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この異世界の救いよう  作者: 山葵たこぶつ
第三話 異界より来たる災厄
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01.乖離

 神坐流(かみざりゅう)が小学校四年生の頃。

 同級生が交通事故で亡くなった。


 正直、その子のことを流はよく覚えていない。

 ろくに話したことはなかったはずだ。流が言うのもなんだが、あまり印象に残っているような生徒ではなかったのだ。


 ただ、葬儀に参加したときの記憶は強く根付いており、その子の名が“石村君”であることは覚えていた。

 もし葬儀の日、遊び惚けていた母がたまたま帰ってきてなければ、流は葬儀に参加するような支度も出来ずに家に籠もっていたはずだ。今日(こんにち)まで、石村君の名を覚えていることなどなかっただろう。


 人が死んだとき、家族――血縁者がこのイベントを執り行わなければならないことを、葬儀に参加した幼い流は初めて知った。

 もし自分が母を亡くしたら、これだけ大変なことを仕切らなければならないのか、と不安に思ったものである。


 事故の翌日――葬儀の数日前の朝、全校集会が開かれたのをかろうじて思い出す。

 もう記憶が薄れているが、その内容は石村君の死を悼む、弔いの言葉の数々だった。


 そして、校長による全校生徒に向けたメッセージ。


 ――『石村君の分まで』。


 ともあれ、流の記憶に強く残っているのは、母のことだ。

 葬儀から帰ってきたとき、嬉しいことに母は夕食として流の好物を作って待っていてくれた。

 会場に意味もわからず用意されていた寿司など、目もくれなくて良かった、と流は心の底から喜んだ。


 ――ケチャップのオムライスだ。


 流は七五三のような格好のまま、皿に盛られたそれにありつく。

 何日ぶりであろうかのご馳走に、無我夢中になってスプーンを口に運んだ。

 きっと、これが大人達が口々に言う、母親の味というやつなのだろう。


 ――美味しい。本当に。


 もっとも、母の料理で美味しいのは何故かオムライスだけ。他の料理は何故か微妙だが、それを口に出すとキレるので、結局は無理に美味しく食べるしかないのだが。


 途中で、母がタバコを吸いながら退屈そうに酒の入ったグラスを傾けているのをみて、流は石村君の事件の話をしてみた。

 自分が体験した、全校集会の朝から葬儀の後である今に至るまで。


 だが、母の反応はいまいち鈍い。

 ややあって、母は『アンタの校長の言葉、薄っぺらいねー。ずぅえったい、マトモに聞いちゃダメだからね』と煙を換気扇に吐き出しながら流に言う。


 カラン。とグラスが音を立てた。


 流は上機嫌なときの母が好きだった。

 それは今でも変わらないし、金も残さずに逝ってしまったときでさえ、恨んだことはなかったはずだ。


『覚えておきな、流。人はね――』





 ――などと。


 何故、そんなどうでもいいことを思い出しているのか。


 こんなときなのに。


 リュウが小首を少し傾げたとき、目前に佇むデュザが口を開いた。


「もう、いいかね?」


 そんな風にリュウの意識を確かめる。


「ん? ああ、ワリィな。話を進めてくれ」


 デュザは気を取り直すようにして、一つ咳払いをした。


 ここは、ラストステージ。

 リュウが死に物狂いで辿り着いた、デュザ達の“実験”の秘密が眠る、【摩天楼】だ。


「ここまで辿り着いた貴様に賛辞を送る――という意味で、その身に起こっていることの全てを話そう」


「そりゃ、ありがたい」


 デュザの都合がよすぎる言葉に、リュウは目を細めて応える。

 ただし、全く彼を信用などしていない。


 これから何がどうなるのか、リュウは己の目と耳で――、


「そう警戒せずともいい。真実を話す」


 とデュザの声が遮った。


 ほぼ照明の意味をなさず、ただ煌々と灯っているだけの数本のロウソク。

 リュウは何故かデュザを視認出来るが、周囲は真っ暗なままだ。


 ――ギィ。


 椅子が軋む音がする。


 そちらに視線を向けると、椅子の大きな背もたれに隠れ、()する者はリュウにその姿を認めさせまいとする。

 しかし、リュウにはわかる。そこに座っているのはサレイネだ。


「だが、話をするのは、貴様が“コレ”に≪決戦(デュエル)≫で勝つことができたらだ」


 そう言い放ったデュザの背後から、リュウのよく知る人物が姿を現せた。


 漆黒の髪、黒いダークスーツ、黒いシャツ、黒いネクタイ、そして黒い手袋。

 無機質な輝きを携えた、金色の瞳。


 リュウの眼前で、青白い光がバチバチと派手な音をたてる。


「シロノ……」


 リュウはその名を小さく零していた。


 道中で出会ったエンジュ・スレイマンは言っていた。

 シロノはリュウが思うような存在ではないと。


「やっぱり、最後はテメエが相手になるわけだ」


 リュウはちゃんと理解していたはずだった。


 シロノ――、異教徒組織ヘルゼノスのメンバーが、どうしてリュウについてきていたのか?

 そのことを、リュウは『いずれわかる』ことだとあえて深くは考えぬようにしていた。


 そして、その判断は正しい。

 今このとき、彼がリュウの前に立ち塞がっている事実は、概ねリュウの予想から外れていない。


「私は、もうシロノではない」


 淡泊に、彼はそう断言した。

 おそらく彼は記憶操作の奇跡により、リュウ達との旅の記憶を支障が出ないまでロストしたのだろう。


「ラストバトルの≪決戦(デュエル)≫となると、貴様にとってはこのゲームが相応しかろう?」


 そう言って、デュザは一丁のリボルバー拳銃を机の上に置いた。


「ロシアンルーレットだ」


 とサングラスの職員が言い放つ。


 ――ドク!


 リュウの心臓がエンジンが掛かったように暴れ、その鼓動は全身に鳴り響く。


 ――“ロシアンルーレット”。


 それはゲームタワーにおいて、流が黒埜咲(くろのわらう)少年と十個目の白星を賭けた最終決戦。


 かつてシロノだった彼は、銃が置かれた円卓に備えられた椅子に腰掛ける。

 微かに息を吐き出しながら、リュウもそれに続いた。


 リュウは対面に座す彼の顔を見て、言った。


「いよいよ、って言った方がいいのか? 俺はこのときのためにお前と――」


「キミは勝てない」


 そして、リュウのそんな言葉を、あっさりと彼が遮る。


「キミは自分を過大評価しすぎだよ。何一つ成し遂げていないのに」


 彼はそう零す。

 リュウがもの申す前に、その言撃は緩められることなく放たれる。


「キミは上層で“摩天楼”というキーワードを手に入れ、サレイネの存在を識った」


 かつては驚くほど自己主張しなかった彼が、今度は驚くほど堂々と言葉を繰り出す。その衝撃にリュウは口を挟むことが出来ず、ただ黙って耳を傾けるばかりだ。


「それが、“黒の棟”とキミが呼称した(ところ)に潜入して得られた戦果。デュザと黒の亡霊、ウィルクの謎を暴くための。しかし、それらは戦果と呼ぶにはあまりに乏しい。ウィルクを元に戻す方法を識る、という本来の目的を果たすことはおろか、我々の意図を識ることさえできなかった。そして、いよいよキミはアルフィとの約束の期日を破った」


 リュウは眉間に皺を寄せた。

 何故、そのことを彼が知っているのか?


 リュウ自身、養成学校での立ち回りは、もっと他にやりようがあったのではないかという、根拠のない後悔に見舞われている。


「キミはウルトラシングで、シージャックの主犯たるテレサ一派に勝利した。しかし、ルアノを逃がすためだけに、クロード・ロイドを死なせてもよかったのかな?」


 今度はリュウにそう問いかける、目前の敵。

 次に彼が吐き出す言葉は雪崩のようであり、リュウには二の句を継げる(いとま)さえ与えてくれない。


「キミの些細な呼び掛け――、あのとき、『避けろ』とでも言っていればクロードは死なずに済んだ。それ以前に、テレサに手錠を掛けた際、彼女をナイフで殺していればより好ましい結果が望めたはずだ。そもそも、ルアノを逃がすために犯人と交渉しようなどと、無茶をする必要があったのだろうか? いや、よしんばその道筋の全てが、ルアノ――世界とウィルクを救うために必要だったとしても、キミにはクロードの死を“犠牲”とさえ呼ぶことができないはず。言うならば、決して看過できない“瑕疵(かし)”だ。それとも、自意識過剰で独り善がりなキミにとっては、“人生の汚点”とでも言った方がしっくりくるか」


 そこまで彼が喋るのを許し、リュウはようやくため息を吐くことができた。


「ようやく本性を現したと思ったら恐れ入ったぜ。正論を笠に着て、人にダメ出ししまくるヤツだったとはな」


「――私が今こうしてキミの前にいるのも、キミが失敗したからだ」


「何?」


「キミは条件を満たせなかった」


 随分と耳が痛いことを(のたま)ってくれたと思いきや、唐突に跳躍した暴論めいた責任転換。リュウは面食らった表情を隠すことが出来ない。


「随分自分に甘いじゃねえか。テメエの運命も俺の責任か? 結婚でもしてたつもりかつーの」


「シロノはキミの仲間でありたかった」


 仲間。

 シロノはリュウに救いを求めていたということか?


 そんな不意打ちを喰らい、リュウはどう応えればいいのか、次の言葉に窮してしまう。


 先程から、一体何だというのか?

 今から戦うのだろう。

 目前に鎮座する、その一丁の拳銃で。


 そこまで戦いにこだわる自分が、どういうわけか急に虚しくなっていくのを、リュウは感じ始めていた。


 シロノが言っていたことは正しいのだ。

 リュウはア・ケートに来てから、ものの一つでも完璧に成せたことがあっただろうか?


 そう考えると、己の無力さに呆れかえるほかないと気付いてしまう。


 思い返せば、リュウは目覚めた医務室でウルスから水差しを受け取った瞬間、最初にして最大の過ちを犯した気がしてならない。

 どうして、あのときあのような迂闊な真似をしでかしてしまったのか?


 ここに来てから、――ゲームタワーを出てから、どこか冴えない自分がいる。


 リュウはあのとき、異界に迷い込んだ者にとって、最も注意しなければならない禁忌(タブー)の一つを犯したのだ。その知識があったにもかかわらず。

 元の世界にさしたる未練はないが、神坐流の肉体に戻る可能性をうっかりと絶ってしまったかもしれない。

 実はその迂闊さを、リュウは心の隅でずっと気にしていた。


 リュウが元いた世界では、異世界に流達がよく知る飲み食い処が開かれる、といった趣向の小説が一つの流行となっていた。

 流は思ったものだ。異世界人達が『うまいうまい』と喜んで、そこに足繁く通うのは、彼らが“もともとそこが存在しなかった世界”に戻ることが出来ないからではないかと。


 異界のものを口にすること。

 それは己が身を現世(うつしよ)と断絶させる行為として、今日び中学生でも知ってるようなことだ。


ヨモツへグリ(・・・・・・)のことを気にしていたんだね」


「この期に及んでツッコむのもアホくせーけど、何でンな古事記を知ってんだよ?」


 異世界人である彼に指摘され、リュウは頬が引きつるのを自覚した。


「大丈夫。ここはそういう(ところ)ではない。キミは戻ることができるよ」


「太鼓判どうも。だが、俺はウィルクが元に戻ればそれで満足だけどな」


 嘘偽りのない本心のつもりだ。


 もっとも、そのときは少しばかり――。


「“涙”という漢字は、“さんずい”に“戻る”と書く」


 今度は漢字について語り出した元シロノ。


「キミが戻るとき、それはきっと悲しくて、戻った後は、どうしようもなく寂しいだろうけど。キミは問題なく戻ることができる」


 瞑目しながらも、彼は断言する。

 どうしてそう言い切れるのか?


 いつか訪れるその瞬間を思い、リュウは僅かに心が乱れるのを感じた。

 リュウはこの動揺――切なさを人生で抱いたことが、そう何度もない。


「そのときまで、キミは何一つ気兼ねなく、この世界で遊べるんだ」


 『何一つ、気兼ねなく』と彼は繰り返した。

 リュウの中で巣くっていた懸念、ヨモツヘグリが消えてなくなる。


「だから、ウィルク・アルバーニアの身体を操る神坐流(かみざりゅう)が、何者かなど気にする必要もない。そして、キミが戻った後、自分が何者なのかを思い悩む必要も」


 ――それは些末なことだ。


 謡うように話す彼の言葉に、リュウは耳を傾けていた。

 それはきっと、『胡蝶の夢』だと云いたいのだ。


 そして、そう考えることが許されるなら。


「別に意趣返しってつもりはねえが、それはお前自身にも言えることだろ?」


 と金色の瞳を珍しく光らせ、真摯にリュウに向き直っている彼に言った。


「この≪決戦(デュエル)≫をナシにしようってわけじゃねえぞ。ただ、仲間でありたかったと思うなら、今でもそうだ(・・・・・・)って思えばいいんじゃねーの?」


「シロノは私が消した。それを私から言うのは虫が良すぎるし、厚かましい」


 そう言って、シロノだった彼は立ち上がってしまう。


「だから、キミの方が努力すべきだ」


「そっちの方が厚かましいだろツラの皮どうなってんだ!?」


 さながらゲームに出てくるさらわれたお姫様のように、追ってこいとでも言っているのだろうか?


 ふと、気付く。


 周囲は暗闇。デュザもサレイネも、そもそも居るはずのないグラサンも、どこかへ消えた。

 銃が置かれたテーブルも、彼が腰掛けていた椅子も。


「――キミはキミらしく、楽しむことだ。リュウ」


 そう言って、彼は背をみせて歩き出す。


「お、おい?」


 唐突に放置され、リュウの口から情けない声が零れた。


 ――消えてしまう。

 ――シロノが。


 そんな焦燥感に駆られ、リュウは立ち上がり、右手を伸ばして彼を追う。





 視界を覆うほどの、土砂降りの雨だった。

 打ち付けるようなそれに、リュウは一瞬にして濡れ鼠と化してしまう。


 ――何処だここ?


 そんな言葉が口から出た気がする。

 ザアザア降りのノイズのような濁音で、自らの呟きは聞こえなかったが。


 ――夢? どこからどこまでが?


 酷くだるい。

 深くまで落ちた意識が、何かに捕まれて一気に雲上へと引っ張り上げられたように、筋肉だの神経だのが寝惚けている。


 暴力的なまでの大雨に身をさらしている不安感と、そのせいで呼吸がままならない閉塞感。

 そして、起き抜けの気分の悪さ、はっきりしない意識。


 リュウは己の手のひらに視線を落とすと、それはここ一ヶ月ですっかり慣れてしまった、タコだらけのそれだった。


 ――夢ではない。少なくとも、この世界に来ているのは。


 見回せば、どこかで観たような街並みだ。

 丈夫そうな煉瓦造りの家々が、通りに沿って並んでいる。


 だが、それはどの街も同じような景観であるという事実と、大雨による視界の悪さによって生じたただの錯覚であると気が付く。


 リュウは自分が【ルネ】に居ることを思い出し、そして同時に今自分が何をしているのかを思い出そうとしたところで――。


 記憶が溢れ出す。

 まるで濁流のように。





『ゲームタワー』『学内だよ?』『穴だらけに』「俺はどうしてここに」『想定外だ』『デュザ』『悪くもないのに謝っちゃ』『ベール・ロイドだ』『黒の棟』『最終選抜』『黒服組』『落ち込んでたみたい』『ヴェノ』『第Ⅰ種特別待遇制度』『ウルトラシング』『キミについていく』『ヘルゼノス』『人間扱いできないっていうか?』「俺は神坐流だ」『世界が存在する理由』『貴方を、尊敬してます』『正直嫌だが』『真の淑女』『ハウネル』『ほんとばか』『台無しにするような真似だけは』『エンジュ・スレイマン』『私は奇手(つかいて)として、自分の記憶を』「死にたくない」『ウィルクのことよろしく』『お人好し』『アルナントカ』『≪振り直し(ビルド・チェンジ)≫』『ゴリラ君?』『頭は大丈夫か?』『手加減してあげるから』『それがルールだ』『ルーセアノ』『ゲームで勝つんだな』『痴れ者が!!』『人望投票』『オムライス』『真っ黒だからシロノだ』『面倒くさいわねえ』『目付き悪!?』『摩天楼』『クソみたいな思い』『ちゃんと話がしたいんだよ』「死ぬならもっと強く」『一シーンもないッ!!』『十二連盟』『その摩天楼って所を、探しに』『とても大事な名前』『アルバーニア孤児院』『記憶なくしてるでしょ!』「遊び足りない」『シグワルド・サレイネ特務大臣』





『ウィルク・アルバーニア』


『リュウ』


 ――人はね。誰かの分まで生きることなんて、できないの。





「――――――――――――――――ッ!!」


 リュウの咆哮は、轟いた雷鳴に吸い込まれた。


 誰にも聞こえない。否、最初から誰も聞こうとしない。


 世界はあまりに無慈悲に強く、個々を置き去りにするようにして、進んでいく。





『この異世界(セカイ)の救いよう』

――第三話 異界より来たる災厄





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