159.臆病
「オレを、ただの人間も同然にした──?」
「それでも不死身のままだし、なんでも言うことを聞かせられるわけでもないから人も同然と言うには少々誇大広告かもしれないが。だけどマニと同じくその首輪はお前の意思では外せやしないぜ、アビス」
「っ!」
そう言われてアビスが咄嗟に己の首元へと手をやれば、見えず触れもしないが確かにそこに何かが嵌められていることに気付く。イデアはそれを「形式上のものだ」と言った。
「それ自体がお前を封じているわけじゃない。あくまで縛りの一部だ。だから壊したって無駄だ……というかまず壊せないけどね、今のお前には」
「これが封印の要じゃねえってんなら、オレがこうなってる原因はなんなんだ」
「原因と言うならそれはお前自身だよ。魔力棘は非物理的に構造を作り替えるためのものだからね。俺の手で『無力な少女』に改造したのさ。意思に関係なくお前の体には自然とセーフティーがかかって理想領域との繋がりが保てなくなっているんだ」
高次魔力を引き出すことを防いでいる、のではなく。アビス自らが高次魔力を引き出すのにストッパーをかけるようにした、というのが正しいところだとイデアは語る。前者と然程手間は変わらずそれでいて各段の手堅さが後者にはある、と。どこか楽しそうに改造案の講釈を垂れる彼女に、そのモルモットたる少女はようやく手足に力が戻ってきたことでぎゅっと拳を握り締めながら。
「オルトーの創造物を意のままに作り替えるなんざ……そんなことは、オルトーにしかできないんじゃなかったのか……!? オレたちを自由にできるのはあいつだけだったはずだろうが!」
「そうだね。根本から質を変えるのは不可能だ、それは創造主にしかできない。俺たちのプログラムは堅固だ。自分を使って実験してきたからそのことは俺が一番よくわかっている──完璧だよ。まさに神の御業、俺たちを本当の意味で殺したり壊したりすることは絶対にできないと知った。そこに改めてオルトーの侘しさを見たが、それはともかくとして。だけど殺し切るためでなければ何も本質をどうこうする必要もないと気付けてからは、とにかく無力化へ舵を切って研究してきたんだ。その成果はご覧の通り、俺の期待以上のものが出来上がったと言っていい」
根幹にあるのは『エイドスの内包化』。その最終目標へ向けたものであり、彼女が培ってきた知識と技術の全てはそれの副産物である。一意専心、とはいかない移り気な性格が災いして本来の研究が遅々として進んでいないのが現状ではあるが、そのおかげでこうして以前は決着つかずだった妹にも勝てたのだからそう悪いことではないだろう──イデアは辛酸を舐めるアビスを観察しながら彼女に打破の手段がないことを確信し、少なからずの達成感を味わう。
「始原領域も、この首輪も。完全に狙い撃ちの技術じゃねえか……てめえも端からオレへの対策を考えてたってことか」
「まあね。俺がとりわけ魔力の干渉力に拘ってきたのも敵に回ったエイドス魔法やその使い手をやり込めるためだ。お前や姉たちがその何よりの筆頭なのは言わずもがな……勝てない敵がいて安眠できるほど豪胆じゃあないからね、俺は。むしろ相当に臆病でもある」
「チッ……」
確かにとんでもなく臆病だ。そして厭らしく計算高い。そうでもなければここまで念の入った対処法など確立できたりしない。臆病だからこそ幾通りもの最悪を想定し、それを回避するための手段を用意することができるのだ。こんなことになるとは想像もしていなかったアビスは故に、戦う前からほぼほぼ勝負は決していたのだと悟った──己の時間を犠牲にイデアの時間を奪おうと考え、領域に引き摺りこむことさえできればそれはそう難しいことではないと。その考えがいかに楽観的で現実を見据え切れていないものであったかを今このとき彼女は痛感する。
よく知っているつもりで、しかし何も知らなかった。イデアという姉の恐ろしさをまだ自分は正しく認識できていなかったのだと、力を失ったアビスにはただ悔やむことしかできない。
「念のために聞くがアビス。俺とお前、勝ったのはどちらかな」
「…………、」
アビスの口から勝者の名を挙げさせんとするイデアに、彼女のほうもまた念のために。もう一度エイドスから高次魔力を手に入れんとしてみるが、やはりさっぱり上手くいかない。穴は開かず再び全身から力が抜けるのみ。こうなってはさしものアビスにももはやどうすることもできず。
「──オレの負けだ。お前の勝ちだよ、糞ったれめ」
素直に敗北を認めるしかなかった。這い蹲っているのが自分で、それを見下ろしているのがイデアで。この状況で口だけで強がってみたところで見苦しいことこの上ない。そんなみっともない真似をするくらいなら潔く負けを受け入れたほうがマシだった。
「アビスは本当に口が悪いなぁ。今日だけでも何度俺にクソと言ってくれたか……まあ、変わらないお前らしさがそれはそれで嬉しくもあるけどさ」
「どーでもいいぜ、んなことは。で? 計画通りに手籠めとしたオレをどうするつもりなんだ。この体を材料にお得意の実験でもしようってか? いいぜ、いくらでも好きにしやがれよ。どうせこの首輪がある限り抵抗できやしねえんだからな」
「いや。いずれはあることに協力してもらいたいとは思っているが、それまでは捕虜のような扱いになるのかな。視線を感じないからにはまだ気付いていないんだろうけど、あんまり惨いことをしたら姉上らがいつ覗いてきてどんな反応をするかわかったものじゃないからね」
「つまり人質みてーなもんか。くっく、だがあの姉さま方がオレなんかのためにてめーの言いなりになると思うか?」
「言いなり、とまではいかなくても交渉の余地くらいは──え?」
不動の姉たちがエイドスから動くかどうか、アビスだけを送り出した判断に責を感じるか否か、その結果どのような決断を下すか。それらについて考えを巡らせていたイデアは、その間も決して油断しているつもりなんてなかったが。しかしそれでも難敵との戦闘終了後、今後の予定を立てるに忙しい時間、多少なりとも用心が薄れたのは確かだろう。
まったくの無音、無気配。イデアにすら前兆を感知されない圧倒的な静けさでアビスの背後に割れ開いた裂け目。そこから飛び出したフォビイがアビスに背中からしがみ付き、舌を深々とその首に突き立てた。目を見開いて驚愕を露わにする彼女が、まるでストローにでも吸い込まれるようにフォビイの体内へと吸引され消えていくのを見て──魔力弾。行為を中断させるべくイデアが咄嗟に放ったそれは、続いて裂け目から出てきたクラエルの風を纏った拳によって逸らされた。
着弾し爆ぜる魔力樹海の根。その衝撃に髪を揺らしつつ、精霊魔法を解いた少女は言った。
「まずは聞いてちょうだい、イデア。今から話すのは私たちにとって極めて重要なことよ」
「…………」
更なる攻撃によって問答を挟む間もなく戦闘が始まることを嫌ったクラエルの切実な声音。それをしかと耳に入れながらもイデアはすぐに応えようとはせず、彼女の後ろにいるフォビイをじっと見つめた。
その視線に怯えたように身じろぎする少女の『どこ』にアビスが収まったのか。魔法の知見に明るいイデアは異様な様を目撃しても戸惑うこともなく分析を行うことができた──が。慣れ親しんだ妹の気配がこの距離で、しかも自分の首輪が嵌ったままであるはずにもかかわらず一切感じられない、見通せない。それには流石の彼女も困惑を隠せずこてりと首を傾げた。
「どういう魔法だ?」
「……それも含めて説明するわ。あなたが聞く態度を取ってくれるのなら」
「いいよ。取り戻すのは簡単じゃなさそうだし、どうせアビスはどんな状態でも死にはしないから」
それ以上に興味があるのはフォビイの能力のほうだろう、と。あっさりと提案に了承したイデアの関心がどこにあるのかを概ね理解しつつ、ひとまず第一関門を突破できたことにクラエルは安堵する。あとはイデアに要求を突き付け、それを飲み込ませるだけ。実に簡単なことである、とクラエルは内心で自身を皮肉った。
「改めて紹介しましょう。彼女はアビスと同じく西方を支配地とする『死生の魔女』フォビイ。その力は対象を我が物として取り込むこと。二つ名が示す通りその者が死んでいようと生きていようと関係なく、未来永劫に己が力として利用できる能力よ。死したる生物の力を引き出すなんてことは私たち魔女にもできないけれど、彼女の特殊な魔力がそれを可能とする」
「ほお、これはまた特異な。それじゃあアビスはその力の餌食となってフォビイに利用されるだけの資源に成り下がったってことか? ……聞くだけじゃにわかには信じ難いな」
フォビイから目を逸らすことなくイデアは否定的に、あるいは挑発的にそう言った。それによっていよいよ落ち着きを失くし始めている少女を、クラエルは「なら試しましょうか」と手心なく自分よりも前に立たせた。
「もう使えるでしょう? やってイデアに見せてあげて」
「あ、は、はい。使えます。でもえっと、ちょっと操作に自信ないかもです……」
「──そう。エイドスの魔女はやはり特別ということね……それでも構わないわ。丁度ここは何もない海の上、壊れて困るものもない。操作に拘らずただ思い切り魔力を撃つだけでいいわ」
こくり、と小さく頷いたフォビイは指定された方向へ腕を伸ばし──そこから海を割らんほどの威力で黒く煮詰まった多量の魔力を放出した。
それは確かに高次魔力であった。そう観測し。
「……!」
突風と水しぶきが舞い上がる中でイデアは驚きつつも、その口元に確かな笑みを浮かべた。




