178.執務室
イデア城執務室。第二居館へ新たに役割を移されたその部屋は元々の執務室と比べ品のある控えめな──端的に評せば小さくこじんまりとしたものとなっていたが、しかし旧王の見栄が全面に出ていた無駄に広い空間よりもこちらのほうが落ち着けはする。と、部屋の主からはそこそこ好評だった。その質素な場所で、贅沢よりは清貧を好む王を前に、困り果てている者が二人。彼らの返す言葉に迷っているような、難題に手が付けられない学生のような雰囲気に、そうさせた張本人が苦笑する。
「報告が遅れてすまないね──セリア、モロウ。今朝方の四時からついさっきまでの間に起きたことは、これで全てになる」
なんだか大変なことになってしまったねえ、と。彼女の体格からするとやや大きすぎる椅子へ完全に背を預け、力なく伸びをする。自然体ながらに少なからず疲労を感じさせるその所作に、彼女が『疲れている』ところを見たことがない両名は共に衝撃に近いものを覚えた。
魔女との三連戦、クラエルとの一触即発、からの賢者オレクテムとの腕比べ。これだけの過密スケジュールをこなしたとあればさしもの彼女とて──我らが王にして魔女、絶対なるイデアとてその心身から気怠さを漂わせるのも無理からぬこと……そうとは承知しながらも、やはり何を言えばよいものか二人にはわからない。
まだ明け方のうちにイデアが見知らぬ人間を三人も連れて戻ってきたのがセリアたちからすればつい先ほどのこと。ざっと早口でステイラバートで何があったかを言うだけ言って「あとは任せた」と新顔に託し、こちらの言葉をろくに聞くこともなく早々に姿を消してしまった奔放に過ぎる王に対して、言うべきことではなく言いたいことならたくさん思い浮かぶ。
が、賢明であるセリアとモロウは混乱冷めやらぬ中でも今が火急の事態であることは理解できている。今更糾弾しても益体のないことを口にするよりも、とにかく今後について早急に話し合わねばならない──とは思いつつ、目下の敵であるというオレクテム。彼の言動があまりに荒唐無稽に思えてならない二人には、いまひとつその対策というものが思い浮かばずにいるわけだが。
「イデア様──」
「お師匠様ぁ! お戻りになったって本当で……本当だった!」
扉横に控えているマニが誰何して招き入れる間もなく、自ら入室してそのまま机の前まで猛スピードで駆け寄ってきたのは魔女の二番弟子ミルコット。突風のようにセリアとモロウの間を駆け抜けた彼女を、一瞬のうちに上から下まで眺めたイデアは安心したように頷いた。
「もう起きていたか、ミル。ティアラにたっぷりと絞られたようだったから少し心配していたんだが何事もなさそうで良かったよ。さすがの体力だな」
「はいっ、ミルはとっても元気です! お師匠様の愛のおかげで!」
元より自身の無名呪文である『増殖』によって意識を朦朧とさせつつも自己治癒を済ませていた──修行時代、それができるよう師から苛烈に叩き込まれた成果である──彼女だが、しかし自分にイデアが何をしてくれたのかはちゃんと把握できている。
あまり綺麗とは言い難い塞がり方をしたいくつもの傷痕を抱え、限界の果てまで戦ったせいで魔力が乱れたまま半覚醒の状態にあったミルコット。なまじ度を超えたタフネスを持っているからこそ荒れたままになっている内と外。を、見かねて整えたのがイデアである。ティアラの手に落ちながらも薄ぼんやりと起きていたミルコットもそれでようやく本当の眠りに落ちることができた──その際の安心感、充足感たるや。久方ぶりに師匠から世話を焼かれた嬉しさも相まってミルコットはまさしく夢うつつの幸福を味わったものだ。
その喜びを感謝と共に体いっぱいに表す彼女へ、しかしあたかも冷や水の如くに冷笑がかけられた。
「くすくす……二番目の弟子には随分と可愛らしい子を選ばれたのですね、師匠」
「む……!」
イデアのことしか目に入らず、見えない尻尾を振り続けていたミルコットがそこで初めて師の横に立つ何者かの姿を認めた。まるで秘書や従臣、あるいは生涯のパートナーのようにイデアへ寄り添う彼女が誰なのか、当然ミルコットにはすぐわかった。イデアのことを『師匠』と呼称するのは自分と、弟弟子であるノヴァ。それ以外にはあと一人だけ。
「──あなたが、アーデラ。お師匠様の一番弟子の……」
「ああ、そうだよ。そういう君は私の次のミルコットだね? 初めまして、どうぞよろしく。そして初対面でこんなことは言いたくないんだが」
「な、なに?」
「マナーがなっていないね、君は。師匠はご覧の通り王務についておいでだ。勝手な入室も無遠慮な接近も本来はNG。いくら弟子であってもある程度の礼節は弁えないといけないよ──君のせいで弟子全員、延いては師匠の品格までが疑われてしまいかねないことを覚えておくといい」
「むっ……」
反論の余地はない。儀礼や礼儀等々の知識については疎いミルコットだが、離れ離れだった二十余年分を取り返すためにもとにかくイデアに甘えたい。その一心で場を弁えずに行動してしまったのは確かであり、またその自覚もあるにはあった。一から十まで正しいことを言われている。そうと理解できるので何も言い返せない──けれど初めて目にした、ずっと気にしていた噂の姉弟子。最も早くにイデアに見初められ、最も長くイデアに師事している、最優秀の誉まで与えられている彼女。そんなライバルたるアーデラに上から目線で注意をされたという事実はミルコットにとって非常に重たいものだった。
無遠慮をイデアへ謝ることに否やはない。だがアーデラの指摘によってそうするのは恥辱の極みである。
三弟子の中でもとりわけ好戦的な──というより戦闘を躊躇わない──気質を有する彼女は、それだけ対抗心も強い。本当の弟のように可愛がっていたノヴァであればともかく、黒い森に不在ながらに目の上のたんこぶも同然であったこの女に従うことなどしたくない。けれど状況的に従わざるを得ない。短くも激しい葛藤の末ついに頭を下げようとした彼女を救ったのは、謝罪される側であるイデアその人であった。
「いや、ミルコットはこれでいいよ。礼節なんてそう意識しなくたって何も構いやしないさ……特に俺に対してはね」
「おやおや。甘やかすのは本人のためにならないと思いますよ。そも、私にはそこの教育もしっかりとなさっていたではありませんか。形だけでも他人を敬うように、と」
「そりゃそうだ、お前の態度でマナーまで欠いていたら人間失格だぞ。社会ではやっていけないよ」
「彼女は違うと?」
「見ての通りお前にはない愛嬌があるだろう? それでどうとでもなる」
そもそも、と肘掛けに置いた手にちょこんと顎を乗せてイデアは続けた。
「アーデラにはアーデラの、ノヴァにはノヴァの、そしてミルコットにはミルコットの良さ。個性ってものがある。それを矯正してまで同じような育て方なんてしないさ。それじゃあ何も面白くないからね。だからミルコット、厳しい姉弟子の言うことなんか気にしなくていいんだぞ」
「お師匠様……!」
「ちょっとくらいは気にしてくれてもいいけど」
「お師匠様?」
ごほん、と咳払いがひとつ。話を遮られたままになっていたセリアの控えめながらも毅然とした自己主張に、賑やかにしていた師弟が黙る。
「続けてもよろしいでしょうか?」
「あ、うん。どうぞ」
「では……こちらも礼節としてまずはご挨拶を。改めまして、先ほどイデア様より紹介に与りましたセリア・バーンドゥと──」
「モロウです」
と、小さく頭を下げて名乗るだけに留めた彼にちらりと目をやって、それからセリアは言った。
「お会いできて光栄です、アーデラ様。いつかご尊顔を拝見できればと常々願っておりました。突然にそれが叶って夢のようです」
「やあ、これは丁寧にセリア嬢。君には感謝している、こうして直接に見えたことは私にとっても喜ばしいことだ。──そうだ、エーテル君は元気かな? 彼もこの城に務めていると師匠から聞いたが」
「以前より自信を持ち、明るくなったというのが私の印象です。お時間があれば是非彼とも話をしてあげてください、きっと彼は私以上にそれを心待ちにしていることでしょうから……どうかされましたか、ミルコット様」
幼少の時分より幾度も音に聞いた東方賢者アーデラ。世界有数の魔法使いが一人──まだしも身近に思えるぶん、ある意味で魔女以上に直接的な尊敬と崇拝の対象でもあるその存在を目の前に、普段よりも幾分か興奮した面持ちでいたセリアだったが。ふと自分たちの会話の様子をじっと見つめるミルコットに気付き、その視線があまりにも恨めしさを感じさせるものだから、アーデラへの配慮も頭から抜けて思わずわけを訊ねてみると。
「セリアちゃん、私には言わなかったよね」
「え?」
「『会えて光栄』なんて言わなかった。……私だってお師匠様の弟子なのに」
「あ、いえそれは……」
「あっはっは! そういう台詞は自分の知名度を考えてから吐くといい」
「むぅー! ミル、お前のこと好きじゃない!」
「君に好かれて何か得でもあるかい? あっはっは!」
「きぃーっ!」
「やめろやめろお前たち。今まさに俺の品格が疑われそうになっているから」
「ところでイデア様、確認をしたいのですが」
「おお、これを完全にスルーするか。やるじゃないセリア」
「ありがとうございます」
「で、確認って?」
「正直に申しまして、私の理解の尺度を大きく超える事態となっていますので事項の単純化を図りたいのです。イデア様は件の男オレクテムと対立、真っ向から敵対し、どちらかが『滅ぶ』ことを決着とするつもりでいる──そのために会談とは共に友好的立場となった、ということでよろしいのですね?」
「……ふふ」
イデアが戦うことを、そしてその相手を決めたのなら後はそれに従うだけである。そう言わんばかりに凛々しく問うてくる腹心へ、小さな王はやんわりと微笑んだ。




