114.それが嫌なら死ねばいい
──お前は月光の雫から咲いた一輪の花だ。
クラエルが女王然としていた時代、名も無き一人に彼女はそう告げて、そして私は月光のルナリスとなった。
円卓を埋めるべく彼女に付き従っていたあの頃、仲間探しと人類の統治はどちらも等しく急務であり、そして等しく難題であった。とかくクラエルが私に求めたのは従順さ。それから、従順なままに意見することだった。秩序を求めるためには自分以外の担い手とその知見が必要だと考えたのだろう。結果として彼女の智慧は至当であったし、同時に誤謬でもあった。と、今の私にはそう思える。当時まだ『晴嵐』の名を持っていなかったクラエルに本当に必要だったものは、きっと──。
さておき。クラエルの呼集に応じアビスが円卓に着き、ディータが腰を据え、ティアラが足を組み、フォビイが末席を欲し、それから私が最後に座してようやく『魔女会談』は成った。決して短くない時を経て、当初より常に、かつ唯一空白であり続ける第一席以外の六席が全て埋まった初回の会談が行われ、そしてその後に地方線が制定されたのだ。
それまでに数々の出来事があった。歴史に刻まれたものもそうでないものも。始まりの『ステイラクルシュ』から、会談の始動よりも先んじて樹立された魔法国や初代皇帝の選別は、多くの節目の中でもとりわけ地方線のそれと並び人類史の一幕において極めて重大な転換点であった。最初こそクラエル主導で行われていた営みが少しずつその手を離れ始めたとき、段々と世界の無二の平定者たる彼女はヴェールを取り去り、やがて七魔女の一角へと望んで身をやつした。絶対の女王の時代は終わり魔女の会議が世界を制する新時代が訪れた──そして二百年が過ぎて、今。
始原の魔女がその『今』を否定する。
……クラエルの行いは正しかった。彼女の歩みは決して間違いなどではなかった。それは従者として支え、誰よりも近くで女王の決定を見てきた私だからこそ言えることで、しかしさりとて……否、だからこそ。その全てを肯定できるわけではない。少なくとも私は当時から、そして今もなお。イデアという禁忌に目を瞑る行為を問題視していたし、またそれでいて半ば黙認してしまっていたのを深く後悔し、反省もしている。何がなんでも是正すべきだった。それこそどんな犠牲を払おうとも、円卓が埋まってしまう前に、会談が形になる前に。クラエルがようやく手に入れた仮初めの安寧に固執し、それを維持することだけに頭を悩ませるようになってしまうよりも早くに。これは向き合っておかねばならないことだったのだ。
異世界の魔女イデア。クラエルはすっかりと臆病者になってしまったけれど、彼女が真に怯えているのはこの少女の存在ひとつに他ならず。最初の付き人でありながら私は──そしておそらくオレクテムやミサイスでさえも──過去イデアとクラエルの間に何が起き、そこにどんな約束、あるいは契約が交わされたのかその仔細を把握してはいないが。しかしいつだってクラエルの焦燥の根幹には、イデアがいる。それだけは間違いのないことであった。
星の読み方はクラエルから習った。今となっては私のほうが得意とするこの技能で、いつか必ずイデアが会談に立ち塞がると知っていた。知っていたのに私は……しかし。知っていたからこそこうして機会が作れたのだとも言える。例えば、そう、例えばの話。彼女を矯正しようとするのではなく、排せたのならば。私がこの場でそれを行えたのならクラエルを苦しめる──会談を縛める鎖もなくなるのではないか? 万事が正純たる星の並びに戻ってくれるのではないか?
今からでもそうすることは遅くないのではないか……?
ああ、そうだ。何も手遅れになどなっていない。これは運勢に掉さすのではなく運命に楔を打ち込む行為である。どうあってもクラエルの理想とするところはイデアの思惑に程遠く。イデアの理想とするところもまた、クラエルが求めてやまぬ安寧に程遠く。なればすべからく星の流れに逆らうべし。そこに凶兆が瞬いていようとも躊躇してはいられないだろう。
この日この時この瞬間。まさしく『今』を逃せばもはや機はない。私はそれも知っていた──故に、今度こそ間違えない。最善は何か? 打ち明ければそれはわからない、答えは未だ見つけ出せていない。しかしそれでも、この無力な魔女にも、最悪を回避することくらいはできる。できるのだ、そうと信じねば。
だから私は。
◇◇◇
「領域流転──昇れ、月光の早緑」
真月球。常設領域の核としてそう名付けられた魔力物質が、主の命令に従って弾けた。内に留められていた高濃度の月光の魔力が立ちどころに空間へ充満し、高速で巡り始めた領域全体を構成する魔力と絡み合って異空間を形成。──異物に対し限りなく無慈悲なルナリスだけの世界がそこに創造された。
「……ッ、」
魔法式どころではなく、原初的な電気信号すら書き換えられていくその感覚はあたかも脳に直接王命を刻み込まれているかのようだった。咄嗟に高次魔力の簡易領域で身を守ろうとしたイデアのそれは緊急避難に近く、だがそんな背信をこの空間絶対の『女王』と化したルナリスが許すはずもなく。
「いけませんね、イデア。あなたが進んで踏み躙ったのですよ。この私の、神聖なる領域を。ならばせめて大人しく跪くべきでしょう……? それが嫌なら死ねばいい」
邪なる他者の魔力を霧散させて、威厳をもって述べた言葉は確定事項。既に決まったことであり、これから確実に起こることだ。七魔女の一人をその地位から追い落とす。十二箇条にも正確には記されていない、当人の死という最大の忌事でそれを実現させる──赫々たる覚悟を発するルナリスの宣告に、イデアは。
「なんてことだ、ルナリス。言わばこれは魔力の坩堝か。俺に領域すら作らせないとはお見事……ディータの領域縮小も技術としてはなかなか見所のあるものだったが、そちらは俺も魔力触腕で同じようなことをしているからそこまでの驚きもなかったんだ。だがこれは控えめに言って素晴らしく素晴らしい。こんな手法はちょっと発想になかったよ。領域にはこういう形もあるんだね──うん。とても勉強になった」
「…………」
己がどんな状況にいるのか、まるでわかっていないような口振りで。ただひたすらにルナリスの秘儀に関心を寄せるその少女は、やはりどこまでも不気味で異端の存在だった。
受け入れてはいけない。会談に彼女の席があることを、決して認めてはならない。クラエルのためを思うなら、間違いなくこれは正しいことである。その思いと確信を強めたルナリスは流転する領域の速度と密度を更に上げた。
「お、おおっ──?」
ぼろぼろと。自身の指先がほどけて魔力の流れに攫われていくことにさしものイデアも目を丸くさせた。その様を眺めるルナリスは努めて平坦に心中を無風とする。相当な労をかけて維持してきた真月球はここでその役目を終えることになる。そうなると数年、下手をすればもっと長いスパンでステイラバート、引いてはオラールからメギスティン全体。そして中央圏から大陸全土にまでその影響が波及し、幾ばくかの混迷期が訪れることとなってしまうかもしれないが。けれどそんな些末を恐れて領域を再利用しようなどと考えれば確実に命取りとなる。
仮に再びの支配にどれだけの時間がかかろうと、どんなに苦労をかけられようと、今ここでイデアを取り逃がすことに比べれば些事も些事。なんの支障もない事態だと言っていい。それだけは、絶対に、避けるべきなのだ。
気勢を魔力に乗せながらもその操作は繊細に、しかして豪放に。流れ続ける月光の魔力は他の魔力や魔法式だけでなくありとあらゆる物質を浄化させて開放する。早い話がこの上なく優しくてこの上なく残酷な、抵抗を許さぬ冥界送り。それこそがルナリスの秘術である領域流転であった。
「……、」
「どうしましたかイデア──我が手によりて天命を全うせんとする始原の魔女よ。何か言い残したことがあれば、口にするのは今の内ですよ。あなたはもうすぐ『終わる』のですから」
魔法を使えず、身動きもできず。ただただ自身の肉体が素粒子レベルで分解されていくのを見届けるしかない最後の時間で、イデアが何を零すのか。その末期の言葉をせめてクラエルに伝えようと聞き入れる姿勢を取ったルナリスの耳朶を震わせたのは。
──くすくす。くすくすくすくすくすくす。
紛れもなく邪気と無邪気を両立させた、肌の上を蟲の脚が這いずるような、覚悟を決めたはずの月光の魔女ですら臆するような──地獄の門が開く音。そうとしか表現できない、この世全ての恐怖の具現たる笑い声だった。
確かに少女の口から漏れ聞こえたそれにぎょっとルナリスが思考と全身を強張らせれば、小さな黒い少女はますます笑みを深くさせた。
「冗談だろうルナリス。何を終わらせようというんだ? まだまだこれからじゃないか。俺もお前も、面白いのはここからだ。せっかくの機会なんだからとことんまでやらなくちゃ勿体ないだろう」
「何、を──」
「勉強になった、からには。早速試してみないと気が済まないんだ。状況も丁度お誂え向きなことだしこのまま実験といこう。俺はもう魔力を操ろうとはしない。ただ穴を開くことだけに注力しよう。溢れ出す魔力を溢れるままに、この領域に限界を超えて満たしてみよう──楽しみだ! 何せ本当の意味で実存世界で全開にさせたことはないからな……! 気持ちよく操れないことは残念だが、けれど必要十分だ。さあルナリス、今度は君が味わう番だぜ。終わりなく激流する高次魔力の感想を是非とも聞かせてくれ」
「……!」
見張る目が見つめる先で、真っ黒な闇が何処より領域へ躍り出した。




