161.世界の境界
ちょっと状況を整理してみよう。
クラエルの要求は至極単純、『仲間になれ』だ。改めて俺の口から俺の意思の下で『魔女会談』の一員になることをここに誓えと。そう言っているのだ。
これを受け入れた場合のメリットとしては──まあ、受け入れること自体がメリットかな。そうでないと今度こそ会談が俺の敵となる。何せ仲間入りを拒絶するのだから潜在的に敵対的立場となるのは当たり前の話で、そうなると俺としてもちょっとマズい。会談対俺、という前々からなるべく避けたいと思っていた構図が現実のものとなってしまう上に、今のフォビイにはアビスの力が宿っている。……本当にその戦いが避けられないとなれば、世界への影響をなるだけ考慮するなら俺はまたしても始原領域下で完孔に頼る他ないわけだが。しかしながら五人を一度に相手取るとなると領域も五つ立ち塞がるので──合計六つの領域の衝突と混在。そんなシチュエーションには言うまでもなく遭遇したことがなく、始原領域が維持できるかは極めて微妙なところだ。維持さえできればどうとでもなる(と思う)けれど、それが叶わないのであれば竜王との争い以来の大苦戦は免れないだろう。
で、仲間にさえなってしまえばこんな心配はしなくて済むと。しかも俺が枷を嵌めたのが原因で弱っていたところのアビスをカモとして美味しく頂くことを決断したクラエルは、その行為によって更なる敵を呼び寄せる可能性も考慮の上で、なおかつそのリスクを利用までしている。この手を取りさえすれば俺も含めた六人の魔女で姉たちを迎え撃てる……これは確かに俺にとっても美味しい条件と言える。
アビスにやったようなことが姉にも通じるかと言うと、おそらくない。ウテナならともかくエデンにはまず間違いなく魔力棘による改造、なんて手段は通用しない。俺一人では絶対に無理だ。だがそこにフォビイたちの助力があるのなら話も変わってくる。あの二人をまとめて無力化するための算段だって充分に立つだろう……だからとて俺に連携というものが取れるかというとそこは少し怪しくもあるが、まあやってやれないことはないはずだ。たぶん。
とこのように、決して小さくないメリットが多々ありもするけれど。だからとてそこにばかり目を向けず、しっかりデメリットのほうも考えなくてはなるまい──とりあえずは三つ。好都合にも負けないだけの大きな不都合があると自覚しておこう。
まずひとつ。クラエルの提案を良しとするならアビスが帰ってこないこと。それに付随して、姉二人もまたアビスと同じ末路を辿るのではないかという懸念がある。
「聞くまでもないかもしれないが。クラエル、君のベストはアビスだけでなく俺も弱っている状況……つまり共倒れに等しい決着の付き方をしていることだったと思っていいね?」
「……、」
返答の前にこちらからも質問してみた。実際ディータ戦の直後を踏まえるにこれはわざわざ確かめるようなことでもないと思うが、一応ね。するとクラエルはちょっと言葉選びに迷うような素振りを見せて、しかし結局は素直に肯定した。
「その通り、『私にとって』のベストはそれだったわ。あなたとアビスが戦うのであればいっそのことそうなってくれれば、どちらもフォビイに食べさせてしまうことで安全に有効活用ができる。より大事なのは安全の部分。だから今となってはあなたの勝利がベストだったと思い直しているところよ」
「そうか、アビスだけでもお腹いっぱいの様子だものな。そこへ続け様に俺も取り込むとなればどうなっていたかはわからないか」
取り込むことが叶うのであれば、フォビイはいくらでもその腹へ納められるはずだと。さっきまでのクラエルはそう考えていたのだろうから、消化に苦労している彼女を見てヒヤリとしたに違いない。もしも俺とアビスが同様に弱り、一度に取り込む決定をした場合。それが失敗に終わっていたことも大いに考えられる──その甚大に過ぎる危険を知らず回避できていたとなれば、片方だけの吸収に終わったことをベストと見做すのは当然とも言える。
「それだけではないわ。フォビイは元々あなたを問答無用で食すのには難色を示していたから、敗北したのがアビスのほうだったことも結果としては良かったのよ」
「ふむ? そうなのか」
アビスは良くてどうして俺を食べるのは嫌なのか。まさか美味しくなさそうだから、なんて理由ではあるまいな。そうだとするなら傷付くようで傷付かないようでちょっと傷付く不思議な気持ちだが。
疑問に思ってフォビイを見てみると、怖がらせてしまったか彼女はやにわにそわそわとし始めた。酔いは治まってきているようだがこれではまた気分を悪くさせてしまいそうだな。辛抱強くフォビイの口が開くのを待つことしばらく、クラエルに背中をさすられてようやく落ち着いたか、小さな声で彼女は言った。
「だ、だってその……イデアさんは」
「俺がなんだい」
「私たちのお母さん、なんですよね」
「あー……うん、まあ」
「え、えへへ……私、自分に家族が……それもお母さんがいるなんて一度も考えたことなかったんです。だから、なんていうか……とっても嬉しくて。お、お母さんを食べちゃうなんてこと、私はなるべくしたくないです」
「そっかぁ……」
それで言うならアビスは君にとって叔母のようなものなんだが。どうやらそういう意識はまるでないようなので──あるいはあったとしても躊躇いなく食べたのかもしれないが──俺から口出すことではないだろう。魔女が俺と竜王たちの合いの子であることは事実であり、生みの親としての立場を否定するつもりもないからね。
しかしそうか。フォビイはつまるところ、俺と会談が一致団結するのを当然のことだと捉えているのだな。そうではないクラエルは当初俺の吸収も込みで計画していたし、今もこうして交渉のつもりでこの場に立っているというのに。
「勝者に断りなくアビスを取り込ませたのはお察しの通りあなたを味方に引き込む材料が欲しかったから。最低限の戦力の確保という意味もあるけれどね。気掛かりをひとつ解消しておくなら、エイドスの魔女との闘争が起こり、それに勝利したとしても。あなたのこともエイドスの魔女のこともフォビイに取り込ませるつもりはないわ──たとえどれだけ弱っていたとしてもね。そう誓いましょう」
「はは、あくまでアビスは解放しないつもりと」
「担保は必要よ。この子だって心の底ではそう思っているからこそあなたの妹の力を得ることには反対しなかったのよ」
「なるほどね。クレバーなことだ」
言い分は尤もであるが、問題なのは口約束なんてなんの保証にもならないという点だ。少なくともクラエルの言葉に嘘はない。俺や姉たちを食い物にするつもりがない、というのは本心であるだろう──今のところは。
フォビイの消化が進みきちんとアビスの力を操り切れるようになったとき。果たしてクラエルに欲が出てこないかというと、そこは非常に疑わしいと言わざるを得ない。こうしてアビスを餌食としている以上姉たちを食せる場面になったとき同じことをする可能性はとても高く、またフォビイもクラエルの指示であればあっさりとそれに従いそうだ。そうすることで一層に俺を味方として縛れる、とでも言われれば余計にね。要するに『信用がならない』。デメリットのひとつ目を要約するならこの一言に尽きるだろう。
そしてふたつ目に。
「さっきフォビイが開いたのはアビスより綺麗な穴だった。まだしもエイドスとイグジスの境界を保護しやすくて、そこはいいんだけどさ。でも感じているだろう? 俺とアビスが戦った影響で充満するこの異常量の魔素を」
「ええ。世界の壁を越えて漏出した高次魔力の残滓が魔素なのでしょう。だったら直接高次魔力を引き出すあなたとアビスが交戦すればこういうことにもなるわね──竜王のときにはあなた一人でこれ以上の魔素偏向を引き起こしたのよね?」
「あの頃はまだ調節が下手だったからね。今より短気だったせいもあるけれど……まあそれはともかくだ。後半はアビスの領域内で戦ったからどうにかこれだけで済んでいるが、そうでなければ竜魔大戦時にも劣らない規模の魔素偏向が起きていただろう。そうなればここにまた新たな生命体が生まれていたかもしれないし、最悪の場合世界の境界が壊れていたかもしれない。わかるだろう、俺とアビスの二人だけでもこれなんだ」
姉二人がこちらに落ちてきて、アビスを取り返さんとして。俺とフォビイが前面に立ってそれに立ち向かったとすると、今度は四人で高次魔力を撃ち合うことになる。どんなに綺麗に開くことを心がけようがこれでは焼け石に水というものだ──開いた穴が確実に塞がらなくなる。際限なく高次魔力が垂れ流され、魔素偏向どころか未だ例のない魔力偏向現象が起こるだろう。そうなればどうなってしまうかは未知数であるが、それが俺にとって有り難くないことであるのはほぼほぼ確かだ。
「姉と戦闘になること自体を避けたいと? でもあなたは監視役であるアビスの力を封じ込めた。彼女を送り出したのは姉妹の総意なのだから、その時点で残りの二人を呼び寄せているも同然じゃないかしら」
「交渉の余地はあったと思っているよ。それに俺がアビスの身柄を有していれば、戦闘になったとしてもその舞台を移せるだろう? エイドスに戻ればそれでいいんだから」
不利は不利だが、それなら少なくともイグジスへの影響については考えなくていい。だがエイドスへ入れないフォビイがアビスの身柄を預かってしまっていることで事態がややこしくなった。俺一人がエイドスへ戻っても、姉たちはそれに目もくれないだろう。彼女たちからすればアビスを取り戻すためには俺でなく会談と戦う必要があるのだからね。
「クラエル、君だって到底許容できないだろう? この世界がエイドスに飲み込まれるような未曾有を招く行為は──」
「いいえ」
と、彼女は俺の言葉を遮ってきっぱりと言った。
「私はそれも止む無しと考えているわ」




