220.『不定』のシアンズ
イデアたちが奥の通路へと進み、神徒と魔女が一人ずつとなったその空間で。ただならぬ緊張感を漂わせながら睨み合っていた両者だが──いきなりヤウコブがへらへらと笑い出したことでティアラは眉根を寄せた。
「は? なに笑ってんのよ」
「いやあ、ちょいと呆れちまってさ」
「呆れる……?」
意味がわからず困惑する少女へ、ヤウコブは片手で二本の剣を持って片方を自由にした。とんでもない隙を晒しているが彼はこの瞬間に襲われるとは微塵も考えていない様子であり、またティアラもまったくその素振りを見せなかった。顔見知りと立ち話にでも興じるような気軽さでヤウコブは掌を広げて見せた──いや、彼が見せたかったのは指のほうであるようで。
「五人。だったよな? ちゃんと数えはしなかったけど間違いねえ、五人でこの部屋に来た……ってことは、だ。七人で『神成の宮』に乗り込んだと聞いているからよ、ここに来るまでたった二人しか置いてきてねえってわけだよな」
「そうね。それが何?」
神徒が詰める部屋ひとつにつき一人残してきた。そしてここでもまた一人、自分が残った。それがイデアが先へ進むための神徒側から提案された条件であり、同時に会談側にとっても好都合な内容であるためきっちりと遵守されている。簡単な理屈の簡単な計算だ。今更そんなことがどうかしたのかと訝しむティアラへ、ヤウコブは言った。
「イヤイヤ、どう考えたってそんなのヤベえだろ? たった一人で戦わせてるとか正気を疑うぜ──ミロアナは反則級の能力を持ってるし、マリリンは四天王最強の男だぜ? 自殺志願ならともかくおたくら俺たちに勝ちに来てんだよな。だったら戦力の割り振りはもう少し真面目に考えるべきだったろうよ」
そもそも七人という数が少なすぎる。その時点で勝利など論外だと思うヤウコブであったが、そこに目を瞑るとしても馬鹿正直に一箇所につき一人ずつ残していくなどあり得ない。オレクテムからの要望はイデアを先に進ませることだが、それを無視してでも全員総出で神徒を攻略していくほうが会談にとってまだ有利に事が運んだだろう。というより、当然にそういった手に出てくるはずだとヤウコブは予想していたのだが、それが良くも悪くも大外れした。だから彼は愉快で仕方がないのだ。
「そちらさんも矜持ってやつかい? 旧支配者としてのさ。オレクテムの用意したゲームに真っ向から勝たなきゃ勝利じゃねえとか言っちゃうタイプ……なんだとしたら、すげえ意外だ。そういう美学が会談にあるとは思ってなかったもんでな」
「馬鹿を仰い、そんなこといちいちグダグダ考えたりしないわよ。形式に乗ろうが乗るまいが勝つのは私たち。単にそれだけのことだわ──そしてもうひとつ訂正する箇所がある」
「あん? 訂正?」
「旧支配者……もう勝った気でいるからそんな言葉が出てくるんでしょうけど、ちゃんちゃら可笑しいわね。私たちこそが現支配者。これからもずっとそうよ。あんたら如きが成り代われるなどと自惚れるのはやめておきなさい。とても恥ずかしくって笑えもしないから」
「かっか、いいキレっぷりじゃねえの。残ってくれたのがお前さんでよかったぜ、あん中じゃ一番楽しく戦れそうだ──俺ぁ一対一もウェルカム! とことんまで激しく殺し合おうぜ、魔女!」
湾曲した刀剣を両の手に持ち直してまるでボクサーのようにステップを踏むヤウコブ。彼もまた他の神徒と似たような服装をしているが、はだけられた上着もズボンも丈が短く切り詰められており見るからに動きやすそうな調整が施されている。先の身軽さを思い返しても彼の戦闘スタイルは明らかだった──故にティアラも全身に粒子魔力を纏い、初めから『天嵐拳』を発動させる。
「いいわよ『熾烈』。『至宝』の力を存分に味わわせてあげる」
「へへ、そいつぁありがてぇ──なっと!」
跳躍。高い天井に頭が触れそうになるほど高く跳んだヤウコブが回転しながら自身目掛けて落ちてくる。刃のついたコマと化した彼を、迎え撃つか躱すか。あの勢いに爆打をぶつけても威力が削がれることは必至。そう考えたティアラは飛び退くことで落下攻撃をやり過ごし、床に激突して止まったところを狙い撃たんとした。だが。
「甘い甘い!」
「ッ!?」
激突の直前、身体を開いたヤウコブは著しく速度を落としてふわりと着地。と同時に再び強く地を蹴って真横へ跳弾。タイミングをズラされたティアラは咄嗟に身体前面の粒子を濃くして身を守ったが、その曲がった刃の重みを完全に消し去ることはできなかった。
それは例えるなら防弾チョッキ越しに浴びた弾丸。魔力防御を貫いた衝撃がティアラの肩口に痛みと薄っすらとした切れ痕を残す。寸詰りの刀身からは想像もつかない重量のある一撃に顔をしかめながらも、しかしティアラの行動はもう次へと移っていた。
「甘いのは──あんたもよッ!」
「ぬぉっ……!?」
食らった衝撃を利用して。あたかもヤウコブが先ほど見せた爆風に乗る芸当をやり返すように体を後ろへ流したティアラの手が、通り過ぎようとしていた彼に追いつき──触れ、そして爆破。こちらも予想外のタイミングで攻撃を浴びたことで爆風を今度はまともに食らい、ヤウコブは地面を転がった。
「──面白ぇ!」
「──そっちもね!」
一拍の間もなく共に立ち上がり、攻めに転じる。どちらもダメージを感じさせない動きで再び切り結んだ両者は、至近距離で口角を上げて歯を見せ合う。それはまるで凶暴な肉食獣同士が牙を剥き合っているような光景だった。
「燃えよ宝玉……!」
「おっとぉ!?」
ふたつの刃を力任せに弾き、大きく振り被ったティアラの拳には粒子の凝固体である輝かしき宝玉が乗る。素人同然の大仰なフォーム、ながらに天嵐拳による加速を経てその殴打は回避不能の速攻に仕上がっていた。当たる。ヒットよりも先に得られた手応えが──ふっと消失した。
「はぁっ?!」
「残念、こっちだぜ!」
「なんですって──っぐゥ!」
目の前で無防備を晒していたはずの男を、見失った。爆ぜた宝玉、その貫通力を伴った爆破が行き場をなくして無為に炸裂するのを嘲笑うように背後からの声。そして痛み──十字の軌道で切り裂かれた背中が焼けるように熱を持つが、それより遥かに熱気を帯びているのがティアラの内心であった。
「あんたっ、いつの間に……!」
「いつの間に? そりゃあ今この瞬間に決まってんだろ? ひょっとして……俺の動きが見えなかったのかい、至宝の魔女さんよ」
「……っ、」
返す言葉もなく歯噛みすること。それは正直な肯定に他ならない──「へはっ」とヤウコブは刀剣を逆手に持ち直して笑った。
「だったらお前さんにゃ万に一つも! 俺に敵う道理なんざねえなぁ!」
一歩で間を詰め、そして回る。人間大の嵐と化したヤウコブの連続斬りには間断というものがなく、またどんどんとその速度を増していく。粒子を上乗せさせた両腕によるガードとパリングで凌がんとするティアラだったが、爆破を用いても対応が追い付かない。ヤウコブの斬撃は鋭利に過ぎた──何せ爆炎と爆風までも斬り伏せてしまうのだから!
「おぅらよっ!」
「ッぎ……、またかっ!」
またしても。連綿とした白兵の最中だというのに、ヤウコブの挙動を見失った。呆気に取られるよりも早く白刃がティアラの失態を咎め、両の拳の皮膚が深々と裂けて血が噴き出す。近接戦における重要部位を傷物にされた。それもマズいが、しかしそんなことよりも余程に困るのが。
(このとんでもない手数に加えて妙な手品まで使ってくる……厄介なんてもんじゃないわね。こういう手合いとは離れて大技の撃ち合いに持ち込むのがセオリーだってのはわかってるけど──)
しかしヤウコブは常に距離を離さない。自分の間合いの外に敵が出て行くことを良しとしないのだ。それを徹底するだけの身体技能がこの男にはある。少なくとも魔女の中ではディータに並んで格闘戦に強い自負を持つティアラが、自身が下であると素直に認められる程度には確かな技量が──で、あるならば。
「『禍星天撃』!」
切り札のお披露目といこう。この日のために用意した、ディータを実験台に仕上げた新にして真の必殺技。体全体から捻出され打ち上がった巨大な宝玉がギラリと光り、形を変え、立ちどころに増えていく。瞬きのうちに信じられないだけの増殖を果たしたそれにヤウコブも思わず攻撃の手を止めて引き攣った笑みを浮かべた。
「おいおい、なんだってんだこりゃ……?」
「誉れに震えなさいヤウコブ。至宝の魔女の全力を魅せてあげる」
上にも横にも奥行にも。いたずらなまでに広く立派に過ぎる体積を誇る第三の間が、ティアラたった一人に──否。七千七百七十八人のティアラに所狭しと埋め尽くされた。
「宣言するわ──今からあんたは! この最高に美しき魔女ティアラに! 手も足も出ずに敗北する!」
「へっ……こりゃあいいな、まさに最高だ。やっぱお前さんは面白ぇ!」
──切り刻んでやる!
──吹っ飛びなさい!
群れなす一個と斬撃の嵐が激突した。
◇◇◇
「第四の間を預かっている『不定』。名をシアンズと言う……はあ」
名乗ることすら億劫そうに。あるいはどこか怯えているようにも見える覇気のなさで、イデアとも三弟子とも視線を合わせることなく俯きながら。四天王最後の男はぽつぽつと言葉を続けた。
「まだこんなに人数がいるのか……ついていないな。だが仕方ない、オレクテムからのお達しだ。そこの三人はここに残れ──なるべく安らかに死なせてやる」




