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この異世界の救いよう  作者: 山葵たこぶつ
第三話 異界より来たる災厄
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07.リセット

「シロノの奇跡も便利だよねえ」


 奇跡談義は終わらなかった。

 ルアノはシロノの記憶操作の能力にも言及する。


「えっと、記憶の改ざんと消去ができるんだよね? なら、大事な記憶を忘れないように保護することもできるの?」

「私は意図しない限り、“忘れる”ことができない」

「マジですか……」

「ああ、なんかマジみたいだぜ。コイツの記憶力は、そこいらのエスパー軽く超えてんぞ」


 シロノは物事を完璧に覚え、それを維持し続けることが出来るため、そもそも記憶を保護する必要がないのだ。


 リュウの脳裏に完全記憶、という言葉がよぎる。

 要するに、彼の視界に入ったもの、耳にはいったもの、それらを全て録画のように記録し続けている。それだけではない、口にしたもの、触ったものの感触、匂い。それらは消去(・・)しない限り、ずっと彼の記憶に残り続けるという。




 それを半信半疑に思ったリュウは、かつてシロノの記憶力をテストしたことがある。


 一枚の紙の上に、リュウが作成した迷路が描かれている。

 これをシロノに見せた一時間後に、リュウは一枚のクリアボードとペンをシロノに渡した。

 シロノは一本の線を躊躇うことなく引いていく。不規則に何度も屈折を繰り返す、黒いインクで示された道筋。


 完成したクリアボードをリュウの迷路に重ねると、その線は紛れもなく迷路の解となっていたのだ。




 というエピソードを挟むと、ルアノは興奮気味にシロノへと視線を向けた。


 シロノのように第一印象が希薄な者にさえ、そのような眼差しを向けることが出来るのは一種の才能だろうと考えるリュウである。


「それ、すごいね。記憶できる量に限界はないの?」

「ない」


 徐々に熱がこもるルアノに対し、冷然と答えるシロノである。


「じゃあ、純粋な知識だけでいうなら、シロノより物知りな人っていない……? ゆくゆくは歩く世界の図書館的な……?」

「私は仕事の性質上、任務内容を記憶から消す必要がある。任務が終わる度にリセット(・・・・)をするため、ルアノの言うような存在にはなれない」


 リュウの脳裏に、軽い火花。


 彼の淡泊な物言いは今に始まったことではないが、そのあまりに迷いなく透き通った声色で放たれた言葉に、思わずその不自然さを見逃すところだったリュウである。


「ちょっと待て、リセット(・・・・)? それは記憶を消してるって意味だよな?」

「そう。ある一定の状態に記憶を戻す」


 何てことのないように、シロノは似たような内容の発言をもう一度言った。


 ――記憶を戻す。


 その言葉は、本来であればロストした記憶を復元させることを意味するが、彼の場合は違う。


「え? 任務の度に、その記憶を消しちゃうって意味?」


 ルアノも戸惑ったように確認するが、シロノは静かに首肯した。

 それを認めたルアノは、何かを訴えるようにリュウの顔を見る。だが、内容が初耳なだけに、リュウは首を横に振ることしか出来ない。


 リュウはシロノの能力に対する認識を、甘く見過ぎていた。

 彼の記憶消去の能力は、例えば密偵の任務の最中に捕縛されたり、今回リュウについて来ているようなケースの任務で、相手に余計な情報を与えないために施される特別な処置だと思っていたのだ。


 だが、彼の今の言葉通りなら――、


「なあ、シロノ。お前、今までにわかるだけで何回リセットしてる?」


 ――人格の成形に関わる使わせ方ではないのか?




「私が認識しているだけで、五十回は下らない」




 頭を鈍器で殴られたような衝撃だった。


 五十回以上の記憶のロスト。それも、わかっているだけで。

 シロノの年齢も密偵を始めた歳も定かではないが、波はあれど年に数回――下手をしたら十回以上にも及ぶスパンで、彼は記憶を失っていることになる。


 それは、彼の記憶は短ければ一ヶ月も維持されないということだ。





「ねえシロノ。それ、もう止めよう?」


 へらっと。

 ルアノは笑ってシロノに言った。


 軽い調子のルアノだが、いつものなだめ行動が彼女のショックを物語っている。


「ああ……、同感だ」


 リュウも彼女の意見に追従をした。

 腹の底に、黒い渦のようなものが沸き立つ感覚。それがリュウの胸を不快感で染め上げていく。


 シロノはルアノとリュウの言葉に、あまり理解を示していない風に、何もリアクションをすることはない。


 ――それ(・・)だ。


 彼はリュウ達が引いている(・・・・・)のを理解している。ただの事実として。

 そんなリュウ達の反応に対して、彼の意思や感情に乱れのようなものが見当たらないのだ。


 リュウは彼が希薄すぎると思っていた。それは単純に、密偵として存在感を消す訓練が成されたからだと思っていた。

 だが、そのことに違和感を覚えていたのも事実だ。


 シロノの色は透明すぎる。

 リュウがゲームタワーで出会った手練れ達。彼らが携えるのは、どれも奥が深い色合いで、数々の任務をこなしたであろうシロノがそれ(・・)を持っていないことに、リュウは違和感を抱いていたのだ。


 もしかすると、シロノはそうやって自らの経験やそこで生まれた感情を何回もリセットしていくうちに、自分自身の人生を自覚することに疲れや虚しさを覚えてしまったのではないか。


 リュウはシロノをどこか遠く――、ヘルゼノスの力の及ばない(ところ)へと連れ去りたい、突拍子もない衝動に駆られた。


 おそらく、シロノは悟っている。

 こうしてリュウ達と会話をした、この(とき)の記憶でさえロストすることを。


 ――リュウにとって、それはシロノという人間の死だ。


 リュウはクロードの死から覚悟を決めていたはずだった。

 この旅路で、もしかすると多くの人の死に立ち会い、自分の――ひいてはウィルクの命さえ落としてしまう可能性(・・・)に対して。


 だが、このままではシロノは間違いなく(・・・・・)死ぬ。

 それも、リュウの予感が正しければ、リュウがシロノの傍らにいる間に。



***



 ――もしかすると、怒っているのかもしれない。


 リュウからシロノと名付けられた存在は、リュウとルアノのリセット(・・・・)に対する態度から、そう感じ取った。


 ただし、その怒りが自分自身へ向けられたものではないことを、シロノは確かに感じている。経験上、自分の境遇にそういう態度をみせる者は、決まって組織(ヘルゼノス)へと怒りの矛先を向けるのだ。


 ――それは、自分を大事に想ってくれている証。


 からといって、シロノ自身はそんなこと別にどうでもよい。


 シロノのすべきことは、ターゲットであるリュウに追尾すること。

 そして、リュウが困難に至ったときに優先して助力することだ。


 ホガロまでの二週間近く、シロノは彼に対して、どうしても以前のウィルク・アルバーニアとのギャップ(プロフィールのみの記憶に依る知識でしかない)に、戸惑ってしまっていた。

 だが、リュウがふいにシロノの記憶喪失に気が付いたため、シロノ自身から自らの奇跡について説明する機会を得て安堵したものである。


 ――正直、自分は対象とのアイスブレイクに慣れない。


 これは密偵として致命的な欠点なのかもしれないが、シロノは自分自身の性分だと考え、むしろこの冷然さを己の魅力として磨いてきたつもりであった。


 今回のターゲットであるリュウが、それについてどう考えているのか、シロノにはおおむね予想が立つ。

 間違いなく、嫌われてはいない。

 その反面で、リュウに対して抱いている己の中の何かは、もしかしたらこれまでの任務とは違うのではないか、とシロノは感じ始めていた。


 リュウ――ウィルク・アルバーニアとの旅路は、ハウネルで突如として“   ”に命じられたように、あまりに早急で例外的な任務であると考えた方がいいのかもしれない。


 もちろん、だからといって、シロノ自身の判断で何かをし始めるわけではない。


 さておき、通常の密偵としての任務において、管理者に対する報告は欠かせないはずだ。

 そして、今回の任務にはその“報告の義務”がないのである。




 ――今回はいつも(・・・)とは違う?


 例えば、エンジュ・スレイマンの情報が記憶に残っていたこと。

 真っ先に思いつくのは、シロノとは全く関係のないエンジュの任務と、偶然バッティングしてしまったという可能性だ。


 だが、それすらも加味して記憶を飛ばさなければ、“リセット”の意味がないのではないか?




 ――どうであれ今回のリセット範囲は甘いような気がする。


 リュウ達と話している間、シロノはどこか釈然としない思いを抱えながら、ワインの香りを愉しんでいた。





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