11.手向けになればいい
「言っておくけど、俺は誘拐なんてしていないからな」
モロウの命を救ったことに着想を経て以降、やってよしと判断したならず者を実験のために利用したりもしてきたが、あれは全部向こうから俺の森にやってきた連中だ。この国の住民をわざわざ攫いに来た経験はない。というかそんな趣味の悪い遠征なぞするわけがない。
「わかっています。誰も本気で『始原の魔女』がそうしたのだとは思っていません。自分たちでは明らかにできない謎に魔女という解釈を当てはめ、そして早くに忘れる。生きるための術のひとつです。……子どもの躾けのために使われることもありますが」
はぁ、そう。天狗に攫われるだとかなまはげが来るぞ、みたいなやつね。そのレベルで俺のことが浸透しているのであれば、リーナにも知られていて当然か。またひとつ常識のアップデートができたぞ。
「と言っても疑わないのとは別の話だよな……。リーナ、君はどこまで俺が始原の魔女だと本気にしている?」
「わ、私には何もわかりません。イデア様とセリア様がそうせよと仰られるのであれば、私もそのようにします」
言われるがままに伝説の魔女として扱う、ということか。それはそれでどうなんだろう。地主が王に逆らえるはずもないのはその通りとしても、ちょっと聞き分けが良すぎやしないだろうか? もうちょっとくらい私は戸惑っているんだぞ、というところを見せるというかアピールしてもよさそうなものだけど。
「これも申し上げたはずです、イデア様。賢者のお一人であられるアーデラ様の断定がある以上、他に誰一人としてその姿を確認できていなかったとしても『始原の魔女』の実在には一定以上の信憑性があるのです」
や、それは確かに聞いたけれども。と人前だといっそう俺に対して硬い態度になるセリアへ反論せずにいられない。
「だからってこの、普通の少女にしか見えない俺が始原の魔女本人だとどうして信じられる? それこそアーデラが目の前で太鼓判でも押してくれない限りは、誰にも証明のできないことじゃないか」
「自覚なさっていないようですが、イデア様はまかり間違っても『普通の少女』などではありませんよ。それは一目見ても明らかなことです」
「へ? ……具体的にどこらへんが?」
「どこが……そうですね。何もかもだと言わせていただきましょう。出で立ち、口調、思慮。何よりも人を見るその眼差し。それだけの存在感を前にして、あなたのことをただの少女だと勘違う者はいないでしょう」
「いやけっこういたけど……」
「それはその者が救いようなく見る目を持たなかった証拠です」
断言されると弱いっす。実際植木になった奴らは俺からしてもとんでもない馬鹿ばかりだったんで、なるほどそうかもと頷けはする。それならセリア、モロウ、ダンバス。そしてリーナ……出会った尽くが俺に恐怖か畏怖を抱くその理由も明らかだ。
つまるところ、俺は一見して「ヤベー奴」だとわかるってことね。大方の人間がさ。
否応なしにそう見られることに若干の不満がないでもないけれど、まあ。エイドス魔法ぶっぱで地形も変えられる俺は人からみればヤベー奴で間違いない。それを軽はずみに実行するかはともかくとして、そんな力を持っているというだけでも要注意人物認定はむべなるかなと言ったところだ。
「疑われるようなら証明も必要かと思ってたんだけどな。……でもどうせやることは一緒か」
「イデア様?」
立ち上がった俺にセリアは疑問の声を上げたが、今用があるのはリーナのほうだ。
「ちょっと表に出てくれないか」
「ひえ……」
「イデア様!」
「違う違う、何もしないって。リーナには」
喧嘩でも売るような言い方をしてしまったのは素直に謝って、リーナと屋敷ただ一人の使用人だというアルフという老人には一緒に外までついてきてもらった。
「ここから見えているのがこの領地一番の村なんだな?」
「はい。あとは小規模の村があちらの森を越えた先と、そちらの山を越えた先にあります……それがこの領の全てです」
見えている村もまあまあ小さいんだが、あれよりももっとか。なんともまあ。リーナ曰く小村ふたつは住民の数も減ってきていて、遠からずこの村に合流させることになるだろうとのことだった。
「ですが見ての通り栄養のない大地です。ひとつ所にあまり多く人がいては餓死者が出てしまいますから……」
「頭数が増え過ぎないように滅びる寸前まで移住は待ってもらうしかないと。色んな意味で限界の集落だな、本当に。けど、村々が割と近くにあるのは楽でいいかも」
「イデア様、いったい何を?」
「農業のことはよく知らないけど、ここの問題は要するに土が瘦せてしまっていることなんだろう? だったら話は早い、栄養をたっぷりやって太らせてやればいい。そして俺にはそれができる……ちょっと三人とも離れていてくれ」
そこらの草木もよくよく見れば小さく細く、みすぼらしい。そしてとても渇いている。雨量すら足りていないんじゃないか? まるで天の何かに見捨てられたような地だ、ここは。それを補うにはどうすればいいか。
怪訝そうにしているリーナとアルフ。そしてはっきりと額に冷や汗を浮かべているセリアを安心させてやるために俺は笑いかけた。
「まあ見ていてよ。悪いようにはしないから」
なに、やることは簡単だ。黒い森を作ったときと同じく大地にどーんと魔力をぶち込む。これだけでいい。
エイドスの魔力は言ったように劇薬そのもの。活性剤の役目も果たすがその効果が強烈過ぎるあまり、物体の質すらも変異させてしまう。失敗すれば目も当てられないし、黒い森はちょっとやり過ぎてしまった結果でもあるのだけれど、そのおかげで大地に魔力を注ぐ感覚は掴めている。
それにこういう枯れ切った大地には刺激があり過ぎるくらいでちょうどいいだろう。人間にやるよりも遥かに塩梅の調整が楽だ。なんて言って油断して失敗を招いてもしょうもないので、真面目にはやらせてもうけどさ。
「そーらよっと」
理想領域から魔力を引っ張り出し、俺を仲介させて大地へと流し込む。……むむ、定着が弱い。というか遅いな。今更俺の手管に不備が出ることもないはずなので、これはあれか。思った以上に土地が死んでいるってことなのか。
ふふん、しかし瀕死から回復させた経験は既にモロウで積んでいる。俺に抜かりはないのであった。
「──よし、完了だ」
感覚的にはばっちりの手応え。ちゃんと見える範囲だけでなく、山も森も越えて残るふたつの村の位置まで俺の魔力は広がっていった。精を出し過ぎて予定より広範囲になってしまったけれど、狭いよりかはいいだろう。
「これでオーリオ領は国一番の豊作の土地になった……と思う」
考えてみると黒い森では勝手に生えてきたり実ったりしたものしか口にしたことがないので、これが真実農業に良い影響を及ぼすかは未知数か……しかし大地が肥えたことは確実なのだ。ならばまさか悪影響が出るということもあるまい。きっと。
「ほ、本当なのですか……? 祖父も父も嘆くしかなかったこのオーリオ領の大地が生まれ変わったというのですか、イデア様」
「そのはずだ──ほら、見てみなよ」
屋敷に続く一本道の脇に生えている木に、早くも変化が表れていた。しなびた印象だった樹皮が瑞々しく張りを伴っている。野放図ながらも随所が禿げかけて剥き出しの地面が見えていた周辺の芝地も、映像の早送りのような速度でどんどん草が伸びてきている。
ぶち込んだ中心地ともなればすぐに魔力の効果が目に見えるものだな。リーナはこの光景を目にして笑いながら泣き出し、その肩をそっとアルフが支えた。そんな彼の目にも光るものがある。うむ、喜んでくれて何よりだ。上手くいったことが確認できて俺もにっこりである。
「この国に貴族はもういないし、領にかかっているっていう馬鹿みたいな税もぐっと安くなる。少なくとも適正な数字になるはずだからそこは心配しなくていい」
「……これが、始原の魔女様の恵みなのですね。ありがとうございますイデア様。この喜びをどう表現し、どうお返しすればいいのか私にはわかりません」
「お返し? 変なことを言うんだな。この土地は君の管理にあるけど、元来の所有者は俺のはずじゃないか?」
だって俺、王様だし。言うなればこれは自分で自分の物を手直ししたようなもの。本来ならお礼だって言われる筋合いもないくらいだ。
「まあ、形だけの王とはいえ。少しは国のためになることができてよかったってことで」
「ですが、ではどうしてこの辺境領を選びお出でになったのですか?」
「ん……ここ出身の女性と、少し縁があってね。その人はもうどこにもいないけれど──」
よく覚えている。最近の出来事だからというのもあるが、興味のないことはすぐに忘れてしまう質の俺がそれでも彼女の来訪を記憶していられたのは……懸命に頼み込むその姿が美しかったからだ。
なんであれ真剣な人は美しいものだ。俺が長らくそれを忘れてしまっているだけに、必死になって何がなんでも赤子だけは救わんとする彼女の真に迫ったあの目が、未だに脳裏に焼き付いて離れない。モロウの話を聞かされて、俺にはつい昨日のことのようにそれが思い起こされた。
「せめて彼女への手向けになればいいと思ってさ。だからまあ、どこまでも自分本位にやっただけだよ」
「それでも……イデア様は私とこの領の救世主です。もう一度言わせていただきます──どうもありがとうございました」
リーナはアルフと声を揃えながら、深々と頭を下げて感謝を述べた。
これは参った。好きにやっただけなのにこうも真摯に受け止められてしまうとどうもね。
困った俺がセリアへと目を向ければ、彼女もうるうると感涙していた。あ、君ってそういうタイプ? 美人で瞳が切れ長で第一印象だとけっこう冷徹そうに思えるんだけど、話せば話すほどにつくづく真面目っ子だなぁと感じる。モロウのときにも泣きそうになってたもんな。
セリアが頼りにならないと悟った俺は、しょうがなく自分でリーナとアルフの一向に上がらない頭を上げさせることにしたのだった。




