210.私の本質は
多種多様な防衛魔法の組み合わせた結界によって守られている天空議場──オレクテムの離反に合わせて難攻不落の要塞と化したそこへ己が意識を飛ばすために苦心すること数時間、その究極的難題を単身でクリアし、無事に魔女たちへメッセージを伝えることができたオーゼムはすぐに肉体と意識を同期させて帰還。少なからぬ達成感を胸に身を起こした彼が最初に目にしたのは……呑気にカードゲームへ興じる仲間たちの姿だった。
「おっ、戻ってきたかオーゼム。お疲れさーん。ぃよっし、ツーペアだ! ブタ回避!」
「阿呆めが。揃ったことを口に出してはポーカーにならんだろう」
「然り。お前は役を覚える前にゲームの趣旨を理解しろ」
「というか四人でやるものなのかこれは……全然手札が良くならないんだが」
「苦労してきた仲間の出迎えがこれかぁ。泣けてくるや」
少年は重く疲労が残る心体に喝を入れてベッドから降り、「ん~っ」と伸びをする。その口調とは裏腹に特に悲しむ様子もなく、わいわいと(口論で)盛り上がっているテーブルを彼はさらっとスルーした。いま用があるのはこの四人ではなく、部屋の奥に一人で沈黙している人物──
「お帰り、オーゼム」
オレクテムだ。椅子に深く腰掛けた彼はここではないどこか遠くを見ているような、まるで目を開いたままに眠っているような、とにかくひどくぼんやりとした様であったが。しかしきちんとオーゼムの帰還に気が付いていたようで、その口元に微笑を浮かべながら「ご苦労だったね」と少年を労った。
「なんと言われた?」
オレクテムを含め、まずもってメッセージを伝えることができたのかどうか。その前提を誰も確かめようとしない辺りが信頼されている証拠だ。そこにある確かな絆を心地良く思いながらオーゼムは頷く。
「ふたつ返事、ってわけじゃあなかったけど。でも案外と軽くOKを貰えたね。日付もこちらの指定通りになった」
「それは重畳」
「だけどオレクテム。たったの十日ばかしでホントに良かったの? 追加で二体も取り込んだんだ、調整にはもっと時間が必要なんじゃ……」
どくん、と響いた鼓動が言葉を遮った。それはオレクテムの体内から鳴ったもの。彼の裡で起こっている変質と、それに順応するための力の胎動である。オーゼムはただそこに座しているだけの主人から発せられる得も言われぬ迫力に、思わずごくりと唾を飲み込んだ。然もあらん、神の守護天使を計三体もその身に取り込んでいるのだから変化は如実である──たじろぐ相棒に、オレクテムは微笑に深みを持たせて答えた。
「心配しなくていい、オーゼム。アビスのとき以上に馴染むまでに時間が要ることは確かだが、だとしても。私が完成するにはあと五日もあれば充分に間に合うとも。十日という期限はむしろ『魔女会談』のためのもの──否、イデアに贈った餞別のようなものだよ」
「それも、前に言ってた『悔いを残させたくない』ってやつ?」
「その通りだ。僅かなりとも勝利の可能性があったなどとは思ってほしくないからね……万全に備え万端に構え、それでも叩きのめされたと。己には微塵の勝ち目もなかったのだと理解させねばイデアの反抗心という名の牙は折れてくれない」
全ての手練手管を弄し、持ち得る手段の遍くを用い、神殺しの天使としての異様と威容を存分に発揮させた上で──それを真っ向から踏み潰す。そういった勝ち方をしなければあのイデアのこと、一時は敗北を認めても虎視眈々と狙い続けるだろう。再びの神からの解脱、再度の神殺しを、彼女は必ずやり遂げんとする。
「面従腹背などご免被る。イデアには、我が神徒たち。君らと同じように心から私を愛し敬愛し鍾愛してもらいたいのだ。付け足した五日分はそのための前払いさ」
「はっははは、やっばし余裕じゃねーかオレクテム」
「然り。しかし今のあなたからはその余裕に相応しいだけの格を感じる」
「ああ、まさに神。既にそうと名乗ってもいいくらいのものだぞ、これは」
「名乗るだけなら誰にでもできる。それを世界に認めさせてこその君臨だ──そうだろう、オレクテムよ」
彼らの間で何かしら決着がついたのか、ゲームの札を机へ放ってそう仰ぐ配下たちに主人は「そうとも」と鷹揚の仕草で肯定を示した。
「私はまだ創造主を名乗らない。あくまでもよりまし、人の身である。この力を掌握し、拡充し、満ち足りて後にイデアを従え。そこで初めて神に成ったのだと自身を認めよう」
その日までゆるりと待つ。そう告げるオレクテムの居住まいからは掌握を待つまでもなく神威が溢れているように見えてならず、神徒たちはその気高さに武者震いする。我らが主人はこうまでも高みに至り、そして最高へと届かんとしている。そんな彼の手足として永久に仕えられるのがどれほどの幸せか──。
「すぐに思い知るだろう。魔女に支配されたこの世界も」
「そしてイデアもな」
「然り。見初められたのならオレクテムの傍らこそが彼女の居場所」
「なんなりと言ってくれオレクテム。お前がどう言おうと俺たちにとってお前は神なのだ──五百年の前から、とうに」
「ありがとう、皆。だが言ったように決戦の日はこれより十日後。私は精神統一に費やすつもりだが君らはその間自由だ。相互不可侵が結ばれた以上、もはや人目をはばかる必要もない。せっかくだ、やがて私たちの物になる世界を見て回ればいい。西方以外の地は久々だろう?」
主人からの優しい提案に、神徒としての堅苦しい趣を捨て去って顔を綻ばせる男たち。「名案だ」とそれに早速乗っかったのは彼らの中でも一等に調子の軽いヤウコブだった。
「どーせすることもないんだから目一杯楽しもうぜ。どうだミロアナ、超有名だっていう帝都の劇場でオペラでも鑑賞してみないか。一度はやってみたいと憧れてたんだよなー、そういう洒落た時間を過ごすことを!」
「然り、賛同する。……だが金がない」
「そんなの通りすがりの裕福そうなのからちょちょいとくすねちまえばいいぜ。金は天下の回りものって言葉もあるだろ? 大事に懐に仕舞わせとくよりもパーッと使っちまったほうが世のため人のためってもんだ」
「成程、承った。盗るのは俺がやろう」
「いやいや、どこになるほどと言える要素があったのさ……」
「オーゼム、お前はどうする? 俺とシアンズはマーケットに出向くつもりだが」
「国際市場とまで呼ばれる世界最大の市況市。とても興味がある……残念なことに俺たちも金はないが、良ければ一緒にどうだ?」
「んーと……お誘いは嬉しいけど遠慮しとくよ。ボクはボクでぶらぶらとそこら辺を回るからさ、気にせず楽しんできて」
「そうか」
シアンズに続いてのしのしと部屋を出ていくマリリンの大きな背中を見送り、それから「ふう」とオーゼムは息を吐いた。その背後では笑みを保ったまま物言わぬオレクテムがいる。少年は振り返ることなく主人へ──自らの片割れへと話しかけた。
「オレクテム、なんだよね?」
「──……、」
僅かな緊張を孕んで投げかけられた、その問い。重量のある感情が敷き詰められた時間が彼らの間を通り過ぎ……やがてオーゼムの耳にはふっと小さく漏れた吐息の音が届いた。それはオレクテムの笑い声。
「不思議な質問だねオーゼム。勿論私は私だとも。他の誰でもなく、私こそが君の友。オレクテムに相違ない──だというのに、何が不安なんだい?」
「使命は重い。そのために得る力もだ。……ボクの知るオレクテムは不変じゃない」
「そうだね。それもまた必要なことだ」
未だ神ならぬ彼は『変わりゆく者』である。不変の域に到達しておらず、それを目指して絶え間なく変異していくのがオレクテムという存在だ。補助具であり、賢者であり、神の子であり、次代の神である彼は、しかしどんなにその肩書きを変えようとも、神徒にとってオレクテムがオレクテムであること。それだけは決して変わりなかった。
今までは、そう思えたのに。
「あいつらはそれでもいいみたいだけど。あんまりにも変わられちゃボクは寂しいよ」
変異が大きい。新たに得た力がどういったものかを思えばそれは当然のことでもあったが、その変わり様を目の当たりとしてしまえば言及は避けられなかった──果たして君は君のままであるのか、と。
「安心するといい、オーゼム。どんなに変わったように見えても私の本質は補助具だ。神をなくし行き場をなくした使われぬ道具……逃れ得ぬはずの立場から逃れたイデア同様、脱げぬはずの殻を破ったその時こそが本当の変化であり、そしてそれが私最後の変貌となる」
それまでのあらゆる変化など些末なものだよ、と。配下の抱く動揺や寂寥が的外れなものだと彼は一笑に付す。オーゼムがいったい何を不安がっているのか、そこにある本心にはついぞ気付かず、気付こうともせず。それすら些末と笑うオレクテムに少年もまた笑みを返した──底抜けに明るく、しかしどこか弱々しい笑顔を。
「そっか、そうだね。そうだよね。馬鹿なこと言っちゃってごめんねオレクテム。こんなのわかりきったことだったのに」
「謝る必要はないさ。心のままに感じたことを口にするのは何も悪くない。どんなに小さくとも君に不安を覚えさせた私にこそ非がある……こんな主人を許してくれるかい、オーゼム」
「はは……いいよ、許してあげる。寛大なボクに感謝しろよー?」
「ふふ。言われるまでもなく、いつでも君たちには深く感謝しているとも。心からね」
両者穏やかに、朗らからに。なんということもない一幕として会話をしながら、だがその間にもずっとオーゼムには聞こえていた。どくん、どくんと激しく鳴り続け、変異し続けるオレクテム。その存在が今まさに遥か高みへ、自分の手の届かない場所へ行こうとしている……。
それはきっと素晴らしいことなのだと。そう少年は胸に蓋することを選んだ。




