187.西方を目指した
「私の目から見ても。彼女は十二年前のアウグニスより落ち着きの面で既に勝っているように映りました。あなたの評も決して過大なものとは言えないでしょう──ですが。手練手管を弄する者が必ずしも皇帝に相応しいかというと、それは違う」
「ほう、何故だい」
「搦め手を選ぶことはあっても、あくまで帝国の威信とは潤沢な人材と資財において他国を圧倒するその力にある。策を講じるに巧みな者は不利からの脱却ないしは敗戦の処理にこそ向きますが、『勝って当然』の戦いでより多くを得ることには往々にして不向きなものです。王道を行き正道を示す。大国が進めばそれだけでその背後に道ができるということを、感覚としてララコニフが掴めるかどうか。そこには大いに疑問があります」
「うーむ、なるほど」
これは俺も共感できる。力ある者はどんな壁にぶつかったとしても大抵の場合力押しでどうにかなるし、結局のところそれがベストであるのがほとんどだ。そのせいで過剰な被害を生むこともままあるが……しかし仮に知恵を絞って手間をかけたとしても被害をなくせるか、少なくできるかというと決してそうでもなく。むしろ勝ち得た利益のほうが減ってしまって結果としてマイナスに終わるのも珍しくない──コストの面でもそうだが、考える要素が増えれば増えるだけ費やすものも倍々的に増えていくので、何事もシンプルに片付けられるならそれがベストなのだ。
という経験に基づく結論を、ララコニフは大国を預かる者として経験を積む前から身に宿していなければならない。一子相伝の皇帝の教えが彼女にその感覚を植え付けようとしているとは思うが、しかしそれを手段のひとつとして活かせるかどうかはまた別の話。どうしたって人にはタイプや資質の個人差がある。あまりにも知恵者が過ぎれば、頭が回り過ぎてシンプルに右ストレートで終わる問題にも長々と手間をかけてしまいかねない。と、いうことをルナリスは慮っているのだろう。
その懸念自体はとても正しいものだとは思うが──。
「それでも俺は楽しみだな。王道と邪道のバランス感覚さえ調整できたなら、あの子は歴代最高の皇帝になるんじゃないか?」
「楽しみ、とは随分と気軽に言ってくれますね。未だに会談の外様であるつもりなら即刻認識を改めていただきたいのですが」
「いやいや、他人事のつもりはないって。むしろ構成員の一人として切実に言っているんだよ。だってララコニフにおそらく中庸はない。上にしろ下にしろ振り切れることは確実だろうから、だとすればどちらにしたってアウグニスよりもよっぽど付き合うに苦労するよ。そうだろ?」
「だから面白いのだとあなたは言うのでしょう」
「あはは、大正解だ。よくわかったね」
「見るからに上機嫌ですからね」
小さく息を漏らしながらルナリスはやれやれと首を振った。んん、今の俺ってそんなにご機嫌さんなのか。これはいけないな、本題に入る前にきちんと姿勢を正しておかねば。
「さて、皇帝親子のことよりも今は読ませてもらったあの本の中身についてだ」
「ええ──初代皇帝のゼレントファーが書き残したという日記だけあってやはり興味深い内容でしたね。特に、帝国を興すよりも以前の前半部について」
「まあ建国物語も大層に面白くはあったが、俺たちが求める情報はそこにはなかったものな。……アウグニスが言っていた通りゼレントファーは特段にステイラクルシュの出身であることに誇りを持っていたらしい。だからこそ、なんだろうな。他のステイラの民の活動についてもあれだけ調べ上げていたのは」
仲間意識なのかそれとも監視のつもりだったのかはわからないが。だがとにかく、ゼレントファーが帝国の発展に掛かり切りとなる直前まで大陸全土に散っていった同郷の者たちの活躍をチェックすることに余念がなかったのは確かだ。魔法と私設の隊員を使って彼は時間の許す限りにそれを調査していた──そのおかげでわかったことがある。
「五人だ。どんなに調べ上げても一切の活動が見られなかったステイラの民が、五人だけいる。後の二十三名についてはそれぞれがどこかで何かしら名を揚げているというのに、そいつらに関しては移動の痕跡すら見つかっていない……」
クラエルとの誓いを守らずに何もしていない、あるいはできていないと。日記には仲間の不出来を嘆く文がしたためられていたが俺たちから見ればそれは違う。そもそもその五人が従っているのはクラエルではなかったのだ。だから人間社会の発展に貢献する義務や使命感など彼らは端から抱いておらず、そしてその目的は確実に──。
「オレクテムへの従事、ということになりますね。と言っても彼が会談に紛れている間はまさに『何もしないこと』だけが任務だったのでしょうが」
「解散の直前か、それよりも前にか。どちらにせよオレクテムに選ばれてからは彼の命令こそが第一だっただろうからな。各地に散らばる流れに便乗してひっそりと行方を晦ませる行為は当然のもの。クラエルに見つかってしまえば怪しまれるどころの話ではないから、それを渡りに船と言えるかどうかは微妙なところだが」
オレクテムが賢者になったのと同様に、紛れておくならステイラクルシュという集団組織は存続していたほうが何かと便利だったはずだ。しかし解散を言い渡されたからには表向き従わないわけにはいかない。見た目だけは他の民と同じくやる気に満ち溢れた面持ちで彼らは巣立っていったことだろう。そしてその足でいそいそと会談の目につかない地へと向かい、ひっそりと気配を消したと。
「そういう意味ではもっと人の多い場所にいると思ったんだけどな。木を隠すなら森の中、の要領で中央圏。それこそ帝国にでも潜んでいたりするんじゃないかってね」
「クラエルの『目』を警戒するなら帝国はまずないでしょうが、私も同様の理由で中央の何処かを怪しく思っていました──が、その考え方は過ちだったようですね」
そう、おそららく俺たちは間違っていた。というのがあの日記で明らかになった。消息不明の五人の足取りこそわからず終いではあったが、しかし著者であるゼレントファーを含め残る二十四名の居場所についてはおおよそ判明しているのだ。自然と、移動の経路はともかくとして。今日まで大陸上においてステイラの民の活躍が見られなかった空白のスポットにこそその五人がいることは自明の理となる。
「西方だな?」
「ええ、まず間違いなく。中央に十名、北方に六名、東方に二名、南方に五名──そして西方に一名。東方はクラエルの指示により少数の派遣に絞られたことを思えば、西方が自然とそれ以下になったとするのは不可解としか言いようがありません。地方の概念が生まれていない時期ですが、だからこそ現在の西方圏の範囲でステイラの民の移住がこれだけ少ないのには何かしら明確な理由があると見るべき」
「それ即ち不明の五人が揃って西方を目指したからだ、と。理屈を付けるならそう見做すしかないな」
俺がいる(とクラエルが予想していた)東方近辺を除いて誰がどこへ向かうかなんて打ち合わせはされなかったはずだとルナリスは言うが、だとしてもこの偏り方をスルーするのは気持ち悪さが勝つ。他の民はこの五人が西方へ向かったためにそちらから足が遠のいたのだと考えるほうが遥かにすっきりする。
「しかしだとすれば大胆だな。その頃から西方なんて大した数の国もなかったろうに……いや、だから『あえて』なのか? クラエルも西方の改善については諦めている節があったし、それをアビスが助長させたのだと思えばこちらも理屈は付く……」
考えてみれば露悪行為の一環とするには西方圏の国々を荒らす行為はやり過ぎな気もする。その一見して考えなしの横暴者の振る舞いがクラエルに腫れ物扱いをさせたのだと思えば確かな効果もあったのだと称せはするが。けどそれ以上にアビスの狙いとしては──オレクテムが秘匿している仲間たちの隠れ蓑作り。クラエルからも彼女の『目』からも遠ざける意味合いのほうが強かったのかもしれない。
まあ、それもアビスの私案というよりオレクテムからの指示だったに違いないが……何はともあれこれで色々と見えてきたぞ。
「オレクテムの支持者は五人。そして潜伏場所は西方圏のいずれかである。と、いうのが一応の目途だということで良いですね?」
「ああ、それを前提に動こう。ディータには?」
「私から。しかし半日前に西方圏へ彼女の支配宣言があったばかりですが」
「地方をひっくり返しての大捜索、なんてことをするとただでさえ担当魔女が変わったばかりで不安になっているであろう人々に余計な混乱を与えかねないね。それにそんな派手に動けば奴さんらにも筒抜けだ。逃げられるかカウンターを食らうか、どちらになるにしろ俺たちもまだ準備が整っていない」
「発見は敵に悟られずがベスト。それが叶わないのであればせめて反撃の体勢を整えてから……ということですね。私も彼らとの対決の前に済ませておきたいことが多々あるのでそれ自体は賛成ですが、あなたの場合の準備とは?」
「こっちも国のことでちょっとね。あと、近く結婚式の予定があるから」
途端、目を剥いてぎょっとした顔をするルナリス。その反応に俺のほうもぎょっとしてしまう。なんだ、どうしたのだ急に。という戸惑いもルナリスからの問いかけで納得に変わる。
「結婚とは……いったいどなたとの?」
「ああいや。俺が、じゃないよ。友達の式に出席するってだけ」
「……そうですか。この一大事に伴侶を見繕ったのかと驚きましたよ。あまり紛らわしい言い方をしないでいただけますか」
「えー……それはごめん。でも、そっちの勘違いの仕方がおかしいと思うよ俺は」
なんだか妙に締まらない感じにはなったが、とにかく俺たちは今後の予定の擦り合わせをしてから一旦の解散の運びとなった。




