131.裂け目
賢者というものは魔女に対してどこまでも忠実であり、そしてどこかしら己が主人に似るものらしい。ルナリスにモーデウス、ティアラにルーイン。これらの組み合わせからしてそう思わされる。前者はお堅い感じで、後者は緩い。これはやはり賢者が魔女の影響を多分に受けるせいなのではなかろうか──モーデウスの働き方から言っても、なんと言っても彼ら賢者の主たる役割は魔女の手足になること。それは強い忠義なくしてはとても叶わない。だが苦労を苦労とも思わないほどに魔女を慕っている、あるいは魔女に焦がれているのなら……そりゃあ仕えるうちに自然と主人へ寄っていってしまうのは当然でもある。
「これ以上の治癒は必要ない、というのが君の見立てなら俺もその通りにするけれど。これからどうするつもりなんだ?」
用意よく持ってきていた毛布のようなものでティアラの体を丁寧に覆ったルーインは、そう問われて少々こちらを窺う仕草をした。
「自分としては、ティアラ様もギブしたことっすから。このまま引き取らせていただければなー、と思ってるんすけど……ダメっすか?」
「駄目ということはないけどさ。でも彼女との約束があるからね」
「約束……どのようなものか自分が聞いても?」
いいとも、と頷いて俺は答える。
「そもそも俺は戦いに来たわけじゃないんだ。彼女たっての希望でそういうことになったけれど、本来は話し合いの場のつもりだったからね。少なくとも建前は」
「建前っすか……ハハ」
空笑いするルーインに、こちらも微笑む。自分からは言い出さなかったというだけで、俺も決してティアラの誘いにイヤイヤ乗ったのではないと彼にもわかってもらえたようだ。
「だから、戦闘を吹っ掛けられたこと自体にどうこう言うつもりはない。ただし勝利したからにはその特典も欲しいところだ。何、そう大それたものじゃなく、ただ改めて話をさせてくれればそれでいい。訊きたいことがいくつかあるものだからね」
「話をするだけ、っすか? それはいいんすけど、でもティアラ様はこの有り様っすからねー……今すぐをお望みなら、良ければ知ってる範囲で自分がお答えするっすよ。ティアラ様の何をお知りになりたいんすか?」
「んー、ティアラのことだけじゃあないんだよな……」
まず知っている範囲と言っても、ルナリスやティアラの口振りからすると賢者のそれはそう広くもないだろうし。いやまあ、クラエルと特別親しいらしいルナリスと比べてしまえばティアラもまた賢者とそう変わらない知識量なのではないかと思ったりもするが、だとしても優先すべきは彼女の賢者よりも彼女自身のほうだろう。
「待つさ。ティアラの都合がいい日程まで……その代わり時が来れば、どんな事情があろうとも大人しく俺の質問に正直に答えること。敗者として勝者に従うようにと、君からティアラに言付けておいてくれ」
「うはっ、それを自分が言うんすか? かなりハードっすねぇ……いや怒られたりはしないと思うんすけど、自分的にはハードルが高いっす」
でもちゃんと伝えておくんでご安心くださいっす! と景気づけのように元気よく言ったルーインは、とても優しい手付きで布一枚だけに包まれた主人の肢体を持ち上げた。
「それじゃあ自分たちはこれで。イデア様のお言葉を伝えるためにも早いとこ休ませておくっす」
「そうしてくれ。ああそうだ、できれば次に会うのは会談の開催よりも前にしてもらえると助かるとも言っておいてくれ」
「了解したっす──あれっ?」
ティアラを抱えたまま飛ぼうとしたのだろうが。しかしその足が地面から離れないことで困惑の声を零すルーイン。何度か飛び立とうとチャレンジするが、まるで縫い付けられているかのように彼の足裏はピタリと荒野の大地に張り付いたままだ。
「無駄だよルーイン。空間が歪められている。これじゃ飛ぼうとするだけではどこにも行けやしない」
「マ、マジっすかイデア様? これ、イデア様がやってるんじゃないっすよね?」
「もちろん。ほら」
空の一箇所を指差せば。ルーインがそちらを確かめた丁度そのタイミングで、びきりと空間に亀裂が走った。罅割れたガラスがそこから剥がれ落ちていくように少しずつ隙間を広げていく……この光景は前にも見たことがあるな。
「こ、この魔力の気配……それにあれは『裂け目』。どーしようっすイデア様。『晴嵐』のクラエル様が来ちゃうっすよ!」
「ほー。賢者ともなると魔力波長を区別できるのか?」
「波長? ってのはわかんないっすけど、魔女様の魔力ならある程度感覚でわかると思うっすよ、自分以外の賢者も──ってそんなこと言ってる場合じゃないっす! 会談は私闘厳禁なんすよ!? それでイデア様とディータ様が審議にかけられるっていう直前に戦り合ったとなれば、今度こそクラエル様もブチ切れ間違いなしっすよ!」
なるほど。彼の焦り様、手早くこの場を去ろうとしていたのはティアラを休ませるというだけでなく、クラエルから逃げる意味もあったのだな。そんなことをしたってディータの城攻めもきちっと把握できていた彼女のこと、いずれ問い詰められるのは避けられないことだと思うが……とはいえ当事者の俺が傍にいる状態でクラエルと鉢合わせしたくないという気持ちはわからなくもない。
そんなことより、だ。『裂け目』と呼ばれているらしいアレは察するに、クラエル独自の移動手段なのだろうが。けれど前回、姿を現すまではその前兆も気配もまったく感じさせなかった異様なまでの静けさが今回のにはない。むしろ猛々しいまでに魔力があらぶっている。魔法的な瑕疵、ではなく。これはあえてそうさせているのだろうな。自分がやって来るぞと盛大に教えてくれているわけだ。
「クラエルは逃げるなと言っているようだよ。なら君は賢者の一人として、逆らえない立場だろう? 諦めてじっとしとくといい。理不尽に叱られるようなら俺が庇うさ」
「うぅ……もしものときはお願いするっす、イデア様」
よしよし。素直なやつは嫌いじゃない。素直じゃないやつも別に嫌いじゃないが、頼ってくる相手は無下にできないのでね。
任せておけ、と彼が安心できるようになるべく男らしく(?)頷いてみせたところでぱっくりと空が完全に割れた。晴れの青に横引かれた大きな線は不透明で黒ずんでいる。異空間。そこを通って移動時間を削減するのがクラエルの転移の仕組みか……目印を用意してそこへ跳ぶ俺のやり方とは一長一短ってところだな。
「やあ、クラエル。二度目ましてだね」
「…………、」
今回は俺のほうから挨拶をしてみたが。クラエルは登場からしてその眉根に深々と皺を刻み、不機嫌さを隠そうともしていない。俺たちを見下ろす視線も相当に冷やかさを感じさせるものだ……ううむ。ルーインの危惧通り、本当にブチ切れているではないか。威圧的な魔力と相まってあまりにも迫力に満ちたその出で立ちに俺は思わず笑ってしまったし、その隣でルーインはひえーと声に出して怯えている。
そんな様を見てどう思ったかクラエルは「ふ──」と長く細く息を吐き出して、それから自身を落ち着けさせるためであろう静かで厳格な声音で言った。
「一応、確認するわ。ここで何が起こったかを説明しなさい。どちらでもいいから」
「ティアラと交戦した。誘ったのは彼女で、勝ったのは俺だ。それ以外のことは何も」
「交戦するに至った経緯は?」
「それは直前に俺がルナリスと交戦したからだね。ここじゃなくてメギスティンの首都で。そこでも俺が勝った。どういう協定があったかは知らないが、ティアラは彼女に協力していたようだから形としては引き継いでの勝負だったってことになるかな……ちなみに賢者ルーインはティアラの動向を把握していたけれど、その動機までは存じていないらしいよ」
「確かかしら? ルーイン」
「は、はいっす! 何も教えてもらえていないっす、いつも通りっす!」
「そう……」
瞼を閉じて額に手をやるクラエル。頭の痛そうな顔だ。ディータにルナリスにティアラ──それからアビス。彼女らがいずれも癖が強いの一言では済ませられない問題児であるというのは、俺もよくわかっているので。そんな連中のまとめ役を担おうとすれば頭痛くらいはデフォの症状になるだろうな……よくもまあ会談なんてものを設ける気になったものだ。そうでなければ──つまり魔女全体を一個とする組織がなくそれぞれが野に放たれていては、きっと世界が大変なことになっていたであろうというのは容易に想像のつくことなので。そういう意味では破滅を未然に防ぎ、長く会談の要であり続けている彼女には尊敬の念を抱かなくもない。
が、そこはそれとして。もう少し上手くやれないものかと思わなくもないけどね。
結局のところ魔女の大半は会談の規則を尊重してはいてもいざとなれば破ることに些かの躊躇もないようだし。それでは組織の体を取っている意味がないと感じるのは、俺が彼女たちの内情についてまだ詳しく知れていないせいなのだろうか? あるいは……ま、これはいいとして。
「で、なんの用かな。そろそろ用件を聞かせてくれ」
「なんの用……?」
ビキ、とこめかみから音が鳴りそうなほど血管を浮かび上がらせるクラエル。血行不良、というより一時的な血流の増加だろう。極度にストレスを感じたりすると人によってはこういうことが起こる。魔女もそこは同じなんだなと感心する俺の横でルーインがあわわと慌てているが、心配はない。これで怒りに我を忘れて手を出してくるようならティアラと何も変わらない……や、彼女を貶める意味はなく、それでは会談のまとめ役なんて務まらないだろうという客観的な評を述べているのだ。
なんてことを思って余裕を持っていたのだが。
「動かないで──そして抵抗しないで」
クラエルの言葉とともに空間の裂け目が大きく広がって、一瞬のうちに俺たちのことを呑み込んでしまった。




