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153.世界に囚われている

「深淵領域、ね……いよいよとっておきの披露か?」


 アビスと、俺と彼女を取り囲む異空間を順に観察する。平らで飾りも凹凸もない壁が四方に設けられたここは、まさしく小箱の中といった風情だ。どの壁面を見ても魔法的な綻びは少しも見つからない。……外界との断絶にかけてルナリスの領域を超えるものがあるとはね。あれにも相当に感心させられたばかりだというのに、半日と経たずに記録が更新されるというのは──うん。これだから魔法は面白い。


 くくっ、と喉を鳴らしたアビスが俺に言う。


「その反応。さてはこいつのことを知ってやがったな? お前に伝えられるとしたらディータかアーデラぐらいのはずだが」


「教えてくれたのはディータだけど……アーデラにも試したのか?」


「バーカ、賢者なんかじゃ試し撃ちにもなりゃしねえだろうが。あいつにゃ訊かれたから答えてやっただけさ。お前への秘策にどんな用意があるのかってのをやたらと気にするもんだからな」


「だとしても素直に教える意味もわからないが」


 俺を『魔女会談マレフィキウム』と関わらせようとするアーデラの行為を、何か理由あって見て見ぬふりをしていたらしいアビスだ。今日まで、あるいはディータの襲撃を切っ掛けに俺が会談へ顔を出すことが決定されたあの日までは共同関係にあったことは確かだろう。だがしかしアーデラも言っていたように、それがほんの一時的なものであり、決して信の置ける仲間同士になれてはいないのだと。そんなことはアビスとて重々に承知していたはずだ……とすれば、いざとなれば反目し合う相手に対して手の内を明かすメリットなどなかろうに。虚偽の情報を流すのならともかくとして、けれどアビスはそういった細やかな──せせこましいとも言う──策を弄したわけでもなさそうだし。


「別にメリットもねーがデメリットもねーからな。仮にアーデラが生意気にも、師匠であるお前が少しでも有利になるようにとこの深淵領域を詳らかに伝えていようといなかろうと。だからってすぐに対策できるもんじゃあない……だろ? イデア」


 得意な様子でアビスは両腕を広げ、この空間を。異空間を──否。一個の『異世界』を示しながら続けた。


「どうだよ。戦闘面以外なら自慢できるほどに鍛えてきたんだろうが? だったらその目でも見抜けてるはずだぜ、ここがどれだけ外と遠い世界なのかを」


「まあね。魔力を空間に満たすことで自身優位の力場を作り出す領域という技術……それにこんな領域・・があったとは素直に驚きだ。おそらくこれの前身を指してなおディータが『到達点』と称したのも頷ける──だけど。壁が強固なのはいいが、ちと狭すぎやしないかアビス。これじゃ異世界と言っても小部屋もいいところだ。理想領域エイドスのようにとは求めないけれど、創造主を気取るならこの矮小さはいただけないな」


「けっ、言ってくれるじゃねえか。だったら大手を振って出ていくがいいぜ。ここを単なる小部屋だと思うんならな」


 ふわりとそこに溶け込むようにしてアビスの姿が消えた。魔力の足跡を辿ろうとしたが、あまりにも気配に乏しくてそれは叶わなかった。むむ、今の今までそこにいたことは間違いなく、一応はさっきみたいに見失わないようにと気を付けていたのだがな。それでもアビスがどこへ隠れたのか捉えられなかった──ひょっとするとこれは、そういうことなのか?


 その点も含めて少しばかり匂い立つ違和感の正体を突き止めようと。アビスの行方は保留としておき、まずは壁際まで移動。触れてもなんの感触もしなければ冷たくも熱くもないその壁面を矯めつ眇めつ眺めて、ひとまず魔化を試す。魔力魔化と同じ要領でやればこの強固な領域にもティアラの拡散領域にそうしたようにアクセスし、こちらから干渉できるのではないか。と、思ったんだが。


「てんで駄目か」


 まったく魔力が浸透しない。流れていかないというより流れた先からどこかへ消えていっている感じだ。受け付けない、ではなく、するりと通り抜けて手元に残らない。これでは定着のさせようがなく、定着しないのであれば魔化は実現しない。さすがにそれくらいは対策済みか、と俺は息を吐く。


 そも、ティアラの領域に干渉できたのは彼女のそれが実に彼女らしく開けっ広げであったからだ。仮に事前に魔力魔化を覚えていたとて、例えばルナリスの領域に同じことができたかと言えば怪しいところだし、ディータの黒鉄城だってそれは変わらない。小技程度ならともかく領域は絶対的に術者有利のフィールドを作るためのものであるからして。他者の魔法へちょっかいをかけることが多少なりとも人より上手くできる俺であってもそのアドバンテージを覆すのは容易ではないのだ。


 とはいえ。その理屈が柵となるのはあくまで干渉に拘った場合の話。


 相手の本気、もしくは本と言ってもいい全力が見たいと。そう願うからこそしなかったというだけで単に領域から逃れる、無力化させるだけならもっと簡単な手法がある。人並み外れた怪力を持つ者であれば金庫を開錠するよりも壊してしまったほうが余程に手っ取り早く扉を開けられるように、魔力を通じて干渉するよりも、魔力をぶつけて破壊するほうが俺にとっては遥かに難度が低いのだ。


「魔化魔力触腕」


 簡易領域を圧し固めて作った魔力の腕。に、更に魔力を重ね掛けて定着させた強化版触腕。竜との抗争時代にこそ欲しかったその技で──当時の自分の発想の貧困さを呪うばかりである──領域の壁を思い切り叩き、殴り抜く。抵抗は強かったが負けじとぐっと押し込めばどうにか破ることができた。バリン、と鏡が割れるような音で異世界を象る枠が剥がれて……気付けば俺はもうひとつの異世界にいた。


「……!?」


 背後を見る。今し方設けたばかりの大穴があるはずのそこには、もう何もなく。代わりに新たな壁がこちらを見下ろすようにそびえ立っていた。


「これは……」


 確かめるために新品の壁に触れてみると、やはり感触も温度もなく。されど先のものとは確かに別個の壁として感じられた。振り返って反対側と、そして左右へも視線を走らせるが。四角四面に区切られた世界もまた先とまったく同じ、ながらに異なった空間であることが窺えた。


 触腕を伸ばし、天井を叩く。既視感しかない抵抗を突き破ってみれば鎖の切れたシャンデリアの如くに世界がそのまま落ちてきて──潜ってみればまた新しい世界に囚われる。今度は床を。変わらない。今度は同時に二面を。変わらない。今度はとにかく速さを求めて絶え間なく壁を壊し続けたが──変わらない。


 俺は世界に囚われている。


「多層構造領域……!」


 間違いない、この領域は一連一個ではない。幾つもの小さな世界が不定数連なって一個となった、まるで群体のような領域である。俺がいるここが全体の中心で、壁を壊して世界を越える度に。その都度中心が入れ替わり、世界を囲う別の世界が新たに生成される仕組みとなっている。外に面した壁でありながら真に外界と隣り合っているわけではない。そういう魔法的理屈によって俺は二重にも三重にも脱出から遠ざけられている。これではいくら暴れようと駆け抜けようと永遠に外には辿り着かない。目指したとてただひたすらに堂々巡りを繰り返すだけだ。


「──理解したかよイデア。オレの世界に閉じ込められるってのがどんなことを意味するのか」


「アビス」


「くっく、その顔付き。どうやらよーくわかってくれたみてえだな。折しもてめえ自身がこいつを『とっておき』と言ったのは何より正しかったってことさ」


「……、」


 気付けばすぐ近くにいて、壁に寄りかかっていたアビスは。そっとそこから身を離し、自らの領域の出来を確かめるように歩きながら言った。


「だがオレだって馬鹿じゃあねえ。単に『出口を作らせねえ』ってだけでお前を封じ込められるなんざ思っちゃいねえさ。いいかイデア、この深淵領域はな。お前への攻撃性能を以って完成となるんだ。こんな風に……!」


「!」


 牙を剥く。まさしくそういった光景だった──自壊するように独りでに割れ、俺に突き立ってくる世界の破片たち。大方は魔力触腕で打ち払いはしたもののいくらか傷を貰ってしまった。中心へ移り変わった下の世界へ着地した途端、そこも砕けてより細分化された破片が押し寄せてくる。咄嗟に破片ではなく俺自身を触腕で掴み、放り投げることでそれから逃れたものの。


 その先でそそり立っていた世界の切っ先にあえなく背中から腹までを貫かれる。


「っく……、」


「ハハハッ、いいザマじゃねえかイデア。どうだよ! エイドスからは逃げ出せたお前でもここからは逃げられやしねえぞ──なんせ襲いかかるのは領域だけじゃねえ、このオレもそこに加わるんだからな」


 ぬるりと俺の真横から生えてきたアビスが、乱雑に。この上なく暴力的に腕を突き出してきた。その掌打というより獣が爪を振るうような一撃を尖った壁面に刺さったまま食らったことで、俺は四肢を飛び散らせながら放物線を描き、その先で既に待っていたアビスと新たに生まれた破片の群れに出迎えられて全身を千々に引き裂かれた。……そんな調子が何度も続く。


 再生と破壊。奇しくもアビスの領域と俺は鏡映しのように同じ工程を繰り返し、それがいつまで経っても終わることがない。まさに無間地獄。この世の終わりへと俺は招待されたらしい。


 ああ、見誤っていた。もはや罠を気にするでもなく果敢に殺し、とにかく俺に何もさせないことに終始するアビスを見て、彼女の真意。この特殊に過ぎる深淵領域が生み出された本当の目的がなんなのか見えてきた。


 ──ならば取るべき手段は、たったひとつである。



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