130.賢者ルーイン
治癒の魔法は難度が高い。何故って、そもそも魔力は何かを壊すことにこそ適した暴力的な力だからだ。
と言っても、自前の魔力を自身に作用させるぶんにはメリットしかないけどね。魔力操作があまりにも未熟だったり、潜在・顕在のいずれかあるいは両方の容量が低すぎる者であれば魔力酩酊や暴発の危険性も出てくるのでその限りでもないが。しかしまあ最低限、魔法使いや魔力使いを名乗れる腕があるなら魔力の自己作用──その延長線上にある治癒魔法だって誰しもがある程度使いこなせるだろう。ステイラバートの三年生が受ける授業に治癒関連のものがまだなかったので、いずれ習わされるはずの一般的治癒呪文がどういったものか存じているわけではないのだが、だとしても俺の見識は一般常識と照らし合わせても──この点我ながら非常に珍しいことに──決して間違ってはいないはずだ。
なので真に難しいのは他人に治癒を施す行為である。自分で自分を治すのは、攻撃魔法よりも繊細な手腕が要求されるとはいえそこまでハードルの高いものではない……が、他人に同じことをしようとしてもこれがなかなか上手くいかない。
そもそも他者の魔力と人体の相性が極めて良くないというのは魔化の説明で何度も語ってきた通りだ。直に魔力そのものをぶっこむ魔化よりも肉体の修復というポジティブな効力に変換している治癒魔法であれば、もう少しだけ馴染みやすくはあるのだけれど。それでも反発を抑えるのには相当に苦労する。特にちょっとした傷ならともかくがっつりと損傷した肉体を最後まで癒そうとするならそれなりの覚悟が必要だ。基本、何かを壊すほうが向いている魔力で、無理矢理に他人の体を健全な状態まで回帰させる。そこに費やされる魔力量は必然と多大なものになるし、実行から完了まで他の魔法と比較してもとりわけ神経を注ぐ必要がある……魔法使いらしく言うなら大きくリソースが持っていかれる魔法だ、ということ。
優れた治癒の使い手の数が少ないのも当然だ。あれだけ多種多様な教師陣が揃っていたステイラバートだって保健室の担当はたった三人だけだったしな。オラール全体で見ればもう少しばかりいるのだろうが、だとしても魔法国の首都でもその程度であるなら他国であればもっと貴重だろう──ちな、魔法使い育成にまったく力を入れていなかった新王国ではそれを生業にできるほどの治癒使いはゼロである。これは各地の当主と連携して調査した結果なので確定的だ。うーむ、残念。つまり何か大事でもあれば俺がお医者さんとしてガンガン働くしかないってことだ……いいんだけどさ、別にそれくらい。
「よし。ひとまずこれでいいだろう」
見た目は元通りになったティアラ(すっぽんぽん)を改めて一瞥し、頷く。散々難しいことだと言っておきながら恐縮だが、もちろん俺にならできないことじゃあない。高次魔力ではなく魔素から変換した通常の魔力を用いて意図的に出力と人体への害を抑えはしたが、言わずもがな高次魔力に頼らずとも人を治すくらいのことにまごついたりはしない。一応、ただの怪我程度なら人以外の生き物も治してきた経験があるからね。名医とまでは言わないがそこそこ信頼できる医者くらいのつもりではいるよ。
治癒で難儀したのはなんと言っても弟子たちに教える際だな。アーデラは十歳くらいで大した苦もなく習得したが、ミルコットとノヴァはもっと年齢が上の時点でも相当に苦戦していた。その時期にやってきて捕まった野盗の皆さんは生かされず殺されずのまま長丁場で酷い目に遭っていたので、俺からしてもちょっと可哀想だったのを覚えている。まあその甲斐あってノヴァも人を癒せるようになったし、ちょっとやり方は独特に過ぎるがそれに近しいことをミルコットもできるようになった。治癒者を世に増やすという社会貢献をしたということで彼らも最期に徳が積めて良かったのではなかろうか。
思い出話はさておき。いくら見た目が傷ひとつない姿になっているからと言って中身までもがその限りでないことには注意がいるだろう。中身というのは臓器類の話ではなくて、魔力の乱れや精神面の沈下といった目で見て確かめることのできない部分だ。形だけ元に戻ってもそこが惨憺たるままであっては完璧な治癒とは言えない。大怪我であればあるほど、そしてそれを負った際にショックを受けていればいるほどにここらのケアも大切になってくる……で、俺は肉体の修復を得意としている代わり──と言っていいのかどうかわからないが、とにかく相対的に──こちらを苦手としているのだ。
いやぁ。魔力の乱れを整えればいくらか精神面も落ち着くし、それでも足りなければ意識の狭小化でとりあえず心的外傷にガーゼを被せてないものとして扱うこともできるのだけど。それって根本的な心の傷の治療にはならないんだよな。その場凌ぎみたいなもので……だからマニはああなって、人格も多少変化してしまったわけで。うっかりするとまたそれと同じことになりかねない。ティアラの図太さからするとそんなに心配するほどのことでもなさそうだとは思うけれども。
「でも、万が一にも廃人化なんてされたら事だしな。もう少しだけ処置しておくか」
治すと決めたからには徹底したい。あれだけの力で自らの体を爆弾代わりにしたその行動が、ティアラにとってどれだけの負荷となったか。それは傍で見ていただけの俺には決して窺い知れないことだ。戦闘中の言動からは及びもつかないほど、荒野にあるがままの姿で横たわる彼女が体以上に心こそを傷めている可能性だってないではないのだ──と、そこで人の気配に気付く。多少の用心を持って感じた方向を確かめる。
「あーっと、イデア様。ティアラ様ならそれでもう大丈夫っすよ。あとは放っていても勝手に元気になるっす」
「……君は?」
どこぞより飛んでやってきた彼が、にこにこと愛想を振り撒きながらそんなことを言うので誰何してみれば。
「お初にお目にかかるっす、『始原の魔女』様。自分、『至宝』の賢者をしておりますルーインって者っす!」
「ああ、やっぱりティアラの」
「やっぱり、っすか? ひょっとしてティアラ様から自分のことを何かお聞きに?」
「いや、なんにも。でもその服装を見れば誰だって予想くらいつくよ」
ティアラより幾分か控え目ではあるが。けれど、スーツのあちこちに金と銀の刺繍やら飾りやらが施されている彼の出で立ちは、癖が無くて少しばかり地味な顔立ちであるのと相まってあまり似合っておらず、言ってしまえば悪目立ちしている。そんな感想が伝わったのだろう。「あ、あー」と俺の言葉にルーインは少し恥ずかしそうにした。
「それもそうっすね……会談のメンバーはもう自分の恰好に何も言わないんで、久しく忘れていたっすよ。言っておくっすけどイデア様、これはティアラ様に着させられているだけであって自分の趣味じゃないっすから!」
「わかっているよ。主従揃ってそんなセンスだというのならそっちのほうが驚きだ」
羞恥心があるならいっそルーインもこれを喜んで着られる男であったほうが幸せだったかもしれないが……。ティアラほど振り切れていないことを幸運と見るか不幸と見るか、それは彼次第だろうけども。
「そ、そんなことよりっす。決着もついたようですし、いつも通りにティアラ様は自分が引き取らせてもらうっすよ」
「いつも通り、ということはルナリスとの勝負でも君は彼女の引き取り役を?」
「はいっす! 毎回ルナリス様が勝って立ち去られたあと、自分が燃え尽きてるティアラ様を回収するのがお決まりの習慣になってるっす」
おお。主人の連敗に関して衒いもないのだな、と感心しつつ訊ねる。
「つまり君は決闘の行く末を常に見守っているんだな」
「そうっすね。でも、今回はいきなり始まったんでびっくりしたっすよ。オラールにいるはずだと思ってのんびりしてたから最初のほうは見逃しちゃったっす」
「ティアラが出かけている間に羽を伸ばしていたってことか」
「まあ、そうとも言うっす」
「ふむ。君が余暇を楽しめるくらいに長く留守にしていたティアラは、なんでそんなことをしたのか。それは知っているかい?」
「いやー、そこはなんも知らないっす。ルナリス様のほうからそういう打診があったことだけは聞かされたっすけど、それ以外は特に……でも今回に関してはティアラ様がそうしたというより、ルナリス様からの言い付けな気もするっすけどねー。なんせ普段、『月光』が『至宝』に頼み事をするなんてまずあり得ないことっすから」
「ふうん……」
ルナリス側の事情を考えれば当然か……ティアラが律義にそれを慮って言われた通りにしているのがなんとも、二人の魔女の関係性について考えさせられるものがあるが。とにかくこれでティアラはルナリスが用意した控えというか第二の矢のようなものであって、ティアラ自身にその自覚があったかはともかく、俺はそれも無事に打破できたということになる。まあルナリスとしては俺に直接ぶつけるというより、俺以外の戦力を抑える役割をティアラに求めていたのだろうと推測されるが。彼女、『始原』への対処はあくまで自分だけの手で間に合わせるつもりだったはずだからな。
「ところでルーイン」
「なんすか?」
「ルナリスからの誘いでオラールにいたはずのティアラが、なんでまたこの地で『始原』と争っていたのか。そこの理由は気にならないのか?」
「そりゃあ、どうしてそんなことに? って疑問には思うっすけど。でも詮索はしないっすよ。ティアラ様はそういうのを嫌う人っすから。それに、仮にどんな理由があったとしても──自分はただティアラ様の味方をして、命令通りにするだけっす。それさえ決めておけば他には何を知る必要もないっすよ」
自分は『至宝』の道具っす、と。
切れ長を通り越して糸目と評すべき細い瞳になんの含意もなく、まさに心底からそう思っているのが伝わる眼差しで彼は迷いなく言ってのけた。俺はそれに頷く。
「よくわかった。君もまた双子賢者に劣らない忠義の塊なんだな」
「あはは。先輩方に並んでご評価いただけるとは嬉しいっすねー」
主人のそれとはどこか異なる、けれどどこか似通った笑みを賢者は見せた。




