろう。しかし私が頂きに届けば意見も変わろう──そのためにまずは君に敗北というものを教えてやらねばな。さあ。遠慮なくそれをぶつけてくるといい」
「ん……はは、虚孔みたいに直接こいつをどうこうすると思ったか。それでも魔化砲と違って威力は充分だろうが、そりゃ少しばかり勿体ない使い方だよ」
「ほう? では作り上げたその擬似無限魔力をどうするというのかな」
「こうするんだ」
その言葉と共に神孔が落ちた。そうして真下のイデアと重なったと思えば──またしても変異が始まる。しかし今度のそれは先の領域同士の融合とは決定的に異なっていて。
「これは。自分自身と領域の融合──ハ、まったく。君はどこまでも私の心を躍らせてくれるな……!」
もはや可能か否かなど思考を濁らせることはしない。さしものイデアであっても魔力暴発を起こして終わりだ、という己が魔法的感覚など当然のように無視されるに違いない。人の身よりも遥かに変形が難しい天使の肉体であっても魔力化──その更に極致とも言える『領域化』を、この少女なら必ず果たす。ならば。
「結果どうなるのか。それも大いに気になりはするが、しかしその無防備をただ放っておくのでは甘やかしが過ぎるとも思うのでね。空気を読まずに攻撃させてもらうよ」
今まさに何かしらの変貌を遂げようとしているイデアへ、その身体を包み込む融合領域ごと消し炭にせんとオレクテムは魔力を収束。
「魔力大因業・天至」
撃ち出す。防御不能の発生点を作らずに射出したのは融合領域内が認識外の空間として対象から外れていたからだ。魔力越しとはいえ視界に捉えていながらこんなことは初めてだったが、オレクテムは特に動揺するでもなく再生阻止の天至を用意。そして身動きが取れないらしいイデアへとそれはしかと命中し──彼は目を疑った。
「天使特効の大因業を……受け止めた?」
融合領域からまるで殻を破るようにして突き出た少女の掌が、大因業の破壊の全てをそこだけで殺し切っていた。しかも、心なしか。記憶にある少女の腕よりも『大きくなっている』ような──?




