101.脳が震える
自身最大の長所は何かと訊ねられた場合、クアラルブルが答えとして挙げるのは確実に『観察眼』となるだろう。それは彼女が自他問わず他の何よりも信を置いているものでもあった。
人を見抜く目と言ってもいいそれは単に注意深く観るという行為に留まらず、その者の内面や将来性と言ったただ眺めるだけでは判じようのない部分まで大方見通すことができた。人の深層、本質とは少なからず表面上にも見えてくるものだ──というクアラルブルの持論は過たず、何もかもを詳らかとできるなどと自惚れはしないものの、しかしこれまで彼女の目に映った全ては『正しかった』。あとから振り返ればその正確さは如実で、クアラルブルが見込みありと判断した生徒は大抵が良成績を残して華々しく巣立ち、才気に薄いと見た生徒はその殆どが進級にも苦労する有り様。だからこそ彼女には教職が向いていたのだろう。
個人の出来の良し悪しに左右されず適切な指導が行えるのは──些か逆説的な表現にはなるが──彼女が他者の出来を一目見ただけでほぼほぼ正しく把握できるが故のこと。移住先でクアラルブルが教師になることを選んだのもこの才能と無関係ではないだろうし、翻っては沈没船もかくやの祖国から先んじて脱出を図れたのも、隣人たる国民らの鋭気に欠けた様を目の当たりとしたことで、秘された外交上の窮地を知らずとも自然に国の行く末を悟っていたからだ。
見る者が見れば一本の木を確かめただけで森全体の委細を把握できるだろう。彼女は人を相手にそれと同じことを可能とした。一面を見て人を知る。人民を見て国を知る。これは国を組織と入れ替えても成立する。そんな特別な眼を持つ彼女が周囲に齎す恩恵は甚だ大きく、余所者でありながら次の副院長候補の筆頭(実質的に唯一の候補でもある)にまで登り詰めたのはある種必然のことでもあった。
しかして。順風に教師人生を歩んでおきながらクアラルブルは培った実績を棒に振ろうとしている。一人で国を飛び出して、他の何を頼りにするでもなく自力のみで得た立場と約束された未来。それなりの苦労もあった三十年をたった一夜で無と帰すための作戦会議が彼女の目の前でしめやかに、かつ和気藹々と行われていた。
「お師匠様のやりたいことはわかりましたけど……その子、イーディスちゃんはまだ十二歳なんですよね? だったら巻き込むのは断固反対! です!」
「ほお? ミルコットが俺に意見するとは。なんだ、前途ある少女に犯罪の片棒を担がせるのは気が咎めるかい? だとしたらえらく常識的になってくれたね」
気心知れた様子で話す彼女たちはどちらも怪物。辛うじて人型をしているだけの得体の知れない生き物が二匹、まるで人のように意思疎通をしている……クアラルブルの眼が映す真実は紛れもなくそういったものだった。
「違います違います、ぜーんぜん違います! 私はお師匠様の心配をしてるんですっ。イーディスちゃんがどうなろうと別になんだっていいですけど、その子のせいでお師匠様のやりたいことができなくなっちゃったら大変じゃないですか。子供なんだからあっという間に捕まって尋問されて、洗いざらい吐いて、きっと作戦が台無しにされちゃいますよ」
「あの子に限って漏洩の心配はないんじゃないかと思うけど、でもそうだな。お前やクアラルブルと比較すれば脆いのは確かだ……言うなればチームの急所。適当に校舎のあちこちに放火でもさせようと考えていたんだけど、ちょっと計画に修正を入れようかな。もっと安全にイーディスが参加できるように」
「えー、参加させるのは変わらないんですかぁ?」
むう、と何が不満なのか──実のところその理由はクアラルブルにもなんとなく読めているが──頬を膨らませて抗議の意を示すは、オラール全域を守護する省直下の民間組織『ガーディアンズ』の新人ミルコット。見かけは十六、七歳ほどで背丈は平均的。しかし細身ながらに一部の肉付きが異様に良く、またその身体を覆う衣服が肌着も同然に薄いものだから見る者の目に毒な出で立ちとなっている。同性のクアラルブルですらも彼女の豊満な塊には自然と視線が吸われてしまうくらいなのだから、男性にとってはもはや即効性の猛毒と言って差し支えないだろう。
だが暴力的な体付きとは裏腹にくりくりとした大きな瞳が目立つ童顔でもある彼女は、羊を思わせる柔らかそうな癖っ毛と相まって見かけから幼さも多分に漂わせている。その幼気と色気が混同したアンバランスな様が一段と少女らしからぬ色香へと繋がっているようだ、とクアラルブルの観察眼は知ったところで大して役にも立たない情報まで分析して得てしまう。
そうだ、外見上の特徴などさしたる問題ではないのだ。優に100を超えてそうなバストサイズすらも差し置いてより一層に際立っているのは、やはりその内側。表面に留まらず内面にまで視線が向いてしまうクアラルブルは、それによって今日よりも以前から。初めて知り合ったその瞬間からミルコットの異常性に気が付いていた──天をも覆う巨人が小さな小さな人間の体に自らを押し込めているような、今にも膨らんではち切れて周り全てを破壊しつくして塵芥に変えてしまいそうな、暴威そのものとしてミルコットがそこにいることを。彼女はその眼で確かに観てしまったのだ。
勝てない。その日、教員側との引き渡し役として握手を交わしながらクアラルブルは人生最大の戦慄を味わった。月光の魔女ルナリスに晴嵐の魔女クラエル。そもそも戦う次元にまで思考を飛躍させられないほどに隔絶した存在を目にしたことはあった。だが魔女でもなければ賢者でもない、まだしも人間の範疇にいる無名の相手からこうも明確な力量差を感じたのはそれが初めてだった。特別な地位を持つでもなく社会に紛れるようにして怪物が目の前にいるということ──彼女にとって真に衝撃だったのはその事実だったのかもしれない。
けれど認識は今日この日をもって覆った。どこぞより湧いて出てきた未明の怪物はなんと魔女の弟子であったのだ。そう知らされて驚きよりも納得が、納得よりも安堵が勝ったのは、常識外の生き物もまたそれが誕生するだけの理由があってこの世に存在するのだと証明が果たされたからなのだろう。まだしもその理屈を得られたことは幸運以外の何物でもなかった。
何せ、怪物を超える『真なる怪物』がここにいるのだから。
「何度も同じことを言わせないでくれミルコット。イーディスを除け者にするつもりはない。そうするとまず間違いなく拗ねてしまうからね、あの子は」
「ぶー。そんなの好きなだけ拗ねさせとけばいいじゃないですか」
「おいおい。あとからご機嫌取りするのは俺なんだぞ……というかそれ、間違ってもお前が言っていい台詞じゃないからな」
ミルコットの自分を棚に上げた発言に苦笑するのは真っ黒な少女。東方の支配者『始原の魔女』、その名もイデアである。……彼女に関してクアラルブルは語るべき論を持たない。前述した二人の魔女と同様にイデアとは彼女の眼を以てしても到底見通せぬ人物。理外かつ慮外の存在であり、またそれ以上に。
「で、内容をどう変更するかだけど……勿体ないけどこれを使おうと思う」
ずず、と何もない空間からイデアの手に引っ張り出されるようにして姿を見せたそれに、ミルコットが首を傾げる。
「なんですかこれ。大きなお人形?」
「はは、間違っちゃいないな。正確には呪式魔化を施した死体だけどね。リビングデッド……いや、アンデッドじゃあないんだからここはダンバスの得意技術を倣って動く死体とでも名付けるべきかな」
身体中の毛を刈られて、衣服も着用しておらず、灰色で血の気の通わない肌をした不気味な人形──否、かつて確かに生きていた人間。その何も映さない眼球以上に色味のない瞳をミルコット、そしてクアラルブルへと順に向けたイデアは淡々と言った。
「モロウやディータを手本にして俺も試しに人形を作ってみたんだ。フラン君のおかげで使い道のなくなった死刑囚たちを有効活用してみたわけだが、なんだかいまいち使い勝手が良くなくてさ……いやまあ、出来の程は置いておいて。とにかく十五体のストックがあるから、これらをイーディスに貸し出して操らせるのはどうかな? そうすれば彼女は部屋を出ずして陽動役を果たせるし、上手く操作できたら放火以上の騒ぎを起こせもするだろう。ノーリスクベターリターンってところだな」
十二歳の少女の手で死体を暴れさせる。放火犯に仕立てる以上に倫理観を足蹴にした提案をなんの含意もなく行ない、そして衒いもなく賛同を求めてくるこの少女が壊れ切っていることは疑いようもない。人ではない、というのは魔女ならば当然のことではあるけれど。だが言葉を交わす程度であればクアラルブルにも支障なく接することのできたルナリスやクラエルと決定的に異なるのは、この明確なズレ。イデアの一挙一動、一言一句から感じられる違和感があまりにも大きく、そして寒々しいことにあった。
東方の生まれで、十代まではそこで育った。その地に伝わる信仰対象とでも言うべき『始原の魔女』がまさかこのような人物だとは──クアラルブルは。意図せずして対象の奥底まで見通してしまう彼女は、初めて目にする『底無し』にすっかりと心を奪われてしまっていた。あるいはそれは目を潰されたと表現しても過言ではないのかもしれない。
強烈な闇に呑み込まれた。否、引き摺り込まれたのだと。自分で自分を分析してそう結論づけてしまう程度には、彼女の精神はあらゆる意味合いにおいてイデアに参っている。
「ちょっと確認いいですかー、イデア様」
「ん、何かなクアラルブル」
満を持した、というわけでもないが。けれど慎重に折を見て話し合いへ口を挟んでみたクアラルブルに、魔女はその心情を察しているかのような静かな笑みを向けて続きを促した。殊更に優しげなのはミルコットがこちらに向けてそれとなく威嚇してきているのが理由だろう、とやはりごく正しく自身の置かれた状況を把握しながら彼女は、それに甘えて教師らしく一人の女子生徒を気遣った一応の懸念を申すことにした。
「人間大の物体を十五個もリモート操作する、というのはいくらステイラバートの学生であってもとーっても高いハードルですよー? イーディスさんは優秀な子ですけど、魔法力はそこまで高くないですし。イデア様が手解きするにしても陽動が務まるほどにそのお人形さんたちを動かせるかは怪しいと思うのですがー」
ふむ、とイデアは小さく頷いて考える素振りを見せた。たったそれだけの反応にも自分がそうさせたのだと思うと脳が震えるような錯覚を覚える。そんな自分に、クアラルブルはすっかりと黒に染め上げられたその心の内だけで笑った。




