186.甘えられるだけ甘えて
魔女二人が去ってのち、数秒の間を置いてからアウグニスはようやく笑顔の仮面を剥いだ。そうして露わとなった素顔にははっきりとした疲れが滲んでいた。ふう、と気持ちを切り替えるような軽いため息をついた彼は。
「よもやあれ程とはな……『晴嵐』が隠し立てるわけだ」
侮っているつもりはなかったが、しかし幾度となくクラエルと接してきている身。賢者を除けば世界で最も魔女と近しい人間が自分であると正しく理解できているアウグニスは故に、他の魔女を前にも皇帝としての己を崩さないという確固たる自信を持って今日も大聖堂を訪れた──けれども。
「形無しだな。何もかもお見通しといった風情だった……恐ろしい御仁だ、『始原の魔女』」
本心を見せない。誰を相手にもそれができるからこそ大帝国を率いるに相応しい存在なのだ。だというのに、始原の魔女。イデアに対してはその領分を守れた気がちっともしない。どころか心の奥底のさらに向こう、自身でも気付かぬ無意識の部分までもを見通されてしまった気さえする。
戴冠式の日に一度だけ対面した『月光』の冷ややかに見定めるような気配はまだしも想定通りであり、耐えるにそう苦労もなかったのだが。正真正銘初対面となるイデアの、あの黒いガラス玉のような瞳は。仄暗いそこに自分の顔だけが反射しているのを見て取った瞬間、アウグニスはまるで果てのない闇の中に囚われているような錯覚を受けた。
例えるならば、人の手に握られた草花の一本となったような。そのまま手折るかそれとも香りだけを楽しんで手放すか、それは全て魔女次第。あのとき自分は間違いなく、他者のささやかな気紛れひとつで命運が決する圧倒的弱者の身分に成り果てていた──。
「人が人を見るのとは異なり、あの方にとってわたくしたちは『動いて喋る道具』なのでしょうね。その性能を確かめる。そこに温度がないのはある種当然のことかもしれません──わたくしだって、いちいち食器や家具のひとつひとつに慈愛を注いだりしませんもの」
「ララコニフ」
内外に向けて親しさを強調するための愛称ではなく、正式名で呼べば。魔女たちが消えた位置から視線を外さないままにしていた娘がこちらに目を向けて、邪気のない様子でにこりと笑った。それにアウグニスは苦笑を返す。
「その様子だとお前に気後れはなかったようだな」
他人にはわからぬだろうがされど確かな失態を演じた自覚を抱いているアウグニスは、父の不甲斐なさを埋めるようにそつなく我が子が魔女たちとの対面を終えてくれたことを誇りに思う──と同時に。
「だが少々あざとさが過ぎたのではないか? クラエル殿と私のような関係を築く必要はなく、お前にはお前のやり方もあろうが。だからといってあまり会談の身の内へ飛び込むような真似はしてくれるなよ」
「うふふ。即位前の、それもまだ子供である今の時分にしかできないのですから、甘えられるだけ甘えておかねば損というものですわお父様。一応の言質も取れたことですし、ときには大胆な一手も悪くないことでしょう」
「ふむ……言われてみればそうか。しかし新体制となったとはいえ会談が皇帝も帝国も切り捨てられなどしないことは分かり切っている。会談の指針を変えさせるほどのミスでも犯さなければ、な。──お前が欲しかった言質とは『始原』個人のものだろう?」
「その通りです。残念ながらそれは叶いませんでしたが……けれどあそこで『会談として』お答えされたからには、今回の一件が解決した後も彼女が『魔女会談』へ積極的に参加なされることは確かなようですし。その裏打ちになったと思えばこれも悪くありません。わたくしの任期中はまず間違いなくイデア様が円卓にお座りになられる──うふふ、そう。これはまったくもって悪くないことですわ、お父様」
「ほう。そこまでイデア殿の有無を重視するか。佇むだけでそこにぽっかりと底無しの穴が空いているようなあの威圧感。確かにかの御仁が参入するのならば今後の会談との接し方には、あらゆる意味合いにおいて今まで以上に気を配る必要があるだろう。それについては同意するが……ララコニフ」
「なんでしょう?」
「会談の発足者たるクラエル殿がひた隠しにしてきたのにはそれなりの理由があるということ。実際に会ってみて私はそれをより強く実感した。そこはお前も同じだろう──それでもお前は『始原の魔女』をその手で利用せんとするのか?」
ああ、お父様、と少女はそれが嘆かわしい誤解であると訴えた。
「利用などと、とんでもないことです。形ばかりの対等に辟易するお気持ちも、だからとて会談に優越を持たんとすればそれが破滅への一歩となりかねないと自重されるお気持ちも。どちらもよくわかりますわ。だってわたくしも同じ気持ちですから。ですが言いましたでしょう、わたくしは『始原の魔女』の大ファンなものですから──形式だけでも彼女と横に並べるのならそれ以上はありません。だから、逆なのです」
「逆?」
「ええ。イデア様に上手に利用してもらうのです。わたくしと、そしてこの国を」
引いてはそれが新体制の会談が統治する世界、そこで帝国が現在の地位を維持する、あるいはより確固たるものとできるか否かに関わる何よりの資本かつ試金石となる。そう断言する娘にアウグニスはしかと頷いた。
「多少の無理を通してしまったが、やはりお前をこの場へ連れてきたのは正しかった。イデア殿とルナリス殿もきっと私の判断を認めていることだろう」
◇◇◇
「ちょっと心配だな」
大聖堂からほぼその直上にある天空議場へ場所を移し、俺とルナリスは円卓の席に腰かけ、そして一言そう申せば。ルナリスはなんのことかと問うように言葉を発することなくこちらを見返してきた。
ちなみにだが、現在の議場は出入り口を完全に閉じてルナリスか俺と一緒に転移しなければ入場できないようになっており、その上で魔法的にも物理的にも何重もの防壁が設置されている。外から攻め込むには俺でも難儀する鉄壁の要塞と化しているのだ。施工はやはりルナリスと俺で、透視や盗聴対策もばっちり。つまりこの中でなら限りなく安心安全にお喋りができるというわけだ。
「帝国の、というより皇帝の対応が思いのほか機敏で柔軟だ。こうなると真相の共有を中途半端にしてしまったのがかえって悪手になりかねないかも、と思ってさ」
「オレクテムの離反についてだけでなく、その直前のあなたの行動についても明らかとすべきだったと? 間違った意見とは言いませんが賛成もできかねます。全ての情報を共有したとしても帝国が何か力を貸せるわけでもなし……むしろ逸ってしまった場合が厄介です。聡明なアウグニスのこと、会談の指示以上のことに許可なく着手しようとはしないでしょうが……」
「そもそも疑いの目をなくしておけばそれがベストだ、と言うんだろう」
「然り」
「俺もそれが間違いだとは言わないけどね。ただアウグニス以上にララコニフだろ? 今後のキーマンは」
「……鷹が鳳を生みましたね」
「ははは、こっちにもちゃんとそういう言い回しがあるんだな」
ルナリスの言はまさしく言い得て妙なもの。優秀な人間が超優秀な人間を生んだ、という当たり前のようで実例は意外と少ない現象を、アウグニスは物にした。それが代々に一子しか設けないという皇族にあるまじき手法を成立させている『カイゼウス』の血の為せる業であることは、俺にもなんとなくわかるのだが。しかしだとしてもあの娘の利発さは少し度を超えている。
「賢いだけでなくちゃんと悪辣だ。それでいて本性を隠すべきか晒すべきかもきちんと判断できるほどに世間ずれまでしている。箱入り娘だろうにこれは、ハッキリ言って異常も異常だぜ?」
何せあの一瞬、あんな子供が会談よりも上に立ったのだ。
新体制などと言えば聞こえはいいが前任者の急な不在に追われての人事異動──つまりは組織的な過失が会談に生じたことになり、そのせいで関連企業の筆頭である帝国並びにその周辺国へ迷惑をかけてしまった。だからと言って会談は謝ったりなどしないし皇帝だって謝罪を求めたりはしない。だが次期皇帝はそうではなかった。まだ何者にもなれていない立場を利用して、こちらの不手際に被せて『貸し』をひとつ捥ぎ取っていったのだ。
これを父親が行っていれば、いくら遜らずと言っても魔女に対し無礼千万だろうとかえってこちらに貸しができていたのだが。さすがに幼いララコニフには俺たちのほうが大人になってやるしかない──つまるところ針の穴に糸を投げ入れるような巧みさと大胆さで、就任前の小娘は最高の手札を一枚手に入れてみせたということだ。
「いつ切るか、どうやって切るか。保身に取っておくのか次の一手のために使うのかも全てララコニフの自由だ。あの子が自由にできるというのが最大の怖さになる。もしもクラエルが帰ってこられないようなら、ルナリス。君も会談の運営にはなおのこと気を引き締めないと危ういかもしれないな」
「私もそう思いますよ。ただしあなたの想定とはおそらく反対の理由となるでしょうが」
「反対ね……すると君は、あの子が率いる帝国に悪いほうの可能性を見ているのか」
少しばかり意外な意見に驚けば、しかしルナリスは当然だと言いたげに頷いてみせた。




