193.最終段階
「「「……!」」」
普段使いの簡易領域ではなく、完全なる魔力領域を師が広げた。その意味を悟れない者は弟子にはいない。戦慄と共に表情を険しくさせる三人へ、しかしそうさせた張本人だけは至って朗らかな調子で言った。
「最終段階だ。ここからは俺もアクセルを踏む。この状態の俺を一度でも斃す、あるいは充分に耐えられることができたなら。そのときは三人とも合格ラインに達していると判断してもいいだろう」
小規模ながらにイデアと同質の『穴』から大量に高次魔力を引き出し続けている三弟子。彼女らによって充満しつつある魔素と、遠からず起こるであろう魔力の滞留。その双方を『完孔』によって解消しながらイデアは笑った。
「よし。これでしばらくは滞留も偏向も心配しなくていい──というわけで追加開門だ」
イデアを包む高密度の高次魔力、その上から更に魔力が覆被さった。二重の魔力領域! 簡易領域をやっとのことで使用している弟子たちからすればもはや慮外なまでの魔法。一帯から生じるあまりの圧に、直接触れているわけでもないのに体が重くなり息も苦しくなっていく。それだけでも一人で領域を重ね合わせるということがどれほどの高等技法であるかは明らかであった。
「魔力領域は場を支配することで自分有利の空間に仕立てる魔法。重ねようと重ねまいとその効力が変わることはなく、攻撃魔法や防御魔法みたいに二重化させる意味はほぼない。まあ、多層構造にすればそれだけ相手の脱出が困難になるんだから『深淵領域』みたいに閉じ込めることを目的とした領域なら別だけど。そうじゃない俺の『始原領域』だと特別な恩恵なんてないわけだ。──ただしそれは、完孔を完孔のままに使うことに拘るならばの話」
「──まさか、師匠」
師の口振りからひとつの推測が立ったアーデラは、けれど流石に。如何に理性的な狂人たる己が師匠であってもここであれは持ち出すまいと、そう淡く希望をかけたのだが──「そのまさかさ」とイデアは彼女の儚い願望を容赦なく打ち砕いた。
「領域縮小。『虚孔』開門」
広げられたふたつの領域、その片割れがぐぐっと目に見えて縮み、そして凝固する。その果てに生まれた真っ黒な球体。それが放つ禍々しさ、物言わずとも発せられるプレッシャーに三弟子は揃って息を呑む。唯一黒球の正体とその威力を存じているアーデラは、笑顔を張りつけたままながらに頬へ伝う一筋の冷や汗を止めることができなかった。
「正気なのですか? これを試験とするのなら、そんなものを使う道理はないはずですが。その術はあまりに危険過ぎる」
「そうだな。お前たちじゃ協力したってまだ防げないだろう──だからこそ試験になる。食われそうになったらすぐに解くさ。これに触れたらそいつはその時点でアウト扱いだと思ってくれ」
「やれやれ……あなたという人は」
なんと乱暴で、なんと情に薄いことか。とっくの昔に誰よりもそれを身に染みて知っていたはずのアーデラが、約一世紀ぶりに師の横暴さに息を吐いたところで。
「行け、虚孔」
決して素早くはない、だが鈍間というには速すぎる速度で撃ち出された純黒の球体が向かう先には──ミルコット。ターゲットにされたのが自分だと知ってビクリとする彼女へ、アーデラが忠告を飛ばす。
「殴って壊そうなどとはしてくれるなよ、それは絶対に触れてはならない代物だ!」
「……! だったら!」
アーデラらしくもない真に迫った、つまりは焦りを滲ませた助言に従い、ミルコットは直に殴りかかるのではなく一工夫を挟むことにした。振り被った彼女が拳をぶつけたのは地面。正確にはその怪力で地表を割り砕き、地中深くの岩盤を捲れ上がらせることで虚孔に対する防壁兼攻撃としたのだ。彼女の想定に過たず大きくせり上がった岩土が球体へと直撃し──瞬時にくり貫かれる。何事もなく進行する虚孔、その通り道にあったものが一切合切なくなっていることにミルコットはぞっとする。
「危ねえぜ、ミル姉!」
そこに俊足で駆け付けたノヴァが彼女を抱え上げ、そのまま速度を落とさずに走り虚孔から距離を取る。別れた頃より少しだけ身長の伸びているが、それでも自分より小さい弟に抱きかかえられていることにちょっとだけ照れつつ「ありがとう」と感謝を言葉にするミルコット。そんな姉弟子に、こちらも鼻を赤らめながらわざとつっけんどんにノヴァは返した。
「礼なんかいいっての。それよかどーするよ、こうやって逃げ回るんじゃ俺もミル姉も戦力にならねえぜ」
「そうだね……でも大丈夫、私に考えがあるの」
ミルコットの考え。それに興味を抱いたのはノヴァだけでなく、イデアもだった。仲睦まじく虚孔から逃げる姉と弟の様子を微笑ましく観察しながら彼女の案とやらを傾聴しようとして──急激な魔力の高鳴りにその意識を逸らされる。
「【グラビティブラスト】」
「おっと……!」
重力を固めて発射する、既存呪文を改良して作り上げたアーデラの独自呪文。重力系の最上級を優に凌駕する威力を叩き出すそれを、イデアは腕一本のガードで受け止めていた。
「加重砲ってところか。いい発想だしなかなかの火力だが、領域を広げている以上そう簡単にダウンを取られてやるわけにはいかないな」
「これでも私の切り札のひとつなんですがね。そう余裕綽々に防がれては立つ瀬がないではありませんか──けれど」
完孔によって防御力だけでなく干渉力までもが高まっている。自身の制御下にあるはずの重力弾がその支配権を奪われんとしていることでアーデラはそれを確信した。ただでさえ他者の魔力や魔法へ介入することを得意としているイデアが更にその力を強めたとなればお手上げもいいところ。修行時代の頃には見通すこともできなかった彼我の実力差が今となってはよく見える。絶望的とも言えるような、膝を屈したくなるほどに隔絶した格の違い──それこそがアーデラを何よりも奮起させるもの。
生意気さ、そしてプライドの高さは弟子一どころか世界一。師からそう認定を受けた彼女の本領は、故にこそ師匠の背中を追いかけんとするそのときに最大限発揮される。
「お褒め下さって光栄ですが。何も火力頼みでこの呪文を使ったわけではないのですよ」
「何──、む?」
独自呪文【グラビティブラスト】の真価は既存呪文から底上げされた火力ではなく自在性にあった。攻撃呪文として発射後に、フレキシブルに魔法式を書き換えられること。その特性を活かしてイデアの魔力に染まりつつあった重力弾を一旦解き、再結集。高速呪文として生まれ変わらせた。
「【グラビティバインド】」
言うなれば【バインド】に重力の負荷が加わった上位呪文か。それが有する拘束力は体系呪文の全てと比較しても随一であり、並行式ではなく変異式という新技術に驚いているイデアの全身をくまなく縛り上げた。確かに捕まえた──が、魔力領域に守られている彼女を縛ることはできても縛り続けることは難しい。アーデラの予想通り、イデアの体に食い込む鎖が一斉に軋んだかと思えば、次の瞬間にはバラバラにされていた。数瞬と持たずに自由を取り戻されてしまった……自分の手練など未だこの程度。その結果には臍を噛みつつも、しかしアーデラはとりあえずの満足を得る。
──時間稼ぎはできた。
「お師匠様!」
「! ミル、その姿は──」
ノヴァに抱えられて逃げ回っていたはずのミルコットが虚孔を大きく引き離しながら接近してきている。彼女の背中には『増殖』で生やした手製のものとは思えないほどに立派な翼があった。
「まだ見せてませんでしたよね──今の私の最高速! お師匠様に言われた通り、ずっと機動力は磨いてきたんだから!」
「その答えが脚力じゃなく『翼力』の強化とはな。ふふ、確かに腕力自慢のお前にはそれがいいか?」
イデアがアーデラへの反撃を中止したのは、それだけミルコットの飛翔速度が記憶のそれより優れていたためだ。ノヴァの走力には僅かに劣るが、しかし比較対象となる程度には速い。閃光のような鋭さで迫りくる彼女の右腕。槍状に変化しているその部位による打突を防ぐためイデアは障壁を張った。容易く破られた先ほどの生半なものとは違い、此度は完孔からの供給を活用したフルスペックの大盾だ。どんなに加速しようがどんなに腕を尖らせようが破れはしない。そう判断するイデアと同じくらい、どんなものであろうとも貫ける自信がミルコットにはあった。
盾と矛、互いに勝利を疑わない両者の激突は──。
「そ、んな……!」
「惜しいな。だが罅を入れただけでも金星だぞ、ミル」
盾の勝ち。今にも割れてしまいそうな亀裂こそ全体に走っているものの、ミルコット必死の吶喊は障壁によって完全に止められている。それを素直に賞賛するイデアの言葉を聞きながら、だけどミルコットは悔しそうに。
「やっぱり……ノヴァの言う通り、私だけじゃ駄目だった」
なんだって? と、イデアが発言の真意を訪ねようとした途端に。停止させたはずのミルコットの槍が勢いを取り戻し、壊れかけだった障壁を突破して彼女の喉の下へ突き刺さった。その原因となったのは──。
「っぐ、ノヴァ──!」
「おうともよ、一人で足りねえなら力を合わせるっきゃねえだろ? ミル姉を蹴っちまうのには躊躇いもあったがな!」
「なる、ほどな……!」
ミルコットの背中を蹴りつけることで槍に二段階目の推進力をかけたノヴァ。思いもよらない追撃方法によって深手を負ったイデアだが、即死ではない。しかも刺さっているこれは形状こそ武器であるが、しかしてこれはミルコットの肉体そのものでもある。つまりは人体魔化の適用範疇──虚孔の到着を待つまでもなくまずは己の手で二番弟子を落とそうとするのは当然の選択であり。
だからこそアーデラにとっては見通すに容易い行動だった。
「【ワンス・マジックアロー】」
ノヴァの蹴りとほぼ同時に放たれた一本の小さな魔力矢が軽やかに空中を翔び、そして見事ミルコットへと命中した。




