169.虚孔
「ガっ……!?」
完孔による吸い上げも魔力防御も突き抜けて。オレクテムの指し示した箇所がなんの抵抗もなく壊れた。体の中身をごっそりと失ったその痛み以上に困惑にこそ顔を歪めるイデアへ、種明かしが行われる。
「魔力因業は高次魔力と通常魔力を重ね合わせて発動させるものだ。先にも見せた通り私は魔素を自在に操れる。多量かつ瞬間的にね。高次魔力の残滓、と言えども贅沢に魔素を用いた魔法が侮れない威力を発揮することは君もよく存じていることだろう……ま、高次魔力単体の出力では到底君たちに敵わないが故の涙ぐましい努力だと思ってくれ」
語る彼の口調は滑らかなものだった──言いながら、少女の胸に向けていた指先を今度はその頭部へと向けて。
「トン、と」
「ッ!」
イデアの顔面が、否、頭が内から吹っ飛んだ。たたらを踏みながらも倒れようとはしない肉体へオレクテムは続け様に指を動かす。
「どれだけ残滓をかき集めても元の素材には戻らない。どれだけ大量の魔素があろうと高次魔力へ復元されることはない──が、それでいい。それがいいのだ。あくまでも別物の魔力、本来混ざり合うことのないそれらを強引に重ねることで強い反発が生まれ、その作用が破壊力に転ずる。そして私はこの斥力を君の内部へ直接発生させているんだよ。距離や防御による魔力減退は皆無さ。ほらこのように……トン、トン、トン、とね」
腕が弾ける。脚が弾ける。腹が弾ける。立ちどころに少女の肉体はもはや原型を留めない肉の塊と化した。その様をにこやかに見つめたままオレクテムは後方へ下がる。それは次なる攻撃に自身が巻き込まれないための退避であった。
「領域は解除されていない。しかし頭部を破壊したからにはその操作が覚束ない、か。これはアビスの深淵領域でも見られた傾向だな」
完孔による吸い上げが弱まった。その結果、今まで遮断されていた螺旋奔流と精霊魔法が領域の壁を突き破って一斉に到達。ズタボロになっているイデアへと襲いかかり、その身体を欠片も残さずに消し飛ばしてしまった。
「だが、復活する」
死んだその場所を復活点にイデアが再構成される──しかし通常なら一秒と経たず終了する過程がいやに長く、少女の形がなかなか定まり切らない。これまでに例のない不調が起こっていることを自覚し、オレクテムへと向けられるイデアの剥き出しの眼球。外眼筋に覆われていく途中のそれの雄弁な視線に、彼は微笑と共に頷いてみせた。
「再生阻害。これも私オリジナルの魔法だよ。君たちの再生並びに復活はどうあっても阻止できない。神の与え給うた機能は止まらない、取り除くこともできない。だがある程度。ほんの少しの間だけなら抑制することはできる。あるいは君が君自身に行うよりも余程に容易くね」
「ふ……」
何を思ってか、オレクテムの言葉にイデアは出来かけの唇で弧を描いた。ふらつく足を引き摺るようにして懸命に歩き、氷が割れて海面の覗くクレバスへと移動。そしてそこから海へ落ちてしまった。ともすれば少しでも距離を取ろうとしたところ誤って落下したようにも思える光景だったが、オレクテムはその可能性を考慮に入れなかった。
「おやおや、時間が欲しいと。再生が完了するまで氷海でかくれんぼをしようというのか──無駄だよ、こちらには精霊の目がある。私の視界から外れたところで隠れられるものではないよ」
あるいは『内部へ発生させる』という魔力因業の特徴を聞いたことで身を隠すことを優先したのかもしれない。その判断自体は正しい、とオレクテムは評価する。好きに指定できると言っても発生点は彼の視界内でなければならないという制限がある。よって対象が精霊の目に映っていたとしてもそれはあくまでクラエルが受け取る視点であるために、オレクテムの指定範囲拡張は叶わない──隠れられてしまえば先のような内部からの破壊はできないのだ。
が、それならそれとして。魔力因業を直接発射してしまえばいい。必ずしも対象の内側に発生させることに拘らずとも、魔力同士の反発は充分過ぎる破壊を生む。再生の終わっていないイデアを追い込むにはこれだけでも事足りるだろう。
「ふふ、ほぅら見つけたぞ。魔力因業──む」
海中深くで尚も沈んでいく小さな体、その正確な位置を精霊とクラエルを通じて受け取る。そこへ届くように指を向けて魔力を練った──より正しくは練り合わせた──瞬間、イデアも動いた。正確な位置が知れたのは向こうも同じ。そうと悟ったオレクテムは急ぎフォビイを傍らへと呼び寄せた。
命令の工程を挟まずその内容の実行に移っていたフォビイは高次魔力を足元に張り、それに合わせてオレクテム自身も攻撃を中断して魔力を防御に回した、その途端に飛び出した黒い光線がそこに音を立ててぶつかった。イデアの放った魔化魔力レーザー。氷地を切り裂いて迫ったそれが二人がかりで作り上げた障壁を丸ごと消し飛ばしたことに、オレクテムは冷や汗をかく。
「ッ、私たちの二重の障壁と相殺。治りかけでもここまでできるのか……!」
再生が、それも頭部の修復が終わるまでは如何に無尽蔵のリソースを有する四姉妹と言えども──特にこの実存世界においてはより顕著に──魔法的技量が鈍るのが道理であるはず。オルトーによって思考力がそこにあると定義づけられているのだから当然だ、考える力なくして魔法は扱えない。遅延魔法や魔法陣といった事前に仕込む魔法類であればその限りではないが、言うまでもなくイデアがやったのはそういった小手先の技ではない。
(素晴らしい想像力に構築力! 傷付いた脳でも魔法を十全に操る技量、そして胆力! 弱気や動揺は魔法使いの天敵だが君ほどそれらと無縁の者も他にいるまいな──イデア! 流石だね、神の傑作にして神殺しよ……!)
そうでなくてはならない。イデアとはオレクテムにとって目標の契機であり目標そのものでもある。ならばこうでなくては張り合いがないというものだ。戦慄と興奮を同時に味わいながら高揚する彼の目の前で海面の一部が盛り上がり、通常ならあり得ない高さまで海流が立ち昇った。その頂点にはイデアの姿がある。
「海水に魔化を施して自らを運ばせたか。すっかりと再生は済んだようだね……けれどそれより。君の横にある『モノ』はいったい何かな?」
イデアに寄り添うように浮かぶそれ。黒々とした球体状の物体が魔力で象られたものであることはオレクテムにもわかっている。故に、彼が訊ねているのは素材ではなくその用途のほうだ。素直な問いかけに、訊ねられた側も素直に答えた。
「領域収縮。ディータに学んだ技術だよ」
「領域の圧縮! なるほどその球体が領域そのものなのか、ということは今感じられている比ではないほどの魔力がそこに凝縮されているものと見たほうがいいね。純粋な技術として認めるところではあるが、しかし『完孔』──察するに理想領域との『完全なる繋がり』を設置することにこそ真価がある君の領域では、今ひとつ収縮の恩恵に与れないように思えるが……?」
「そうでもないさ。小さく纏めることで範囲は狭まるが代わりに魔法的強固さを得るのがこれの肝だろう? 他の魔力を吸い上げて無力化させる『完孔』がより小さくより食いしん坊になったと思ってくれればいい。今のこいつは何もかもを分解してエイドスへぶちまける。たとえどんな物でも咀嚼して破壊し尽くす暴力装置だ──助かるのは理論上、俺たち四姉妹だけってことになる」
「私ではそれに飲み込まれれば確実に死ぬと……面白いではないか」
「ああ、是非楽しんでくれ」
水流から幾つもの水の束が発射される。水槍と化して飛来したそれらをフォビイの高次魔力で防ぎつつ自身は渦中より逃れたオレクテムは、もはや残り僅かとなっている傷付いていない氷地の上で手をついて迅速に魔化を行う。瞬く間に変形し動き出したるは氷のゴーレム──氷同士の擦れる激しい音を産声代わりに生まれた彼は、しかしその直後に黒球に全身の至る所を削られて物言わぬ氷へと戻された。
「……!」
「良い魔化の腕だなオレクテム。だが食欲を増した完孔──『虚孔』には少々食いでの足りないものだったみたいだよ」
「それは申し訳ない。次はもう少し満足させてあげられるといいのだが」
「お前さえ食べさせてもらえればそれで満足だとも。虚孔も、俺もね」
「ふふふ、言ってくれるじゃないか──」
迫りくる虚ろな穴から逃れるため空へ飛び上がるオレクテム。チャフのように高次魔力と通常の魔力をどちらもばら撒きつつ突き放そうとするが、餌として撒いたそれらを全て食らい尽くしながらも虚孔は一定の速度で追ってくる。
(加速はしない、だが止まりもしない。動き方からして自動なのか? 魔力には節操なく飛びついてくれるが咀嚼が早すぎてどのみち時間も距離も大して稼ぐことはできそうにない……困った術だな。これでは防御も利かんだろう)
「鬼ごっこは楽しいかい?」
対処に悩むオレクテムへ揶揄い混じりにかけられた言葉。かくれんぼと揶揄したことへの仕返しであるとすぐに気付いたオレクテムは苦笑し、「ああ」と肯定を返した。それは決して強がりなどではなく──。
「こうすればもっと楽しくなりそうだ」
進路を変えて向かった先には、待機状態のクラエル。その身体をぴたりと自らに沿わせたオレクテムはそこで動きを止めて虚孔の接近を見守り……そして思った通りにクラエルに触れかけた直前で静止したことで、彼女の影に隠れたままニヤリとほくそ笑んだ。
「やはり。お優しいことだねイデア、君は魔女を死なせたくないのだろう……そらチャンスだよクラエル。裂け目を使いなさい」
「──」
何もかもを飲み込む虚孔、が、更にその上から次元の裂け目へと飲み込まれて消えた。




