185.皇帝の娘
「──ありがとう。非常に参考になったよ」
「本当に五分足らずで読み終えてしまうとはな。やはり凄まじいものだな、魔女というのは……我々と貴殿らでは脳の造りがまるで違うようだ」
「フィルだって一般人ってわけじゃないだろう?」
「だとしても、だ」
愉快そうにしながら、アウグニスは返却された本の表紙を五本の指先でさらりとなぞった。
「これが参考になったのなら幸いだが。しかしまことに欲する情報はここにあったのかね?」
「それはもう、大いにね。特に前半部分が興味深かったよ。これは社交辞令とかじゃなく本心からの感謝さ」
「そうか、ならば此度も会談への力添えができたということだな。お互いにとって重畳も重畳、私は一安心だ」
あー。彼としては、立場が上の取引相手の担当者が変わったような心持ちだっただろうからな。前の担当者と同じように良好な関係が築けるか。は、今日という始まりの日に全てが懸かっていると言っても過言ではない。第一印象が最悪だと普通、挽回のしようがないからね。その点で言えば皇帝であり次代の芽も既に出ている彼は名誉を取り戻す機会に恵まれてはいるものの、だとしても初対面を疎かにしていい理由にはならない──故になんとしても役に立つ必要があったと。
それが稀覯本とはいえ一冊の書物を寄越すだけで済んだのはアウグニスにとって幸運だっただろうが、その中に俺たちの求めていることが記載されているかについては完全に運頼み。祈ることしかできない五分弱の時間は実にもどかしいものだったろうな。しかし皇帝の血がなせる技か、あるいは彼個人の持ち得る運気なのか。そこでもアウグニスは見事幸運を手繰り寄せることができた、というわけだ。
「『魔女会談』も、そして中央との関係も。これまでと何も変わらぬものと思って間違いはないのだな?」
「勿論ですよアウグニス──そのための手筈は、あなたのことです。当然に整えているのでしょう?」
「ああ、主要国への根回しはつい先刻をもって完了したところだ。我ら中央圏から秘密が漏れることはまずないと思っていただこう……ただし、事態が事態だ。だからこそ迅速に情報共有と意思疎通を行ったわけだが、言ったようにクラエル殿の不在は非常に重い。この帝国以外の国々からすれば尚のことにな。彼らが私からの言葉で得られる安心などたかが知れている。できればルナリス殿が直接に保証を与えてやってはくれまいか?」
ははあ。政治に口を出すことは少なくなっていてもクラエルが主要国の連携の要であった、というのはそのままの事実であるようだ。帝国は圧倒的な力を持っているし、会談と最も距離が近い。会談の本拠地である天空議場とだって物理的にご近所だしな。だがそれでも──いやそのせいで、なのか。現代社会の興りから今までを先導・支配してきたクラエルがいきなり姿を隠すという異常に過ぎる事態において、あまりに会談と近すぎる帝国が行う根回しには一定の不穏さも出てくる。
賢者の謀反とそれに会談がかかり切りになっているありのままを知らされても『帝国だけが知る重大な事実が他にもあるのではないか』と疑い、飛躍して会談の無事を疑い、類して中央圏の崩落を疑い、果てには自分自身の失脚を疑う……そういう負のループが起こりかねない。それだけのマイナスパワーが中央の魔女の不在にはあるのだ。
このよろしくない連鎖を止めるにはやはり、代理の魔女による鶴の一声を聞かせてやること。支配者がこれまでと変わらぬこれからを確約してやることに尽きるだろう。それで不安が全て拂拭されたりはすまいが、けれど帝国の指示に頷くだけでは得られない安心がそこにあるのは確かだ。
「承りました。元より改めての挨拶に伺うつもりでもありましたので、近日中に各国を回るとしましょう。イデアはどうしますか?」
「俺?」
「ええ。中央圏は大陸全体の土台であり、その中央圏の土台となるのが主要国。の、首脳陣ですから。顔を広めておくことは決して不利益にならないと思いますよ」
「ふむ」
……ルナリスが何を考えているかは大体わかる。ごっそり数を減らした会談の活動に『始原の魔女』がいよいよ参入すること。これまで活動に乏しくほぼ新顔にも等しかった俺を重要な場に同行させることで少しでも会談の健在を強くアピールできれば、新体制への移行とその確かさを印象付けられると考えているのだろう。
そして同時に、それによって俺が新王国や東方圏だけでなく、中央圏の治世を通して大陸の全てを管理下に収めたとでも『勘違い』してくれれば。無法者でいられるよりもそのほうが余程に扱いやすいと企んでもいるのだ──共通の敵を作ることでなし崩し的味方に引き入れようとしたクラエルとは似ているようで反対の、財産の共有によって仲間意識を芽生えさせる方法。この差異には二人の魔女の性質。思考法はパターナルながらにその志向性にある若干の差がよく表れているように思う。どちらもいやらしいことに変わりはないが……。
あるいは単純に。共だって仕事を行うことで互いを知ること、意気を合わせていくことを目的に誘っている側面もあるのかもしれない。が、だとしても俺の答えは最初から決まっている。
「遠慮しておくよ。手広くやれるほど器用じゃないし、基本ゴリ押ししか案のない俺がそこに混ざって折衝役を務めたってかえって国家間の連携を歪めてしまうのが落ちだ。そんなことは君だって避けたいだろう?」
そう問えば、ルナリスは無言で頷くことで肯定を示した。俺が三魔女(+アビス)を下した、という事実はアウグニスにだって明かされておらず、必然他の首脳陣だって知りようがないわけだが。だがどこにいたってどんな場面だって俺は俺。侵攻に怯えていたジョシュアへむしろ敵を誘い込めと提案したのと同じように、何を相談されてもエイドス魔法の暴力で解決しようとしてしまうだろう。この傾向は俺という一個人の根幹に根差したもので、クラエルやルナリスがそうであるように、根っこの部分は何があろうと変わらないし変えようがない。どんなに努力したってそれは不可能だ。
で、あるからして。力押しを好まずもその実行には頓着しない俺が便利な兵器のように扱われ、首脳陣の自制心が壊れたり疑心が募ったり──といった、まさしくクラエルが恐れていた状況。会談が維持してきたバランスを崩してしまいかねない懸念がある以上は、ルナリスだって積極的に俺を誘うことができないのではないか。ということを俺は言葉を濁しつつ伝え、ルナリスもそれにしっかりと気付いてくれたわけ、なのだが。
「…………」
「…………」
むむ。何気なく話せたつもりで、実際言葉選びにも不自然な箇所なんてなかったと自認しているのだが。しかし俺とルナリスのやり取りにアウグニスは、そして恐ろしいことにララコニフまでもが何かを感じ取ったようだった。こちらもまた自然体であったが一瞬、その目に何かの理解の色が宿ったのを俺は見逃さなかった。なんということだろう。皇帝の血とはここまで厄介なものなのか……いや、帝国は会談の強い味方。つまり俺の味方なのだからここは頼りになると喜ぶべきところなのだろうが、しかしそれにしたって凄まじい。
若いながらに海千山千といったアウグニスもそうだが、それ以上に。まだ机上の知識しかないはずの彼の娘が既にここまでの完成度に至っている点こそが何よりも評価できる──うむ、本当に素晴らしい。
「いつか明かせるときも来るだろう。それまでには何に勘付いても知らぬ存ぜぬで頼むよフィル。それにリルも」
「言われるまでもないことだ、イデア殿。帝国は何があろうと会談との距離を間違えることなどない。近づき過ぎることも、その逆も。常に等しく『この距離』だ。それは私から子へ代が変わっても同じこと──そうだろう、リル」
「はい、皇帝陛下。己が領分を越えない節度を守ると固く誓います。……ですが」
粛々と目を伏せて父の言葉に賛同した少女の視線が、そこで俺のほうに向いた。くりくりとした大きな瞳が、純粋を装った色味で美しく瞬く。
「歴代を遡っても『始原の魔女』様とのお付き合いは陛下が初、そしてその本格化はわたくしの代からになります。前例のないこと故にこの不肖のララコニフは不安を隠し切れずにいるのです。ともすれば何かの折、適切な距離というものを見誤ってしまうかもしれません。ですので先んじてその謝罪をしておきたいのです」
「はは、未来の粗相を今から謝っておくと」
「魔女様の寛大な御心に甘えるような卑しい真似とはなりますが、どうかイデア様。そして会談の皆様方には、わたくしが陛下のように偉大な皇帝となれるまでを温かく見守っていただければと思います」
「……大したものだね、リル」
先以上の感心でもってそう褒めれば。ララコニフは花のようにふわりと笑む。愛らしく可愛らしく見えるように、だがしっかりと香るように。計算されつくしたその表情で俺にも彼女の真意が掴めた。なるほど、最年少で女帝となろうとしているのも納得の傑物──いやさ怪物だな、この子は。このぶんなら次の二十年も帝国は安泰必定、約束されたますますの繁栄を遂げることだろう。
「俺たちのほうから見限ることはないさ。なあ、ルナリス」
「ええ。ララコニフ、たとえ失敗があろうともあなたが自身の役割をしかと果たそうとするならば、会談もまたその役割を必ず果たすことでしょう」
お優しい言葉をありがとうございます、と。心から嬉しそうに胸に手を当てた少女の別れを惜しむ言葉を最後に、俺たちは大聖堂を後にした。




