183.大聖堂
「それは……呪文書か」
「これに記されているのは魔法省に設置されている長距離転移門にあるものと同じ魔法式。通常の呪文書とは異なり載っているのはそれひとつですが、その代わり中央圏の主要国並びに他地方の幾箇所へ時間をかけずに移動することを可能とします。言うまでもなく貴重品ですよ」
「ほー……君が俺の知らぬ間にステイラバートに滞在していたのはそれが理由だね」
「ええ、オラールにおいては夜行館がその指定地となっております」
習得の労を要さず記された呪文を誰でも──と言っても使用者にある程度の練度が備わっていなければそれも叶わないが──自由に魔法式を発動させられる、というのが呪文書の売りだ。それを転移一本に絞るのではあるべき利点を削いでいるように思えなくもないが、しかし移動範囲とその候補の多様さ、重要さを思えば何気なく取り出されたこの本の価値は計り知れない。当然、移動先に指定されている国々の国防の観点から見ても取りも直さずにだ。
どうやら普段はルナリスが厳重に管理しているようだが、いつ誰の手に渡って悪用されるかと各国首脳陣は常に戦々恐々かもしれない……いやさ魔女を相手にそんな真似ができるような者が現れたなら転移呪文書の有無に関係なく世界のピンチなのだから、これはどうせのことかな。実際オレクテムが中央圏の国を襲うとすれば本なしでも充分に事足りるだろうし。
「行き先は帝国中枢、栄光宮殿内部にある大聖堂です」
「大聖堂? その名からすると宗教関連の施設かい」
「いいえ、確かに神聖な場所として扱われていますがそれは信仰に依るものではありません。魔女と皇族のみが立ち入ることを許された密談空間、と称せばその用途がわかりやすいでしょう」
「要するにクラエルと皇帝が内緒話をするためだけの建物か。わざわざそんなものを建てるとは豪勢なことだね」
少々呆れはするが、そこが今から向かう先であり、既に相手方にも用を取り付けてあるというのはどこにも無駄がなくていい。それに国民から搾取することで賄っていた旧リルデン王国の王族の見栄とは違い、皇帝のそれは潤沢な資金からくる本物の贅沢である。民を従える者としてそれ相応の金の使い方も求められことを思えば、大仰な専用施設の建築とて一概に浪費と切って捨てられるものではないだろう。
「約束の時刻となりましたのでそろそろ向かうとしましょう──さあイデア、この手に掴まってください」
複数で移動する場合の条件は俺の目印を使った転移と同じらしい。即ち触れていることだ。ルナリスが差し出した手を握りながらそう理解したところで、視界がぐんにゃりと曲がり。それが正されたときにはもう、見渡す限りの平原から室内へと移っていた。
「……ふむ」
ここが……この目に痛いほどにどこもかしこも白い場所が大聖堂。高い天井とそれを支える長く太い柱が立ち並ぶ様は、聖堂というよりもまるで建物内にすっぽりとどこぞの神殿が収まっているようだった。白亜の造りが余計にそういう印象を俺に与える。なるほど、神聖な場所ね。言う通りにここは外界とは違う空気感を演出することに注力されているのだと思われる。そして、その中で特に目立っているのが。
「よくぞ参られた、ルナリス殿に──『始原の魔女』殿。我が威光たる宮殿へようこそ」
聖堂の中央に立つ俺たちへ声をかける一人の男。快活ながらに力と威厳のある話し方をする彼は、入口と見られる大扉とは反対側に置かれた豪奢な椅子にゆったりと余裕を感じさせる様子で腰かけており──うむ、一声一目でありありとわかるね。名乗られずともこの人物こそが、世界最大の国家『大帝国』が支配者、当代の皇帝であると。
白を基調に金刺繍と宝石で彩られた派手な服装。に、決して着られている感のない彼はこちらの想定よりも遥かに若く、そして気さくであった。
「初代から先代まで。誰一人として顔を合わせられなかった『始原』とこうしてここに見えたこと、国をあげての歓待によってその喜びとしたいところではあるのだが。しかし事前に聞き及んでいる。なんでも『魔女会談』と、果ては世界存亡の危機だというではないか?」
「……そうだね。俺としても非常に残念ではあるが、君と歓談を楽しむ猶予はないかな」
「やはりそうであったか。だがそれならそれで構わない──私自身まだるっこしいのは好かない質なのでな。急ぎとあらば早速用件を聞こう。儀礼的なことに時間を取られないための大聖堂だ」
「いやそれよりも。まずはそこの柱の影に隠れている子を紹介してほしいかな。タイミングを見計らっているのはわかるんだけど場所が場所、話すことが話すことなだけに、良くも悪くも気の紛れる要素はなるべく排してもらいたいたくてね。いいかい?」
「──おっと、これは失敬をした。別れ際に顔見せするつもりだったのだが、そうだな。貴殿がそうと望むのであればこちらの用を先とさせてもらおう」
ふーむ。魔女相手にもなかなか時間が取れないという皇帝が昨日の今日で大聖堂を開いたのには、彼の側からも話したいことがあったというのも関係しているのかもしれない。ルナリスはその用とやらがなんなのか知っているのだろうか、とちらりと見てみれば。彼女はそれに対して目線だけで否を返した。つまり、俺と同じで初耳というわけだ。
「出てきなさい」
と、俺たちの若干の戸惑いにも構わずよく通る声で皇帝は自身から見て右手側にある柱へそう命じた。するとすぐにその影から新たな人物が姿を見せた──む、やはり子供。半ば癖になっている初めて訪れた場所での観察及び探知によって大まかに探り出していた通り、そこに隠れていたのはまだ齢にして十歳にも届いていないような幼い少女であった。
色素の薄い金髪に強い意思を感じさせるアイスブルーの瞳。小さいながらに堂々と皇帝の横に立つその少女の特徴は、隣に座る彼の特徴と尽く一致するものであり。ひょっとして、と思う俺の傍でルナリスが「もうそんな時期ですか」と納得したように呟く。
「私から紹介させてもらおう。彼女はララコニフ・リル・シーザリン゠リステイラ・カイゼウス。私の一人娘であり後継ぎだ。フルネームは今言った通りだがまだリステイラともカイゼウスとも名乗らせていないのでそこは誤解のなきよう。それはこの子が私に成り代わったあとになる」
「……?」
思った通り彼の娘だった、のはいいのだが。聞く限りでは実子であり次代皇帝であるこの少女に皇族を証明する姓と、おそらくはステイラクルシュの出身を表すリステイラという称号(?)を名乗らせない理由がどこにあるのかよくわからず、首を傾げる。そんな俺の疑問を解消してくれたのはルナリスだった。
「リステイラとは、正しくは選ばれた皇帝の地位を指すもの。またカイゼウスも姓でありながら家名ではなくあくまでも個人名となります。皇帝となって初めて名乗ることが許される初代皇帝ゼレントファーから続く厳格なしきたり……故に、現皇帝である彼も退位してしまえばもうカイゼウスではなくなるのですよ」
「うむ、その通りだ。私もそろそろ席を空けることを考えねばならない頃合いなのでな。このような折で申し訳なくは思うがクラエル殿が戻られるか否か、それはこの中央の今後を左右する極めて重要な事柄である。そこの見通しが立たないというからには先んじてこの子を──」
「話を遮ってすまないんだが、アウグニス殿」
「私のことは親しみを込めてフィルと呼んでくれて構わない。何かな『始原』殿?」
「それじゃあ俺のことも他の魔女と同じように呼んでくれ。フィル、失礼だが年齢を聞いても? 俺の目にはまだまだ退位に悩むような歳には見えなくてね」
ふ、と端整な顔に微笑を浮かべて皇帝は頷く。
「イデア殿は知らないか……そうだろうな。私は今年で三十二。世の王族に倣えば三十二という年齢は貴殿の言う通り現役を退くに未だ遠く、なんなら若輩と称してもいいのだろうが。しかし皇帝の地位に限ってはそうではない。私が預かるにはどんなに長くともあと八年程度が限界だ──人間、四十を過ぎれば体力、思考力の衰えがどうしても隠せなくなってくる。それは初代皇帝の血を引く私たちであっても避けられないことだ」
代を重ねるごとに血が薄まる、どころかその濃さを増していくという皇帝の血統。クラエルの最高傑作であるサラブレッドの系譜の完成形のようなカイゼウスの名も、加齢による衰退からは逃れられないと……いやまあ当然か。そこを解決できるならそれこそ魔女の如く、世代交代などせずに一代が永遠にその座を務めればいいのだ。
不老不死の魔女でもなければ限りなく不老に近い長寿を誇る賢者とも違う。彼らはどんなに優秀でも『人間』なのだから──老い、そして死からは決して逃れられない。
「だが物は考えようだ。期限が短く定まっているからこそ尽くせる力もある。太く短く生きるのだよ。足りない長さを次代、そのまた次代が補えば、大帝国は太くあるままに永遠を生きられる。つまるところ皇帝とは臣下、国民、他国民をあまねく奉仕者とし、自らもまた彼らの奉仕者となれる滅私の者でなければならない。そのために命の全てを費やす血筋こそが『カイゼウス』なのだ」
「──なるほど。これはよく出来たものだね」
感心する俺に、父と娘は見かけだけでなくその気質も似通った笑みで応じた。




