201.胎児
当初の予定では。リーナが妊娠した機には、彼女共々お腹の子にもちょっとした細工をして実験を行うつもりでいたのだ。無論母子の安全には最大限考慮した上でね。リーナは濃度の高い黒葉を大量かつ恒常的に摂取している身であり、そんな人物が出産するというのは言うまでもなく初めての事例なものだから、俺としては色々と試したいことがあったのだ。恋人ができたと知ったときにそれを計画して楽しみにしていたというのに、ほんのちょっと目を離している隙に──メギスティンへの潜入を始めてからはほとんど彼女と会えなかったもので──あっという間に妊娠、そして三ヵ月目へ突入していた。お手上げである。
先日に確かめたが手を加えるにはもう遅い。育ち過ぎている。今やってもそれはアーデラたちに施した先天拡張と何も変わらず、新しい試みとはならない。命の芽吹きと同時に改造を行うというのであれば遅くとも着床から一ヵ月以内、できれば一週間以内が望ましい。しかしハウスキーパーとして寝食を共にしているアルフですら兆候に気が付いたのは二ヵ月を過ぎてから。あの一流執事ですらそうなのだから多くても月に一度程度しか顔を合わさない俺が彼女の妊娠に誰より早く勘付くなど土台無理な話。どうしても立ちどころに知りたければリーナの子宮内にマーキングでもしておく必要があるが、それは失礼だろうからとさすがに自重した。その結果が計画の頓挫なのでなんとも言い難いところではあるが、けれど、丸っきり失敗というわけでもなさそうだと今になって認識を改めた。
俺に触れられて喜んでいる、というのはリーナの思い違いなどではない。確かにこの子は反応している。この俺と、俺の魔力に。魔力探知を自然と実行しているのだ。言うまでもなく胎児でこれはあり得ない……こんなことはアーデラやフラン君といった破格の才能持ちであっても間違いなく不可能だ。魔力を操るに最重要となる脳すらもまだちゃんと形になっていない時点で探知を行うというのは、それほどに通常なら考えられないことである。
単に魔素や魔力を内包するだけであれば多かれ少なかれ動植物も行っている自然的な行為ではあるがそれ以上となると……例えば俺が作成した黒樹も半自動的に魔力を探ったりもするが、それはあくまで俺がそうするように命じた場合だ。思考も意思もなく魔力操作は実現しない。しかしながら現にこうして夢現も定かでない存在が俺を魔力越しにしかと認知しているのだから、面白い。
「多少なりとも胎盤から君の感情に影響されてはいるんだろうが、だけど確実にこの子自身が俺に気付いているね。これは、小さくてわかりにくいが腕なのかな? こっちに伸ばしてきているよ」
「まあ。うふふ、まだお腹の中にいてもお世話になった人がわかるのですね」
「そうなのか」
オーリオ領の土壌を復活させて人を集めたこと。これがなければ旦那となる人物との出会いもなく、この子が世に生を受けることもなかったわけだから、俺がリーナのみならずこの子にとっても恩人であるという言い方も確かにできはしようが。しかしそれよりもやはり、直接的に作用しているのは与えた黒葉を置いて他にはないだろう。
リーナの健康状況が劇的に改善されたことから彼女が俺の魔力(の出涸らしだが)に適合していることは疑うまでもなく、聞けば旦那も移り住んできてからは毎日のように黒葉茶を飲んでいるというし、最近ではレシピを開発して料理にまで使っているらしい。そして妊娠後もその食生活は変わっていないので、へその緒を通じてこの子もモリモリと俺の魔力を栄養としていることになる。まだ三ヵ月目なのに俺にだけ顕著に反応するのもおそらくそれが原因だと思われる。
ひょっとすると自分が育っている魔力の源(つまり俺)を第三の親のように認識している可能性もある……だとすればちょっとだけリーナ夫妻に悪い気がしないでもないが、俺からすれば非常に興味深い現象だ。
「欲しくなってくるな……」
「え?」
「いや、なんでもない。リーナはこの子を次期領主としたいんだよね?」
「男の子でも女の子でもそうするつもりですわ。勿論、本人が別の道を望むのであれば弟や妹に譲らせますが」
「おや、もう二人目三人目を考えているのか。それこそ気の早いことじゃないかな」
お恥ずかしいです、とリーナはますます顔を赤らめた。いやまあ、健康的でいいことだとは思うけどね。危惧している通りこの子が必ずしも領主になるのを受け入れてくれるとも限らないのだし、スペアの用意は考えておくべきだ。ただし子は親の背を見て育つとも言う。反発する可能性と同程度にはリーナに望まれるがまま家督を継ぐ可能性もあるわけで、強いて言うならそちらのほうにこそ傾きやすいだろう。基本、親の期待に子供は応えたがるものだからね。そうなったとしたら俺からすると少しばかり残念だが、けれど何も足元に縛り付けておく必要もあるまい。
放し飼いでも俺の手の届く範囲にいてくれたらそれで充分だ。
「この子がどんな成長をしてくれるのか、俺も俄然楽しみになったよ」
「生まれたら是非ともお手に抱いていただけますか? きっと喜ぶと思います」
「言われるまでもなく飛んでくるさ。この子のためならね」
ところで、と先日に聞きそびれていたことを訊ねてみる。
「名前のほうはについては? まだ考え中かな」
「実は決めかねているところです。街のお医者様には性別がわかるのはもう少し先だと言われたので、男の子のも女の子のもいくつか候補を考えたのですがこれといってしっくりくるものがなくて……そうだ! 良ければこの機にイデア様が名付けていただけませんか?」
「え、俺が名付け親に? それはいくらなんでも……君も旦那さんも自分たちで決めたいだろう?」
「そんなことはありません。誉れ高き伝説の住人から名付けていただけるならそれが何よりの栄光ですわ、イデア様。私たちにとっても、そしてこの子にとっても。どうかお願いできませんか?」
うーむ、そうまで言われたらとても断れやしない。面映いことではあるが俺が決めるとしよう……人様の子だ、変な名前にはできないので結構な責任を感じたものの、しかし候補自体はすっと頭に浮かんできた。
「男ならアッシュ。女ならリネット。で、どうかな?」
「アッシュ。リネット。……ええ、とても素晴らしい名だと思いますわ。ありがとうございますイデア様」
まるで子供の明るい未来が確約されたような、心の底から嬉しそうな笑顔をリーナが見せる。こちらとしてもこの先、リーナもその子供も無下にするつもりなど毛頭ないけれど。だがこうも無防備に信じ切られてしまうとなんとなくばつが悪くもある。
そりゃもちろん大恩ある人物を疑ってかかれというほうが無茶というものだろうが、土壌の復活はリーナのためというより亡きモロウの母に向けて行ったこと。彼女が名領主として働けるようになったのはあくまで副次効果というか、ついでに付いてきたおまけのようなものでしかない。俺自身そこまで手間をかけたわけでもないし、あまり過度に感謝され続けても困ってしまう。
リーナはあらゆる意味でのテストケースを担う貴重な人員。そういう意味でも妄信的な信奉者にはなってほしくはないのだが……ま、敬いはあっても一応友人だとも思ってくれているようだし、今はそれで満足しておくとしようか。
「それじゃ俺はここらで」
国王である俺に気を使ってか先ほどから領民たちはこちらを遠巻きに眺めるだけで近づいてこようとしない。そろそろリーナの独り占めをやめようか、とその場を離れようとしたところを本人に引き留められた。
「イデア様、明日のご予定は?」
「明日? 急にどうしたんだい」
「オーリオ領を含めこの地帯では名のある人物の挙式の翌日にもう一度パーティーを行う風習があるのです。と言っても格式ばったものではなく、皆で手を取り合って歌ったり踊ったり、ちょっとしたお祭りのような催しなのですが。不況もあって長らくうちの領では見られなかったそれを復活させようと思い至りまして」
今日参加できなかった人たちも呼んで、いくつもの村の総出で本物の祭りのように盛り上げたいのだとリーナは言う。なるほど素晴らしいアイディアだ。何かにつけ領に活気を与えようとする彼女の努力と執念には脱帽である──その一助となるために俺も顔を出してあげたいところではあるが、生憎とそれは叶わず。
「すまないリーナ、明日は外せない用が先に入っていてね。時間を作ることはできそうにないんだ」
「そんな、謝るのはおよしになってくださいイデア様。今日来ていただけただけでも本来は望外のことですから。これ以上我儘を言ってはいい加減に罰が当たってしまいます」
と謙虚に言いつつもリーナは、城を空にしてまで結婚式に参加するほどフットワークの軽い王の言う『外せない用』というのがいったいなんなのか気になっている様子だったので、ある程度内情を教えておく。彼女になら問題ないと判断してのことだ。
「『魔女会談』絡みでちょっとね」
「イデア様と同じく伝説の魔女の皆様方と、何かなさるのですか?」
俺が──つまり『始原の魔女』が会談の一員として本格的に活動を始める、という報せはとっくに新王国や東方の国々のみならず大陸中にまで広まりきっている。当然にリーナの理解も早いもので、俺は「その通り」と頷く。
「皆で一緒に西方まで出かけるのさ」
「西方ですか……私にはそこにどんな国があるのかすらもわかりませんわ」
「俺もあまりよく知らないんだけどね。でもまあやることはピクニックのようなものだから西方の知識の有無なんてそれほど関係ないんだ」
ピクニック、と少し意外そうにしながらもリーナは微笑ましげに言った。
「魔女様でもそういうことをなさるのですね。ふふ、とても楽しそう」
「いやあ、きっと楽しくはならないだろうね。むしろ高確率でその逆になるよ」
オレクテムとその仲間たちが見つかるにしろ、見つからないにしろ。どちらであっても今日みたいな良き日にはならないだろうさ──。




