121.晴嵐の魔女
「ふふ……危ない危ない」
「……!」
アーデラの無事を確認したことで、クラエルはぎちりと強く歯を鳴らした。今の攻撃は単に魔力を放っただけの工夫も何もない代物であり、魔法使いにあるまじき衝動的なものであった──しかしそれでも魔女の一撃は賢者が容易く凌げるほどヤワではない。なのに彼女が怪我ひとつ負っていないのはどうしてか……その理由は単純明快。
「…………、」
ディータが守ったからだ。どこか焦点のあやふやな視線そのままに、出現させた盾によってクラエルの魔力の進行を阻んだ。黒鉄。魔力に対して攻防一体に高い効力を発揮する彼女の二つ名の由来でもあるそれが、アーデラこそが主とばかりに置かれてその身を守護している。
「メサイスだけでなく……っ、ディータにまでかアーデラ!」
「誤解甚だしい。私は少しばかり後押しをしただけですよ。あなたもその目で確かめたはずでしょう? ディータ様を突き動かしている物の正体を──」
正体。そう言われてクラエルに気付きが訪れる。今はもう引っ込んでいるが、先ほど確かにディータの口から覗く何かを見た。彼女の身に起こっている異常事態の原因はどう考えてもあれだろう──けれど、何かしら特殊な術を用いたところで賢者が自身の力だけで魔女を好きに操れるはずもない。ならばまたしても答えは単純明快。
ディータを操っているのは魔女である、と帰結される。
「イデアか。まさかディータの体内に『黒樹』を……!?」
「すぐにそちらへ結び付けられるとは流石ですねクラエル様……ええ、ご名答です。敗北した時点で植えられていたのでしょうね。賢者ミモザにも見つけられないほどに小さな『種』が。そして回復に従って体力を吸った黒樹は今やディータ様を手中に収めるほどに成長している、と。ふふ、寄生しておきながらこの図々しさ……なんとも制作者そっくりではありませんか」
「っ……、」
イデアが好んで操るという己が魔力を吸わせて生み出した樹木──通称『黒樹』が寄生植物としてディータの体内に仕掛けられていた。しかもそれは、治癒される際に身体検査が行われることを見越していたのであろうごくごく小さな種で、それでいて宿主の復調に合わせて自らも大きく育つように埋め込まれた、非常に無駄がなくそして悪辣な性質を持っていた。
残酷に過ぎるやり口。これはまさしくイデアらしいものだとクラエルは戦慄と共に納得までしてしまう。
「人を人とも思わない、ではなく。人を人として扱った上でこの仕打ちなんですから恐ろしい女でしょう? 私の師匠は。自分のためならなんでもできる、という究極系があの人ですよ。しかし怖気を覚えると同時にこうも思うのです──それでこそ『魔女』であると。誰よりもその肩書きが相応しいのが彼女であるとね。久々に師の魔法を直に見られて安心したくらいです。この手口にこの手練。ちっとも衰えない、ばかりか精彩と凄惨さは増すばかりのようで……ええ。私は喜ばしくありますとも」
「あなたの目的は、なんなの。黒樹に操られているはずのディータがどうしてあなたを守ろうとする?」
「私の目的? そうですね、ひとまず今このときの話をさせてもらうなら。師匠がディータ様に仕込みを行ったのは次の『魔女会談』を見据えてのことでしょう。賢者を勘定に入れないとしても六対一という面倒な事態に備えるのは、彼女からすれば当然ですね。私だってそうする。……ところが、立てた予定を自ら崩してしまったようなので。ひどく気分屋ですからね、よくそういうことをするんですよあの人は。なのでまあ、新しい予定に沿うようにディータ様をここまでお連れした次第です。いやぁ照れますね、師匠孝行なのがバレてしまった」
「『イデアの本質を知っているからこそ会談に協力する』と。そう言ったあなたの言葉を信じて迎え入れた。でも、それは真っ赤な嘘だったのかしら?」
いいや違う。クラエルは自分の言葉を即座に否定する。少なくとも当時の彼女は本当に協力的だった。表舞台に出てこず、探知にも決してかからないイデアが何をして過ごしているのか知れたのはアーデラが賢者入りを希望して現れたからであるし、またイデアを刺激しないために東方圏を半ば放置するという会談らしからぬ方針が取れたのも──理由は違えど一人の魔女の『特別扱い』を好まないルナリスやティアラの反対を押し切って、という意味だ──最もイデアの人となりを知る彼女がそれに賛同してくれたおかげだ。間違いなくクラエルとアーデラの意思はひとつだったし、手を取り合うことができていた。
と、今の今まで思い込んでいたのがクラエルだ。
「魔女様に対して嘘などと恐れ多い……私は『正直者になれ』と育てられましたから。その教えに忠実であるつもりですよ」
「正直者になれ……?」
あのイデアの教えにしては随分と真っ当なことだ。それに違和感を覚えて眉をひそめたクラエルに、くつくつとアーデラが笑った。
「自分にも他人にも。嘘をつかねばならないのは、それはその者が弱いから。強ければ何を騙し誤魔化す必要もない。いつ何時どのような状況にあろうとも『正直者』でいられるのです……あの人は私にそうあれるようにとそれはもう厳しく指導してくれましたよ。幼子相手にも一切の容赦なく、ね。何せ師匠こそが世界一の正直者なものですから」
「──歪むわけだわ」
得心する。幼少期にイデアへ触れるだけでも充分に致命的なのだ。しかしアーデラの場合はそれだけに留まらず、洗脳という言葉では生温いほど強烈に魔女からの薫陶と躾けを受けている……ならばこうもなろう。身ひとつで会談に潜り込み、堂々と操り、臆面もなく裏切ってみせる。それら全てが自分に正直であるから、などと。そんなのはもはや『始原の魔女』の言い分である。
「信じた私が愚かだった、ということね」
「いえいえ。あなたに協力したい意思は本物です。誓ってそこに嘘などありません。そして繰り返しますが、どうか誤解しないで頂きたい……ディータ様を連れてきたのは師匠がもはや会談の開催を重要視していないからです。送り込まれた爆弾を処理するとしたら、クラエル様。あなたにとっても早急のことではありませんか? ええそうです、これは師匠と『魔女会談』、この板挟みに遭いながらも双方に利益があるようにと配慮した結果なんですよ」
黒鉄の盾に守られる位置からディータの背後へと移動して、その肩へそっと手を乗せたアーデラ。爆弾という表現は言い得て妙であった──現在のディータはまさに時限爆弾も同然。起爆する時刻が会談当日に設定されているというのもおそらく真実。問題は、イデアが設定したはずのそれを何故アーデラが任意に早めることができているのかという点にある。
「黒樹に造詣が深いのは一番弟子であるあなたもよね。ディータの体内の黒樹へあなたが上書きを行った……と理解していいのかしら」
「おやおや、まだ疑われますか。師匠の魔法に手を加えるなどとんでもない、小心者の私にそんなことはできたものじゃありませんよ。ああ、ディータ様が私を守ったのは何故か、ですか? それは勿論師匠の愛の賜物でしょうね。プログラムされておらずとも私の危機に黒樹が反応したのでしょう。残酷な人ではありますが、大層に愛情深い人でもありますからね……ふふ。修行時代には私も可愛がってもらいましたよ。それはもう、トラウマになりかねないほどに」
「……、」
これもまた確証となるものはないが。けれどクラエルの感覚はディータに対して何もしてないというアーデラの言を完全に黒であると訴えている。おそらくだが、まだ種から発芽して間もない内の黒樹へ彼女は手を加えたのだろう。そうやって命令権を得たのだ。イデアが本格始動させない限りは自身の好きにできるように……故に、己が師が本来の予定にない行動を取ったと知った瞬間に彼女はディータを操ったのだ。
師が師なら弟子も弟子。イデアがオラールで何をしでかしているのかも激しく気掛かりではあるが、されどここで背反の賢者に意のままとされている魔女を捨て置くわけにもいかない。それに、どうせこの場を無視してオラールへ向かおうとしても──。
「ああ。『待て』も限界のようですね。黒樹は主の敵を排したくて排したくて仕方がないようだ──御武運を、クラエル様。どうか我が師の邪悪なる御手に落ちた哀れなディータ様をお救いください」
「……!」
黒樹に支配されたディータが見逃してくれるはずもない。
黒鉄の剣が廊下の柱を切り裂きながら迫ってくる。それをクラエルは自身の背後に裂け目を開くことで対応。天空議場を壊させてはならぬと剣ごと、そしてディータごと自分を空へと落とす。まるでこうすることを読んでいたかのように退避して裂け目から逃れたアーデラの動向も窺いたいところだが、しかし他のことに気を取られていてどうにかなるほどディータは甘い相手ではない。
とにもかくにも今は彼女の無力化に注力しなくては──そう考えたクラエルは風の精霊の力を呼び出し、投擲された黒鉄の槍を逸らしてみせた。
「ディータ──『黒鉄の魔女』! 私が操る魔力は精霊が生み出す超自然的なもの! 他の魔女の魔力ほど容易く貫けるなどとは思わないことね……『晴嵐』の意味を! 黒樹の支配すら断ち切るほどに強く深くその身に思い起こさせてあげるわ!」
「……──」
右手に雷霆、左手に飆風、背には豪雨。一瞬にして天変地異を巻き起こした晴嵐の魔女クラエルは、そこにある全てをディータへぶつけた。




