134.威圧感
そのとき、まずアルクラッドが覚えたものは息苦しさだった。
突如として出現したそれの正体は判っている──『晴嵐』が使用する移動手段、『裂け目』と呼ばれる異空間通路。クラエルがそこを通って西方にまで足を運ぶことは、そう多くはないが少なくもない。その用件は大方がフォビイに対してのものだったが賢者としてアルクラッドもそこに同席することで何度となく使用例を目にしてきている。空気を軋ませる独特な感覚にこそ未だ慣れずにいるが、別段『裂け目』それ自体に戸惑う理由はどこにもない。なのに、どうしてこんなにも胸がざわつくのだろう……体温というよりも血が冷えていくような奇妙な寒々しさに彼は大いに戸惑った。
和やかに会話していたルナリスとフォビイも口を閉じ、ゆっくりと広がる空間の穴をじっと見つめている。魔女の二人だ、きっと自分以上にこの異様な空気感を生み出す原因となるものを強く感じていることだろう。両者が揃って沈黙した点からもそれは確かだが──しかしいったい、クラエルは何を引き連れてこの円卓の間へ姿を現わそうとしているのか?
「気をしゃんと持つことだ、アル坊。お前さんにゃちとキツイだろうからな」
見るからに動じている後輩賢者へ、諭すようにスクリットが言った。『裂け目』から彼へ視線を戻したアルクラッドは先達からの忠告の意味が噛み砕けずにいるようだった。
「俺にはキツイって、どういうことですかスクリット殿」
「そいつはアル坊が魔女様と仲良しこよしの珍しい賢者だからだよ」
「……? フォビイ様と親しくしているのがどうして──」
「威圧感」
「!」
二人きりの際には呼び捨てにしている主人を余所行きの呼称に言い換え、尚の説明を求めようとするアルクラッド。その言葉を遮ってスクリットは続けた。
「そいつを普段から浴びてねえことには、な。ただこの場にいるだけでもきっと心底に疲れるぜ」
──そら、お出ましだ。くいと顎をやってニヒルにそれを示した彼に促されるままアルクラッドが再び『裂け目』を見やれば。開き切ったそこにいたのは、やはり術者であるクラエルだ。場にいる一同を素早く一瞥した彼女は特に何を告げるでもなく円卓の間、自身の物である第二席の下へと降り立った。それはいい。これもいつも通りのなんら珍しくない光景である。アルクラッドが気になってやまないのは、『裂け目』の奥から漂ってくる極寒の冷気の如き気配の源。
来る、と直感以上に確かな予見の通りにそれは穴から落ちてきた。
ほとんど音もなく円卓へと足をつけたのは。黒い、黒い、どこまでも黒い少女。髪も瞳も服装も。透き通るような白さを持った肌以外の何もかもが純度の高い黒で構成された、そこだけ色という概念が消失しているのかと錯覚させられるほどに真っ暗な女の子だった。
女の子? アルクラッドは即座に自身の感想を否定する。とんでもない──確かにその見かけは少女ばかりで構成された円卓の面々と比べても一層に幼く、あどけないけれど。けれどしかし、たとえ客観上の事実だとしても彼女に対して女の子などという表現は……そんな柔らかみのある言葉は到底使うべきではないだろう。
まったくもって似つかわしくない。
少女の形をした、まるで別の何か。それは一目見ただけで疑いようもなくそう理解できてしまうような存在であるのだから。
「円卓から降りて頂戴、イデア。あなたの席はこっちよ」
「ん……ああ、申し訳ない。これが円卓だったのか。意外に質素な造りなんだね」
ぺたぺたと。何故か裸足である少女は可愛らしくも聞こえる足音を立てて臆面もなく円卓の上を歩き、クラエルに指差された席へと腰を下ろした。そこは第一席。会談の始まりより今日まで、アルクラッドが賢者となって以降も常に空白だった実質的に置かれていないも同然であった、主なき座席。だがそうではなかったのだとアルクラッドは認識を改める。
にわかに世間を騒がせている魔女、『始原』ことイデア。一の数字を預かるに相応しい二つ名を持つ彼女がとうとう円卓に着いた。一時期は市井と同じく実在すら疑っていたアルクラッドなので、クラエルが接触どころか詮索すら禁じた本物がこうして目の前にいること。まだ一月以上は先だと思っていた初体面の機会が思いもよらず早まったことで彼は言い様のない衝撃を胸に覚えていた。
これがイデア。同じ魔女ながらにディータをほぼ一方的にやり込めたという恐るべき実力を持つ一国の王。為政者でありながら戦闘者でもある、会談においてもとても歪で極まった存在──。
「ルーインも来なさい」
「し、失礼するっすー……」
と、クラエルの声掛けによって最後に『裂け目』から降りてきたのはなんとも所在なさげな出で立ちの賢者ルーインであった。その腕に『至宝』のティアラがぐったりと横たわっているのを見てアルクラッドはぎょっとする。ディータとルナリスだけでなく、ティアラまでも不調? 急遽のイデアの参加も含め、いよいよ何がどうなっているのか本格的に彼の頭はこんがらがってきた。
一人の賢者の戸惑いを他所に、クラエルに命じられるままにルーインがティアラを第五席へと座らせて、それから第二席の前に置かれた小型の木槌が叩かれた。
「開始前の点呼を取るわ。ミモザ、ディータを起こして」
「ん~……まだちょおっとだけ厳しい感じなんですけどぉ」
「無理矢理でもいいから、とにかく起こして。ディータなら大丈夫よ」
「……はぁ~い」
主人への配慮か、それとも面倒臭がっているのか。どちらとも取れるような渋々の態度でミモザは相変わらず卓上に突っ伏したまま動きを見せないディータの後頭部へと触れ、一度さらりと優しく撫でたかと思えばその掌から淡い光を発す。そしてゆっくりと手を上げると、あたかも光によって吸着されているかのようにディータの体もそれに釣られて起き上がった。「う、ん……」とその口から小さな声が漏れる。
「ほら、ディータ様。お目覚めの時間ですよぉ」
「……、」
覚醒はすぐに済んだ。目をしょぼしょぼとさせながら──先のフォビイによく似ている、とアルクラッドはそんなことを思った──ディータは欠伸をひとつ。それから周囲を見回して……その最後に自身のすぐ横に立つミモザを見つけ、こてりと首を傾げた。
「……ミモザ?」
「はいはい、ミモザですよぉ」
「私、眠ってたの……?」
「そうですねぇ、それはもうぐっすりとお眠りになられてましたねぇ」
「……眠る前の記憶がない」
「あ~っと、それはですね」
「私から説明するわ。そのためにも、とにかく点呼を行いましょう。これは会談の決まりだもの」
「……わかった」
クラエルの号令には従う、という自分なりの規定がディータの中には出来上がっているのだろう。ルーティンと化しているそれは寝ぼけた思考のままでも、とりあえず会談のために備えるだけの姿勢を彼女に取らせた。そうして改めて場を見回したところでようやくディータはイデアが同席していることに気付いたらしく、その驚きによって眠気も吹っ飛んだようだった。熱心な視線に晒されてイデアは苦笑気味に軽く手を振ったが、ディータはただただ彼女のことを見つめ続けるのみで微動だにしない。
少々困った様子のイデアに構おうとせず、クラエルはミモザに「ティアラのこともお願い」と追加で起こすのを頼んだ。すると彼女は今度こそ露骨なまでに面倒臭そうにして、ゆるゆると首を横に振って言う。
「うちはティアラ様の賢者じゃないですしぃ? 勝手なことをするのはルーイン君にも悪いですから~」
「いえ、自分からもお願いするっす! ミモザさんほどの治癒魔法の使い手は他にいないっすから!」
「命に別状がない以上、自然回復を待つのが一番ではあるけれど。どうしてもこの会談のために起きていてもらわなくちゃ困るのよ──だから従いなさい、ミモザ。これは命令よ」
「……わかりましたよぅ、もぉ」
ぱたぱたとカラフルなローブを揺らしてティアラの背後についたミモザは、ディータにやったのと同じ手順を繰り返して固く閉ざされていた瞼をこじ開けてみせた。流石だ、とそれを見てアルクラッドは思う。約一名の在席によって普段とは比べ物にならない重圧を放っているこの場において、いつも通りの調子を崩さないばかりか治癒の腕にも一切の陰りなし……自分がそれを求められてもおそらくミスは避けられない。大きなものか小さなものかはともかく、なんにしろ平時のようにとはいかないはずだ。
無論、身体構造や内在魔素が人とはまったく異なる魔女に治癒を施す──それも肉体ではなく精神にこそ重点を置いたより繊細な魔法で──というのは、元より他者を癒すのがあまり得意ではないアルクラッドにはどのみち不可能なことではあるが。
「ん……、んん? 何よこれ、どういう状況?」
「お目覚めねティアラ。混乱もあるでしょうけれどともかく最初にやらせてもらうわ──」
カン、とクラエルの手で再び木槌が打ち鳴らされる。
「参加者表明。まずは私、『晴嵐』のクラエルが第二席に座していることを示します。では……」
そこで彼女は言葉を区切り、ちらりと空白である左隣へと視線をやった。
「第三席を飛ばし、続いて第四席」
「……ディータ。『黒鉄』が参加を表明」
「続いて第五席」
「なんだってのよまったく……『至宝』のティアラ様がここにいると表明するわ」
「続いて第六席」
「『月光』、ルナリス。臨時会への列座を表明いたします」
「続いて第七席」
「は、はい! フォビイです、その……『死生』も参加します……、」
「続いて──第一席」
「はは……『始原』のイデア、初めて会談に参加させていただくよ。これでいいのか?」
「ええ、結構。点呼完了、参列六名欠員一名を円卓に記録。これより『魔女会談』を執り行う」
先よりも大きくアルクラッドの喉が鳴るのと同時に、三度木槌が振り下ろされた。




