184.太く短く
「生まれてすぐに皇帝となるための教育課程を経て、即位後は統治と次世代の育成のみに務め、退任してからは当代の補佐を体が動く限り行う……これがカイゼウスとして生を受けた者の一生。代ごとに期間は異なるがそれぞれ十五年、二十年、また十五年が目安だな。この子は非常に優秀で歴代最年少での戴冠も視野に入れている。つまり私が当代でいられる時間はどう見繕っても残り五年に届かない程度。先代より遥かに現役期間が短いことには多少の寂しさもあるが、それもまた考えよう。補佐としてこの初代にも比肩あるいは凌駕し得る愛しき我が子を長く支えてやれると思えば悪くない」
傍らに立つ娘の見るからに柔らかそうな髪を優しく撫でる皇帝アウグニス。それに少しくすぐったそうに身じろぎするララコニフ。二人の様子はなるほど、アウグニスの言葉に偽りなどないと断じられるほどに仲のいい親子そのものである──が、話の内容自体には引っかかる部分がある。
「今の話が正しければ、皇帝の一族は誰もが五十年前後しか生きられないように聞こえるけど」
旧リルデン王国の平均寿命がそれくらいだったはずだが、これは不猟不作を始めとした各地の貧困と治安の悪さから老いも若きも関係なくバタバタと死ぬ国であったためで、その大元の原因である貴族・王族が取り除かれた今となってはもっとぐんと伸びるだろう。数年後にでも調べ直せばね。片田舎のうちでもそうなのだから、さすがに帝国人の平均ないしは健康寿命がたった五十年だとは考えにくいことである。
「直近のデータによれば帝国民男性の平均寿命は七十七歳だったはずだ。一部の魔法使い等が大きく底上げしている結果ではあるが、それを差し引いても五十年はひどく短く思えるだろう──だが事実だよイデア殿。私たちの家系は代々が短命、最も長く生きた初代皇帝ゼレントファーですら五十八で亡くなっている。老衰によって、だ」
「短命な血筋だって……? 皇帝となるに相応しいと認められた『カイゼウス』の血が?」
「そうだとも。言ったろう、『太く短く』とな。持ち得る才を引き伸ばすことなく帝国と中央圏の繁栄のために最高効率で消費すること。それが皇帝の使命だ」
「ほー……」
ふーむ、これは凄いな。掛け合わせてサラブレッドを産ませる、というだけでなく。サラブレッド自身が次なるサラブレッドを勝手に産み育てる上に、最高速で走れる内に先頭を後続へと託し、群れの速度を緩めることなくどこまでも駆け抜けていく。クラエルはなんと見事なシステムを作り上げたことだろう。彼女の行った交配実験の成否に関しては俺の想像以上のものがあった──竜にもそれ以外の生物にも奔放を許していたシースグラムよりも余程に丁寧で几帳面な手法を、彼女は成していた。
どちらがより創造主らしいかと言えば断然に──彼に望まれて誕生したせいなのか──シースグラムのほうなのだが、そうでないからこそクラエルは人の社会を思い描いた通りに発展させることができたのだろう。シースグラムも賢くていやらしい奴だったけれど、他の竜王の手綱を握れていたかというとそうでもないからね。まだしも会談の内輪でも外輪でもリーダーとして扱われているクラエルと比べれば、やはり自戒していたように彼女は統治者の器ではなかったのかもしれない。シースグラムの欠陥、というよりそれは竜という力の塊のような存在自体が遍く抱える欠陥だったとも言えるが。
さておき。やや性急にも思えた顔合わせを、それでもアウグニスがこの日に敢行した理由はこれでよくわかった。高確率であと数年以内に代替わりが行われ、しかもオレクテムの件がどう片付くにしろクラエルが復帰できるかは不明である──となれば早いところ、代理の会談責任者であるルナリス(とついでに俺)に次期皇帝を紹介しておきたくもなろうな。これを以て近く自身が退任することの予告ともなるわけだし。
「ほらリル。緊張してないでお前からも挨拶をしておきなさい」
「はい、皇帝陛下──紹介いただきましたララコニフです。ルナリス様、イデア様とは歴代の皇帝のように親密なお付き合いができれば幸いでございます。つきましては友好の証として、どうかわたくしのこともリルと呼び捨てください」
「これは丁寧にどうも。じゃあ君も俺のことはイデアと呼んでくれ」
「私もルナリスで構いませんよ」
「いえ、それはわたくしの身には過ぎた光栄。戴冠の日までお待ちいただければと思います」
「そうですか。私も愛称ではなくララコニフと呼びますが、これは前任であるクラエルに配慮してのものなので悪しからずに」
あー、だからルナリスはアウグニスのこともフィルとは呼ばないのか。いずれ戻る(と信じている)クラエルに操を立てるためにも。俺はどうしようか……まあ、本人がそう呼べというのだからそれぞれフィルとリルでいいだろう。他者の前ではちゃんとアウグニス皇帝と言うように気を付ける必要があるけれども。
にしてもこの子、利発的だね。そうでなければ皇帝の座など任されないと言ったって、体付きからしてまだ七、八歳だろうにそこらの大人よりよっぽど受け答えがしっかりしているのには、なんとも言い表し難い感情が浮かんでくる。アウグニスが褒めそやすのも決してただの親バカではないと言えよう。
「会談の直接の傘下にある関係上、私たちはクラエル殿だけでなく他の魔女のお歴々についても詳しくあるのだが……中でも娘は謎多き『始原の魔女』の大ファンでな」
「まあ、陛下。それは仰らない約束だったのに……」
「ははは、許せリル。これも親心だ。イデア殿もルナリス殿もこの子のことをどうかよしなに頼むよ」
へえ、俺のファンね。東方の住民でもないのに『謎が多い』=『何もしていない』俺にそうも注目するとはなんとも珍しい子だ。あえてそこを好む渋さがあるのか、あるいは新王国が東方圏に台頭したことを受けてのミーハー的興味なのか……彼女の年齢を思えば後者な気がしないでもないが、どちらにせよ好意的であるのならなんだっていいか。俺としてもこれからは会談に関わっていくと決めている以上、次期皇帝とは仲良くしていて損もないのだから。
「さあこれでこちらの私用は終わった。全員にとって貴重な時間を費やしてしまってすまないな──して、魔女のおふた方が私を訪ねた理由とはなんなのかな?」
「ああっとそうだ、うっかり本題のほうを忘れるところだった。会談と世界に弓引く敵オレクテムが、君たちの信奉する初代皇帝と同じくステイラクルシュの出身であることは既に聞いているね?」
確かめればしかと頷くアウグニス。その横でなんとララコニフも訳知り顔でいることにちょっと驚かされつつも「なら話も早い」と俺は続けた。
「知りたいのは俺たちが知り得ないこと。初代皇帝からステイラの血統を最も色濃く受け継いでいる君たちが、その血と共に託されているであろう始まりの村の知識についてだ。そこにオレクテムの居場所やその仲間を見つけるヒントがあるんじゃないかと……まあ些か楽観的ではあるが、そんな予想をしているわけだ」
「なるほど、そういうことであれば力になれそうだ。是非見せたい物がある──少々お待ちいただけるかな?」
「ああ、君の時間が許すならいくらでも」
にこりと微笑んでからアウグニスは俺から視線を外し、虚空を見つめだした。僅かだが魔力反応があることとその集中の仕方から魔法を使っていることは明らか。おそらく大聖堂外部の誰かと交信でやり取りしているのだろうな。名称呪文で言えば【コンタクト】、だったかな? 離れた相手と話せる。その便利さは言わずもがなだが、こういう魔法は魔力波長を掴んでこちらもそれに合わせれば会話の内容を読み取れてしまうから注意が必要だ。何年か前に広く魔力探知を行った際、通話機越しの会話を意図せず拾ってしまったことがあったのをよく覚えている……もちろん、その交信が通話機なる魔力で動く機械によるものであったと知ったのはごく最近だが。
悪い癖で危うく目の前で行われている魔力の結び付きに介入するところだったが、礼儀のためにもそれをぐっと堪えてその終了を待つ。するとそう時間をかけることなくやり取りを終えたらしいアウグニスが「リル」と娘を外への遣いとして動かした。しずしずと俺たちの横を通って一旦大聖堂を出てからすぐに戻ってきたララコニフの手には、一冊の書物があった。
「これは?」
少女の手から渡されたそれをしげしげと眺めるが、見たところ表紙にも背表紙にも名がなくこれが何の本なのか一瞥しただけではわからない。さっさと開いてしまいたいところをまた礼儀として我慢しながら訊ねた俺に、アウグニスはその深みのある声で答えた。
「我が祖先、初代皇帝が書き記した自伝だよ」
「自伝……!」
「の、ようなものと言うべきかな。その形式はほぼ日記であり、雑多かつ理解に難しい点が多々あるのだが、しかし『カイゼウス』の起点であるステイラクルシュという村について書かれた書物はこれがおそらく唯一だ。私たちは代々教育課程において一度はこれを読み通す。解せるかどうかは別として初代皇帝の息遣いを感じるためにな。──聞いての通り私たちにとっては教義の印のような代物だが、今の貴殿らにとってはそれ以上に価値ある一冊なのではないかな?」
「ああ、間違いなくね。読んでみてもいいかい」
「勿論だ、貸し出そう。二十年以内であれば返却はいつでも構わない」
「いいや、そんなに長くは借りないさ。ねえルナリス?」
「ええ。ディータやティアラに読ませる意味があるとも思えませんし、ここで私たちが目を通せばそれで充分でしょう。五分ほど。今度は私たちのためにお待ちいただけますか? であればこの場ですぐに返却いたしますが」
五分、と意外そうに呟きながらアウグニスは俺の手の中にある本を見る。自分が読んだ際のこれの厚みを思い出しているのかもしれない。だが俺たちは魔法使い──の最高峰たる魔女である。人の脳では読み取ろうとしただけでパンクするような複雑多重の魔法式を意識の片隅だけで処理することを日常としているのだ。たとえどんなに雑多で、どんなに理解しづらい内容だろうと、たかだが一冊の本を読み切るのにさしたる苦労などあるはずもない。
「それじゃ、ちょっと一読させてもらうよ」
気のせいでなければララコニフのキラキラ……否、ギラギラした眼差しを受けながら俺はそっと初代皇帝作の随筆を開いた。




