152.深淵領域
「んだこりゃ──ッぐ、」
体を覆い舐め回した食指が突き刺さる。そのままより深くへ侵入しよう、としたところでアビスの全身から例の黒い閃光が起こった。またしても自爆、それによる脱出。食指だけでなくアビスの手の内にあった俺(の頭)も諸共に吹き飛び、樹海の一部に魔力の河川も黒樹もない空白地帯が出来上がった──その二秒後には、即席の広場を挟んで俺たちは向かい合っていた。
「自決の判断が早いな、アビス。諦めが早いと言い換えることもできるが」
「そりゃてめーもだろうが、イデア。……あのまんま捕まってたらオレはどうなってたんだ?」
「さてね。そうはならなかったんだから聞かなくていいんじゃないか」
「けっ、違いねえ──しっかし本当に用意のいいことだな。死に続けたとき用の備えまでしてやがるとはよ」
ふ、とアビスの言葉に俺は笑う。その通りだ。魔力食指は復活点が作られない程度に俺を優しく殺し続けしかも再生すら完了させてくれないという、再生原則に詳しい相手。つまるところ俺以外の三姉妹と敵対した場合に備えての仕込みである。完全再生の未完が続けば自動的に発動し、自律的に至近の者を順に襲うようにできており、そこに俺の意思は介入しない。だからこそ頭を掻き回されていても──いや掻き回されていたからこそ勝手に作動してしまったわけだ。
「実存世界の連中にそこまで追い詰められる想定なんざするはずもねえもんな。お前はつい最近まで魔女の存在すら知らなかったようだが、知ったからといってンなもんせこせこと仕込まねーだろう……つまり完全に同族用の対策! オレがこっちに来てるってんでいつかこうなると見越して用意してたと。なんともお前らしい周到さだぜイデア」
「そうだね。姉妹用の罠と言っても変わらず実家の番人であられる上の二人より、ご近所に越してきたお前との衝突に備えての用心だったと言うべきだろう。だけどアビス、それを言うならお前だってそうじゃないか」
「あん?」
「殺意の高い魔法の数々に、俺の感知を縫った移動。そして復活点の看破……これらは想定なくして身に付くものじゃあないだろう。全ては今、この瞬間に向けて。俺を屈服させるために発想し練習し習得した技術だ。ちっともお前らしくない周到さでな、アビス」
「ハッ……オレらしさを訳知り顔で語ってくれるなよ、不良姉が」
「ああ悪かった。それじゃあもっと見せてくれるかい? この不肖の姉に、成長した妹の雄姿ってものを」
会話の最中、アビスが密やかに動かしていた高次魔力が広場周囲の木々を破裂させるようにして押し寄せてきた。俺は上空に飛び上がることでそれに巻き込まれることを避けたが、アビスはその場から動こうとせず。
「臆面もなくよくぞ言い切りやがったな……いいぜ、見せてやるよ。オレがこの日のために用意した何もかもを」
「!」
黒い魔力に飲まれて見えなくなったアビス。その気配が完全に立ち消えたことでしまったと思った──大まかにでもあいつがどこにいるかわかっていないと魔力を読むのは難しい。このアビスの魔力に満ちた森で一から本体──それも移動時には魔力を鎮めることをする──を特定しようというのは、まさに藁山から一本の針を見つけ出すが如し。どちらかと言えばそういうのが得意な俺であっても、これだけ濃密な高次魔力を前には非常に厳しいと言わざるを得ない。
「じゃあ代わりに探してくれ、黒樹たち」
俺製とはいえほとんどアビスの魔力で育ったものなので、そのぶんリンクが弱くてちょっとばかし操るに面倒ではあるが。それでも眼下にある魔力河川の底を総浚いすることくらいならできる。まだそう離れてはいないだろうしこれで位置も掴めるだろう──という推量があっさりと裏切られる。
「どこにもいない……?」
目で見える範囲は確かに黒樹に探らせたのだが。蟻の子一匹とまでは言わずとも子鼠だって見逃さない程度には密に黒樹を動かした……なのに引っかかるものは何ひとつとして発見できなかったのだ。見えなくなった途端に高速で離脱した? もしくは外部からの干渉を受けないような魔法でも使って黒樹の手を躱したか。
どちらも考えにくいことだ。前者はそうする意味がわからないし、後者に関してはそんな魔法を使われたならさすがにその反応を見逃すはずがない。小さな針でもそれ自体が光ってくれるなら見つけ出すのは容易なのだ。……となると推測するに、アビスは離れもしなければ魔法も使わずに隠れおおせていることになる。その真相や如何に?
ふーむ、と顎に手を当てつつ名探偵の気分で高度を下ろしてみた途端。ドパっと真下の魔力が弾けた。そこにいたのか、と隠密の手法解明は一旦置いておいて襲いくるであろうアビスへの対処に臨もうとした俺は大きく目を見開いた──いない。魔力が飛び散ったことで見えるようになったその一部に、それを行った当人の姿がどこにもないではないか。
どういうことだ、と困惑も束の間。次の瞬間に俺は魔力に拘束されていた。なんの規則性もなく飛散しただけに見えた魔力が異様に素早く結集し、その中心にいた俺を雁字搦めにしたのだ。ベギリ、ととりあえずと言わんばかりに首と両手足をへし折られた俺の耳元で声がする。
「へっ。疑い深いてめーを出し抜くのは悪くねー気分だぜ」
「……!」
間違いない、これはアビスの声音。が、すぐ傍から。この俺を捉えている魔力そのものから聞こえてくる! 今度こそ心底から感嘆する──肉体の形状変化。それも単に形を変えただけでなく魔力と同化するというもう一段階上の難度の技を、アビスは当たり前のように使いこなしている。
俺たち四姉妹は状態が固定されている。部品を失くそうが命を落とそうが元通りになるのはこれが理由であり、再生原則もそれに則ってできている。傷等で一瞬とはいえ俺たちの肉体を上書きするのが可能であるように必ずしも固定は絶対不動のものではないが。しかし上書きを少しでも長く持続させようとするのはとても難儀である──早く再生させるぶんには簡単だが、遅く再生させるのは難しいのだ。ましてや魔法を用いて素の肉体から大きく変化させようと思うとそれはもう桁外れの労力と集中力を割かねばならず、俺で言えばミルコットの増殖魔法の真似事が精々といった程度にしかそれを自分には行えない。
だが、そんな俺たちにとって超難度の技術をアビスは、少なくとも自前の魔力との同化においては完璧にマスターしているものと見ていい。すごいな。こんなことが可能だとは思いもしなかったぞ。予想外の予想すらも超えて今日初めて、妹は姉の期待を高々と飛び越してくれた。なんて喜ばしいことだろう。
「チッ、やられるほどに嬉しそうにしやがって気色悪ぃ。そのふざけた笑みを消してやるぜ」
「やっで……みてくれ」
治り切る、前に再び増す圧力。アビスが同化しているのだから当然と言えば当然だが、先ほど魔力のみに捕らわれていたとき以上の拘束具相。かつ、先ほどと同じ手段では逃れられないようにと注意までされている。それに食指の罠を受けてだろう、殺し加減がもう少しだけ緩められている。罠が作動しない程度に俺を丁寧に死なせ続ける、というのが今の彼女の方針であるらしい。肉体に果てがない以上は精神を擦り切れさせるのが狙い、といったところか。まあ、不死同士なのだから決着をつけるとすればそれが定石。イグジスに移ってきたばかりの頃に戦っていたのならどんなに果てしなくとも俺だってメンタルアウトに勝機を見出していたことだろう。けれど今の狙いはそうじゃない。
さておき、だ。まだしも甘い殺し方のおかげで──鈍化しているとはいえ──どうにか思考もできているので、またぞろ少し考えてみたのだが。しかしこの状況からするともはや節約に気を置いたままでの脱出は不可能と結論が出た。いやさもっと落ち着いて考えられたなら何か良いアイディアのひとつやふたつも浮かんだかもしれないが。何しろどこもかしこも締め付けられているせいでひと息つくことも許されていないからね。どのみちこれではじっくりと案を練ることもできやしない……ならば時間をかけるだけ無駄というものだろう。
「魔力繚乱──」
「!」
蝶に鳥に龍。俺の魔力から生まれ広がっていく幻想生物たち。黒一色に染まったその姿は高次魔力をふんだんに煮詰めている証拠だ。それを花火の如く俺の肉体から発散させることで不定形の拘束具と化しているアビスを脱ぎ去った。再度の舌打ちを残して俺から離れた同化魔力はその場でぎゅるりと回って固まり、それからアビス本来の恰好に戻った。そこに殺到する魔力龍、遅れて鳥と蝶の群れ。──隙間なく襲いかかるそれらをアビスならまとめて薙ぎ払うことを選択するだろう。
螺旋奔流か、魔力弾の連発か、はたまた三度の自爆でもするか。どうするにせよ大技の使用は間違いないので、その隙を狙い撃たんと俺もポジショニングしつつ高次魔力を引き出そうとして……そして『世界が切り替わった』。
「何……、」
瞬き。ネガフィルムのように色が反転し、また戻る。世界が作り替わった──あるいは入れ替わった。その過程において押し出された魔力繚乱で生み出した生物たちは泡沫よりも簡単に呆気なく、まるで在する資格もなしとばかりに全て潰されて消えてしまった。魔力樹海も同様に、原型は留めつつも圧力に屈して追い出された。
……ひとまとめに薙ぎ払う、という選択自体は想像通りであったがそのやり方がまさかこれだとは……これはそう、おそらく。ディータがくれた警告にあった通り。
彼女曰くの『領域の到達点』──。
「深淵領域。わかりやすくそんな風にでも名付けてみるか?」
小さな箱の中心で、世界の創造主はそう言って笑った。
それはきっと俺そっくりの笑みだった。




