118.きっと荒れるから
「よし、交換しようじゃないか。ただしその条件として、ルナリスとそうしたように君ともじっくり話がしたいな……できれば二人きりでね」
「いいわよ。はい」
「!」
ぽん、と投げ渡されたミルコットを慌てて受け取る。右手がルナリスで埋まっているので左腕だけで抱きかかえるような不格好な形にはなったが、なんとか優しくキャッチできた。彼女が単に眠らされているだけだということを念入りに確認して、それからティアラを見てみる。
「なによ、変な顔して。トレード成立でしょ?」
「そうだけど……話をするにしてもいつ、どこでとかさ。普通はそういうのを決めてから交換を始めるものだと思うけどな」
「そんなのこれからすぐにでいいでしょ。場所は、そうね……派手にやっちゃったしこれ以上ここにいてもクラエルが邪魔するだろうし。私んとこにしましょうか。北方よ、北方。どう? 来る?」
北方圏。ルナリス本来の支配地にして、ティアラの本拠地でもある地方か。わざわざそこを自ら指定するとは、この子。駆け引きをしようとしない点も含めちょっと言動が突飛というか、少しばかり読みにくいものがあるな。
彼女のホームへお誘いを受けた。となれば普通なら罠めいた何かを危惧するところなんだろうが、読みにくいと言ってもティアラにはそんな心配をするだけ無駄だという感じもする。などと言って、ルナリスの領域に気付かず閉じ込められた先ほど同様にのこのこ出向いて行ってあっさりと嵌められでもしたらとんだお笑い種なのだが、まあ。そのときはそのときだ。スポーツじゃないのだから万が一戦り合うことになっても、必ずしもホームだから有利・アウェイだから不利とはならないのだし。それはディータとルナリスの先例が示す通りである。
「北方、いいよ。そこにしよう」
「ならもう他に決めることは何もないわね。ほら。そいつを返してやったんだからあんたもそれ、返しなさいよ」
まさか約束を破ったりはすまいな、とティアラの目が告げてくる。うん……正直に言えば惜しむ気持ちはまだあるのだけど。しかしその雑念を振り払って俺もルナリスをひょいと放り投げた。それをティアラが抱き留めたことでトレード完了だ。
これでいいだろう。ここで横紙破りはさすがに下品だ。先にミルコットの安全を保証したティアラに一定の敬意を表し、こちらもルナリスを弄ることはすっぱりと諦めよう。条件にも快諾してくれたしな。それに関しては、あまりにも迷いがなさすぎてありがたがるのも変に思えてくるほどではあるが……。
「で、どうすんの。今から北方に向かうってことでいいの?」
「いや、一旦やることもある。それを済ませてからにしていいかな。北方への移動手段には……あった、これを使いたい」
「……? これは何?」
追加で放ったトーテムをしっかりと掴んでからしげしげと眺めるティアラ。刻まれた装飾に興味深そうにしているが、それ自体に意味はないんだよな。同じ物がいくつもあるから一応、一個一個の見分けがつくようにと彫っているだけで。
「目印だよ。それを辿って跳ぶから君が持っていてくれ」
「ふん、先に行って待っておけってこと? 生意気ね」
「そう待たせないよ。三十分もあれば出かける準備も整うと思うから」
「あっそ。じゃあもう行けば」
興味を示すかと思いきや『準備』というワードへの関心は特にないようで、掌にトーテムを転がして細部まで隅々と確かめながらティアラはそう言った。いつかのジョシュアのように呪いのアイテムではないかと警戒でもしているのか……いや、そういう雰囲気じゃあないな。雰囲気からして本当にただ模様を眺めているだけのようだ。
かわいいわね、これ……なんて呟きが聞こえた気がしたところで「イデア様」とモーデウスからお呼びがかかった。
「うん? なんだい」
「あなた様の言う『やること』というのがなんなのか、お聞かせ願いたく」
「はは。そりゃ君はティアラのように無関心とはいかないよな……でも大丈夫、これ以上ステイラバートに何かするつもりはないよ。ただちょっと、教師と生徒を一人ずつ貰っていくね」
そう答えれば、モーデウスは納得とも諦観ともつかない表情を見せた。
「念の為の確認なのですが、それは既にイデア様の持ち物であると。そういうことでよろしいですかな?」
「ああ、そうだね。悪いことをしたとは思うけど本人たちの希望もあったから。もうここに居場所はないわけだし、やっぱり俺が貰ってしまうべきだろう? 君にとってもそのほうが手っ取り早くていいはずだ」
「ほっほ。ええ、ええ、まったくもってその通りですな」
好々爺然と笑って髭を撫でるモーデウスの本心は定かではない。心の中では冗談じゃねーぞなんて思っているかもしれないが、彼としても一生徒や一教師にかかずらうよりもステイラバートの修復が第一であることは確かだ。
ルナリスや教員の多くがダウンしてしまっている今、どうにか限られた時間とマンパワーで始業までに体裁やら中身やら色々と整えておかなくてはならないだろう。そろそろ用務員がやってくる頃合いなのでそれも決して不可能ではないはずだ……まあ無難に対処するならいっそのこと数日ばかり臨時休校にでもしたらいいんじゃないかと思うのだが、聞くところによるとモーデウスが院長になって以降の約一世紀は学校側の事情で休みになった試しが一度もないらしいので、何がなんでもいつも通りに授業は行われるだろうと予想している。
俺としてもそのほうがショーやメルを始めお世話になったクラスの友人らに迷惑がかからずに済むので、気持ち助かるところではある。この先彼らとまた関わる機会があるかというと果てしなく微妙なのだが、少なくとも俺は彼らとの出会いを忘れない。きっと向こう五百年くらいはステイラバートで過ごした記憶もこの頭のどこかに残ってくれることだろう。
イーディスの身体を通じて味わった、久方ぶりの空腹や喉の渇き。楽しかったり眠かったりする授業。いっぱいの課題に辟易したり、それでも時間を見つけてショーたちと街中へ出かけたり、たまには図書館で落ち着いた時間を過ごしたり。ただの人間らしい生活というのも存外に楽しいものだったんだなと思い出すことができた。薄れて久しい前世の自分についても、ほんの少しだけ。その輪郭がぼんやりとだが蘇ってきたような気もする。それくらいにこの体験入学は貴重な時間だったということだ──それはそうだろう、これら全部、今の俺にはもう味わうことのできないものばかりなんだから。
二ヵ月で軽く飽きもきたけどね。
「連れていく生徒の名はイーディス・ジェンド。彼女のご両親には君から言っておいてくれるかい」
「なんとお伝えすればよろしいですかな」
「ん、そうだな……一人娘を貰うわけだし『幸せにします』でどうだろう」
「承りました」
恭しくモーデウスが腰を曲げたところで俺は頷き、魔法を発動。クアラルブルに持たせたトーテムを目当てに転移した。
◇◇◇
イデアが立ち去ったのを確認し、それまで口を挟むまいと黙していたスクリットは頭を下げたままの兄へと言った。
「噂以上にとんでもねえ魔女様だな、『始原』は。……いいのかよ兄貴? ジェンド家の御令嬢を持っていかれちまって」
イーディスの父であるジェンド家当主は魔法省に務める、エリートの中でも特に選ばれた一握り側の人間だ。彼は灰汁の強くない実力主義者であり、イーディスの魔法力を判断して本科へ押し込もうとはせず、しかし高い学費を払って寮入りはさせるなど娘への庇護欲と客観性のバランスが取れた、スクリットの目から見ても将来有望な職員の一人であった。四年前に生まれた二子の長男が既に際立った才覚を発揮し始めているために、父だけでなくジェンド家の未来も明るい。学術院にも魔法省にも所縁を持つことからもその価値は特段に高くある。
そんな家になんと説明するのだと。もっともな弟からの言葉に、ゆっくりと顔を上げたモーデウスはしかし緩やかに首を振ってみせた。
「あるがままを伝えるしかあるまい。これは責任者であるワシの落ち度じゃ。ジェンド家にはこの老骨の謝罪だけで納得してもらわねばならない」
「……それしかねえわな。無体な話だが」
彼らはルナリスの言う通りに備えた。そしてそれでもイデアは思うがままに暴れていった。言わばこれは魔女と魔女が互いを見ないままに指したチェスの結果。そこにモーデウスやスクリットの意思が入り込む余地など最初から存在しておらず、生徒が──そして教師の一人も──イデアに奪われたからといって直ちに彼らの責と言い切れるものではないだろう。だが、魔女の行動は天災に同じ。天災に対応できなければ非難されるのはやはり、その組織の長となるのはひとつの道理でもあるからして。
それがよくわかっているだけに苦虫を噛み潰したような顔をしながらもスクリットは寝かせた白髪を撫でつけ、兄の見解に頷いたが──ここにはもう一人の天災がまだいる。
「何を黄昏てんのよ馬鹿兄弟。そんな暇あったらとっととこいつを連れてけば? 学校にも魔法省にも人を癒せるのくらい何人かはいるでしょ」
「痛み入りますティアラ様。兄はしばらく手が空かないでしょうからルナリス様のことは俺がやりましょう。ところで、あなた様はこれからどうなされるので?」
「聞いてなかったの? イデアが来るっていうんだから一足先に北方で待つしかないでしょう。またあんたんとこの転移門借りるわよ。飛んで帰るより楽だから」
「ええどうぞ、お好きに使ってください」
「言われなくてもそうするわ」
ばさりと。金と銀に彩られたマントのように羽織ったローブを翻してティアラは浮かび上がった。そうして、いくつかの設定地に向けた長距離転移を可能とする門が置かれている魔法省のとある一室を目指して飛び立とう、とする直前に彼女は思い出したように言った。
「早めに元通りにしておくことを勧めるわ。ステイラバートも、ルナリスもね。次の『魔女会談』はきっと荒れるから」
「──ティアラ様」
「何?」
「此度はルナリス様にご協力頂き、我ら兄弟も深く感謝しております。……どうぞお気を付け下さいませ」
「ふん。余計なお世話ね、それは」
双子賢者が共に後ろで畏まり、慇懃なまでの礼の姿勢を取ったのを気配で感じつつも。ティアラはそれをその目で確かめようとはせず、決して振り向くことなく行ってしまった。




