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10.魔女は其の者の鏡となりて

 父は苦労人だった。


 既に重々知っていたはずのその事実を、彼の仕事を引き継いだことで娘のリーナはより強く痛感させられた。


 早くに妻を失くし、貧しい土地を管理し、重くなる一方の税に耐えて。そのような環境で使用人もろくに雇えぬままに子どもを育てることはどれほど大変だったろうか。少なくとも、今の自分が子どもを持てる気はまったくしない。


「はあ……」


 リーナのため息は重い。彼女が管理するオーリオ領には村が三つ。彼女の住む屋敷のすぐ目の前にある村と、少し離れたところにふたつ。これだけだ。父が地主であった頃にはもう少し多かったのだが、突発的な疫病と数年間の不作という不幸が連続し、ただでさえ少なかった領民はめっきりと数を減らしてしまった。


 目に見えた破滅の始まりはやはり疫病か。それはもう二十年ほど前のことで、その頃のリーナは物心ついて間もない時分だったはずだが、不思議と父の嘆きだけは鮮明に記憶に焼き付いている。常に領地を想い、頭を悩ませていた父だ。流行り病への対処が何ひとつとて講じられなかったことに心を病んでしまうのも無理はなかった。


 彼を追い詰めたのは自然的な不幸ばかりが原因ではない。国もまたそうだ。一方的に税を取り立てられるだけの関係性とはいえ、リーナの父は当時一抹の希望を持って国へ助けを求めた。しかしその期待はあっさりと裏切られ、彼は危うく感染地の村々だけでなく、自らとそして娘の心身の自由まで奪われるところだった。監視下で数日が経過しても体調を崩さなかったことで感染疑いは晴れたものの、いくつかの村の人々はそうもいかず、国は結局そこの住民が丸ごと「いなくなること」で病の鎮静化を図った。


 閉じ込めて、死ぬのを待った。

 要するに見殺しである。


 疫病が領民らの命と共にどこぞへと消えて、間髪入れずに不作に喘ぐようになって。それからの父は年毎に弱っていき、数年前にとうとう亡くなってしまった。突然心臓を押さえて倒れ、それきりだ。ベッドに横たえられた物言わぬ父を改めてつぶさに眺めたリーナは、まだ四十代とは思えないほど老け込んだその姿にただ涙することしかできなかった。


 祖父も早逝だったと言う。父はそれに続き、おそらくは自分もそうなるのだろう。これからが働き盛りの二十代前半。けれど既に枯れ木のようになっている己の腕を見つめてリーナはごく客観的にそう思った。


 この二十年で人が減ったぶん、税の追加はされなくなった。不作の期も終わりどうにか営みは保てているが、しかし崖の淵を歩き続けるような瀬戸際が続いている状態だ。ここオーリオ領は珍しくも貴族の支配領ではなく、他領で頻繁に見られるという彼らによる中抜きが行なわれないのは幸いではあるが、なんということもない。抜く中身もないと見做されているだけなのだ。


 平常時からして他領の不作期にあたる程に痩せた大地では、農作物も動物も大きくならない。地主であるリーナですら日に必要な量を食べられているとは言い難いのだから、村人の惨状は推して知るべしである。


 リーナは再度のため息を零す。また今日という日が始まる。心労に倒れるまでの一日が。わざと引き伸ばしていた朝の支度を終えて、部屋を出る。毎朝毎晩と先祖から受け継いできたこの領、そして自分のことを考えている。だがいくら考えたところでどうにもならないのはわかっていた。行きつく先はどこにもない。こんな状況だ、嫁ぎ先も婿も見つかるはずはなく、そもそも探すための伝手にも縁故にも欠けている。


 どうしても家系を存続させたければ、三つの村のいずこから貴族よろしく強引に相手を連れ去ってくるしかないだろう。そんなことを思ってリーナは自嘲の笑みを浮かべた。──貴重な貴重な働き手である村の男性を奪ってまでやることではない。


 しかし、後継がいなければ自分亡きあとにこの領がどうなってしまうのか。それが彼女の気掛かりだった。そうだ、残されるのは村人だけではなく使用人の──。


「リーナ様」


「アルフ。……どうしたの?」


 一階に降りる途中、階段を上がってきた男性と鉢合わせた。高齢だが、ピンと背筋の張ったその彼はなんと祖父の代から唯一この家に仕えてくれている古株の執事だ。そして現在ではたった一人だけ残った使用人でもある。リーナにとっては第二の父も同然の人物だった。


 アルフは普段、朝は滅多なことでは二階に上がってこない。そこにはリーナの寝室があり、彼女は誰に起こされずとも自分で目覚めて──朝と言うには少々遅い時間帯ではあるが──準備をし、階下へと顔を出す。それがわかっているだけに彼もリーナの時間を邪魔しないように努めているのだ。


 その滅多なことが起こったのだ。と、珍しくも自分を呼びに来たらしい彼を見てリーナは理解した。


「お客様がいらっしゃいました」


「お客様? 私に会いに?」


「はい、確かにそう申しておりました。リーナ様」


「…………」


 そう多くはないことだが、村から陳情を訴えにやって来る者は定期的に現れる。その対応の度にリーナの心は擦り減っていくのだが、しかし、アルフの言い方からして今度の客は村人ではない。それなら彼は最初からそうだと教えてくれる。


 だとすれば、客人とはいったいどこから来た誰なのか。


「まさか、ようやく要望が叶ったのかしら。国からの使者が我が領を救いに来てくれたの?」


 自らへの皮肉を込めてそう冗談を言ったリーナに、アルフはしかと頷いて答えた。


「はい、リーナ様。女性が一人と少女が一人。彼女たちは確かに王城からやって来た者だと名乗りました。この領について話があるとのことです」


「え──?」


 困惑に数秒。あるいは数十秒。咳払いで「待たせるのは拙いのではないか」とそれとなく注意してくれたアルフに感謝しながら、リーナは彼を率いて館の玄関へと急いだ。


 彼女の胸にはこのとき、何か言い知れぬ予感が渦巻き始めていた。



◇◇◇



 一朝一夕ではできない目の下の濃い隈、こけた頬。生気に薄く、容貌から如何にも普段の気苦労が滲み出ているリーナと名乗ったその女性は、不安を表すように痩せた両手をぎゅっと胸の前で握り締めていた。


「えっと、あの。つまり……?」


「つまり、王は崩御なされました。国の支配を目論む賊に血縁共々討たれたのです。その異変を察知され駆けつけた始原の魔女様が賊を討伐。更には現王並びに王位継承者が誰一人として残っていない事態を重く憂慮し、この国の新王となって民を導くことを御決断くださいました」


「そ、それがその──」


「はい。こちらにいらっしゃるイデア様その人です」


 促されて俺に視線を向けるリーナ。片手を上げてフランクに応じてみたが、彼女はごくりと深刻そうに喉を鳴らしてから慌てて頭を下げた。


 なんだろうな、この感じ。最初の挨拶からこっち、この応接間に通される前も後もずっと彼女は俺になるべく目を向けないようにしている気がする。セリアにばかり話させているせいもあるんだろうけど、それだけが理由じゃあないなこれは……かと言って初対面のリーナに怖がられたり避けられたりする覚えもないために、首を捻るしかない。


 しっかし、セリアの説明は単刀直入だね。起きた出来事を文章化するならその通りだけど、そんなものを聞かされたって理解に苦しむばかりだろう。知らせなくていいことを隠そうと思えばそれも仕方がないとはいえ、ほら。実際リーナも返事に困ってしまっているじゃないか。


 無理もない。なんと彼女は半年程前に王都でモロウが引き起こした貴族粛清事件も耳にしていなかったくらいだ。まあ政治改革もまだ王都内にすら行き渡っていないともなれば、別段リーナのアンテナが悪いのではなく、こんな辺境の地の一地主が得られる情報の量や鮮度などその程度なのだと思っておいたほうが正しそうだ。


「あの、それでは税制なども変わることになるのでしょうか? 私の聞き間違いでなければ……セリア様は先ほど、この国が今後豊かになっていくと仰いました。それは王都や他の街々に限らず、この土地のような辺境地も含めてのことですか?」


「そうとも」


 訊ねられたのはセリアだが、答えたのは俺だ。ハッとした顔付きでリーナはもう一度こちらを見た。


「豊かになるよ。必ずね。俺は贅沢に興味なんてないし、俺の臣下もすこぶる優秀だ。前王の統治はなかなかに愚昧だったみたいだけど、俺の政権じゃそうはならない。と、約束しよう」


「イ──イデア、様」


 俺の名を呼んだ、というよりも感嘆の吐息が漏れたといった風だった。うーむ、この様子からして俺が王であることにある程度の納得はできているみたいだな。……そんなことある? そもそも彼女が王をその目で実際に見るのだってこれが初めてなんだろうけれど、俺だぞ。こんなちんちくりんのなりをした、魔法を使えることを除けばただのがきんちょだ。


 そんなのが突如として王でございと姿を現したところで、いくら傍らにその真相をもっともらしく肯定する女性がいたとしても、到底信じられるものではない。


 なのにリーナの態度は不審者へのそれではなく、自分よりも明確な目上に対するものだ。


「ときにリーナ。君も『始原の魔女』のことを?」


「ぞ、存じ上げています。『魔女は其の者の鏡となりて、相応しき恵みと災いを齎す』……ですよね」


「なにそれ」


「始原の魔女を謳う口伝のひとつです、イデア様。吉兆・凶兆を問わず非日常の出来事に始原の魔女をなぞらえることはこの国の慣習にも近いものです。例えば、忽然と人が姿を消した場合それを『悪さをして始原の魔女に攫われたのだ』と解釈したり、といった具合に」


 ……なにそれぇ?



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