156.オルトーが死んだ
理想郷歴X097。オルトーが死んだ。
下の世界がようやく形になってきたと。満足そうに話していた矢先のことだった。
絶え間なく観察しながらも積極的に干渉しようとせず、例外的に四姉妹からの口出しがあれば自分のスタンスを曲げてなるべくそれに従うという、下を思い通りにしたいんだかそうじゃないんだかよくわからないことをしていた。なので、多種多様な生物で満たし、その頂点に竜という支配者を置く。思い描いていたらしいその構図を大陸が描くのにはそれなりに時間がかかっていたし、叶った際の彼は本当に嬉しそうにしていたのをよく覚えている。
一緒に観ようと誘われたこともある。何度もだ。アビスの意見も聞かせてくれと。だけどオレはその誘いを断った。一度だってオルトーに意見したことはない。創造主相手にそんなことをしなければならない意味がわからなかった。それに下の世界にだって大した興味もない。オルトーが満足ならそれでいいよ。いつもオレの返事は決まっていた。
上の姉や真ん中の姉も求められれば並んで眺め、捻り出した感想や展望を伝えてはいたが。その本質はオレと同じだった。いや、理想郷の番人としての意識が強いあの二人のこと、オレよりもずっと真面目というだけでオレよりもずっと下の世界への興味なんてなかったはずだ。オレにはわかる。使命感にそこまで厚いほうではないので姉さま方とはあまり気も合いはしないけれど、同じ創造主から生まれ、同じく理想郷の住人であるからには、気が合う合わないという表層的な部分からは決して見えない深い繋がりがあった──と思う。
だがイデアだけはそうではなかった。下への関心薄く、また口出しもするべきではないと強く思うオレたちと違って、あいつだけが実に楽しそうに。オルトーと共に大陸を眺め、その経過を熱心に見守っていた。──今にして思えばあいつの興味は大陸というより、それを神の視点で眺めるオルトー自身にあったのではないか。観察の目がどこに向けられていたのか、そしてそれをオルトーがどう思っていたのか。その真相がどこにあるにせよ、彼はいたくイデアを気に入っていた様子であったこと。それが全ての答えだと言ってもいいだろう。
変わり者のイデア。見た目からして風変りのイデア。四姉妹の中でどうして彼女だけをそんな風に創ったのかと訊ねたこともあった。するとオルトーは愉快そうに答えた。深く輝く黄金の瞳、真っ白で穢れを知らない髪。天使を想って君たちを象ったけれど、彼女だけはそうならなかった。それは私の意図するところではないんだよ、と。──勝手にそうなった? オルトーの意思にそぐわない何かがイデアにはあるのか。それを知ってからはいよいよ彼女が異物に思え、少しだけ怖かった。いつか何かがイデアのせいで決定的に終わってしまうのではないかと、根拠もなくそんな恐怖に怯えた。そんな彼女のほうが上二人の姉よりもずっと気を置かずに話せるという点も、むしろその怯えに拍車をかけた。
言っておくがオレはイデアが嫌いではない。オルトーを最も喜ばせられる彼女のことを心から『凄い』と思っていた──敬愛の対象としていた。二人きりで話している彼と彼女を見かける度に、自分ではあそこに入っていけないと。入ってはいけないのだと自然と足が遠ざかった。当時にそれを話題に出しこそしなかったが、後に聞けば上の姉さま方もオレと変わらなかったらしい。オルトーが楽しそうで、嬉しそうだから。イデアとの時間を邪魔せぬようにと努めていたのだとか。その気持ちは何から何までオレと同じで、そしてだからこそ。
オルトーがイデアの手にかかった際、オレたちには何が起きたのかわからなかった。
どうしてこんなことになったのかという混乱と、やはりこうなってしまったかと腑に落ちる感覚。その双方が強烈なまでに両立していた。不死ではないオルトーを殺す。それは物理的な側面だけで言えばそこまで難しいことではなかったろう。だが、彼の娘たる四姉妹の一人にどうしてそんな真似ができる? オレにも、姉さま方にも、まるでイデアが理解できなかった。その動機も含めて一切合切が謎ばかりだった──あまりに何も見通せぬものだから逆に、イデアなら何をしてもおかしくはない。そんな風に納得までしかけたくらいだった。
創造主なき世界にて、その遣いだけで幾たびの話し合いと闘争が行われ、されど不死身同士決着がつくことはなく、やがてイデアとオレたちは断絶し交流を断つこととなった。それから間もなくイデアが下の世界へ移ったのを感じ取った。何をするつもりかと姉妹揃って──そんなことをしたのはこれが初めてだった──オルトーの台座を使い彼女が落ちた大陸の様子を覗いてみれば。そこではイデアと竜の生存競争が起きていた。
絶句とはこのことだろう。オレも姉さま方も言葉を失ったのは、イデアのそれが大陸に根を張るための合理的処置というよりも単なる憂さ晴らしとしか思えなかったからだ。勿論、経緯は把握している。火蓋を切ったのが竜王の一体であることはわかっている──だがそうだとしても、あえてその口火を燃え盛る大火に転じさせたい意思がイデアにもあったのではないかと。どうしてもそんな疑惑が拭えなかった。
やがてオルトーがそうあれかしと置いた『理性的な統治者』の役を担うシースグラムという白竜までが斃れ。それをしたイデアと、たまたまオルトーや四姉妹と姿形がよく似ている人間と、運良くイデアに頭を垂れることができた精霊。あれだけたくさんの種族に満ちていた大陸に、知的生命体がたった三種類。その目に余る惨状を受けてオレたちは能動的に──これも当然に初めてのことだ──下の世界へ関りを持つことを決意。イデアの監視兼制御役としてオレがその後を追った。
それから。
イデアがすっかりと鳴りを潜め、代わりに台頭した新種族である魔女と接触し、『魔女会談』という五大竜王に代わる統治機構の一員となり。その間なるべくイデアを刺激しないようにと理想郷に帰ることはしなかったが、姉さま方からの指示を仰がずともオレには明確な指針があった。指針と出会えた、と言うべきか。迷いはなかったし、これでいいのだという確信もあった。現にそうして竜が消えて以降の大陸を奇跡的なバランスで成り立たせることができていたのだから……しかしそれも、いつかまたイデアが事を起こすそのときまでの束の間の平穏でしかないこともオレは──オレたちは誰よりも存じていた。
◇◇◇
「どういうことだイデア。てめえが今開けてんのは出口じゃなく入口だ。あっちの世界へ──理想領域に帰るための穴だろうが、それは。そんなもんを領域として『完成させていた』ってのはなんなんだ? オレたちは一度だってそれが開かれたことを観測してねえぞ」
「ふふ……なんだ、やっぱりしっかりと見張っていたんじゃないか。竜魔大戦時に感じた視線からそうと見越してこっそりと入口を作れる技術を磨いたのさ。始原領域はその拡大化を可能とするためのものでもある……実は弟子を取り始めるよりも以前には何度か戻ったりもしていたんだよ。こっちにいるお前にもあっちに残っている姉上たちにも気付かれないように、というのは相当に気を使う必要があって大変だったがね」
自分たちに気取らせずそんなことを。それ自体もアビスにとっては信じ難くあったが、そもそもどうしてイデアはこそこそとエイドスを探るような真似をしたのか。その疑問を読み取ったか、予想できていたのか。質問よりも先に回答があった。
「実験と確認のため、かな」
「実験に、確認だと? なんだそりゃあ、どっちもわけがわからねえぞ。もっと通じるように言えよ」
「前者はともかく、後者は単純だろう。オルトーだよ、オルトー。あいつが生き返ってやしないかとね。それを定期的に確かめたんだ」
「……!」
「だけど二、三百年経ってもちっともエイドスに代わり映えなんてなかったから、どうやら復活はないと判断した。お前がこっちに居座っているのもその証拠に近しいしな」
「てめえ……」
信じ難い奴だ、と。改めて強くそう思った。彼女の能力や手腕以上にその言動や思想の全てが。アビスにはとてもとても理解に難しかった──眩暈がするほどに姉のことがわからなかった。
「創造主を殺して逃げ出して。土をかけたオレらの故郷にのこのこと出戻った上に、技に利用までする。挙句にオルトーの復活がないと知ってその面かよイデア……いったい何を面白がることがあるってんだ!? 何がしたいんだよお前はっ?!」
イデアの後に生まれたときから今日に至るまで。彼女に対してずっと抱き続けてきた蟠りの感情をこれでもかとぶつけるアビス。懸命な妹に、しかし姉はどこまでも自然体で苦笑を見せた。
「そう興奮するなよアビス。そんなにオルトーのことが好きだったのか?」
「ッ……、そういうところだぜ、お前がどうしようもねえのは。創造主なんだぞ、好きとか嫌いとかそんなもんじゃねえだろうが──」
「俺は大好きだったよ」
「──……、」
呆ける。告げられた一瞬、膨大な処理能力を有するアビスの思考力はその全てをたった一言の意味を解することに費やされてなお足りず。まるで時間ごと静止したかのような一拍の間を設けて後、幼児のような口調で聞き返すことしか彼女にはできなかった。
「好き、だった?」
「ああ。後にも先にもあいつほど気の合う奴はいなかった。創造主と被創造物の垣根を越えて俺とあいつは友人だったと思う」
「だったら……」
自分の目に映っていた通り。あの仲睦まじさが虚構などではなく真実であったのなら。どうして。どうして、どうして、どうして。なんで、なんでなんでなんで──、
「なんでオルトーを! オレたちを! 裏切ることができたんだッ、イデアぁ!!」
激したアビスの振り上げた腕に、領域の破片が何重にもなって巻き付いた。




