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144.賢者という肩書き

「イデア」


「うん?」


 道中特に何を話すでもなく、互いに無言のままに辿り着いた裂け目の出口。そこを潜ろうとしたところで不意にクラエルが言った。


「私はここまでにしておくわ。アビスにもアーデラにも聞きたいことはあるけれど、もしもあなたたちが戦うようならそれに巻き込まれるのはごめんだもの」


 なんだ、本当に案内だけのつもりだったのか。彼女も対面の場に加わるだろうと思っていただけに少し驚かされた……が、アビスがどう出てくるか。それを俺に見極めさせてからの参加でもクラエルとしては何も遅くないのだから、ここで慎重になるのは当然か。


 会談を裏切ったアーデラの安否を気にかける理由が彼女にはない。だからこそ焦りも何もなく打ち明け話にのんびりと興じることができたわけで、おかげで俺はおっとり刀である。まあ、話すべきことを話し終えたところでしっかりとアーデラの窮状を知らせてくれはしたが。そうでないとこうして救助に向かうこともできなかったので一応の感謝はしておきたい……しかし、それが離反者とはいえこれまで仲間としてやってきた彼女への温情なのかどうか。そこがちょっとよくわからない。


 今は、まだね。


「いざとなれば君の裂け目がいい逃げ道になると思っていたんだけどな」


「逃げる算段なんてらしくないわね。どんな相手だろうと自分を邪魔する者は許さない、と。竜王に啖呵を切ったのがイデアという魔女でしょう。それとも同郷の魔女は例外なのかしら?」


 いやいや。勝てないと思えば普通に逃げるけどね、俺は。ただ幸いにして過去一度も逃げる必要になど駆られなかったというだけで。別に不退転の拘りがあるわけではないのだ──そうは言ってもいざそういう場面が来れば、ほんの少しばかり矜持も傷付くかもしれないが。


「アーデラだけでも君に連れていってもらおうかとね……何せあいつを守るための手が回らない可能性もあるから。一応言っておくと、俺は逃げないよ。そもそもアビスを相手に逃げの一手が通じるとも思っていない。誰かがあいつを抑えておかなくちゃな」


「なるほど、ね。でもそこは自力でどうにかしてちょうだい。きっとそう難儀もしないでしょう……アーデラが今でも五体満足ということは、おそらく。アビスの目的は彼女ではなくあなたのほうだろうから」


「アーデラは俺を呼ぶ餌。君もそう思うか?」


「ええ。そうでもなければまず、私たちからアーデラを奪うようなことだってアビスはしないでしょう」


 うむ、言えている。仮に二人がなんらかの共謀の下に動いていたとしてもだ。離反仲間であったとて、アビスが殊勝にもそれを助けようという使命感に突き動かされるとはとてもではないが考えられない。仮に自身の責任でアーデラが死んでもあいつはなんとも思うまい……イグジスの一個に対する情のかけ方などその程度だろう。必然的に、アビスがこの先で何をしているかと言えば『俺を待っている』のだと見做すのが自然である。


「まだ決定は下っていないけれど。今も会談の一員であるか否かを考えたとき、彼女たちは現在極めて微妙な立ち位置にいるわ。よってアビスやアーデラが何をしようとも私たちが直ちに責任を取ることもない。即罰の規定は初めて適用されるかもしれないけれどね」


「それ、十二箇条とやらをかなり都合よく解釈していないかい?」


「あなたに合わせてあげているつもりよ、第一席のイデア。あの二人はともかくあなた自身は『魔女会談マレフィキウム』の一員にして筆頭なのだから……どうか穏便に、それが叶わずともせめて魔女らしく。アビスの横暴を許さずにいてくれると助かるわ」


「煽ってくれるじゃないか、クラエル。そんなにアビスと戦わせたいのか?」


「まさか。エイドスの魔女同士がぶつかり合うなんて悲劇、起こらないに越したことはないもの」


「ふふ、そうだな。俺もそう思うよ──心からね」


 だけども。俺やクラエルの思惑がどこにあれど、どうであれど。結局のところはそうなるのだろうな、というなんとなくの予感。時折舞い降りる根拠のない直感にして著しく精度の高い予報・・が頭の奥で鳴っている、鳴ってしまっているからには。もはやそれは避けられないことなのだろう。


「あいわかった。君の助けは期待しない。そして俺がしくじれば君たちが尻ぬぐいすることになるというのも、きちんと把握した。曲がりなりにも生みの親として娘たちにそんな真似をさせるのもどうかと思うから──」


 生みの親、娘たち。そのワードにクラエルが微かに眉を動かしたのを可笑しく思いつつ、続ける。


「──五分五分だなんて弱気は言わず、確実にアビスを上回ってみせると確約しよう。それでいいかな?」


「ええ、十二分の保証だわ。是非とも前時代の支配者をたった一人で下したその手腕……アビスを相手にも存分に発揮してもらいたい」


 やはり戦闘を景気付けるような言葉を、なのにどことなく悲壮な面持ちで告げるクラエル。そんなちぐはぐな様子に俺は微笑みかけ、それからひょいと裂け目を越えた。見えない足場が途切れてふらりと体が投げ出される。目の前の口がすぐに閉じたのと同時、凪いでいた空気が動き出し下から上に風が吹き出した──つまりは落下しているのだ。


「よっと」


 空中で姿勢を整え、着陸(墜落)の直前で勢いを弱めて足から着地する。潮風に揺れるローブが捲れ上がらないように手で押さえつつ顔を上げれば。崖際となっている海岸の向こう、遥かな水平線と空という青と青のコントラスに浮かび上がる小さな人影がふたつばかし見えた。それらは海を背にしてこちらを向いたものの、動こうとする気配はなく。仕方がないので俺のほうから出向くことにする。


 と、その途中で崖に立つ片割れだけが歩み寄ってきた。お互いに距離を詰めることであっという間に接近し、俺たちはそこでどちらからともなく立ち止まってお互いの顔を見合う。


「アーデラ」


「師匠」


 おおよそ百年ぶりに会う彼女。順番においても成績においても紛うことなき一番弟子のアーデラは、記憶の中の姿とまるで変わりがなかった。それぞれ二十年と三十年の期間でミルコットは発育が更に良くなっていたし、ノヴァだって僅かなりとも背を伸ばしていたというのに。アーデラは一世紀経っても外見に変化がない……以前より多少髪を伸ばしているとか、少女趣味だった服装が少しは魔法使いらしい恰好になっているとか、それくらいのごく小さな変化ならあるが。しかしこんなのはたった一日どころか一時間もあればアレンジできるような変貌とも呼べないようなものだ。


「成長したな。その変わりのなさ、見違えた・・・・ぞ」


 魔力にはそれそのものに力がある。その扱いに長ければ長けるほど……つまりは魔法使いとして一流であればあるほど魔力の恩恵に与ることとなり、人は力を持つ。その最もわかりやすい例示が不老(へ近づくこと)にあるのは、超高齢ながらに肉体的不調の一切ないダンバスやモーデウスが証人であり、更にクアラルブルなどはその一点に関しては彼らよりも上の物を持っている。けれど、そんな圧倒的な実年齢と若々しさの乖離を誇る彼女であってもアーデラには遠く及ばない。


 約百二十歳。おそらくモーデウスよりも幾つか年上でありながらこの若輩もいいところの外見。そして何より百年が経過しながら俺の目にも目立った変化が見つけられないという異様なまでの維持性。これ即ち、俺の予想違わずアーデラは他の賢者と比べても頭ひとつかふたつは抜け出た魔法使いである、ということだ。これは師としての贔屓目を抜きにしても間違いない評価であろう。


 傍まで寄ってアーデラを見上げる。身長もやはり別れる前と変わっておらず、ミルコットよりちょっと高いくらいか。関係ないが背丈のことで悩んでいるノヴァは悩んでいるだけあってミルコットよりもだいぶ……おっと、これ以上は彼の名誉のためにも黙っておこうかな。もう遅い気もするけど。


 感心しながらつぶさに眺める俺に、その視線を浴びてニヤリと笑った彼女は。


「師匠こそ。なんらお変わりなくご壮健そうでアーデラは安心しましたよ」


「安心?」


「ええ。私という優秀な弟子兼介護者・・・がいなくなったことで大層にご苦労なされているだろうな、と。その結果口酸っぱく唱えていた研鑽と向上の心も忘れて師匠が腑抜けてやしないかと、そればかりを心配していたものですから」


「介護て」


 年寄りの自覚はあってもさすがに要介護者になった覚えはないぞ。……まあ。師は弟子を育て、弟子は師を育てとも言う。まさにこの言葉通りで、アーデラを育成する日々において俺のほうが教えられたことも少なくない。というか滅茶苦茶いっぱいあるので、あまり強く否定もできないのだけれど。


「勿論ジョークです。師匠周辺の情報は常に集めてもいましたから、私が去った後にも黒い森がいつも通りであったことは把握していますよ。あなたが他にも弟子を取ったのには些か驚かされましたけどね……ふふ、まさか私以上の傑作が作れるとでも血迷いになられましたか?」


「相変わらず尊大なことだなアーデラ……たぶんそういうところだぞ、お前がいまいちクラエル始め魔女たちから信用されていなかったっぽい原因は」


「構いませんよ。必要だったのは魔女からの信用ではなく賢者という肩書きですから」


 だけどそれももういらない、と。せいせいしたと言わんばかりの口調でアーデラは言った。それを受けて俺も再会の喜びを引っ込め、ちょっとだけ真剣に訊ねてみることにした。


「なあ、教えてくれアーデラ。──お前はいったい何がしたいんだ?」



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