160.真の仲間
──穴が開いていない。高次魔力の出力以上に目を奪われたのがそこだ。
いや、理想領域へ通じる穴もなしに高次魔力を引き出しているわけではない。アビスを取り込んだ(らしい)フォビイは確かに、他のエイドス魔法の使い手同様に穴を利用している。だがそれは彼女の奥底にて綺麗に縁どられたもの。世界に直接穴を穿つイメージの三弟子やモロウとは違う、存在そのものがエイドスとの媒介である俺やアビスの側に近い開き方。それでいてアビス以上に神経質に──褒め言葉だ──切り揃えられたその枠は、取りも直さずフォビイがそんなことを可能にできるだけの力を。アビス十全の力をその身に宿していることの証左となる。
後天拡張をじりじりと進行中のフラン君。俺が彼に『なってもらいたい』形の一歩手前に、なんとフォビイは自身の能力により一足飛びで辿り着いてしまっている。しかも、俺がアビスへ施した枷すらも関係なしに。これはまったく驚きである──魔女というのは本当に誰も彼もが素晴らしいことだ。
「う──、」
「フォビイ?」
だがさすがに。十全に引き出せる、からこそアビスの力は重きに過ぎるのだろう。一発の試射だけでフォビイは顔色を悪くさせて(元からそんなに良くはなかったけど)蹲った。気遣うようにクラエルがその背中に手を当てたが、それ以上やれることもない。ふむ、とそんな彼女たちを観察して俺は呟く。
「魔力酩酊……に近い症状かな」
「そんなはずは。フォビイが取り込んだ力に振り回されるなんてこと……、」
「ないのか?」
「──普通なら、絶対に。だけどあなたと同格の魔女を身の裡に収めたからには何が起こるかなんてわからないわね」
吐き気を堪えるようにしていて語れない本人に代わり、クラエル曰く。取り込んだ対象の力を完全に支配できるよう、フォビイ自身もまたそれを万全に扱える状態へと変化する。それこそが『死生の魔女』の能力の肝であるとのことだった。確かに奪うだけ奪って使いこなせませんでした、では取り込まれた側が浮かばれないものな。
例えば剣の達人を取り込んだとして。しかしズブの素人がいきなり達人と同じ動きをしても体を壊してしまうだろう。それに耐えられるだけの肉体も同時に得られなければならない──フォビイにはそれが可能。つまるところ彼女は今、自分という器が壊れてしまわぬように作り替わっていっている最中なのだろう。アビスの力にも耐えられる頑強な器へと……しかし、いつもなら取り込んだ時点で完了するその工程にとても手間取っている。不調の原因はおそらくそれだ。
「流石に『深淵の魔女』の容量は破格といったところかしら。フォビイがこんな風に苦しんでいる姿は初めて目にするわ……だけど力の行使自体に問題はない。酩酊もいずれ治まるもの。この程度で済んで重畳、なのでしょうね。今すぐとはいかなくても彼女はいずれアビスの力を物にする。確実にね」
「ほお……」
まあ。魔力暴発であれば少し怪しいところであったが、魔力酩酊で済んでいるのなら。エイドス魔法に順応するのもそう遠くないのではないかと俺も思う──見た限りフォビイの中でアビスは完全に沈黙しているようだ。それができているからにはクラエルの断言も決して早まったものではないはず。けれど、俺からするとだからどうしたという話でもある。
「で、なんなんだ? たった一人の妹を材料に魔女の一人がエイドス魔法をマスターしました……じゃあ、いくら興味深くとも差し引きマイナス。どんなに甘く見積もってもゼロサムだ。そしてそれだけじゃない、エイドスにはあと二人。俺とアビスの『姉』がいるんだぞ。末妹がイグジスの一個に食われた、なんて、そうと知って崇高な姉上様らがどんな行動に出たものか。最悪は魔女の根絶を目的に乗り込んでくることも考えられる」
今し方破格と言わしめたエイドスの魔女。一人だけでも『魔女会談』には手に余る存在が、二人で手に手を取り合って襲ってきたならば──もはやどうすることもできなかろう。一言で表して詰みだ。アビスの取り込みはそのリスクを勘案した上での行為なのかと俺は訊ねているのだ。それに対し、クラエルは神妙な様子で頷いて。
「わかっているわ。あなたたちエイドスの魔女が四姉妹……のようなもの、だというのは他ならぬアビス自身から聞き及んでいた」
「ほほう。なのにこんな真似をしたからには、挽回の一手があるわけだ」
「というよりこれこそが挽回の手立てなのよ。アビス含めて四人もの魔女があなた一人に落とされ、先の臨時会の内容もあって急速な不安定化の一途を辿りつつある会談が、その先に待ち受けている破滅へと行き着いてしまう前に。現状からの回帰を求めるのならこうする他ない」
「うん……? 均衡を乱したことと、シースグラムとの約束を覚えていなかったことについては改めて謝罪するよ。それで会談に打撃を与えてしまったというのならそこも謝っておこう──けどよくわからないな。どうしてアビスを食べることがその改善の手になるんだ? そもそも君はアビスに、俺を御しきれない事態になった場合の対抗手段となることを期待して会談へ誘ったんだろうに」
「ええ。だけど彼女は負けた。対抗手段としての役目を果たせなかった──この時点で私がアビスに期待することはもう何もないの。おわかりかしら?」
「それはまた。一応の仲間を相手に随分と冷たいんだね」
「お互い様よ。アビスだって会談を利用しているつもりだったんでしょうし、そもそも私たちのことを仲間だなんて露ほども思っていなかったはずよ。彼女が待っていたのは常にあなた。あなたが動き出すその時までの暇潰しをしていただけ。そんなことは私にだってわかっていたわ……それでも目を瞑るだけの価値がアビスにはあった」
「でも今はその価値を失った、と。敗北者のアビスを君は捨てる決断をした──いや違うな」
アビスがどんなに対俺用の準備を整え、自信満々な口振りであろうとも。クラエルからすると確実に勝つなどとはとても信じ切れなかったはずだ。五分五分、と臨時会での俺の発言に一人だけ安堵していた彼女のこと、初めからアビスが勝つ想定も負ける想定もしていなければおかしい。負けた場合に切り捨てるのは既定路線として。その切り捨て方にもいくつか候補があり、それらのうちのひとつである『フォビイに取り込ませる』手法を選んだ理由にこそ彼女にとっての本題があるに違いない。
「アビスが勝てば俺もあいつもしばらくイグジスから退場することになるのは間違いなかっただろうから、それは言うまでもなく会談の安定のためには望ましい。反対に負けた場合。アビスをどうするか以上に君の大きな悩みと言えば『俺をどうするか』だものな。つまり、そういうことなのか?」
「そうよ、イデア。あなたが『世界への影響に常に気を配っている』と言ったのを私は忘れていない──それはこの世界と、自分たちの世界。イグジスとエイドスという二重構造がなんらかの形で壊れてしまうのをあなたが忌避している、ということ。そしてそれがあなたたちの使うエイドス魔法でこそ引き起こされるものだとも、理屈は解らずとも私には判っている。そうでなければアビスに勝利できるあなたが多少なりともディータたちに手を焼く理由がないものね」
「…………」
アビスとの戦いにおいては、三人の魔女を下してきたからこそ得られた技術が大いに役立った。それは確実に勝利の要因のひとつに数えられるものであるからして、クラエルの口振りほど危なげなく勝てたわけではないのだが。しかし、魔素偏向現象を始めとした世界に与える影響……それを懸念して普段は決して穴を全開としないこともまた事実なので、決して否定はできないだろう。
「もう予想できているでしょうけれど私から提案させてもらうわ。今こそ真の仲間となりましょうイデア。ただ席を置くだけでなく、真実に会談の一派となるのよ。あなただって二人の姉に好き放題に暴れられては困るのでしょう?」
「それはそうだね。アビスだけでも大変に苦労させられたところだ、次に姉二人をまとめて相手取るなんて恐ろしくて考えたくもない。俺たちに性能差はないけれど性格差はあるからね。特に長姉は戦うとなれば非常に面倒な敵になる──勘弁したい、というのが本音かな」
「だとしたら手を組むしかないわね。二対一……さしものあなたも手が回らないなら、アビスを取り込んだフォビイの手を貸すわ。勿論、及ばずながら私たち四魔女もあなたのサポートに全力を尽くしましょう。エイドスの魔女二人、対、会談の魔女の総力。そういう構図にすれば勝ち目は大いにある。この計算はどこか間違っているかしら?」
「いや、間違いはない。俺だけで立ち向かうよりも遥かに勝算が高くなるのは確かなことだよ」
強いて言うならそんな計算をすること自体が間違いだと思うけれど。しかし俺がルナリスとティアラを倒し、その裏でアーデラとアビスが会談を離反し、その最中にクラエルはここまで考えていたのかと思えば上出来の策か。俺とアビスの対決を今日としたのは、アビス自身がそう決断させようと促した結果ではあるけれど。だが突発的かつ重大な出来事の連続からなんとか持ち直さんとするその姿勢は立派としか言いようがない。
敗北したアビスという不確定要素を排し、フォビイの強化によって会談の戦力を増加させて。そのせいで生じる新たな敵の強大さすら利用して、俺を今一度陣営に取り込まんとすること。些か博打染みているのが気になりはするが、クラエルに打てる手立ての内で最大効能を発揮するのがこれだった、というのは俺にも理解できるので。
「さあイデア──私たちの手を取るか否か。答えを聞かせてくれる?」
さてどうするか。少しばかり悩ましい選択肢である。




